(取材・執筆 浅井裕介)
2021年11月、7年ぶりの最高位決定戦。
幾度も追い込まれながら全20回戦中の19回戦オーラスまで現実的な条件を残してきた。
この手を直撃やツモアガることができれば首位・鈴木優との差は100ポイントを切る。
この楽しい時間をまだ終わらせたくない。
そんな気持ちを叩き潰すような鈴木のアガリに、この表情を浮かべた。
ごきげんな「一発屋」返上をかけた第46期最高位決定戦は実質ここで幕を下ろした。
筆者は最高位決定戦で敗れた経験はないが、負けの痛さとそれが舞台の大きさに比例して大きくなることは知っている。
悔しい。悔しいに決まっているのだ。
しかし、それでも男は終了後のインタビューで最高の笑顔と言葉をもって全ての人に自身の麻雀愛を伝える。
そして優勝者を称えた上で、心の底から悔しがり、次のチャンスに全力で準備する。
麻雀プロとしてあるべき姿を魅せ続けてくれる男がそこにはいた。
新井 啓文(あらい けいぶん)
20年を超える選手歴で、麻雀界ではもちろんのこと、その信念に基づいた活動で他業界でも幅広く活躍する新井。
これまでの、そしてこれからの麻雀と人生について語ってくれた。
麻雀にハマった素晴らしい環境と偶然のアガリ
埼玉県熊谷市に生まれた新井は、高校まで地元で過ごす。中学の頃からスポーツは苦手だったが、その分人一倍勉強は得意で、県内で一番の進学校に入学した。
高校から男子校になって。俺なんでそこ行っちゃったんだろうって思うよね(笑)。もう少し勉強ができなければ一つ下の学校は共学で、なまじ勉強ができてしまったために男子校に行くことになってしまった。
そう笑いながら話す新井。しかし、この進学がなければ今の新井は存在しなかったかもしれない。
中学生の頃、兄貴が高校で覚えたカード麻雀に付き合わされたのが麻雀との出会いだった。その頃は所属してたバレー部をサボってたまに友達と麻雀したりしてたんだけど。
高校の校風が自由自治とかで自習の時間とか勉強してても遊んでても麻雀してても好きに使って良い。それが麻雀プロになった一番の要因だったかも。
高校では将棋部に所属していた新井だが、順調に麻雀にハマってしまう。出席を最低限確保すると授業を飛び出し、ほとんどの時間を麻雀に費やすことになる。そうなることを決定づけた事件があった。
仲間内の紹介で大人の強い人達と麻雀を打つことになったのね。その時の1半荘目で、オーラスに地獄待ちの中単騎をトップ目から直撃して裏ドラが乗って12,000!トップを取っちゃって。そこでもうかなり麻雀にハマってしまった。そこで負けてたらこんなにやってなかった気がする。
このアガリと裏ドラが、みんな大好き「けーぶん」を存在させてくれたとしたら、運命の女神様も良い仕事をするものだと感謝した。
こうして高校時代の大半を麻雀と共に過ごした新井は、当然のように受験に失敗。浪人生活をスタートさせる。そして当たり前のように浪人生とは名ばかりの麻雀まみれの生活を送る。
でも、2、3か月してさすがにこれはヤバイってなって。そこから勉強してなんとか青学(青山学院大学)に受かるんだけど。ただね、男子校時代女子と話すことがなかったからか、予備校に行って女子がいた時に全然話せなくって。3年でこんなに話せなくなるんだと思った。もう女の子と話すと顔も見れないし。ただ、この予備校の経験があったから、大学生になってからは結構普通に話せた。やっぱりそう考えると、一見無駄だと思うことにも全て価値があるっていう良い例だね。
男女年齢問わず誰とでもコミュニケーションを取る現在の新井からは考えられない姿があった。一方で、何にでも挑戦してみる前向きさは、現在の新井に通ずるもので、根幹を成していると感じる。そこで、いったん麻雀から離れ、麻雀以外の活動について聞いた。
麻雀だけではなく、良く遊び、そこから学んで麻雀につなげる
新井といえばまず人狼ゲームでの活躍が浮かぶ。
人狼を始めたのは最高位戦の仲間と地方に温泉旅行に行ったとき。浴衣で手積みで麻雀を打つっていう会があって。その時に敦(松本敦)が持ってきたのが最初だね。もう10年以上前。
