(インタビュー・執筆:田渕百恵)
遡ること10年、第36期最高位決定戦。
最終戦をトータル首位で迎え、目前まで最高位の称号を手にしようとしていた男がいた。
曽木達志 +145.7
石橋伸洋 +113.0
村上 淳 △82.0
佐藤聖誠 △176.7
決め手になりそうな手をアガっても、アタリ牌を止めても、引き離されずに石橋が食らいついてくる。
なかなか終わらねえな、と思っていたよ。
そう当時を振り返るのは、掴みかけた栄冠を最後の最後に逃してしまった男、曽木達志である。
曽木 達志(そぎ たつし)
最高位戦選手ページ→ https://saikouisen.com/members/sogi-tatsushi/
Twitter→ https://twitter.com/soggy1632
10月某日、私は吉祥寺にあるBARにいた。今お店の名前を思い浮かべている方もいることだろう。
『BAR びーたん』― 曽木が店主を務める店である。
びーたんの由来を聞くと、「俺が決めたわけじゃないけど、びーたんのたんは、ずんたん(村上淳の愛称)のたんだよ」と返ってきた。
強烈過ぎて“へえ、そうなんだ”とはにわかには思えなかった。『びー』のところの説明も聞いたが、『たん』が衝撃的過ぎてあまり覚えていない。
ちなみに私のキャッチフレーズである『お散歩ポメラニアン』は深夜のびーたんで曽木が名付けてくれたものだ。
そんなびーたんは吉祥寺駅の公園口エスカレーターを降りて右に進み、しばらくすると看板が見えてくる。地下への階段を降りて白い扉を開けると、カウンターから曽木が出迎えてくれる。
その日、すぐにインタビューを始める予定だったが、すぐに始めることはできなかった。我慢ができず、曽木お手製のナポリタンを頼んでしまったからだ。
このナポリタンは本当に美味しいので一度は食べて欲しい。もちろんナポリタンだけでなく他の料理もおいしい。びーたんに毎日のように通い、全メニューを食べ尽くした私が保証する。
主体性がまったくない、流されるまま生きる人生
流れされるままに生きてきた。俺、主体性がないんだよね。
半生を振り返る中で、曽木は何度もそう言った。古くは、高校の部活動選びから。
写真を撮るのが好きだったから写真部に入りたかったんだけど、写真部がなかった。美術部に写真部がくっ付いてるみたいなこと聞いたから美術部に入ったけど、写真を撮ってる人が一人もいなかったから仕方なく絵を描いたりしてたよ。文化的なことが好きなんだよね。今でも美術館や個展に行ったりする。
曽木が学生時代に美術部だったことを知っていたら、かなりの曽木通。何しろ毎日のように会っていた私も知らなかった。しかも、写真をやるためになし崩し的に入った美術部で、流されるままに絵を描いた。確かに曽木の書く文字はイラストの様な柔らかい、かわいらしい文字であることを思い出し合点がいった。
唯一流されずに決めた麻雀店での勤務
高校卒業後には、祐天寺で塗装業を営んでいる家業を継ぐために建築系の専門学校に進学する。
でも、このころ本格的に麻雀にハマって、ほとんど麻雀しかしていなかったね。
中高生のころにやっていた麻雀が本格的に始まったようだ。専門学校を中退後、実家の塗装業を手伝う。
ただ、弟が実家を継いだから、俺はもういっかって思って、麻雀屋で働くことにしたんだよね。好きなことやろうかなって。
今回曽木に話を聞いていて、自身で言うほど流されるままに生きてきた曽木が、麻雀店での勤務だけは誰に言われるでもなく自身の意思で決めた選択だったように見えた。こうして、曽木は常連として通っていた渋谷の『ベガ』で働くことになる。
ベガには浦田さん(浦田和子・日本プロ麻雀棋士会)をはじめ、業界の人がたくさんいた。最高位戦に入る前から浦田さんにはすごくかわいがってもらってて、最高位戦のペアマッチに出してもらったり、飯田さん(飯田正人 永世最高位)と飲みに行くときに連れて行ってもらったり、そこで麻雀関係の知り合いが増えていった感じだね。
