コラム・観戦記

第9回 横浜軍団の頭、スーさん①


 ケン坊は、このところ毎日のように「J」に通っている。


「J」というのはトド松のホームグラウンドで、3人麻雀専門の店である。


 なぜケン坊が急にサンマーにのめり込んでいったのかは、本人に直接聞いてみないと解らないが、彼のことだからきっと、サンマーのおもしろさを敏感に感じ取ったに違いない。


それも単におもしろいというだけでなく、自身の芸域を広めるために役立つ、おそらくそんな気持も含まれていると推測する。

──あれ以来、ケン坊は「J」に入りびたりだってさ。


 どこからともなく、そんな噂が耳に入って来たのは、トド松とのサンマーで私が完敗した日から3週間近くも経った頃の話である。


 その間、特別そのことが私の頭にあったわけではない。
こういった勝負に明け暮れる生活をしていれば、麻雀の場合特に勝ち負けは日常茶飯事のことであり、負けをいちいち気にしていたらキリがない。


 ただはっきりといえるのは、その日ツキ目にあった私がたった一手の大緩手でコテンパンにやられたという事実であって、以前にも増してトド松とケン坊の力を再認識せずにはいられなかった

 

(2人の力は本物だ)


そう思うことが、2人との再戦を強く望む気持にさせていた。

 


 トド松の根城である「J」、3人打ち専門の店ということで名前は知れ渡っているが、むろん一般の客などは1人として近寄らない。


 一時期、「J」はもう終わりだ、というのがもっぱらの評判だった。

客が次々と死んでいき、残ったのはマスターとトド松。たまに誰かが顔を出すと、その2人が待ち構えているといった状態が続いたという。


 

その「J」が最近、思わぬ活況を呈している。
20日程前、思わぬ客が飛び込んできた。
これがなんでも、リンカーンを運転手に走らせてサンマーを打ちに来るという程、フトコロの深い旦ベエらしい。


 そのリンカーン野郎とほとんど同時に、横浜からある一団が乗り込んで来た。
横浜でサンマー屋をひとつ潰したよ、と吹くその生き残り達が、同額ほどのサンマーを打てる店と聞き込んで乗り込んで来たのだ。


 そうすると、つられたように前の常連、井上さん、田上さんという大物が顔を出し始めた。


この2人は幼馴じみで、共に老舗の若旦那という人種。ちょっとやそっとで死ぬわけがないのだが、毎日毎日トド松とマスター相手のサンマーには飽き飽きしていたらしい。

 

しかし、もともとが3人麻雀にとり憑かれていたような2人のこと、ムズムズしていたのは察しがつくが、新しい一団が戦っていると聞いて、いてもたってもいられなくなった。


 こうなってくればシメタもので、後は噂を聞きつけて、自然と打ち手がわいてくる。
「J」は潰れる寸前から、思わぬ漁場に一変した。


 私が「J」に足を向けたのは、ケン坊、トド松との再戦の他に、カツオの群れを見逃す手はなかろうという気があったのも本音のところ。


 だが、最初は、様子を覗いてみるか、といった軽い気持で顔を出したのも事実で、まさかそこでスーさんという強敵と出会い、一年以上も「J」に入りびたることになろうとはその時は夢にも思っていなかった。

 ちょうどその日は暇をもて余す格好になっていて、まだ時間は早いかとも思ったが、古い付き合いのマスターと談笑するのも悪くないと思いながら「J」に顔を出した。
すると、もう牌をかき混ぜる音がしている。


(ほう、噂通りだな)


トド松は私のまったく知らない顔と戦っている。


「よう、金子ちゃん」


卓の横に座っていたマスターが右腕を上げた。


「珍しいね、どうしたの」


「ウン、近くまで来たから寄ってみたんだ」


もちろん、美味しそうだから来たとは言わないが、

 

「そう、今すぐにもう1人来るからゆっくり遊んでってよ」


 向うさんも、(噂を聞いて、喰いに来たな)と思っても、そんなことは関係ない。
誰が勝とうと向うは商売なのである。


 