で、その後に巌(田中巌)の声掛けでLINE人狼巌村ってのができたの。夜な夜な集まってLINE人狼するのが麻雀プロで流行って、これでハマった。それでちょうどその頃にスリアロスタジオが今の場所に移って、その番組の一つとして麻雀プロが人狼やったら面白いんじゃないかって始まったのが人狼スリアロ村。この番組の第1回から出させてもらっている。ずっと麻雀だけ研究してるってのももちろんありなんだけど、沢山趣味を持った方が人生楽しいと思うんだよね。
この辺りから新井の口調がだんだんと熱を帯びていく。自分が楽しいと思っていることを伝えるのはそれ自体が楽しいものだ。
あと、将棋。小中高ってちょっとやってからしばらくやってなかったんだけど、最高位戦入会後にしばらくして新津さん(新津潔)が『お好み将棋道場』っていうプロ棋士の人にハンデ貰って指導対局してもらうCS放送の番組に出演したことがあって、そこに連れて行ってもらった。その時にプロ棋士の方にお会いして将棋熱が再燃した。その後Aリーグに上がる頃に同じ番組に出演して、石田和雄九段という重鎮の先生と指させていただいた。その頃から麻雀と将棋の交流会っていうのを始めて、そこで伊藤真吾先生や村中秀史先生とか人狼もやる棋士の方々と出会った。やっぱり棋士の先生方はゲーム脳が優れているから他のゲームも強いんだよね。
石田和雄先生から学んだことの一つが、対局前に必ずする歯磨き。これは半ば真似で始めたんだけど、歯に何か詰まっていると気になって集中力が削がれるんだよね。麻雀を打っていて集中できなくなる要素を0にしたいからやって良かった。自分だけだと気づけない学びがあるので、麻雀だけじゃない遊びをすることにもすごく価値があると思う。
新井の歯磨きは事あるごとに見ていたが、まさかこんな意味があったとは。そして何気なく流してしまいそうなことにも興味を持って取り入れる、新井の観察力と好奇心・行動力が現れている。
色んな人とゲームやってると、人間関係も作られていくし。得ばっかりだと思ってるんだけどね。麻雀プロなんだから麻雀だけやっとけ!って言う人もいるけど、友添さん(友添敏之)とか(笑)。んん、そうか?って俺は思ってる。麻雀て頑張った分が結果に反映されづらいゲームだと思っているから、色んなプロセスで強くなるために麻雀以外のことをやるのも決して無駄じゃないと思うね。リアル脱出ゲームやマーダーミステリーとかは発想力が鍛えられるし、純粋に他業種の人と対等に遊んで仲良くなれる。麻雀だけしてたら交流を持てないような偉い人達でも、ゲーム中は無邪気。やっぱりゲームっていいよね。
ゲームで仲良くなった古川洋平氏(左)と日本プロ麻雀協会・大浜岳選手(右)
同じような点を麻雀の魅力として感じている筆者からはとても共感が持てる話だ。いや、違うか。こんな新井の背中を追いかけて育ったからこそ今の筆者の考え方があるのだろう。
とりあえず一回やってみてから判断しなよ、そう語る新井。そんな新井がもう一つとても大切にしているものがある。
家族とのつながり
弁護士になりたかったという新井は数ある大学から法学部だけを受験し、その中から青山学院大学に進学した。
最近、当時の親の年齢に近づいて思うのが、親って半端ないなあってこと。浪人で予備校行かせて色んな大学の受験費用払っていざ入学したら学費に仕送り。半端ない。絶対無理だって思う。
新井と筆者、そして一緒にこのインタビューに参加していた園田賢は共に子供無し。しみじみと語り合った。
新井に、両親への感謝の気持ちはいつ頃から芽生え始めたのか聞くと、こう返ってきた。
実家が埼玉で下宿先が神奈川の厚木だったのね。通えないから、ありがとうって感じで下宿させてもらってたんだけど。大学の入学式の前日に実家で食事に誘われていて。ただ下宿先の近くで早くも行きつけの麻雀店ができて、その日も終電まで麻雀を打ってしまった。深夜に実家に着いたらみんな寝てしまっていて、何か食べるものないかなと思ったら赤飯が炊いてあって。そこでお祝いをしてくれるつもりが、主役がいないってなったことに気づいて、まじごめん本当にごめんってなったね。
