(インタビュー・執筆:浅井裕介)
突然だが連想ゲームにお付き合いいただきたい。
ビール、マネージャー、黄色、MC、ナイスバディ、守備型、阿部慎之助、教室、するしない…
どのあたりで正解にたどり着けただろうか。
中里春奈(なかざと はるな)
中里春奈。最高位戦入会13年目の中堅女流選手である。
彼女が魅せる様々な活躍の秘訣に迫っていく。
意外な幼少期と思い出したくない学生時代
1985年2月4日、群馬県桐生市で3姉妹の長女として産声を上げた。風と女が強い街と語る中里、なるほどと思わせる。
父は麻雀をするそうだが、家族麻雀の経験は0。麻雀との出会いはしばらく先のこととなる。
背が小さくて、引っ込み思案でしゃべらない子供だったんだよね。
(写真左が中里)
今の元気一杯な中里からはとても信じられない言葉が飛び出した。
中学まではいじめられっ子で。あの頃には一番戻りたくないなあ。
そんな中里だが、勉強は多少できた。高校は進学校の公立女子高に進学した。
いじめはなくなったが、女性だけの環境で少しずつ消耗していった。
昔は同性から敵意を向けられることが多かったんだよね。
遠い目で語る中里。いろいろな戦いがあったことを察するに十分の表情だった。
その後、都内に出たい・食料関係の仕事に就きたい・女子大は嫌だ、という点を考慮し東京農業大学に入学を決めた中里。
野球部に入りたかったが、硬式野球部は既にマネージャーの枠が埋まっていて入部できず。そこで選んだのが準硬式野球部のマネージャーだった。
打ち上げの後に部員の部屋で始まった石を使った遊び。
これが中里春奈の人生を左右する麻雀との出会いである。
すぐにドはまりするが、なかなか4人集まらないことに業を煮やしそして閃く。
居酒屋チェーン店でバイト店長というポジションについていた為、アルバイトの面接では必ず麻雀が出来るかを聞くようになったのだ。このバイタリティは今の中里にも通じるものがある。
初めて会った麻雀プロは新井啓文
大学卒業後もこの仕事+麻雀漬けの生活を続けていたが、転機が訪れる。1日15時間以上の労働に体が悲鳴を上げ始めたのだ。
よく仲間内で通っていた麻雀店の店長が隣駅に新店を出店するということで、これをきっかけに麻雀店勤務を始めることになる。
しかし、勝てない。本当に勝てない。
さらに当時の麻雀店の大多数だった女性が働きづらい環境もあり、すぐに転職を考えることに。女性が多く働いている麻雀店を紹介してもらい、ここから中里の人生は大きく動き出すことになる。
その店の名前は『ラブラブボンバー』。多数の麻雀プロを輩出したお店である。
中里が初めて出会った麻雀プロ、それが新井啓文だった。
2年ほど働き続ける中で、今後もこの仕事を続けるならと最高位戦への受験を決意。
無事合格したが、プロテストで大きなミスを犯す。
普段付けていたつけまつげを忘れてしまったのだ。そして焦りからミスは連鎖していく。
ラブラブボンバーで同僚だった塚田美紀からつけまつげを借りることにしたのだが…
当時の塚田は立派なギャル。つけまつげも当然バサバサである。
試験官の新井がおもわず爆笑する姿がそこにはあった。
中里の代名詞「麻雀教室」との運命の出会い
さて、話を本題に戻そう。
最高位戦や麻雀、プロに対する熱意が人より高いタイプではなかった中里。
率直に言うとこの手のタイプは5年続けば良い部類だと感じている。そんな中里が一生を麻雀に捧げることになる変化はどこで訪れたのだろうか。
中里が最高位戦入会後、先輩に誘われ納涼船イベントに参加した時のことだった。
先輩たちがいっぱいいるから行ったほうがいいかなと思って参加したら、ただのどんちゃん騒ぎだったんだけど。(笑)そこでずんたん(村上淳)に出会うわけですよ。
当時は会員数も少なく選手間の交流も活発に行われていたので、新人でもトッププロと親交を深めやすかった。
この出会いからしばらくして、村上から『さかえグループ』の仕事を紹介してもらうことに。
プロに入ったばかりでよくわからなかったけど、せっかくだし他のお店での仕事をやってみようかと。それでまじめに働いてたら専属プロへの打診を受けたんだよね。
しばらくさかえグループで専属プロとして勤めるが、30歳を前にまたもや体が悲鳴を上げ始める。
これはそろそろ考えないとなあと思って、結構悩んでたんだけど最高位戦の運営はなるべく受けてたの。そこでみちるさん(野口みちる)に教室どう?って言われたのよ。
中里の代名詞、麻雀教室との出会いはこうして生まれたのだ。
さかえグループでの勤務の傍ら、野口に紹介されたNPO法人健康麻将全国会でアシスタントとして色々な教室に通う日々。体がきつくなってから更に休みもなくなり、この期間が一番厳しかったであろうことは容易に想像がつく。
(NPO法人健康麻将全国会で生徒に麻雀を教える中里)
しかし、そんな困難をものともしなかった。少し倦怠期を迎えていた麻雀との愛がより大きくなって戻ってきたのだ。
