コラム・観戦記

採譜者フミさんの『迷宮を歩く』 ⑩

 もう39期のAリーグも、終盤となってしまい、時系列を追っての取り上げ方が難しくなってしまったのは、ぼくの怠惰のせいでしかないが、打ち手、選手をある長い期間を追って、探り、ぼくなりの感触を得ていくためには、ある節の出来、不出来に捉われず、トータルな姿勢を見続けていく必要を感じるのも確かだ。

 偉そうな事を言うようだが、12名のAリーグ選手が、自分との対比上、どんな位置関係にあるのかを考えたりするのも、楽しみのひとつだ。

 例えば、村上。彼はあらゆる面で正反対に位置する。表面上でいえば、表情の豊かさ、まわりの人をホッとさせる、なごやかなほほ笑み・・・
 まぁ、ぼくといえば、なるべく「隅っこ」で人との接触を避けようとしてるしね。
 本質的な姿勢も真逆で、彼の色紙の言葉「真実はひとつ」に対して、ぼくは「人々の数だけ真実」になるかなぁ?


 でも彼だって、「たったひとつの真実」が世界(ちょっと大きく出すぎたか)、麻雀を制しているという実感は持ってないのかも知れないね。だからこそ、そうあって欲しいという切なる願いなんだろうね、きっと。

 

 

 さて、今回取り上げてみたいのは、その場面、場面での自分自身の身の置き方や、他者との距離の取り方が、妙に、ぼくとだぶって見える選手、中嶋和正だ。(当人にとっては迷惑なハナシだね)


 彼も、いつもおだやかな人当りのよいほほ笑みを絶やさないが、村上と違ってそれだけで、人を安心させ、ひき寄せるたぐいのものではない。どうか自分をそっとしておいて、とも受け取れるのは、ぼくだけだろうか。(中嶋くん、怒った?)
 えてして、この種の人は内面はとても頑固だ。だがそれを決して、他者に押しつけず、自身に向かってだけ、ゆずる事がない。

 彼の麻雀を見ると、とても過激だ。その横暴振り(笑)は、前回取り上げた平賀以上だ。
 過激というのは違うかな。ラディカリズムだね。学生運動が盛んだった頃、ラディカル=過激派=暴力、と捉えられる傾向にあったが、本来的な意味合いは「根源的な」だろう。


 彼の麻雀観を、根源的に支えているのは「四面子一雀頭」を構成してのアガリ、つまり、5ブロックの麻雀だろう。
 配牌を手にして、ぼくもまず、四面子一雀頭の計算から始める。完成面子を消去していき、13枚か5、10、7、4へと進めていく。とはいえ、他者との対応や、着順条件が加わり、それを、断念せざるえなくなる時点がやがて来る。
 何回目かのコラムで、ぼくの基本は四枚麻雀だと書いたが、彼、中嶋はなんと、四枚麻雀どころか、1枚麻雀を見せてくれた!つまり裸単騎!それも同じ日に2回も!!

 ぼくの記憶では、採譜卓での裸単騎は過去に一回だけ。小三元の發単騎を一発でツモりあげていた。伊藤一氏といえば、古くからの最高位戦ファンなら、「さも」とうなずくかも知れない。

 

 

 中嶋は村上、土田、平賀を相手に、譜のように、一巡目からポン、次巡ドラを重ね、満貫が見込める。次巡もチー。6巡目にもポン。3フーロイーシャンテン。として、くっつきへ。ところが、その動きで手を育てた土田が、高目ツモならハネ満のリーチ!
 そして土田一発目のツモが、自身一枚使っているドラ
 なんと中嶋ためらう事なく、ポンして単騎とする。あくまでも、涼やかな表情で。

 

 これには、異論のある人もかなりいるだろう。実際、この譜をまわりに見せたところ、プロがいいんだろうか、と疑問を投げかけた人もいた。
 確かに、鳴かずとも点数は変わらない上、リーチ相手に絵合わせだ(逆にリーチ者がいた事も、後押ししたのかも)。
 でも、鳴かない場合との大きな違いは厳然としてある。このままの進行だと、くっつく牌を待ったうえで、アガリ牌と出合うという二段階が必要となる。
 これは、究極の5ブロック麻雀だ!ここまでの姿勢を取り入れるか、どうかは置いておこう。でも中嶋は必要とあれば、また見せますよと、例のおだやかな笑顔。
 (またこの局の土田も面白い。配牌に第一ツモで、いきなりトイツ落とし。対子傾向の手を好む彼からすると、不思議な気もするが、彼なりのメンツ計算があるのだろう。)

 

 

 そして、まさかの同じ日3回戦でも、

 

 

 南家で、7巡目までに、チー加カン、チーポンと四フーロ!待ち牌をからに替え、山に三枚生きのをツモ!
 30年ぶりに最高位戦で見る四フーロ。しかも同じ日に・・・!?
 表情も、淡々と、かつ涼やかだ。

 この表情は、ぼくにある作家を思い出させてくれる。2007年に亡くなったアメリカの作家、カート・ヴォネガットJrだ。(代表作は「スローターハウス5」等)彼の筆致はやはり、淡々として、軽妙だったりするが、その穏やかな語り口とは裏腹に、彼の「小説」が語りかけてくるものは、常に、根源的な問題であり、一種のアナーキズムを感じさせる。
 まるで、相容れない表現にも思えるが、「優しさにあふれるアナーキスト」と評される彼は、世界や、人々の持つ意味を、たったひとつの側面からだけにこだわっていく。その姿勢は生涯変わることはなかった。

 最高位戦の「優しさあふれるアナーキスト」彼、中嶋和正も、淡々と自分の麻雀を貫いて行くだろう。そう、あの表情で。

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