その時に仲の良かった木原浩一(日本プロ麻雀協会)らに誘われ、24歳で最高位戦のプロテストを受験することになる。
この時期って100人ぐらい受験者がいて、なかなか受からなかったんだよね。結局このときの試験には落ちた。当時は落ちた人用に研修リーグっていうのがあって、研修リーグから翌期に合格した。同期には達也(鈴木達也・日本プロ麻雀協会)とか、沖野さん(沖野立矢)とかまやさん(山口まや)とか。
ただ、ちょうどこのときに協会(日本プロ麻雀協会)ができて、同期の半分ぐらいは移籍しちゃった。俺は村上・水巻(水巻渉)といった若手とか、金子さん(金子正輝)・飯田さんといったベテランとの繋がりが深かったから最高位戦に残ることにした。
こうして最高位戦に入会した曽木は順調に昇級を繰り返し、あっという間にAリーグ入りを果たす。順調そのものだった。そして、冒頭の36期最高位決定戦オーラス、後世に語り継がれるめくり合いが展開されることになる。
しばらくは振り返りたくなかったし、結局見返してもいない
最終戦オーラス、石橋と曽木2人にテンパイが入り、アガった方が最高位という局面になる。この勝負、鍵を握ったのは親の村上だった。
村上は天文学的に低い確率ながら連荘し続け優勝を目指す、という自身の利を追求する麻雀というゲームの基本姿勢を貫く。その結果、村上の打牌が石橋に放銃となり、石橋が最高位に輝いた。この対局について、曽木は振り返ったりしたのだろうか。
しばらくは振り返りたくなかったし、結局見返してもいないね。だって何回見たって必ず俺が負けるんだもん。
その言葉の切なさになんと返していいか、私にはわからなかった。
一方、この話にはもう一つの見方があった。いわゆる「目なし問題」である(※今回のケースでは理論上で優勝の目がまだ残っているので厳密に勝ちの目がないわけではない)。オーラス親番の村上は自身の勝ちを追うべく真っ直ぐ打ち続けた。結果、これが優勝者を決めることになってしまう。
俺を応援してくれてた人たちからは、「なんで2人に勝負を委ねないんだ」みたいなことをしょっちゅう言われたりしたんだけど、そのたびに「いや、あれはしょうがないのよ、村上くんのこともよくわかってるし」ってフォローしてた。負けた俺がフォローするのもなんだかなと思ったけどね(笑)。今でもやっぱりあれはしょうがないと思うよ。誰も悪くない。
当時は「優勝が現実的に厳しい局面になった場合、優勝を競っている者同士に勝負を委ねるべき」という声も多かったのだそう。ただ、曽木は村上という打ち手、村上の勝負哲学を深く理解していたからこそ、村上の気持ちが痛いほどわかったのだろう。「負けたってのにフォローに回って複雑な気持ちだったよ」と笑顔で懐かしそうに当時を振り返った。この笑顔には、負けてなお強しの印象を受けた。
※このときの対局については曽木とも親交が深い片山まさゆき先生の漫画『ソギーの一番長い日』にもなっているのでこちらもぜひ。
そして、もう一つ、曽木はこの敗戦直後に意外な行動に出ていた。
決定戦に負けたあとすぐプロポーズしたんだよね。スタジオのベランダの喫煙所から電話して。
お相手は、現在RMUに所属する曽木なつこさんだ。
元々、向こうからは「結婚が前提でなければ交際することは難しい」って言われて付き合ってたからね。どこかでプロポーズすること自体は決まってたみたいなもんだから。
事情はわかったが、プロポーズのタイミングが負けた直後だったということにとても驚いた。ただ、曽木にとってはこの決定戦が一つの節目と考えていたのだろうと容易に想像できた。
結婚も、向こうの希望に流される形でしたって感じだね。本当に自分で決めらんないよね。
とは言うものの、ちゃんと曽木からプロポーズしたことに対しては好感度が上がった。
自分より強いと思う人たちと一緒にいられたことが大事だった