このマスターというのが、ちょっと変っていて、数年前までは○○銀行の副支店長だったか、支店長代理をやっていたという男で、その頃は毎日のように一緒にサンマーを打っていた。


 なにしろ、始める時には、

 

「今日は少し寝てから銀行に行くから、3時か4時には終るよ」


と、言っていたのが、その時間に負けが込んでいると、そんなことを言っていたのがウソのように卓から離れようとしない。


 それだけならまだいい方で、銀行に行く時間になっても、さすがに少々の負けなら出社するが、負けが込んでいようものなら、まず間違いなく女房に電話をかける。


「今日は風邪で寝ているからといっておいてくれ」


 それが因で、とうとう銀行を退社して自分でサンマーの店を始めてしまった。世の中には変った男がけっこういるものである。


 いつも会うと、その頃の話になる。
「でもいいね、毎日サンマーが打てて」


 向うさんも、案外まんざらでもないような顔をしながら、


「いやー、もうフラフラだよ、なにしろ横浜から来た連中が、前の店を喰い潰して来たというだけあって、トド松が苦戦するくらい強い連中ばっかりでね」


「特に、今、トド松の下家で打ってるスーさんというのがメチャクチャ強い。あんたでも勝てないんじゃないの」


 

それで、マスターとの話は中断して、卓の方へ近寄った。
昔から強いヤツには興味を持つ性質らしい。


「この前はかわいがっていただきまして」


 トド松にそう挨拶すると、いかにもトド松の方を覗きにきたという感じで右側の椅子に腰を下ろした。右側というのは、もちろん下家の男の打ち筋が見える位置である。


 ピシリ、ピシリと小気味のよい打牌が続く。なるほど下家の男というのは、ちょっとやそっとサンマーを打ってきただけじゃこうはならないというフォームで打ち続けている。


それはいいのだが、その打ち筋というのがどうもよくわからない。


前の店というのが、「北抜き」と呼ばれるルールでやっていたなどというのは後で知ったことで、トド松やケン坊、むろん私などとも打ち筋が全然違うのだ。


こんな局面があった、


トド松が8巡目、
 ヌキ

この手牌をテンパイしている。


が3枚切れているが、そんなことはおそらく関係なしに、ダマテン。
まだ誰も大差はないらしい。


下家の男は、その1巡前にテンパイしていた。
 ヌキ

こういった手牌をダマテンに構えるという呼吸は、まったく同じである。

 

違ったのはその後のことである。下家の男はここにを引いた。
(ああ、放銃したな)

 

当然そう思った。だが、その男はトド松の捨牌を一瞥すると、をツモ切らず、に手をかけたのだ。


はトド松の現物、次巡に打ったはスジになっている。
なるほど、これで回れればうまい。

 

 

だがそういった驚きとは別にこちらの感覚でいえば、こういった局面は回る必要はないのである。

いくらが危険とヨンだとしても、ツモ切る。

 

放銃はさほど恐くはないのだ。それよりもが通った後に、でアガリを逃がすことの方がはるかにツキを落とす。

 

だから私なら間違いなくツモ切りしているだ。

 

次巡、下家の男はを引いて再度テンパイ、サンマーは、相手のアタリ牌ばかりがあるなどということは、(よほど牌勢に開きがなければ)そうあるものではなく、一度相手のアタリ牌を押えてしまったからには、この一局下家の男の方が有利だろう。

 

案の定、2巡後にパシリとをツモアガった。

 

表情こそ変化はなかったが、トド松の視線が一瞬に注がれていたことを、私は見逃さなかった。

下家の男が手牌を開けた瞬間、トド松の反応が一番の興味なのであるから、ジッと息をツめてトド松の視線を窺がっていたのである。


確かにあのは手出し、だとすればは、テンパイをハズして押え込んだものか、さもなくば、


といった形からメンツ選択で残されたものだろう。いや、それならば一シャンテンの広さを考えて切りか……。


 いずれにしてもはトド松に対する警戒心から手の内に残されたのは一目で解かる。


トド松の目の動きには、明らかにそのことがあった。
 そのことに対してトド松が、


(フーン、やるな)


