コラム・観戦記

FACES - “選手の素顔に迫る” 最高位戦インタビュー企画

【FACES / Vol.29】伊藤奏子 ~凛として”前”女流最高位となった伊藤は北の大地で麻雀を広めたい~

(インタビュー・執筆:鈴木夢乃

 

対局をするにあたって、所作だったり、ルールだったり、麻雀の内容より大事なことがあると思うんだよね。どんなに厳しい状況になってもそれだけは守って、凛として対局に臨もう、って思ってた。

女流最高位を失冠した直後の伊藤は、柔らかい笑顔でこう語った。一体世の中に存在する何人の麻雀打ちが、同じ状況でこれを言うことができるのだろうか。少なくとも最高位戦に今年入会した新人の筆者には想像もつかない。

 

11月13日、女流最高位決定戦最終日。ディフェンディングチャンピオンの伊藤は厳しいポイント状況に置かれていた。

素点にもよるが、複数のトップが必要なポイント状況の中、この日の1戦目となる5回戦目、伊藤は親番のない箱下のラス目となっていた。

南2局3本場、暫定1位の内間が6万点超の大トップ目で連荘を続けていく。そんな中、2着目のいわまからリーチが入った。リーチの一発目、内間は1500点のテンパイから無筋のドラを一発で打ち抜く。誰から見ても内間のテンパイは明白だった。

そんな中、伊藤の手には2人の共通安牌はなく、リーチの現物は親番内間のアガリ牌だった。解説の園田・新井も、次こそは内間のアガリ牌が選ばれてしまう、と口にする。ところが、伊藤はどこまでも冷静な表情で、その局を終局までオリ切った。自身が優勝するために、これ以上内間にアガらせるわけにはいかないという女流最高位の底力を見た。

伊藤 奏子(いとう かなこ)

選手紹介ページ https://saikouisen.com/members/ito-kanako/

Twitter  https://twitter.com/ito_kimu_kana

 

北海道で土田先生にレポートを添削してもらって強くなった

伊藤は、物心ついた頃にはすでに麻雀と出会っていた。

私が小さいころから両親は麻雀をしていた。両親は趣味で麻雀大会もやっていて、2、30人くらいは毎回参加していたかなあ。その麻雀大会に初めて出たのが中3だった。楽しかったけど、大学生になるまでその大会も含めた家族麻雀しかしたことはなかったかな。

大学では英文科に通っていた。英語の先生になりたくて、教職もとっていたし、留学にも行っていた。このころも麻雀は特にしていなかったのだけど、親友が麻雀店でバイトを始めて、そこがたまたま土田先生(土田浩翔)のお店だった。親友が働くってことで、私も面接を受けに行った。

これが伊藤と土田の出会いである。

バイトの面接官が土田先生だったんだけど、開口一番、「血液型は何?」って聞かれて、O型ですって答えたら、いつから来られますか?って言われたの。え?これで合格?みたいな。

合格して働き始めたんだけど、当時土田先生は日本プロ麻雀連盟に所属していて、聖一さん(現在の夫・伊藤聖一)も同じお店で働いていた。だから麻雀は土田先生と聖一さんに教えてもらった感じ。

そのお店は健康麻雀のお店で、私は少し麻雀を知っていたのもあり、麻雀教室を手伝うようになった。で、しばらくするとそこで先生のアシスタントみたいなこともするようになった。先生が何人かいて、その方たちは麻雀プロだったので、そこで競技麻雀というものがあることを知った。

そこで麻雀教室を手伝いながら、土田先生が当時主催していた女性だけのリーグ戦「Reveリーグ」というものに参加させてもらうようになった。ちなみに「Reve」というのはフランス語で「夢」という意味。

現在はコロナの影響で開催していないそうだが、最高位戦の北海道本部でReveリーグに参加している女流選手は多いという。このReveリーグ、打つだけではなく学び方が独特だった。

このリーグでは、1節終わるたびに参加者がレポートを書いて、それを赤ペン先生のように土田先生がすべて採点・指導してくれる。土田先生は身近な方にとても厳しいので叱られることも多くって、初めて褒められるまでには7、8年かかったかなあ。

(写真:実際のレポートとコメント。麻雀の内容から精神面まで、伊藤の反省に対して土田がコメントしていく。長いときには伊藤がレポートを1枚書き、土田がコメントを1枚書く場合もあるという)

