(インタビュー・執筆 平賀聡彦)
最高位戦は麻雀バカの集まりだと言われる。
「おれの麻雀は見世物じゃない」と言い放った飯田正人永世最高位を始め、麻雀バカ大好き人間である代表・新津潔のもと、対局内容や結果に重きを置く風潮は確かに脈々と受け継がれているようである。
寝ても覚めても麻雀、今でいえば最高位獲得経験もある村上淳・坂本大志が代表格といったところか。
さて、みなさんはこの有名な二人に勝るとも劣らない麻雀バカ、いや麻雀マニアとも言える男がいるのをご存じだろうか。
きくりんこと菊崎善幸、その人である。
菊崎 善幸(きくざき よしゆき)
今年、最高位戦のホームページがリニューアルされ、選手ごとにリーグ戦の生涯成績が見られるようになった。
そのことを伝える担当者華村のツイートには、意外な者のとんでもない行動がさらりと記載されていた。
「菊崎善幸選手が第1期からの成績をまとめていて、」
菊崎は事務局の人間ではない。
では、なぜここに名前があるのか。
それは、まだまだホームページが整備されていない時代から、菊崎が趣味で全リーグの対局結果を収集し、保存していたからに他ならない。
趣味で?
趣味で??
趣味で!!!
ちなみにそのこだわりっぷりは、本部のリーグ戦のみならず地方のリーグ戦も網羅し、データの不備や欠落があれば、当日の運営や対局選手個人のブログやツイートを見に行って補完するという徹底ぶりである。
まさに驚嘆の二文字。
これをマニアと言わずしてなんというのか。
ここまで菊崎を突き動かす衝動の理由は何なのだろうか。
菊崎善幸という、最高位戦の中でも異色の人間を掘り下げていきたい。
建築業界でバブル期を迎える
菊崎は、1968年に北海道で生を受けた。
麻雀は、小学生のころに家で麻雀をしていた父親の後ろで見ていて覚えたそうだ。
父がやっていたのは三人麻雀でしたね。父の後ろで、三人麻雀では使わないマンズの2~8で遊んでいたのが最初です。
祖父が亡くなった際にも菊崎が雀荘に呼びに行ったほど、父親は大の麻雀好きであった。
その後札幌市の工業高校に進学した菊崎は、友達同士で麻雀するようになる。
高校卒業後には、公務員試験に落ち、職を求めて東京へ。
建築関係で水道関連の現場監督として働き始める。
時はバブル。
友達と二人で独立して会社を起こすと、業績は右肩上がり。
新車を現金で買い、住まいは五反田。
給料はほとんど愛車に、何百万とお金を注ぎ込んでいた。
今の菊崎からは全く想像できず、バブルのイメージとのギャップが面白そうなので、当時の写真がないかと聞くと、なぜか当時の彼女とのツーショット写真を見せてきた。
そんなものはプライバシーやコンプライアンスの関係で使えるわけがない。
やんわりとお断りすると、名残惜しそうに違う写真を出してくれた。
そのころ会社のクライアントだったゼネコンの人に誘われてセットで打つようになり、麻雀を再開したそうだ。
そしてその後時は流れ、雀荘で見た近代麻雀の第一期アマ最高位戦の案内を見て、競技麻雀の世界に足を踏み入れることになる。
坂本大志、佐藤聖誠など突出した同期の中で最初にタイトルを獲得
こうして出場したアマ最高位戦で、菊崎はするすると勝ち進み決勝に進出。
決勝では惜しくも3位に終わるが、そこでもらったシードで發王戦に出ると、こちらもトーナメント4回戦まで勝ち進む好成績を残す。
麻将連合(μ)のM1月例会でも連続入賞の好成績を収め、その時に知り合った麻雀プロとの交友関係などから、飯田橋の東風荘(後のみゅうみゅう)に通うようになる。
