コラム・観戦記

FACES - “選手の素顔に迫る” 最高位戦インタビュー企画

【FACES / Vol.11】山田独歩 ~ネット麻雀最強雀士『天鳳位』はなぜ競技麻雀をやるのか~

(インタビュー・執筆:梶田琴理)

 

天鳳

2006年にサービスを開始したオンライン対戦の麻雀ゲームで、累計登録アカウントは600万に達しようとしている。そのうち、最高峰の『天鳳位』に到達したアカウントは、4人打ちではこれまでにわずか18しかない。その割合は実に0.0003%と、普通預金の金利より低い。それゆえ、天鳳位たちはユーザーの間で名が知れ渡り、憧れの存在となっている。

近年、その天鳳位が2人、最高位戦に入会した。1人はMリーグでも活躍する初代天鳳位・朝倉康心(アカウント名:ASAPIN)。そしてもう1人が3代目天鳳位・山田独歩(アカウント名:独歩)だ。朝倉の入会が2018年。翌2019年に山田が続いた。

長くプロ入りを期待されながら決断には時間がかかった山田。その理由は「アマチュアの強豪」というのが自身に求められている立場だと思っていたからだと言う。しかし、彼は今、その枷が外れたように、喜々として競技麻雀の研究を進めている。そこには、一体どのような心境や状況の変化があったのか、天鳳位・独歩はどのように誕生し、麻雀プロ・山田独歩はどこに向かうのか、話を聞いた。

 

山田独歩(やまだ どっぽ)

最高位戦選手ページ→https://saikouisen.com/members/yamada-doppo/

Twitter→ @doppo3010

 

 

麻雀デビューの開局で三倍満和了。のめり込んでメンバーに

山田と麻雀の出会いは中学3年に遡る。友人から「麻雀やらない?ルールはやりながら覚えればいいから」と誘われ卓に着くと、開局に三倍満をアガった。

その成功体験が自分の中にすごく残っちゃって、ハマったんだよね。で、学校の成績は右肩下がりになった。

このころの山田は秀才だった。千葉県浦安市に生まれた山田は幼稚園のときに神奈川県藤沢市に移住するのだが、母が教育熱心だったのである。

年長さんか小1ぐらいで九九をやってたんだよね。学校のテストはずっとほぼ満点だった。中学から私立に行った方がいいってことで、小6の春ぐらいから受験勉強を始めたんだけど、初めて模試を受けたときに偏差値65とかけっこう高い成績だった。塾から「旅費と受験費用を持つから鹿児島のラサールを受けて」って言われて、集団受験しに行ったの。そのときの様子を「天才小学生に密着」って感じでテレビの取材が来て、人生で唯一ゴールデンに出たんだよね。栄光学園と麻布学園も受けて、全部受かった。で、一番家から近かった栄光学園に行くことにした。

(中学生時代の山田)

栄光学園は中高一貫のため、高校受験はしていない。山田が麻雀と出会ったのは、中高一貫ならではの、これまでと全く変わらず、これからも同じような高校生活が待っているのだと、漠然と感じていたであろう中学3年のときというわけだ。

細川護熙元首相の出身校だし、ノーベル賞を取った小柴昌俊先生が教員やったりしてた。出身者のウィキペディアとか見てみるとけっこうすごい。学年の半分くらいが東大に行くみたいな学校で。俺47期なんだけど、47年間で大学に行かなかったのは俺が最初っていうのはチラッと聞いた。本当か嘘か分からないけど。完全に落ちこぼれたよね。

(高校生時代の山田)

落ちこぼれた理由として、山田は麻雀にハマってしまったことを挙げたが、「まあ、でも麻雀にハマらなければ何かにハマっていたとも思うしね」と笑いながら学校生活を振り返る。超進学校で落ちこぼれたとはいえ、大学に行く学力はあったと思われるが、それでも大学に行かなかったのには理由があった。