麻雀プロの中でもかなりご家族を大切にしている新井でもこんな時代があったのかとほっこりした気持ちにさせられた。この頃の自分自身をクソガキと楽しそうに新井は語る。
新井が第38期最高位を獲得した際には、就位祝賀パーティにご両親が参加されていた。過去に筆者が知る限りでは新井以外で目にしたことがなく、本当に新井がご家族を大事にし、ご家族に応援されていることを感じたものだ。
麻雀プロになる時に話をしたけど、この時は特に何も言われなかった。ただ、麻雀で生きていく、就職をしないって伝えた時は「えっ」って言われた。さすがにね。でもやりたいんだったらしょうがないかなって感じで受け入れてくれた。親からしたら私立の4年制大学に通って弁護士になるって言ってたやつが麻雀プロかよって思わないわけがないと思うんだけどね。だからパーティで自分がメインで表彰されている姿を見せられたのは親孝行になったかなって思った。
麻雀プロにも様々なバックボーンを持つ者がいるが、新井のように家庭環境に恵まれ、さらに良好な関係を維持したまま麻雀プロを仕事として続けているものは多くはない。そこには年配世代にどうしても残されている麻雀に対する悪いイメージが影響していると思う。
偉大な先人たちの手によってすこしずつ改善されてきたが、昨今大きな影響を与えているのは対局の配信・放送が増えたことであろう。その中でも無料で登録も特になく見られるABEMAの影響は極めて大きい。
今は兄貴が凄い麻雀見てくれて毎回LINEくれる。決定戦は1・2節目見てくれてめちゃくちゃ負けたら、俺が見てると負けるから次はリアルタイムで見ないとか言われてさ、そしてら3節目大勝ちして「ばかな(笑)」みたいな。
筆者もA2最終節や最強戦などABEMAで行われる対局は両親が視聴してくれている。麻雀プロを目指すという変わった選択をした子供からすれば、少しでも親に理解してもらえる大切な機会だ。この文化が続いていけば麻雀の未来も明るい、そんな気がする。
この前、兄貴がずんたん(村上淳)ととある駅で会って写真撮ってもらったんだって。
初めての挫折と、人との繋がりがくれた居場所
さて、麻雀の話に戻ろう。
大学生になった頃に麻雀プロという存在を知って、そういう人たちと打てるお店に行ってみたんだよね。
さすが新井、当時から行動力はピカイチである。
当時厚木にあった『オクトパス倶楽部』ってお店に行ってみたんだよね。そこにいたプロが木村和幸さん(麻将連合)と忍田幸夫さん(麻将連合)。あとは相模大野の『オレンジハウス』で井出洋介さん(麻将連合)の来店日に行ったりとか。中でも木村さんが良くお店にいて打ったんだけど、そりゃもう強いのよ。高校の時は友達とやっていたからだいたい勝ってて、麻雀はもう極めたからあとは運の勝負だなとか思ってたんだけど。違うんじゃね!?ってなった。
天狗の鼻が折れた瞬間である。無知とは怖い限り。筆者も若い頃を思い出して、恥ずかしさに思わず身を縮めた。
浅井も昔の話で聞いたことあると思うけどさ、最高位戦入ってしばらく経つまでは俺めちゃくちゃ尖ってて。で、しかも麻雀店で後ろ見してるのに話しかけまくってさ。もう今考えたら出禁だよね、そんなの。でもみんな優しかったんだよなあ、特に井出さん。
あとは町田の『牌の音』とか大宮の『SPロッキー』。ロッキー堀江さんは尖ってた私にもとても優しくしてくれて、麻雀に対する姿勢とか言葉遣いとか色々教えてくれた。一番覚えているのが、最高位戦入会直後、麻雀卓に腰掛ける形で寄りかかっていたら「プロが道具に対する姿勢としてあり得ない。将棋棋士が盤に腰掛けるか?そんなんじゃプロ失格だ」ってかなり厳しく叱られたこと。叱ってくれる人のありがたさって、時が経つと本当に実感するよね。
このあたりで今の新井しかご存じない方々にも伝わってきたかと思うのだが、当時の新井は若気の至りとかいうレベルでは済まされない相当なイキリ小僧だったのだ。