全員分のレポート添削はとても大変なことに違いなく、土田の並々ならぬ熱意を感じる。このレポートのやり取りが伊藤の麻雀の土台を構成したのは間違いない。

その土田先生が最高位戦に移籍して、最高位戦の北海道本部ができた7年前に、先生の誘いで最高位戦を受けて合格して、最高位戦に入会しました。

 

不便なことはいろいろあるが、東京に出るつもりは全くない

本部に所属している筆者からすると、北海道を拠点にするのは大変なことも多いように感じる。その部分に関して伊藤に聞いた。

北海道でのプロ活動は、首都圏などほかの地域に比べて、環境として厳しいのは確かだと思う。まず、雀荘にゲストを呼ぶ、という文化が北海道ではあまりなくて、もし大会で呼ぶとしても関東で活動しているプロを招くことが多い。そういう環境だから、麻雀以外にダブルワークをしなければいけないプロが多くて、雀荘店員など麻雀関連の仕事だけで生計を立てている人は、例えば女流だと体感2割に満たないんじゃないかな。

こんな風に不便なことはいろいろとあるのだけど、それでも東京に出てプロ活動をしていこうという気持ちは全くと言っていいほどないんだよね。

私は、麻雀が世界一面白いゲームだと確信している。だけど麻雀に対して、暗いお店でたばこの煙が充満してる中で賭け事をしているなどといった悪いイメージを持っている方がまだ多くいるのは事実。私はそのイメージを変えたいと思っている。自分の活動のしやすさ、仕事の多さなどだけを考えると、もちろん東京に行ったほうが活動の幅は広がる。でも私は北海道で麻雀を広めたいし、イメージを変えたい。札幌は昔土田先生がいらっしゃった影響で、競技麻雀への熱も高いし、麻雀の明るいイメージを広めるにはもってこいだと思う。

シンプルに北海道が好きっていうのもあるけどね。やっぱりご飯がおいしいし、純粋な人が多い気がするし、何より住みやすい。北海道というとやっぱり寒いイメージがあるけど、家の暖房設備がしっかりしているから、家の中は本当に暖かいんだよ。私も寒いのは苦手だしね。

北海道に関して語っているときの伊藤の顔は本当に楽しそうで、地元への愛がひしひしと伝わってくる。

アエル(夫・聖一と営む麻雀スクール)を始めるとき、土田先生に「奏子と聖一は『普及のプロ』になれ」って言われた。麻雀という競技は特殊で、アマチュア・プロ関係なくいくらでも強い人がいるし、強いことを買われてプロになっている人だけじゃなく、いろんな麻雀プロがいる。その中で、奏子と聖一は人々に麻雀を伝えていくことのできるプロになれ、って言われたんだと私は解釈してる。

(写真:アエルにて夫・伊藤聖一と)

そのためには、強くなることはもちろんだけど、発信をしていかなきゃならない。私が女流最高位を獲ったことで、麻雀に興味をもって、周りで麻雀を始める人が増えて・・・そうやって一人でも多くの人に麻雀を楽しんでもらうようになることが私の使命だと思う。

伊藤と話していて、強くなることは最高位戦が目指す「麻雀の普及」を実現するための1手段にすぎないのだと改めて認識させられた。

 

どんな時でも最後まで凛としていることを自分が体現したい

そして、話は冒頭の女流最高位決定戦に移る。

やっぱり周りからは連覇を期待する声がものすごく多くて、期待されていることは嬉しかった。だけど自分は今回の決定戦メンバー4人の中で経験値が一番低い自覚はあって、ディフェンディングチャンピオンとしてというよりは、3人に挑戦しようという気持ちが大きかった。ただ、3人のうち誰とも対局経験がなかったから、決定戦に向けて対局映像を観て研究してはいたけど、実戦経験がないというのはやはり不安な部分も多かった。

そうして迎えた第21期女流最高位決定戦、伊藤は1日目を約マイナス100ptで終える。

1日目は全くと言っていいほど自分の麻雀を打つことができなかった。後で対局を観返したときにも、思うように打ててなくて、観ていてしんどい部分が本当に多かった。いつも一緒に勉強会をしているメンバーからも「いつもの麻雀が打てていなかったよ」と言われて、とてもつらい気分になったから、最終日は後悔しないように自分らしい麻雀を打とうと心に決めていた。

それともう一つ、私は麻雀を打つ際、勝ち負けとか内容とかよりも、臨む姿勢が大事だと考えている。所作をきちんとするとか、姿勢を正して打つとか、凛として試合に臨むこととか。それだけはどんなポイント状況でもやり切ろうと考えていた。