親への反発心と、親父が病気したことと両方。で、その後通い始めた『ウェルカム横浜店』で、若かりし頃の品川(品川直)とかやじー(矢島亨・日本プロ麻雀協会)とかと同卓してたんだよね(※この辺りの記述にについてはFACES Vol.09品川直にて)。もう20年来の付き合い。18歳からメンバー(※雀荘スタッフの俗称)やってたんだけど、そのときのお客さんが今最高位戦にいたりする。遊びを知らないまま育ったから、遊びを覚えたことが当時はすごく楽しかった。毎日麻雀して、仕事が終わった後にもセットして、たまにボウリングして、みたいなことを365日やってたね。メンバー業は横浜店と渋谷店で合計5年くらいやってたかな。

山田と言えば今でこそネット麻雀のイメージが強いかもしれないが、元々は雀荘でバリバリに打っていたスタッフだったのである。山田はこのスタッフ時代をこう振り返る。

メンバーやってたことはすごく良かったなといまだに思っていて。高校のときとか、コミュニケーション取るのがめちゃめちゃ苦手だったの。知らない人と全然話せないし、友達も少ないし。メンバーやることでそれがかなり改善されたからね。

現在の山田は誰とでもすぐに打ち解けてしまう人懐っこい印象のため、そこからは全く想像できない意外な過去である。落ちこぼれた一因も麻雀であれば、内面を変えてくれたのもまた麻雀だったというわけだ。

 

自分が弱いと気付けたことが天鳳で一番の収穫

22歳のとき、山田は雀荘スタッフを辞める。

漠然とこのままではいられないなって思って。でも23歳で就職した会社もすぐ辞めることになった。それから知り合いの会社に雇ってもらって静岡へ。メンバー辞めてからは3、4年くらい、一切麻雀を打ってなかったんだよね。天鳳を始めたのは静岡にいた28歳になるくらいのとき。静岡では最寄りの雀荘まで車で片道90分ぐらいかかって、ちょっと通えなかったから。

その後、山田は臍帯血バンクの代理店という職に就く。病院と希望者との折衝を行う仕事で、出産した人がいたら病院に検体を取りに行くのだが、その待ち時間がかなり長いのだそう。そこで、その待ち時間にもやはり天鳳を打っていた。多忙な中でも麻雀熱が消えたわけではなく、仕事の合間にコツコツと天鳳を打っていく。待合室で1人ノートPCに向かって天鳳を打つ姿は、天鳳ネーム『独歩』のイメージと重なるが、このアカウント名の由来は何だったのだろうか。

『グラップラー刃牙』がすごい好きで。一番好きなキャラクターは渋川剛気なんだけど、俺が天鳳始めたときにはすでにその名前のアカウントが使われていた。それで次に好きな愚地独歩から取ったんだよね。でも本当は最初、『害虫』みたいな嫌がられる名前のアカウントにしようかとも思ってて。今思えば害虫にしなくて本当に良かった。

最高位戦B2リーグに山田害虫の名前が並んでいるところを想像して少し笑ってしまった。その後、2年で4000戦打った山田は、見事に天鳳位となる。2011年12月、初代天鳳位ASAPIN誕生から10か月後のことだった。元々ASAPINとは天鳳位になる前から知り合いだったのだろうか。

全然。彼は天鳳位になるまでSNSのアカウントすらもなかったんだよね。謎の人物で、ずっと鬼打ちしてるし、ASAPINは人じゃなくてAIなんじゃないかとか、実体の存在しない概念なんじゃないかとか言われてた。

朝倉の良い意味での異常性がよくわかる逸話である。では逆に、当時よく同卓したプレイヤーなどはいたのだろうか。

最高位戦で言うと、和正(中嶋和正)とか近藤さん(近藤誠一)とかは当時けっこう同卓してたかな。アカウント名に見覚えがあるから。あとは、当時のネット麻雀のスタープレイヤー、鬼哭さんとか氷室さんとかさくらこさんとか、そんな人たちを含めた強豪相手に天鳳鬼打ちしてたのって、めちゃくちゃいい経験だったなと思ってる。たぶん俺、天鳳始めるまで麻雀すごく弱かったと思うから。最初の頃の牌譜を今見ると、穴を5キロぐらい掘って埋めたい気持ちになるぐらい下手だった。

