コラム・観戦記

第20回 四角いジャングルの仕事師たち②

上家に座ったドンさんが、ピシッ、とを打ってきた。
明らかにテンパイだ。
というよりも、この
はおそらく空切りだろう。

テンパイ気配はずうっと前からあった。
手出しにしたということは、
との入れかえか。
確かに
よりはの方が打ちやすい。
が2枚切れている。
いずれにしてもこれで親のドンさんがテンパイを維持したのは明白になった。
私をのぞく2人にもテンパイが入っているが、

今の牌勢なら、なんかでアタるわけがないだろう、

そんな気慨がありありと伝わってくる。

牌勢が落ちているときは、あれほど腰を低くしているドンさんなのに、

いったん好体勢になれば、目一杯に攻めてくる。
このへんはさすがだ。
ところで、この
が出てきて、私もちょっと迷った。


 ドラ

 

私の手牌はこうなっているのだ。
残るツモ回数は、たったの1回。
この
をチーすればテンパイにとれる。
そして、打ち出す
は、2巡前に鉄五郎がテンパイの入ったときに通している。

その後、ドンさんのだけが手出しだがこのは間違いなく

空切りだから、このは安全牌なのだ。


現在トップめはドンさん。私が2着めにいるが、下位3人は微差で、

ここでノーテン罰符を払えば、ラスめに落ちる。


オーラスの親が残っているとはいえ、

残り2局でラスめに落ちるのは、なんともつらい。


ここで形テンにとれば、2着を維持できるのだ。


しかし、
をチーしてを打つ、こんな簡単なことが、どうしてもできなかった。


ここまでテンパイしないのだから牌勢が悪いことは明白だ。
このままツモっても、テンパイする可能性は極めて低いだろう。
それで、1人ノーテンだ。そして、ラスめに落ちる。

今の調子では自力で2着に復帰することは至難の技にちがいない。

それでも、ここは動けなかった。
理由は、ふたつある。


ひとつは、単純な理由。動けば、ドンさんにハイテイがいく。
不調者が動けば好調者に利する。
これは麻雀の原則。
ここで、動いて絶好調のドンさんに利するようなことがあれば、
もうどうすることもできないくらい、ドンさんの体勢は固まってしまうだろう。

それだけは、なんとしても避けたかった。


そしてふたつめ。これはちょっと難しいが、私自身が動きたくなかったのだ。
実は、理由としては、これの方がはるかに大きい。
なぜ動いてはいけないのかというと、体勢が悪いときに動けば必ずスキができる。
これが最も恐いからだ。
だから、ドンさんが四暗刻をツモリ、猛攻を開始してからというもの、

私はいっさい前には出ていってない。
それも、私が牌の流れよりも手役を重視したために引かれた四暗刻なのだ。

これでは私が前へ出れないのもあたりまえで、

ドンさんの体勢にキズがみえるまでは、忍の一字しかない。
動けばスキができる。そのスキを見逃すようなドンさんではないからだ。
ちょっとでもスキをみせたら最後、徹底的にたたかれる。
その最悪の状態だけは避けたかった。
最悪の状態にさえならなければ、相手に決め手さえ与えなければ、

チャンスは必ず来るものなのである。
それには絶対動いてはいけないのだ。
ここで形テンにとれば、確かに2着は維持できる。
しかし、そんな2着を果して守りきれるものだろうか。

よくて3着が精一杯なのではないだろうか。

次の半荘にも好結果を与えるとも、とても思えない。
そんなことで、これまでの苦労を水の泡にしたくなかった。
結局、
をチーせず、ツモ山に手を伸した。
(テンパれ!)。
そう念じて、ツモ山に手を伸ばす。
動かずにテンパイするのなら復調の証だ。
だが、ここまでテンパイもしないということは体勢は悪い。

そんなことはハッキリしている。
案の定、ツモったのは
。ノーテンだ。これで1人ノーテンは確実だろう。

それでラスめに落ちる。
しかし、私はそのことを甘受する覚悟はできていた。

ところが、思わぬことが起きた。
ハイテイ牌をツモった鉄五郎が、ウーン、と考え込んだ。
どうやら危険牌をツカんだらしい。
しかし、相当の危険牌なら、サッサとオリてしまうはずだ。
イヤな感じはするが、こんな牌で、せっかくのテンパイを崩すのもシャクだ。

おそらくそんな牌だろう。
結局、鉄五郎は、「エーイッ、いっちゃえ」
と、いかにもここまできてオリられるかという感じで、その牌を放り出した。
その勢いで、牌が横になり、みえなくなってしまったが、確かに赤いものがチラッとみえた。
だ。
は鉄五郎が2巡目に切っているが、たしかにイヤな感じの牌だ。

ドンさんはとチーしていたが捨牌には中張牌が多く、

とてもタンヤオにはみえない。
おそらく、翻牌がらみの手だろうと、3人の意見が一致していたはずだ。
しかし、翻牌は他にも
が初牌で残っており、

よりもその方が可能性が高い。


それと、好調者の仕掛け、単なる先ヅケにはなっていないだろう。
が暗刻で入っているからこそ仕掛ける。
そういった考え方もあり、鉄五郎が
でオリきれなかったのも十分うなずける。
ところが、この
がドンさんにつかまった。
「アッと、失礼」
といって、鉄五郎が
を表にすると、
「オッ、やっと出たか」
とドンさん。
一瞬、鉄五郎の顔が歪んだ。
ドンさんの手牌は、
 (チー)

