コラム・観戦記

採譜者フミさんの『迷宮を歩く』 ⑦

第38期の決定戦も終り、新井啓文新最高位が誕生した。
 
もう2か月以上もたってしまったが、速報、観戦記とも違うので、
ここでは、四者のそれぞれの表情などを、いろんな分岐点での「各論」と共に取り上げてみたい。


その前に、自分の中の「最高位」とは何なのかを振り返ってみたい。
 
第1期は順位点部門と得点部門に別れていたので、のべ39人もの「最高位」の誕生を目にしてた。
それぞれ、その瞬間の表情は今でも脳裏に刻まれている。
 
放心したように椅子から立ち上がれなかった者、照れくさそうにはにかむ者、
これは悪い意味で言うのではないが、オレの、マージャンへの思いと実力なら、当然というように納得した笑顔を見せてくれた者、「最高位」が自分の中で、本当に意義が有り、それを達成しえたという思いから、その場で号泣した者も…
 
 
その中でひときわ思いの残るのが、2期と5期の二回「最高位」を手にした田村光昭だ。
直後のコメントが「オレが最高位を取って、最高位がなんでもない事を証明したかった」

当然のように、これに対しての猛反発が待っていた。
せっかく盛り上がってきた競技マージャン界、それをプロとして、社会に認知させようと全員で必死になって力を合わせていた時代だったしね…

でも、ぼくはこの田村のコメントを字義で受け止めるつもりはなかった。
これは明らかに反語法でしかない!
挫折した全共闘世代(う~ん、死語だなぁ)の生き残りとして捉えられる事が多く、
彼には確かに「反権威、権力志向があった。(ちなみに、ぼくはといえば、「非」権威、権力かな)

何にでも意味や価値、肩書き等をくっつけて評価していくのではなく、反対にあらゆる交雑物を取り払って、原点だけを大切にしていこうという姿勢は、どこかぼくの性分とだぶっていたのだろう、
彼があのセリフで伝えたかったのは、理解できない人からは何の意味もなく思える事に、これだけ自分をぶつけられる!この事を見て欲しいという願いだったのだろう。

なんだかきれいにまとめるようだが、ぼくは「最高位」という看板自体に価値を置くのではなく、
その意味を自分の中に取り入れて目指していく姿勢こそが評価されるべきだろうという思いがある。


さて、第38期に戻ろう。

新最高位新井がぼくに見せてくれた表情は、打っている時も打ち終えて戴冠した時も徹底して、楽しさとうれしさだった。ここまで晴れやかな表情はいままでなかっただろう。

Aリーグに昇級してその年に頂点まで昇りつめたのは、第6期の狩野洋一以来だ。
新井自身、挑戦権を手にしただけでも満足(失礼!)だっただろうが、相手3人は評価も安定し、実績も確かなタイトルホルダー達だ。この強豪相手に、新井が秀でていたところは、マージャンへのプリミティブな思いを維持しきれた事だったんじゃないかな。

ピンフイーペーコードラ1をリーチしてツモ和り、もちろん休憩中だったが「なんであれが裏のらないのかなぁ」などと平然と言ってみせたり、やんちゃなところも見せるが、終始言葉にしてたのは「ツイてる時に勝たないと、オレ勝てないもん」ちゃんと謙虚さも持ち合わせている。

そして新井のその姿勢を維持させた原動力となったのが1節1回戦東1局だ(全体牌譜参照)
 
 
 
 
南家新井、メンゼンでしか進行しそうもないドラ1の手を、四枚切れを見て、を嫌って、一方のシャンポン形を残す。それがはまって暗刻にして、のリーチ。
だが、ごらんのとおり、7巡目までの捨牌がはずしも目に入る、 はかなり危険に映るだろう。本人自身、リーチと発声した時、2600点の手という印象はなかったんじゃないかな?リーチツモの4000点か、ラッキーな8000点、まぁアトは本手が入った相手のリーチ棒付きで3600点かな?

実際相手3人とも、ひたひたと手を作り迫ってくる。
親村上は三色含みのピンフ手、近藤はドラ対子でイーシャンテン維持。佐藤もタンピンイーペーコー目までと、それぞれ重量級!結局村上からが打たれて2600点の収入となったが、リーチしてからアガリ牌に巡り合うまでの4巡、三者 からの圧迫感は相当なものだったろう。
大勢を決めるには程遠いが、闘っていけるぞ、という安心感を手に入れたのは、点数以上の収穫だったろう。
 
  
さて、この局放銃にまわった村上を取り上げてみよう。
三色含みとはいえ、まだイーシャンテン、この後3巡残して無スジ2牌はキツイ、
あきらめて現物のを打って、残り3巡安全牌を期待するのもアリだろう。
でも長い20回戦、第1局からの姿勢を示すため打を選択!1局単位の正解を求めていくのがデジタルのような気もするが…

でも、もうぼく自身はデジタルもアナログも色分けする必要性を感じなくなってきている。

まぁこれは茶々を入れているに過ぎないんだが、
牌理に対する厳格なまでのデジタル志向とは正反対の表情を最近の村上は見せてくれている。(そんな気しない?)大きなため息や、親を迎えた時の胸に手をあてて、祈るようにサイコロボタンを押す様子など…

その豊かな表情を見せられていると、タイプはあきらかに違うが、飯田なき後の最高位戦の「顔」になっていくだろうと思える。

それを予感させるように、4節では九蓮宝燈をアガりきってみせてくれた(全体牌譜参照)。
 
 
 
 
村上としては、必要な局面での読みどうりに仕上げた 1000点(あっ、彼はメンゼン派だから、1300点か!)を取りあげられるほうが本意かも知れないが、これはこれでマージャンの持つ大切な一面 だろう。
 
 
 

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