手組だけで七段(※七段以上が最上位卓で打つ資格を持つ最低段位)に上がったため、どうオリるのかなど全く分かっていなかったのだと、山田は当時を振り返る。3シャンテンから全ツッパという無理な押しもしばしばあったのだそう。その結果、120戦ぐらいで六段に降段し、最上位卓から落ちてしまう。

こんなに戦えないものなんだ、麻雀を真面目に勉強しようと思って。自分が弱いってことに気付けて、強い人を観戦するようになった。天鳳記録のサイトで牌譜を見られることを知って、メタルクウラさんの牌譜とかかなり見て勉強した。自分に足りないところってまずは守備面だと思ったから、守備的で精度が高い人の牌譜を見ようと思って、メタクウさんの牌譜よく見てたね。

人から麻雀を教わったことがなく、感覚で打っていた山田は、これを機に理屈で麻雀を考え、人に聞くようになっていく。麻雀の奥深さを知り、独りで歩んでいく限界を感じたからだ。

麻雀って同じ場面は絶対に来ないじゃない。だから、この場合こうするってパターン化するのってすごく難しいんだけど、選択という最終結果じゃなくて、なぜその選択をしたのかを考えることで、どんな視点があるのかを学ぶことはできるよね。麻雀の話をしたときって、新しい気付きをもらえるから、やっぱり人に聞くのがいいと思う。だから、俺はもっと早く人に聞いておけばよかったし、もっと早く麻雀プロに挑戦しておけばよかったなと思うんだよね。

 

Mリーグ開幕で、プロ対アマがプロ対プロの構図になった

山田が早く挑戦しておけばよかったと語った麻雀プロ。そもそも麻雀プロという存在を意識し始めたのはいつ頃なのだろうか。

元々接点のあった人は別にして、最初は第1期・2期の『天鳳名人戦』でASAPINやマー君(2代目天鳳位・(≧▽≦))がプロと対戦しているのを見たときかな。俺も2013年の第3期に初参戦して、第7期で優勝したんだけど、天鳳名人戦が麻雀プロをちゃんと認識したきっかけかも。リアル麻雀の場でいうと、2014年の『麻雀の鉄人』で、天鳳位がプロに挑むという構図で放送対局に出たのがプロとの初対局かな。

天鳳位になってから露出が増え、一躍アマチュアで最も知名度のあるプレイヤーの一人になった山田には、プロ団体からの勧誘もあった。

最初に誘ってもらったのは、6、7年ぐらい前かな。当時は正直あんまり興味がなかったんだよね。プロ入りを考え始めたのは2016年の『天鳳位vs.連盟プロ』がきっかけかな。他の天鳳位とも「プロ入りってどうなんだろうね?」って話をしたりして。俺らに求められているのって、アマチュアの強豪としての立ち位置なんじゃないかって勝手に思っていた。与えられる対局の構図が「プロ対アマチュア」だったからね。だからアマチュアでい続ける方がいいのかなって思う部分があった。

そんな中、2018年に麻雀界全体が大きく動く。Mリーグが発足し、同じ天鳳出身の朝倉も最高位戦に入会してMリーガーになっていった。これを受けて山田の考えは変わっていく。

Mリーグができて、コンテンツの構図が「プロ対プロ」になった。じゃあアマチュアでいる必要ないよねっていうのが一つ。あと、その頃から賢ちゃん(園田賢)や村上さん(村上淳)とかとも接点ができていて、こういう強い人たちと競技麻雀のリーグ戦をやってみたいなという思いもあった。身近に魅力的な人が多くて、最高位戦に入会をお願いしたんだよね。

 

打数が限られているというリーグ戦の面白さ

ここで一つの疑問が湧く。そもそも山田は、なぜ麻雀プロになろうと思ったのだろうか。対局の構図が変わったというのはあくまで外的要因であって、山田の内面にあるモチベーションに直結するところではないように見える。

モチベーションとしては、もっと強くなりたいっていうのが第一かな。あと、強い人たちとリーグ戦やりたいっていうことが大きい。リーグ戦だけはプロにならないと絶対に出場できないからね。それと少しあったのは、より大きな舞台で戦ってみたいっていうこと。放送対局独特のピリピリした空気が好きで。集中できるし、良い麻雀を打てる気がして。気のせいなのかもしれないけど(笑)。