厳しい状況でも、麻雀に臨む姿勢を一番に考えられる伊藤は、人として強いのだと感じる。一方で、内容に関する周りからの評判等は気にならないのだろうか。

例えば最強戦に出場した時のコメントも全部観たけど、そこまで堪えなかったかなあ。知らない人にどう思われるかよりも、大事な人にどう思われるかが重要だなって思うから。

自分が先生として教室に立つとき、生徒さんたちに「麻雀は4人で行うものなので、理不尽なことはいくらでも起きるもので、そういう時でも落ち着いて打つことが大事」って教えている。だからまず自分でそれができてなきゃダメだな、って思うしね。

麻雀は今日で終わりじゃないし、今日負けてもこれからも自分の麻雀生活は続いていく。どんな時でも最後まで凛としていることを、まずは自分が体現したいんだよね。

こうして始まった最終日、苦しいポイント状況をどのように捉えていたのだろうか。

1日目終了時点でポイント的にはかなり厳しかったけど、2日目の4半荘で4着をとらなければまだ優勝のチャンスはあると考えていた。なので2日目は多少前のめりに打たなければならない部分はあるものの、普段と同じ打ち方をしようと考えて2日目に臨んだ。

結果、伊藤はマイナス148.0ptの4位で今年の女流最高位決定戦を終えた。

 

 

初日よりは自分らしく打てたと思う。基本的にどちらかというと守備寄りの雀風だとは思うけど、(ポイント状況的に)普段なら攻めない部分でも攻めなければならない部分があったから、若干前のめりで打っていたとは思う。

最終8回戦の最後の親番が落ちるまで、つまりルール的に優勝条件が満たせなくなるまでは、あくまで優勝を目指して打とうと考えていた。今回の女流最高位決定戦に臨むにあたって、本当にたくさんのファンの人に声をかけてもらったので、その声援に応えるため、あきらめない姿勢を見せ続けることが大事って考えていたかな。それがきちんとできないと、胸を張って帰ることもできないなあと思っていた。

女流最高位失冠の直後、控室に戻ると届いていた1通のメッセージ

初の失冠を経験した伊藤は、どのような心境だったのだろうか。

もちろん悔しい気持ちはある。けど、もし初日から自分らしく打てて、そのうえで負けていたらもっと悔しかったかもしれない。何が悔しいって、自分らしい麻雀ができなかったことで、負けたことに関してはそこができていなかったら仕方ないよねって思ってる。

だからめちゃくちゃ悲しんだとかはなかったんだけど、最終戦が終了して控室に帰ってきたときに、スマホを開いたら、その瞬間に村上さん(村上淳)からの「1年間女流最高位お疲れ様」っていうLINEで泣きそうになっちゃった。

村上さんは私が女流最高位として活動していた1年間、対局のたびに激励のメッセージを送ってくれたから、泣きそうになって慌ててスマホを閉じちゃった。

では、その女流最高位として過ごした1年間を振り返って、今までとどんな違いがあったのだろうか。

女流最高位になったことで、様々な大会にシードで参加できたり、ゲストに呼んでもらったり、初めての舞台へのチャンスがたくさんあった。普段北海道にいる分、そういう機会が少ないので、自分のためにもなっていたし、私が様々なところで活躍することで、北海道での麻雀の普及につながると思っていたから、それがなくなることは本当に寂しいし残念だと思う。

とにかく一番に地元北海道での麻雀の普及のことを考えている伊藤。彼女の活躍は、地方でプロ活動をしている人たちを勇気づけていることだろう。また、筆者のように女流最高位を目指す女流プロの憧れでもある。女流最高位を目指す人たちへメッセージをもらった。

最高位戦には、すごく麻雀が大好きな人がたくさん集まっていて、いい意味で「麻雀バカ」の先輩がいっぱいいる。自分は女流最高位を獲ったけど、だからと言って自分が麻雀強いと思ってはいないし、ずっと勉強していかなきゃいけない。そして謙虚であり続けなきゃいけないと思う。去年の女流最高位西嶋さん(西嶋千春)はそこの部分がすごくしっかりしていて、見習っていきたいと思う。一緒に切磋琢磨していきましょう。

凛とした敗者は、そう言ってインタビューを終えると、グラスを手にしてようやく姿勢を崩す。

1年間の肩の荷を下ろし、ひとときの休息の後、次なる目標に向かう。

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