ここで、麻雀についてどのように成長したのかを聞くと、意外な第一声が返ってきた。
最初は麻雀が下手くそでさ、間4軒とかも全然知らなかったし。
ならばどうやって最高位決定戦に残るまで上り詰めたのか。
当時働いてたお店でアドバイスをもらったりしてたね。俺は感覚が独特で説明することが苦手だから、とりあえず周りの人の話を聞いて技術を身に付けていった。自分より強いと思う人たちと一緒にいれたことが大事だと思っていて、そういう人たちが話すことをよく聞いて学ばせてもらったよ。村上淳や水巻渉の参加してる勉強会に参加したりね。今でも一緒に勉強会をやってる。
そして、流されて生きてきた曽木ならではの感覚も語ってくれた。
とにかく強い人たちの話を聞いてるだけで意識が変わってくるんだよね。村上・水巻とか、昔から勉強会やってた若手はそのときにはみんなもう有名だったから、そういう人たちの話は聞くし、そういうの聞くとちゃんとしなきゃって思ってた。人間って、そういう環境に身を置かないと変われないと思う。
曽木は麻雀のことを説明するのが苦手だというが、私はいつも曽木にしつこく質問責めしており、その度に明快な説明を返してくれていたのでとても意外だった。びーたんで私が渡す牌姿に一牌足りないこともしばしばあったが、曽木は足りない一牌が何なのかまで一緒に考えてくれた。私は、麻雀の基盤をびーたんで曽木とともに築いた。その曽木の原点を聞けて、なんだかうれしくなった。
29歳の時に初めて料理をした
そんな私にとっての麻雀の基盤が作られた『びーたん』。この店を始めたきっかけもやはり流されて、だという。
29歳の時に飲食業界に入ったんだよね。いい先輩に出会って、その人に誘われてレストランとバーがくっついてるみたいなお店で働くことになった。料理のことなんか全然わからなかったけどね。お酒も時々飲むくらいだったけど飲食店で働くようになってから興味持ち始めて。ギネスビールが一番好きかな。
驚くことに、曽木はその時はじめて料理をしたのだという。
下積みみたいなことはすっ飛ばして料理のことだけ教えてもらって。器用貧乏だからさ、大抵のことはすぐにできる様になるんだよね。
そして色んな店舗での経験を経て10年前、38歳の冬にびーたんをオープンさせる。
麻雀関係の人付き合いから、「バーやらない?」って誘ってもらって。
10年前といえば、例の決定戦での惜敗と結婚の年である。実に激動の1年だった。
最初は流されて始めた飲食の仕事だけど、今はけっこう気に入ってる。最近って下のリーグに落ちてたから、なかなか話できる人もいなかったしね。話ができるリアルな場が仕事場っていうのはいいよね。
流される男の現在地
この曽木の言葉にもあるように、曽木はCリーグまで落ちている。入会14年目である40期を過ぎた頃から曽木の麻雀人生に暗雲が立ち込め、Aリーグを降級すると、C2リーグまであっという間に降級した。
夢を見ているみたいだった。
曽木はこの間の心境をそう語った。
私には最高位を目前で逃す悔しさも、一生懸命築き上げてきた大切な場所をわずか数年で失う辛さも、想像することすらできない。そのため、軽い気持ちで話すことは憚られ、曽木の降級については今日まであまり話してこなかった。
(最高位を逃した翌期のAリーグでは)また決定戦に残りたくて、無理をしてしまったのかもしれない。一度決定戦に出たことで現実的な目標が一気に引き上がっちゃったからね。そのあとも早くAリーグに戻りたいからって、どこかで無理をしていたのかもね。自覚はないんだけど。
そんな曽木に、「Aリーグに戻るつもりですよね?」と失礼な質問をすると珍しく大きな声が返ってきた。
当たり前だろう!(取材当時に所属していたC1リーグも)もう昇級だから!
この言葉通り、曽木は連続昇級し、B2リーグまで戻ってきた。
今日も曽木はバーに立ち、最高位を目指して麻雀を打つ。
時に流され、時にやさぐれながら。