 

「ウーン、だと思ったんだがな」
と鉄五郎がいうと、
「いや、
はこっちに暗刻だから、が暗刻だと思ったよ」
と、平さんもいう。
いずれにしても
じゃオリきれないな、といった口ぶりだが、

これは怪しいもんだ。
おそらく平さんも放銃たなかったと思う。
平さんていうのは、もう還暦に手が届くぐらいの年配で、

現在は社長になっているが、
「若い頃はこれで食っていた」というだけあって、往年の瞬発力はさすがにないが、麻雀をよく知っているという点では私もドンさんも一目置いている。


口では、ああはいっているが、内心ではシメタと思っているに違いない。
これで鉄五郎が脱落したのだ。
これまでは、ドンさんの1人舞台で他の3人は大差なかったのだが、これからは鉄五郎1人がやられる。
これは願ってもいない展開で、ドンさんの牙城をつき崩すのは容易ではないが、
弱いところをイジめることでドンさんに匹敵できる力を持ちえる。
麻雀というのはそんなもので、

4人の中で一番の牌勢を得るにこしたことはないが、
たとえそうじゃなくても、弱いところを作ればいいのだ。


1人で好展開を維持するのは大変だが、2人ならそれができる。
うま味は少なくなるが、3対1なら、これはもう1人ではどうすることもできなくなる。
麻雀というのは、強いところと闘うゲームではない、

弱いところをたたくゲームなのだ。


そのことをよく知っているからこそ
を動けなかったのだ。
だが、鉄五郎には
が止まらなかった。
ふだん”下手殺し”を得意としている分、どうしてもガマン大会になると甘さが出る。
そして、それを誘ったのは、私の
動かずからだ。
を動けば、ハイテイのはドンさんのツモになる。
そうなればドンさんの牌勢は、もうどうしようもないくらい

動かし難いものになっただろう。


それが、鉄五郎の放銃という望外の結果になったのだ。
このチャンスを得るために、ラスめに落ちることを覚悟してまでガマンしたのだ。

 

さあ、やっとチャンスがきた。

次の半荘。11巡目、私の手牌はこうなっていた。


 ドラ

 

が入り目。という形、これをリャンカン(リャンメンカンチャン)

というが、これはよっぱどの順子場でない限り悪形に近い。


この形が順子になる確率はリャンメンと同じ、などといって、
好形だと信じている者もいるようだが、とんでもない、

リャンメン形とくらべれば難点は山ほどある。


その中でも致命的な欠点は、2枚形ではなく3枚形という点だ。
2枚形なら、たとえば
というリャンメン形ならば、これで収まっているが、
などというリャンカン形は、

将来のどちらかを処理しなくてはならない。

もちろんそれだけではないが、極めて不安定な形なのだ。
そのリャンカン形がスンナリと収まり、
という形が残った。
その形も前巡
を引いてと振り替ったものだ。
(まずアガれそうだな)
そう思わずにはいられなかったが、それとリーチをかけることは、また別問題だ。
リーチをかけてもアガれる可能性は高い。
しかし、リーチをかけて高くアガることが勝つための1番の近道かというと、

そこがちょっと違う。


今は、鉄五郎を包み込む局面なのだ。


仮に、他の3人がまっすぐに手を作っていけば、

この手に放銃するのはおそらく鉄五郎だろう。
リーチさえかかっていなければ、回れたかもしれない

ところが、リーチもかかっていないのに、へんにヒヨリたくない。
ここで弱気になって、見えないカゲに脅えたくないと思う。
不調なときほど、そう思いたくなるもんだ。
だが、まっすぐにアガリに向かえば、
を放銃つのは必ず自分なのだ。
このことを認識させられることほど辛いものはない。
これが、得点方式のタイトル戦であったならば、おそらくリーチをかけている。
この牌の流れのときに少しでも高得点と思うからだ。
競技麻雀ならリーチだが、オープン戦ではダマテン、という手牌は案外多い。
一発や裏ドラなんてものでは、けっして勝負は決まらないのである。
そんなものは、牌勢が良くなってからの話なのだ。
今は、いかに弱いところを作るか、勝負はその一点にかかっている。
リーチをかけて、一発や裏ドラ付きでハネ満をツモアガるよりも、鉄五郎からの出アガリ、このほうがはるかに大きいのだ、


おそらく、他の3人もそう思っているはずで、まずは徹底的に鉄五郎をツブす、

それが勝つための最良の方法なのだ。


そして2巡後、鉄五郎が
を放銃した。
ああ、やっぱりな・・・・・、鉄五郎がそんなふうな顔をした。
私が
を動かなかったこと、

そのために鉄五郎がホーテイでを放銃したこと、

そのことが、こういう結果になって現れるのは最初からわかっていることで、

私が動かなかったのも、そうなるのが恐かったからなのだ。
麻雀というのは、ある程度のところまでいくと、結局は”ガマン比べ”なのである。

 

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