若いと自分の事を強いと勘違いするのは良くある話なのだが、フリー麻雀店で後ろ見させてもらってる相手に今やっている局の麻雀の話をし続けるのは相当な御法度。
今ではゲーム性や所作に重きを置いている新井からすると、本当に想像もできない姿である。この後新井はどうやって今の姿に近づいていったのだろうか。
大学2年の時に最強戦読者大会の店舗予選に優勝して、ああやっぱ俺強いんだってなるじゃん。本選は国士13面に放銃してサクッと負けて、これはツイてないから仕方ないってなるじゃん。これだけ強いんだから俺やっぱりプロになった方がいいんじゃないかって思ったのよ。ちょうどその頃近代麻雀の付録でプロ試験の問題があって、やってみたら98点とか。平均50だか60って書いてあって、楽勝じゃん!て。
実際に大学3年でプロ試験受けて筆記首席で合格。最初のリーグ戦は残留だったんだけど、直後の發王戦で準優勝したの。
麻雀にハマるきっかけが勘違いなら、プロになるきっかけも勘違い。新井はブレない。
しかし、ここから新井に試練が訪れる。最下リーグで下位数名に入ると再試験を課されるのだが*、この屈辱の再試験を2度も受けることになるのだ。
*今では2期連続で該当した場合のみに条件が緩和された。
2回再受験してるんだけど、發王戦の成功体験がなかったら2回目は受けなかったかもしれない。今の世の中なら麻雀のゲーム性への理解が深まったり、実績を残したときに食えるんだってのがある。でも当時は麻雀強くなったその先に何があるかわからなかった。頑張って最高位になるよりも頑張って良い企業に就職した方が絶対良かったから。
今でこそMリーグ、大会や麻雀店ゲスト・麻雀教室の講師・映像関連など麻雀に関する仕事で生きていく人も増えてきたが、筆者が麻雀プロになった頃はそうではなかった。新井の場合、そこからさらに数年前である事を考えればなおさらだろう。
最高位戦続けられたのって發王戦の準優勝もだけど、山口まやさん主催の勉強会に誘ってもらったのも大きかった。
浦田和子さん(日本プロ麻雀棋士会)が経営していた渋谷の『ベガ』ってお店に何度か行ってたんだけど、曽木(曽木達志)さんが働いていて。そしたら曽木さんが新人の俺の事を知ってくれてて勉強会に誘ってくれたのよ。そこで会ったのがずんたん(村上淳)、わたるん(水巻渉)。他にもたろうさん(鈴木たろう)とか今考えればすごく豪華なメンバー。中でもやっぱりずんたんとわたるんに出会ったのが大きかったなあ。
麻雀の内容なら多少生意気でも良いと思うんだけど、当時敬語が使えない人間で本当に好き勝手言ってたのに、二人とも受け入れてくれて一生懸命教えてくれた。そういう恩があったから続けられたなあ。
人との繋がりがないと、いくら麻雀が好きという気持ちがあってもプロは続けられない。そうしみじみと語る新井。わかるよ、本当にわかる。
大学を卒業した新井は前出の通り麻雀界で生きていく決断を下す。しかし、そこには大きな問題があった。
ずんたんの紹介で日吉の寮付きの麻雀店で働いてたんだけど、大学生がたくさん所属していてあまりシフトに入れなかった。それで別の先輩に水道橋の麻雀店を紹介してもらって、その先輩の家に居候させてもらったのよ。でも、しばらくしたらその先輩に彼女ができて追い出されちゃった(笑)。
それはさぞかし困ったであろう。しかし、筆者がその先輩の立場でも確実に新井を追い出す。これはやむを得ない、当然の選択だ。
そしたらまやさんが新宿の『ノックアウト』を紹介してくれた。ノックアウトを経営していたのは金子さん(金子正輝)。働くこと自体はすぐ決まったんだけど、家がない。そしたら金子さんが「30万貸してやるからこれで家借りてこい」って。まだ最高位戦入って2年くらいで面識もないような俺にだよ?なんだこの人は!って。
金子正輝という大先輩は、そんなところまでカッコいいのか。本当に最高位戦の先輩にはカッコいいと思わせてくる人が多い。
ここからしばらく麻雀漬けの生活をしてたんだけど、残念ながらお店が閉店してしまった。そのタイミングで元々宇野さん(宇野公介)から聞いてた麻雀教室の仕事を紹介してもらって講師見習いみたいなのを始めたんだよね。