ちなみにニックネームの「きくりん」は、その当時雀荘で使っていたハンドルネームが最高位戦の仲間に広まり定着したそうだ。(筆者は世代的に絶対『ビー・バップ・ハイスクール』のきくりんからだと思ったのに違った。)
周りにいた麻雀プロの人間的な魅力にひかれ、菊崎はプロを志す。
当時最高位戦入会の年齢制限が40歳までだったので(現在は年齢不問)、30代後半の自分もギリギリ間に合うなと思った。
こうして最高位戦を受ける菊崎だが、実は入会する半年前にもプロテストに申し込んでいた。
しかし、その時にはμのM1カップ決勝大会と試験日程がかぶり、プロテストをキャンセルしたのだという。
予選でスコア的にダメかなと思ったら通過者の最後に名前が呼ばれて、慌てて最高位戦事務局に電話してキャンセルした。
そして半年後、最高位戦のプロテストを受け合格。31期前期、2006年に晴れて最高位戦選手となる。
さてこの31期前期、黄金世代と言われるほど粒揃いの期であった。
元最高位・坂本大志、元發王位・佐藤聖誠、元日本オープン・武中真(現・日本プロ麻雀協会)、元女流名人・北島朋子(現・日本プロ麻雀協会)、元プロクイーン・涼崎いづみ(後に退会)など。
僕の同期って本当にゴールデンエイジなんですよ。31期前期ってタイトルホルダーいっぱいいるんです。
でも、一応公式戦的には一番最初に勝ったのは僕だと思うんですよ。μカップイン浜松町で勝ってるんで。
ただ、大志、聖誠、森くん(森雄基・後に退会)、この三人はちょっと違うなと思った。特に大志は違うな、こいつ麻雀バカだなと思いました。当時SNSで大志を紹介する文を書くときに「将来最高位戦を背負って立つ男」と書いた記憶がある。
(ちなみに、横にいた筆者と同期の鈴木聡一郎に「オレのこと最高位戦を代表する選手になると思った?」と聞くと、思わねえよ思うわけないだろと一蹴された。)
最高位戦に入会した時、菊崎はちょうど仕事を辞めたばかりで無職。
新人歓迎会で「仕事探しています」と言うと、雀荘関係者が多いのですぐに職場が見つかった。
麻雀プロになってからは、20年近くずっと雀荘に勤務している。
何店舗かのお店で勤務経験があり、雀荘スタッフのスペシャリスト。
自分も一緒に働いていたことがあるが、元々手先が器用できれい好きの菊崎は、手が空いている時間に黙々と店内環境を整えていく。
まさに一家に一台ならぬ、一店舗に一人は欲しい人材である。
そして暇な時間に対局の牌姿を見せてきてアドバイスを求めたり、仕事を終えて帰る電車の中で今日の勤務での麻雀を振り返ったり、菊崎を見ていると麻雀が大好きなのが伝わってくる。
たまの休みにはなけなしの生活費から、何とか参加費を捻出して競技大会に参加する。ちなみに、バブル期に稼いだおカネは当然のように当時使い切ってしまっているそうだ。
先に麻雀バカの例として挙げた村上や坂本は、もちろん麻雀大好きには違いないのだが、活躍し実績もあり麻雀プロとしての名声も手にしている。
もちろんそれだけのためにやっているわけではないが、それらが力となりエネルギーとなっている部分もあるだろう。
対してなかなか成果は出ないが、それでも愚直に麻雀プロとして前に進み続ける菊崎。
もしかしたら菊崎こそが本物の麻雀バカなのではないかと思えてしまう。
少なくとも自分より麻雀好きなのは間違いない。
入会以来17年間Cリーグにいた男はなぜデータを集めたのか
菊崎にも獲得タイトルがある。
・2008年μカップイン浜松町
・第1期最高位戦プロアマリーグ(新井啓文による最高位戦プロアマリーグ2015決勝観戦記)
最高位戦プロアマリーグについて菊崎はこう振り返る。
