鉄五郎の苦戦が続いていた。
ドンさんにを放銃してから、これが3回目の半荘。その間、ただの1度もアガっていないのだ。
ここが麻雀の恐さだ。
たった1回の甘い打牌で、こんな状態になってしまう。
なんとも不可解な、説明しがたい現象なのだが、何回打ってもこうなってしまうのが不思議でならない。
ただハッキリしているのは、こうなってしまえば後はなにをやってもチグハグ、まったくもってツカないという状態になってしまうことだ。
この局も鉄五郎はかなり迷っていた。
落ち目のときには難しい手牌がくるものだがいまの鉄五郎がまさにそうだった。
これが鉄五郎の手牌。
を切ればいいのだが、ドンさんからリーチがかかっている。おまけにはドラだ。
これはちょっと切れない。
では、かを打つか。
しかし、ドンさんの捨牌は、
こうなのである。
もも危険牌だ。
もし、この手牌がテンパイしているのならかを切ればいい。どうせマチはしぼれないのだ。
しかし、この手牌はまだ一シャンテン。
テンパイしたときにはドラのを打たなければならないのだ。
の方を打ったのではマチが悪すぎる。
今の自分では勝目がないだろう。
(ここはガマンだ)
と、鉄五郎は思った。
まだ、東4局。点差はさほどひらいていない、チャンスは必ず来るはずだ。ここで放銃ったら、またもラスが決まってしまう。
そうなれば、ますますドロ沼にはまるだけだ。
6巡目という早い巡目に入った久々のチャンス手だったのだが、鉄五郎は身を切る思いで を打った。
ここでを打てば完全なオリだが、これは流れが悪い以上しかたがない。
その後、が暗刻になりがドンさんから出ていたが、鉄五郎は、
(ああ、やっぱりオリて正解だったな)
と思っていた。
が暗刻になり、が出る前に、、といった危険牌を持ってきている。
ドラのと、の他にこれだけの危険牌がドンさんのリーチにつかまらないはずがない。
悪いときに無理は禁物だ。
途中、が4枚になったが、もちろんカンはしない。どうせオリているのだから、リーチにドラを増やすことはない。
幸い、安全牌には当分困らない。と、を順番に落としていけばいいのだ。
もちろん、その間に通った牌は合わせて打っておく。鉄壁のガードだ。
他の2人も、ドンさんの早いリーチには対抗できないらしくベタオリになっている。
ツモる気配もなく、流局気配が濃厚になってきた。
(リーチが空振るようじゃ、ようやくドンも下火かな)
そんなふうに思っていた鉄五郎だったが、ふっと気がついてみると完全安牌がなくなってしまっていた。
それも最後の最後、鉄五郎がハイテイ牌を打つだけという段階になって、なくなってしまったのだ。
鉄五郎の手は、
ももワンチャンスが残っている。
が4枚切れていたが、はドラである。も初牌。
このときになって、ようやく鉄五郎は気がついた。
(アッ、1巡前にカンしておけば、オレのツモはもうなかった)
そうなのである。1巡前にカンすれば、ハイテイは親の私になるから、鉄五郎のツモはなかった。
なぜ、こんな簡単なことを鉄五郎が見落としたのか。
途中安全牌が多くあり、手詰まりの心配などしていなかったこと、リーチにドラを増やすことはないと思っていたことなどがあるが、本当の理由は鉄五郎が落ち目だったからなのである。
落ちているときは、こんなミスさえやらかすもんだ。
(なぜ、1巡前にカンしなかったんだろう)
鉄五郎は何度も頭の中でつぶやき続けたが今はもうそれどころではなかった。
なにか一牌切らなければならないのだ。
鉄五郎は必死になって通りそうな牌を探した。
そして、とうとう決断したようにを打った。
が3枚切れていてカンはワンチャンスになっていたこともあったが、それよりもリーチの一巡前にが切られているから打っただった。
の形からなら、を先打ちする理由は手役絡みのときだろうが、三色はが4枚見えており、ない。
その他の手役は考えられなかった。
タンキマチもモチロンない。
ところが、このがアタった。
ドンさんが開けた手牌は
この形、手出しのリーチなのだから、入り目はだろう。
つまり、リャンカンふたつの形だったのである。
この放銃は鉄五郎にとって、かなりショックだった。
確かに、最終形だけをみればが一番通りそうな牌なのだろうが、このは本来、どうやっても打牌になるはずはないのである。
がアタリ牌なら、鉄五郎が勝負にいってればアガっている。
いや、それは無理だろう。
今の鉄五郎の状態から考えれば、勝負に出ない打ち方のほうが長い目で見て好判断といえる。リーチがかかったときの手牌がいい証拠ではないか。
だから、そのことは別にしても、このは1巡前にカンできたなのである。
いや、1巡前でなくとも、カンできないではない。安全牌がなければリンシャンをツモってみる価値はあるのだ。
どう考えてみても、打牌になるようなではないのである。
ところが、落ちているときは、こんな考えられないことまで起きてしまうのが麻雀というものなのである。