けーぶん先生の誕生である。
この頃は麻雀講師だけではなく麻雀店での勤務もしていたが、徐々に講師業に専念していく。新井の天職ともいえる麻雀講師との出会いも、新井が大切にしている「人との繋がり」がもたらしたものだった。
麻雀観の変化と最高位戴冠から得たもの、そして失ったもの
プロ入り後苦戦していたリーグ戦だが、この頃にはB2に昇級する。当時を語る新井からまたしても信じられない言葉が飛び出した。
それまでって俺超スピード重視だったの。「先行立直が正義」みたいな。でも何のきっかけかわからないけど、このままじゃ勝てないと思って門前打点派になったんだよね。手役作るのを試して結果が出るようになってから大きくは変えてないし、今から大きく変わる気もしないなあ。
新井がスピード重視? にわかには信じられず、この日一番の反応をしてしまった。先行立直が正義という言葉を新井から聞くのは気持ちが悪い。
B2(現B1)は2年で昇級したんだけど、B1(現A2)はめちゃくちゃ苦労した。1回めちゃくちゃ惜しかったことがあって、最終局に条件をちゃんと考えずに立直を打ったせいでベタオリされて1.1ポイント足らずに昇級を逃してしまったんだよね。それから大事な局面の立直判断はめちゃくちゃ考えるようになった。
聞いただけでも震え上がるほどアツい。当時のB1(現A2)の昇級枠は2/16。自分のミスで12%を逃したら次はいつチャンスが来るのか、気が遠くなる話だ。
その2年後に最終節同卓だったけーすけ(齋藤敬輔)との100ポイント差を最終半荘トップラス条件をクリアして捲って昇級した。この時競技麻雀やってて初めて泣いたね。当時同僚だったはるぼー(中里春奈)が見に来てたんだけど、一緒に泣いたね。
最高位戦に入って最高位を目指すのは当たり前の話だが、まずその前にA1リーグに所属しないとその権利がない。A1リーグとA2リーグには大きな溝があると考えている選手は多い。その一人である新井がここで涙するのは、それまでの苦労を考えると必然であろう。
A1リーグに所属することになった新井だが、開幕前夜に新井の様子が普段と違うことに気づいた選手がいた。
SNSで俺めっちゃ饒舌で、キヨマサ(佐藤聖誠)が「ああ、新井さん緊張してるんだなあ」って思ったって。
しかし、後日「最初負けさせたらこのまま崩れそうだからちょっと損しても徹底的にやった方が良かったなあ」と佐藤が語るように、プラススタートを決めた新井は初めてのA1リーグを首位で終え、このまま第38期最高位の座に輝いた。
最高位を獲った時はA1リーグに上がって1年目であっさり獲れちゃって、ああこれ何回も獲れるんだろうな。A1リーグも決定戦も圧勝で俺どこで負けるの?って。
天狗新井の帰還である。しかし、この天狗も長くは続かなかった。
この後最高位として出場したモンド杯や最強戦等の対局で全然結果が出せなかった。モンドは結果も内容も悪くて次の年に呼ばれなかった。今思えばこの時はルールやシステムに合わせた練習が足りていなかった。これは死ぬほど後悔したね。
近年新井が最強戦に出場する際に必ず練習相手として声をかけてもらっているが、それもこの時の経験からくるものだったのだ。
今は俺より事前準備している選手は中々いないんじゃないかな。去年ファイナルに残った時は1週間前に対戦相手が決まったんだけど、アマ最強位の安部くんだけ情報がなかったから対局DVD借りて打ち筋の傾向をかなり勉強したよ。
この姿勢、同じプロとして自分にまだ足りていないものがあるんだなと痛感させられる。そんな新井も39期の決定戦で大敗し最高位戴冠から1年間全てに敗れた新井はここから雌伏の時を過ごす。
本当にこのリーグ勝てないな、ひょっとしたらもう決定戦に2度と残れないかも。そう思ってたよ。
耐え忍んでしがみついていたA1リーグからも43期に遂に降級してしまう。
この年の頭くらいから親父が体調崩してて実家戻ったりしてたんだけど、そのまま亡くなって。それで今度は10月くらいに巌が亡くなって。特に親父は弱ってたから多少は心の準備もできていたけど、巌はね…