山田が第一に挙げた「もっと強くなりたい」というモチベーションについては、少し違和感を覚えた。何千、何万と打数を重ねる天鳳と違い、プロ団体のリーグ戦はごく限られた打数の中で結果を出すことが求められる。そのため、求められる力や考え方は違ってくるはずである。そこについてのみ言及すれば、これまでと同じネット麻雀という舞台でとことん突き詰めて研究し続ける選択もあったと思うが、これについて山田はどう考えているのか。

ゲームとして天鳳とリーグ戦は全く別物だと思っている。リーグ戦って打数が少ないし、どれくらい実力が成績に反映されるかと言えば少ないかもしれないけれど、それはあくまで見る側の第三者目線での話であって、プレイヤーとしてはそんなことは思わない。プレイヤーとしては、少ない回数の中でもできることはたくさんあるもんね。長いスパンで打つことをやってきたからこそ、逆に打数が限られているのが面白いとも思っている。今までは自分の中で「〇〇か月後までに昇段」みたいな目標はあっても、他人と共通した目標ってなかったからね。他人と一斉にスタートして〇〇半荘の成績で競ってくださいって、ネット麻雀でもフリー雀荘でもありえないこと。ネット麻雀はもちろんのこと、フリーに行くときだってその日の目標って決めないから。それが普通の麻雀からしたら正しくゲーム性を理解してるってことだと思うし。だからこそ、強い人たちと限られた打数の中で競うリーグ戦って別の面白さが際立つんだと思う。

山田がリーグ戦形式の面白さに初めて触れたのは天鳳名人戦だった。無限打数の中で成績を競う天鳳というフィールドを極めた天鳳位を、リーグ戦形式という有限打数の中でプロと競わせるというところに天鳳名人戦の面白さを感じたのだ。そして、現在も天鳳名人戦に出場する山田は、その魅力を語りだした。

今天鳳名人戦に出てるきよさん(醍醐大)とか松ヶ瀬さん(松ヶ瀬隆弥・RMU)とも話すんだけど、天鳳名人戦って、今までやってきた麻雀の中でもトップクラスに面白い。トップ取んなきゃいけないけどラス引いたら死ぬよ、というルールでリーグ戦することってないし、決着巡目もめちゃめちゃ早くて、あっという間に取り残されるの。そういう場ってあんまりなくて。いまだにいい刺激をもらってる。松ヶ瀬さんとかも「(出場している『おかもと』や『太くないお』などについて)マジ強くね?」って言ってたし、プロ側もいい刺激をもらってると思うね。

その刺激をどのように競技麻雀に活かしているのだろうか。

天鳳プレイヤーはどちらかと言えば統計学的なアプローチで麻雀を考えていて、麻雀プロは手出し・ツモ切りとかの様々な読みや対人要素を研究している。数字に強くないといけないし、読みも利かないといけない。強くなるためには、たぶんどっちの軸もないといけないんだよね。俺が目指す「強い」ってそういうこと。だから、どっちからも盗めるものはたくさん盗もうと思っている。そういう意味で、今まで戦ってきたフィールドではない麻雀プロの世界に挑戦してみたってことだと思う。

ではもう一歩踏み込んで、どちらの世界も見てきた山田に聞いた。麻雀プロがネット麻雀を食わず嫌いだったり、ネット麻雀プレイヤーが麻雀プロの選択をばっさりと切り捨てていたりなど、現在ネットとリアルには溝があるようにも見えるが、これについてはどう考えているのだろうか。

たぶんお互いのフィールドや選択基準を知らないからってだけだと思うんだよね。自分と違う選択を見たときって、何か自分が知らない要素があるかもしれないのに、それに目を向けないで「この選択は損だ」って言うこと自体が損だと思うから、「この選択は損だ」と切り捨ててしまう基準はめちゃめちゃ高めに設定した方がいいと思うんだよね。麻雀ってすべてを定量化することができないゲームだから、どういうバランスの取り方をしたらこの打牌になるんだろうっていうことを想像できないのはもったいないなと思う。そこに自分が強くなるヒントが必ずあると思ってるから。ところで、こういうネットとリアルの溝の話って昔から言われているけど、俺は実際にそういう麻雀プロにも天鳳民にも会ったことないんだけどね(笑)。だから仮にいたとしてもごく少数なんだと思う。まあ、いずれにしてももったいないなとしか思わない。だって、全て自分と同じ選択する人から学ぶことなんて何もないからね。