(決勝に残った中で)麻雀プロは自分だけだったので、さすがに負けられないなと。あれほどプレッシャーを感じたことないですね。
ただ、決勝メンツが打ちなれたメンバーだったから、だいたい打ち筋はわかっていた。だからこそ余計に負けられないと思った。
ツイてたから、勝ててよかった。
確かにツイていた場面はあったかもしれないが、勝負事とはそれをものにできるか否かである。
プレッシャーを感じながらも勝ち切ったこと自体が天晴(あっぱれ)。
アマ最高位戦の時といい、初回に強い一面があるのかもしれない。
一方、リーグ戦はといえば、入会以来ずっとCリーグに所属している、いわばCリーグの番人だ。
その番人も、今期C1リーグで勝ち、初めてB2リーグへの昇級を果たした。
祝福の言葉とともにそれについても尋ねると、
今リーグ戦に出場している人間で、Bリーグ未経験者の中で入会期が一番古い。それは自認してました。
Dリーグに落ちたこともないし、17年間C1リーグからC3リーグを行ったり来たり。
これもデータをつけてるからわかるんですけど、今Aリーグで活躍している人達とかはCリーグを2、3年とかでサッと抜けてくんですよね。苦労したのは浅井くん(浅井裕介)ぐらいじゃないかな。
さて、ここでようやく麻雀マニア菊崎の根幹となる、そのデータ収集について聞いてみる。
最高位戦のリーグ戦データを集めようと思ったきっかけはどんなところにあったのだろうか。
確か33期(2008年)ぐらいに最高位戦年鑑(最高位戦の成績が網羅された冊子)が出たんだけど、その続編を作るってなった時に資料があったほうがいいなあ、誰かがやったほうがいいなあと。
それはそうかもしれないが、今は最高位戦ホームページもあるし、もし必要でも事務局など役職のある人が仕事としてすることではないかと聞くと、菊崎はちょっと恥ずかしそうに笑いながらこう言った。
ほんとに暇人の考えですよね。言い方変えるとマニアですよね。統計を取ったり順位をつけたりするのがもともと大好きなんですよ。
本当はリーグ戦よりも、一日で結果が出るワンデー大会のほうが好きなんですよね。リーグ戦にモチベーションが上がってないわけじゃないですけど、結果が最後まで分からないってのが嫌だなって。
データ収集はリーグ戦に対する自分の気持ちを上げていく菊崎の大事な手段でもあったのだった。
17年かかってBリーグに上がったんで、また17年かかってAリーグに上がろうかな
また、菊崎は麻雀そのものについてもこう語っている。
やっぱり麻雀が好きなんだろうなあ。他のゲームってすぐ飽きちゃうんですよ。でも、麻雀というゲームだけは、ガキの頃からずっと楽しいなっていうのがあるんで。
麻雀て理論上1回ぐらいは同じ局面になるはずなんだけど、組み合わせが多すぎて自分の身に起こることは絶対ないじゃないですか。そういうのが面白いなって思っちゃうんですよね。
そう語る菊崎の眼差しは幸せに溢れていた。
最後に、54歳を迎えて初のBリーグに昇級した菊崎の、今後の目標について聞いた。
そうですね。まあ地道に長くコツコツと。
17年かかってBリーグ上がったんで、また17年かかってAリーグ上がろうかな。
僕よりも年上の先輩方がリーグ戦頑張ってるから、自分も頑張らないと。
まあ上がってすぐ落ちないことだけを目標に。
最高位戦のリーグ戦システムはピラミッド状になっていて、上に上がるほど人数が少なくなり、またBリーグ以上は通年リーグなので同じ選手と複数回対戦することになる。
ここで菊崎の集めてきたデータが躍動し、ID麻雀が花開くのか。
はたまた、ただの麻雀マニアで終わってしまうのか。
来期B2リーグの菊崎善幸に刮目である。