新井と筆者の共通の友人であり、良きライバルであった田中巌についてここで説明をさせて欲しい。当時B1リーグに所属し共に勉強会を行い、数日前にはリアル脱出ゲームで一緒に遊んだほど何の兆候もなかったがB1リーグ最終節に向かう電車の中で心筋梗塞を発症しその翌日にこの世を去ったのだ。
前列真ん中が田中巌。これが田中と会う最期の日となった。
対局会場に現れなかった巌に対してまた寝坊してこいつは、とか思ってたからね。全く信じられなかった。巌が亡くなったのは本当にショックで、街を歩いていても涙が落ちてくるみたいなのが1か月くらい続いた。訃報を食事中に受けたんだけど、とても食べられずに近くの広場でずっと泣いていた。
素敵な関係を続けてきた父親、老後は一緒に住もうと約束していた親友、辛い死別が立て続けに訪れた。この悲しみは計り知れない。
だから、人間いつどうなるかわからないから、後悔がないようにやりたいことはやらないとね。飯田さん(飯田正人・永世最高位)とリーグ戦やれなかったのも残念だったなあ。
この年のA1リーグ最終節開始前、「親父と親友をなくした今年だけは本当に降級したくない」と思って臨んだと語る新井だったが、結果は降級。終了後のインタビューでは気丈にふるまう新井。新井が我慢しているのに新井の前で泣くわけにはいかないと1人トイレに引きこもり、筆者は泣いた。この日の事は脳裏に焼き付いている。
7年ぶりの決定戦とこれから
B1(現A2)リーグに降級した新井だったが、あっさりと1期で優勝しA1リーグに舞い戻っていった。筆者にとってはこれが初めての新井との同リーグでの1年間。この時新井はA1リーグとの手ごたえの違いを語っていた。
A2では終盤の粘りが足らない選手がいて正直楽だなと思う事もあった。あくまで俺の体感だけど、その時はA1とA2の麻雀の違いをすごく感じたな。もちろんツイてたけどね。
ここまでボコボコにされてしまったら返す言葉もない。
今年決定戦に残れたのは本当に嬉しかった。初めてA1に昇級したときの次に嬉しかったね。久しぶりにこの舞台に戻ってこられて本当に楽しかった。正直始まる前は20回は長いと思ってたの。
これは意外だ。
タイトル戦って盛り上がって勝者が決まっておめでとうってなるのが大事だと思っているの。誰が強いっていうのは厳密にはわからないしわからなくていい。それが麻雀という、情報が確定しないゲームの良いところだと思っている。もちろん1,000回10,000回って決定戦やれるんなら強い人は相当勝ちやすくなるとは思うけど、物理的に厳しいからね。
ただ、結局20回終わってみたら楽しかった。20回には20回なりの戦略ももちろんあると思うしね。今回終わった後に優くん(鈴木優)が「4回に3回惨敗してもいいから、2回に1回勝ちやすい麻雀を打つつもりで打った」って言ってて。最初に獲った時は俺もこれができてたんだけど、今回は5節目に可能性が残るようにって思って大事に打ち過ぎた。2回目の決定戦で序盤に大敗して後半本当にきつかった経験が悪い方に出てしまったな。
今まで負けや失敗の経験をプラスに変えてきた新井には珍しい負け方であるように感じた。それだけ決定戦というものは最高位経験者をも狂わせてしまう、重みがあるものなんだと感じさせた。
麻雀界って、俺が昔最高位獲った頃と比べると夢のある世界になっているからさ。やっぱりMリーグには選ばれてみたい。それは勝ち取るのではなく、企業に評価されて認められて選ばれる存在になりたいね。
あとはいつも明るくいたい。麻雀って勝ったり負けたりだから、負けを受け入れて楽しむことが大事だと思ってる。全部勝つつもりでやるけど、そうはいかないからね。
久々の決定戦を終えた新井は今日一番の良い顔でこう語った。
「ごきげんな一発屋」はお気に入りのキャッチフレーズなんだよね。
そんな新井がこのキャッチフレーズを使えなくなる日はすぐそこまで来ている。そんな気がする。
(画像引用:ABEMA麻雀チャンネル/株式会社スリーアローズコミュニケーションズ)