ネットとリアル、両方の良いところを取ってきて強くなってやる、その気概によって成長し続けるハイブリッド雀士は、入会1年目で新輝戦のタイトルを獲得し、地力の強さを見せつけた。新輝戦は最高位戦ルール、Classicルール、赤ありルールと、ステージによって対局ルールが異なる。フリー雀荘からネット、そして競技へと渡り歩いて引き出しを増やしてきた山田にはお誂え向きのシステムだったのかもしれない。

 

AIの時代でも、人対人の競技はあり続ける

近年、様々な業界に導入され、発展目覚ましいAI(人工知能)。AIの波は麻雀にも訪れている。天鳳十段という、天鳳位の一歩手前まで到達し話題となったスーパーフェニックス天鳳位『お知らせ』氏による分析書まで出版されている)。山田が「自分と違う選択をするプレイヤーから学びたい」と言うのなら、現時点で自分と最も違う代表的な強豪はこのAIなのかもしれない。麻雀AIについて考えを聞いた。

麻雀AIはスーパーフェニックスが登場する前からちょいちょい観戦してた。元々AIって完全情報ゲーム(チェス、将棋、囲碁など)において人間を圧倒するような存在が出てきていたじゃない。だけど、麻雀という不完全情報ゲームでどこまで強くなれるのかなって、漠として興味を持っていた。個人的には、麻雀でAIが人間を凌駕する状況は「まだ無理じゃないか」と「できて欲しくない」の両方の思い。麻雀って、見えていない情報が圧倒的に多いのと、フィールドによって人の選択が変わるのよね。4人の選択それぞれがお互いに影響を与え合うゲームだから、単純にパターン化して情報処理をするのはかなり難易度が高いだろうなって思う。

何年か前にたろうさん(鈴木たろう)と、「ないとは思うけどめちゃくちゃ資金力のある企業が麻雀AI出したら人を超えるかもね」って話をしてたんだけど、実際スーパーフェニックスを出しているのはマイクロソフト社だったから驚いたよね。でも、現状では人類最強というレベルまでは行ってないと思う。自分とスーパーフェニックスが長期成績で戦ったら勝てるかもしれないなと思うしね。AIの演算機能には限界がないから、データが出揃ったときには超えられちゃうだろうけど。

では、AIが人を超えたとき、その競技を人間がやる価値はなくなるのだろうか。

そんなわけはないよね。こないだ森井さん(森井巧・KADOKAWAサクラナイツ監督)ともオンラインでずっとこの話をしてたんだけど、将棋やチェスを見ても人対人の競技ってあり続けているじゃない。見る人にとっては、強さだけではなくて競技者の背景だったり感情の動きだったり、人間らしさみたいなものを併せて見ているから面白いんだよね。だからたとえAIが人間を超えるときが来ても、人と人が麻雀をして、見る人が楽しんでくれるっていう構図は変わらないんじゃないかな。AIについては選択精度がより高くなって、それによって人の麻雀研究が捗るようになることが望ましい。戦う相手というよりも、ツールとしてうまく使いたいって感じだね。麻雀番組にとっても、評価値とか出したら面白いエンタメになると思うしね。

評価値の話が出たところで、現在山田独歩の評価を自身ではどう感じているのか、プレイヤーという観点でのまとめとして聞いた。

この歳で、まだ自分が麻雀強いなんて思ったことないんだよね。そりゃ、多くの人より少しはできるんだろうけど。だから、自分のことを強いと思える人ってうらやましいなと思う。25年やってきたけど、自己肯定感は全くない。周りに自分より絶対に強いと確信できる人がたくさんいるからなんだろうけど、これってすごく幸せなことだよね。だから、今この環境で麻雀できていることが、天鳳位になってよかったこと。天鳳位にならなければ、放送対局にも呼んでもらえなかったし、麻雀プロにもなっていないだろうしね。だから今この場に立てていることが自分の力だなんて全く思えない。