そして、このことの直接的な原因になったのが、鉄五郎のハイテイ放銃であったことは4人共が認めている。
さらに、その放銃を引き出したのが、私の動かずからなのである。
こんな経験をイヤというほど積んできているからこそ、目先の欲にとらわれず、動きには細心の注意を私は払う。
ヘタに動けば、思わぬ落とし穴が待ち受けているものなのである。
「ポン」
と、をたたいたのは鉄五郎。
(オッ、動いたか。珍しいな)
そう私が思ったのも当然で、あの放銃以後、鉄五郎が動いたのは初めてだった。
落ち目の自分が動いても相手に利するだけ。少々の手牌で動いても、また早いテンパイに放銃してしまうか、3人に徹底的に受け潰されてしまうだけ。そんなことは、鉄五郎もイヤというほど痛感しているに違いない。
その鉄五郎が動いたからには、よほどキッチリした手牌が入ったに違いない。
いくら落ち目といっても、何回かに一回かはそんな手が入っても一向に不思議ではない。
ただ、その頻度が少ないだけだ。
だから、その数少ないチャンスは徹底的に潰す。
浮上のキッカケを与えてはいけないのである。これが最も肝心な急所で、自分がアガることなんか二の次、といってもいい。
ただし、今の鉄五郎の状態、ポンをした巡目が3巡目と早かったこと、その後ツモ切りだけなこと、などを考えると、好形なのだろうがまだ一シャンテン、の感が強かった。
だからなのではないだろうが、6巡目ドンさんが初牌の打ち。
この打ちは、この局面では強い。
強いが、間違っても、まだ一シャンテンだろうからとか、落ち目に対してのカブセ打ちとか、そんななめた打牌ではない。
落ち目に対してほど辛く打つ、ドンさんほどの打ち手、万が一にもそのことに抜かりはないはず。
だとすれば、この打ち、間違いのないテンパイ宣言なのである。
それも、をポンテンにとられても十分戦えるとしたら、かなりの好形だということも予想できる。
牌勢の差を考えていたにしても、少なくとも出アガリのきくテンパイ。鉄五郎から出やすそうなピンズかマンズの中張牌あたりか。
いずれにしても、鉄五郎の仕掛けには万全の注意を払わなければならないが、ドンさんの明らかなヤミテンの方が恐い。
ドンさんが打ったなのだ。
『ただし、ひとつことわっておきたい。
ドンさんがを打ったからには、万全の注意を払わねばならないのだが、では、同じ局面でそのが強いのかどうかもわからぬ初心者が打った牌だとしたら注意を払わなくて良いのか。
決してそんなことはない。
確かにその初心者は、ただ要らないから切っただけのなのかもしれないが、それでも私は万全の注意を怠りたくない。
フン、どうせ要らないから切ったんだろうぐらいになめてかかった方が勝率が高くなることぐらい私も知っている。
そんなことぐらいでいちいちオリていたんじゃ大勝できないよ、という人もいるかもしれない。
しかし、それでも私には、そんな麻雀をなめた打ち方はできない。
ドンさんが打ったも、初心者が打ったも、青野先生が打ったも、“強いを打たれた”、その事実に変わりがあるはずがない。
私はそのことに対して甘えを持ちたくないのだ。
だから、どうせ初心者が打っただからわけもわからんで打ったんだろう、となめてかかるような打ち手(実際はそういった下手殺しの打ち手が大半なのだが)をみると腹が立つ。
ましてや、それが仮にもプロと呼ばれている人間であったとしたら、腹が立つよりも、情けなくなってしまう。
先月号、青野先生が、
「んー、だから金子はね、誰に対しても同じ麻雀を打って勝ちたがっているんだよ。
昨日今日マージャン始めた奴に対しても、あるいは超ド級のヤツに対しても、同じ打ち方をして寄り切りたい、と。変化技を使わないでね。
それは非常にすごいことやと思うし、そうなれればね。ボクもなりたいけど」
と、いっていたが、さすがによく知っている。そのことがまさにこれなのである。』
ストーリーとは関係のない話になってしまったが、どうか『 』内は本編とは別にお読みいただきたい。
ところで、鉄五郎のポンとドンさんの打ちに挟まれ、今度は私の方が手詰まりになっていた。
私の手牌はこうなっていた。
6巡目にしては悪い手牌ではない。しかしこの局は、6巡目といっても明らかなテンパイ者がいる。すでに終盤の真只中に突入しているのである。
ここが我慢のしどころだと思う。
ソーズを抑えて、ドンさんの現物を打てばいいのだが、その現物は一枚しかないのだ。
ここでを抜き打ってしまうのはたやすい。しかし、この手をオリ一方にしてしまって、次巡からシノギ切れるのだろうか。
を抜いてしまったあとでは、アガリのないオリ一方の手牌で安全牌がないという、なんとも情けない手牌になってしまうのだ。
ここは一回だけ目をつぶってあたりを打ち、次巡からのツモを見てみるか、それともを抜いてしまって、後は運を天にまかせるか。
私はまた、ドンさんと鉄五郎の捨牌に目をやっていた。
“