(打てないな・・・・・・)
崩してしまうにはちょっと惜しい気もする手牌である。
(ポン)
がドラなのだから、親の倍満まである手牌なのである。
すでに諦めはついていたが、隅に残った未練を完全に否定しようと、もう1度トド松の捨牌を確認していた。
以外は全て手の内からの切り出し。
これは間違いない。
すると、の真中にあるはいったいどういう意味なのだろうか。
は私がポンをしている、だからメンツの選択でをハズす、これはおかしくない。
しかしの単独メンツでないことだけは確か。もしそうならば、と続けて切り出されるはずで、
2枚切れのをツモ切りしてを残すはずがない。
の方が残りメンツに関連しているのはまぎれもない事実なのだが、それはどういう形なのか。
リーチに対してすかさず入った先生の読み「の一点だな」は、この捨牌からは相当考えづらい。
の形からが手の内に残される理由はふたつ。
ひとつは手役絡みだが、まず一気通貫は、が4枚見えているからなく、残るは3色の方である。
つまり、
こんな形だが、しかし私の手牌にが3枚、先生の捨牌に1枚、3色はないのである。
こんな形なら、が入らないから、にはならない。
もうひとつは複合形。
+順子系、これは
+の一並刻含みこんな形が考えられるが、
それならば打ちの時点でということになり、
いくらがポンされているからといってもこの形、からハズすだろうか。
が1枚、が暗刻になる枚数が2枚確かにそうだが、でもが暗刻になるのだからこれは同じ。
ならば、と、、ポンならたいして違わないと考えるのは大間違いであって、で万が一アガリを逃がした時のことを考えれば一並刻の一ファンを逃がしたのとは比べものにならないほどダメージは大きい。
麻雀というのは、そういったメンタルな部分が大であって、だからこそ一並刻の一ファンがないと足りないといった状況を作りださないよう序盤を大切に打つのである。
トド松という男、後からも出てくるが、そういったメンタルな部分を重視する打ち手なのである。
この形が考えられない以上+順子系の複メンツは相当考えづらく、残るは+対子形になるが、これはこの捨牌ならば、このぐらいであろう。
どれかが雀頭になる可能性も残しておいたということである。
こういったことから考えると+なんとかといった複合形は相当考えづらく、まあ、先生の読んだはたったのそれだけのことであり、ほぼ通ると思って間違いない。
では、が先切りされていてが不必要でがテンパイまで離せないソーズの形、もうおわかりかと思うが、である。
+リャンメン形ならば、これはをハズすだろう。
が4枚、が4枚、が1枚、つまり8対5の一シャンテンなのだから。
そう、私が一発目に引かされたのはなのである。そして、
(ポン)
この形からハズしたのは。
「エッ、を打ったって」
そうである。
私の手牌には安全な牌など1枚もない。
を打たないと決めた以上、他のどれかを打たなければならない。
安全牌があればそれにこしたことはないがこの手牌からならが1番安全なのだ。
少なくとも、十年以上麻雀を打ち続けてきて、こういった類いの捨牌でがアタった記憶はほとんどない。
ただし、念を押すまでもないだろうが、ツモ切りだからのであり、これがなら今度はを無視していい。
そうしてが本線になる。
なぜか。
だけなら、なぜ、ここまで持たれたがの前に打たれたかを考えると、からの引きが考えられは典型的な間四ケンの危険スジになるのだが、の場合は、単なるメンツ選択でポンのため嫌った可能性が高く、残した方のメンツがとは限らない。
だが、それならばの順番がちょっとおかしい。
は3枚見えている牌であって、と比較した場合安全度はかなり高く、から切られる公算が大きい。
いや、もっとハッキリといおうか。
ポンポンという場況を無視しても、ここからを落す場合ではなく、と落とす人が圧倒的に多い。
いや、オレは判断材料が無いときはだ、という人がいるのは当然だが、この目で見た限り、圧倒的にが多い。
麻雀は手ナリで打った場合、ソバテンが多くなるのは必然なのだが、それをできるだけ避けたい。
のマチのそばはできるだけ早目に処理したい。そう思うのが当然なのだから、になるのが多くなるのも当たり前なのかもしれない。
つまり、
はが本線、
はソーズを嫌った、
はがある、
となる。
これが私が、
(ポン)
からを打った理由である。
たしかに、よりの方がより確実ではあるが、リーチがをツモ切った場合の
ポンポン
の反撃もみているのである。
もちろん、一発目にを引かされ、親の倍満まであるテンパイを壊す以上、だけ押えて他は何でも切り飛ばすというわけにはいかない。
が入り目だとしたら他の牌でアタル確率は50%前後はあるのだ。
ツモの次巡、今度はツモ、打ち。リーチにはマンズは1枚もきれていないが、がでればもちろんポンをしてを切り飛ばす。
はアタル確率が50%近いが、他の牌は全て勝負してはじめて50%強なのである。
ただし、それもこれもがポンできるかをツモって、
(ポン)
の形になってからの話であって、そうなるまでは絵に書いたモチなのである。
ツモ切り、ツモ切り、次にを引かされて反撃を断念した。
この後、たとえをツモってきたとしてもが入り目で他の牌をツモられ、結果的に親の倍満をのがしたとしても、そんなことは一発で入り目のをつかまされた牌勢の悪さを確認するだけで、どうということはない。だから、流局した時に、リーチがマチであってくれと願ったわけでもないが、
トド松のヤロウはしゃあしゃあとこんな手牌をオープンして3千点を貰いやがった。
どうもこの半荘、いや、しばらくは押し合いが続きそうである。
「どうだい本業の方は」
前回のトップは微差でトド松にさらわれていたが、誰もまだ大差は無い。
私としても、そうやすやすと最初から飛び出させてくれるなどとは考えていないから、を引かされる牌勢からいっても2着は上上のすべり出しである。
そんな気軽さで、2回目の半荘が始まるとトド松に話しかけていた。
本業というのは3人麻雀のこと。
「まあ、ボチボチだな」
そんな答えが返ってきたが、今日あたり4人打ちに来ているようじゃちょっと怪しいなと思う。
まあ、それを承知の探りではあるが。
「相変わらずのカッパギか」
「バカをいえ、皆んな手強いよ」
トド松という男は自他ともに認める三人麻雀の名手である。
どんなところが名手なのかというと、たとえばこんな手牌、
とのしっかりした一シャンテンだけに、いつまでもを持つのは恐い、いつリーチがかかるかもわからない。安全牌でも持ってきたら、を先に打ってしまいたい。
そう思うのが普通だが、この男はどんな局面でもを持っていられるのである。
は他の2人に相当危ない、それでも打たない。リーチがかかり、とたんにを引きを打つ、一発で放銃。
そんなことはしょっちゅうある。では、次に同じ局面になったときを先打ちするかというと、絶対に打ち方を変えない。
を持ち過ぎたために一発で放銃することよりも、とをポンテンにとれずアガリを逃がすことの方がはるかにツキを落とす。これが完璧にフォームになっているのがトド松のサンマーなのである。
要するに手なりなのだが、手なりで打つことが麻雀ではいかに難しいことか。
この男は、どんな高いレートでも、どんなメンバーでも、どんな場況でも必ず手なりで打てる。こんな男は、ちょっといない。
ただ、4人打ちになるとそこのところがほんの少し禍して、さほど勝率は上がらない。
2回戦目も、まずトド松が動いてきた。
次回は1月18日(月)配信予定。お楽しみに!
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