と思ったか、


(そんな打ち方じゃオレには勝てないよ)


と思ったかは知る由もないが、とりあえず、次局は下家の男有利、そう思ったのは間違いないだろう。


 次局、トド松の配牌はこうだった。

 

これがグズグズと長引き、
 ヌキ

 このテンパイが入ったのが、ようやく12巡目。そこで、に手をかけた、トド松の指先が一瞬だが止まった。

 

下家の男の捨牌に目が行く、確かには大本線であって、特に、いろんな牌が手出しで打たれた後でが手出しで打たれた点が一番気になる。

が手の内に関連があるからだ。しかもあの捨牌ならばからを引いての打ちの可能性が高い。

テンパイ気配も間違いない。

 

は相当打ちづらい牌なのである。

 

だが通常のトド松ならば迷うことなく打ち出すでもあるはずだ。

 

いくらが本線といっても、麻雀には入り目、リャンメンになっていない、テンパイのように見せているが、実はテンパイしていないなどといった多種の要素が入り込んでありそれをトータルすれば、がアタル確率は50%に満たないのではないかと判断する。

 

そんなもののためにを打ち切れずでアガリを逃がすことになっては、それこそツキを落とす因になる。
おそらくトド松の頭の中には前局のがあったに違いない。


そのことが、マシーンのようなトド松のフォームに一瞬のためらいを生み出している。それだけでも下家の男の実力がわかろうというものである。

 

 

 

その時、入り口の扉が開いて見知らぬ男が入ってきた。


(メンバーが揃ったようだな)


それで私は2人の後ろで観戦するのを諦めて席を立った。


(下家の男、確かに打てる)

 

 それはハッキリと伝わってくる。だが、あの打ち方は少し損な気がする。長丁場ではトド松の方に分があるのではないか。

 


 というのは、4人麻雀とサンマーの決定的な違いは、4人打ちでは得点状況、つまり順位争いなどによってどうしても手牌を歪めなければならなくなる局面も多いが、その点からいえばサンマーの方がはるかに純粋にアガリに向える。


それがいったいどういうことなのかといえば麻雀本来の運の取りっこ、それがムキ出しになっているともいえるのである。


こういうところが、サンマーに基本手筋が多いといわれるゆえんである。


下家の男の打ち方が損なのではないかというのは、50%以下の確率のところに自分のヨミを入れるのでは、裏目がつきまとうという点で、そうなった時に必ずツキを落とす。
これがトド松が有利なのではないかという理由である。


ただ、トド松がに手をかける時の一瞬の迷い、あれがあった以上、今日のところは下家の男の圧勝、そのことは、もう見なくてもわかっている。麻雀とはそういうものなのである。

 ところで、私の方は幸運に恵まれた。
先ほど現われた男が、例のリンカーンだとは翌日知ったことだが、これがハッキリいって初心者同然なのである。

 

いきなりこんなことがあった。
私、
 ヌキ

ここにを引いて、打ちリーチ。

 

リンカーン、
「あ、リーチをかけておけばよかった」
と、言いつつ、ツモ切りリーチ。
一発で放銃。


「あー、リーチをかけ忘れたよ」


 同じセリフを繰り返して、手牌を開けた。
(この辺も、ただの麻雀好きのオッサン)


 こう理牌してあって、
じゃピンフにならないからアガれないんだよ」


マスターが親切に口を出した。「こうすれば、ピンフになるでしょ」


「アッ、そうか、わしゃ気付かんかったよ」


 さすがに半ば呆れたが、まあ、そのおかげで大勝、気を良くして終了したが、隣の卓にはいつのまにか、ケン坊も来ている。

 


ケン坊とトド松、そして下家の男、奴等とやったら、今日のように楽勝はできっこない。
そう思っても、どうしても奴等ととことん戦ってみたい。そう思わずにはいられない。


(まあ、そう慌てる必要もないが、毎日顔を合わせていれば、そのうち嫌でも………)

 


私は、熱気に満ちた室内を出て、深夜の冷気を吸った。
今日のところは、おなかいっぱいで、楽しい夢でも見るか。

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