ネットとリアルの良いところを両方取ってこようという欲張りな一面がある一方で、実に謙虚に冷静に自己評価をしていく辺りが、一流の研究者を彷彿とさせる。欲張りな研究者、それがプレイヤーとしての山田独歩なのだと理解した。

 

麻雀業界を見渡す社長として、メディア事業を成功させていきたい

ここからはプレイヤーとしてではなく、他の顔について聞いていきたい。山田といえば、麻雀の広告・メディア事業を手掛ける『麻雀王国』の社長に就任したことも近年話題となった。そもそも麻雀王国にはどのような経緯でたどり着いたのか。

麻雀王国の前社長と天鳳のイベントで接点があって、うちに来ないかって話をもらい、2017年に入社した。麻雀王国は広告とメディアという大きく分けて2つの事業があって、広告の方を任されたんだよね。入ってから視点はすごく変わったかな。それまで自分はあくまでプレイヤーだったから、良い麻雀を打てばいいとだけ思ってた。でもその後メディアの方にも関わるようになって、どういうものを消費者が求めているのかとか、今の麻雀コンテンツに足りないものって何だろうとか、麻雀好きな人たちってどんな人なんだろうとか、そういう全体像を考えることが多くなった。

麻雀王国は、雀荘からの広告収入で運営している同名の情報サイトの運営や動画制作、イベント企画などを行っているが、その中でどのようなユーザーがどのような価値を求めているか考えるようになった山田。メディア事業が今後の麻雀界にとってカギになると語る。

どこのポイントでどういう体験をしてもらって、将来的にどういうロイヤルカスタマーになってもらうのかみたいなビジョンって、麻雀業界では完全な成功例がないんだよね。それを実際にお店に行くってところ以外に動画でもつくれたら、みんなもっとハッピーになれるはず。麻雀プロも食べていけるきっかけが増えるし、麻雀店に来てくれるお客さんも増えると思うし、他の法人も参入しやすくなるし。そういう視点は他のビジネスモデルを見るときにも持つようになった。

(取材途中にかかってきた電話に対応する山田)

山田は2020年に社長に就任し、多忙を極めている。そんな中でも、麻雀の研鑽とともにやめられないことがあると言う。

(自身の体型を指し、)ご覧いただいて分かるように、俺おいしいものを食べるのがめちゃくちゃ好きなの。この店うまそうだなって判断する特徴がいくつかあって、飛び込みで入ってみる。それで外さない自分の嗅覚、みたいなのが楽しくて。あと周りにもおいしいもの好きな人が多くて、「この店おいしかったよ」って情報が入ってくる。たまにめちゃくちゃおいしい蕎麦屋とかに当たると感動しちゃうよね。おいしいものを食べているときが一番幸せ。

先ほど「自分より強い人に囲まれていることが幸せ」と語ったときには見せなかったうっとりとした表情が微笑ましい。取材日の昼に山田に連れて行ってもらった焼肉屋も、相当おいしかった。

おいしいお店に人を連れて行って、食べている顔を見るのも好きなんだよね。賢ちゃんの「うんまっ!」って言うときの顔好きなの。

おいしいお店が知りたいときには山田に聞けば間違いない。最高位戦の歩く食べログを、麻雀王国とともにぜひみなさまに活用いただきたい。

 

おわりに

ネット麻雀で最強を証明したのちプロ入りして1年目で新輝戦のタイトルを獲得。一見するとすでに完璧にハイブリッドな強さを持っている山田。しかし、彼は自分のことを強いと評価しない。欲張りな研究者だから。

その一方で、株式会社麻雀王国の社長という一面も併せ持つ。麻雀業界を見渡すのが彼の立場でありながら、麻雀業界もまた彼の動向に注目している。

山田独歩にはたくさんの顔があった。それは、やりたいことを全てやろうとした結果なのだろう。実に欲張りな人間である。その純粋な欲張りに、私たちは魅了される。

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