そしてもともと縁の深いあの男と麻雀講師とアシスタントという関係で再び共に働くことになる。
けーぶんの教室はやばかった。「新井先生」なんだもん。コレ(隣で陽気に話を聞いている新井を指し)じゃない。まるで別人だった。先生としてすごいなって思った。
大勢の生徒さんに慕われ堂々とはっきりと言葉を伝えていく姿は、確かに普段のユーモアに溢れる新井からは想像できないものがある。
若いうちしか出来ないと思って将来の自分の麻雀プロ像が見えていなかった。それが教室の生徒さんと関わっているうちにコレだわ、って。
アガっただけで同卓したみんなが褒めあって。本来自分が楽しくて始めた麻雀はこれだったなって。
本当の意味で麻雀プロ中里春奈が誕生したのはこの時だったのかも知れない。
やりたいもの・やるべきものを見つけた人間は強い。ここから中里は麻雀教室を人生の軸に置くことになる。
YouTube活動がきっかけで生徒さんに声をかけられるのが嬉しい
今の中里が認知される大きな要素がYouTubeでの活躍だ。
PCに疎く、とても自力でたどり着けないように見えるが、いったいどういった経緯でここに至ったのだろうか。
竹書房の『すいーつ麻雀』にあいちゃん(日向藍子)が同期だからって結構起用してくれて。
『すいーつ麻雀』はあいちゃんと山下夕妃(元最高位戦)、後に久慈麻里那(元最高位戦)がやってた麻雀バラエティ番組の先駆けみたいなのね。
竹書房のニコ生でやってて、女流雀士がゲストで出ててかなり豪華なコンテンツだった。麻雀出来るしバラエティも出来るしみたいな感じで。あいちゃんと同期で仲良くなったのもあって、準レギュラーみたいな形で出てたかな。
なるほど、これも中里が今まで築いてきた縁がきっかけで運ばれてきたようだ。
すいーつ麻雀は2015年に惜しまれつつ幕を閉じるが、この時の縁がまた次のステージへと引き寄せる。
あいちゃんに「麻雀ウォッチとYouTubeやるんだよ~」って言われて、そうなんだね、頑張ってって言って。しばらく経ってから、「はるちゃん今度YouTube出てくれない?」って言われて、別にいいよ~って言って出たらいきなりつなぎを渡されたの。
(『ひなたんの麻雀するしない』メンバー。左から日向藍子、中里、山田独歩、河野直也)
これが『ひなたんの麻雀するしない』の黄色誕生秘話である。なんとも軽い。(笑)
しかしプロ入り前から共通する好きなことに繋がることはとりあえず1回やってみようの精神が、中里にとって大切なものへ導いてくれているようにも感じる。
YouTubeを通じて得たものは何があったのだろうか。
剛さん(小林剛)と一緒に『おしえて!はるごー先生』って教室動画を作ったの。0から超試行錯誤して1本撮るのにめちゃめちゃ時間かけて作った。数分にまとめるにはどうすれば良いとか、ホワイトボードへの書き方とか。
これが評判良くて、初心者の人から「はるごー先生で麻雀覚えました」って声掛けられることが増えたの。
はるごー先生は高評価が形となり、任天堂SWITCHから『銀星麻雀DX』としてゲーム化されている。
あとは名前を知ってもらえるようになったの。教室とか新しい企画をやる時に声を掛けてもらえる機会が増えたのは嬉しいなって。
すべてが教室に回帰する。本当に中里にとって大切なものだということが伝わってくる。
教室で頼られる先生になるためにさらに麻雀を勉強した
40を手前にして、タイトルも獲ってないし。なんで麻雀プロ続けるのってなった時に。
なんでってよく言われるんだけど、教室があるから。生徒さんに教えるのって100理解してないと10伝えられないじゃない。伝えるなら楽しく伝えてあげたいから、生徒さんのために勉強したいなって。間違ったこと教えたくないから、先生やろうと思って頑張るのが自分の中の糧になってると思う。
後ろで見てるときに待ちを聞かれてぱっと答えられないと恥ずかしいから形も勉強した。複雑な形とかぱっと答えられる素敵な先生でありたいじゃない。
あと勝ちたい人ばかりじゃないから、たくさんアガりたい人高い手をアガりたい人放銃したくない人それぞれの気持ちに沿った選択肢を提示してあげたいよね。
入会後しばらく麻雀の勉強ということに特に興味がないタイプだったが、いつからか随分と熱心になったと変化を感じた。これも教室が要因だったとは。
それでは実際にどんな勉強方法を選んだのだろうか。
石田さん(石田時敬)主催のReリーグに参加するようになったのが大きかった。
「自分の雀力を再構築する」がコンセプトで、メンバーはAリーガーからDリーガーまで満遍なく。
最高位戦ルールで新しいことを試しながら、他の人の考えも聞けて。人見知りな自分には交流がない選手とも接点が持てるのもありがたい。
確かに中里が後輩と積極的に勉強会をするイメージは全くないので、私設リーグのような形式は合うのかもしれない。
生徒さんの生きがいを作り、喜ぶ顔が見たい
最後に選手として、そして講師としての未来を聞いてみた。
教室で私たちのリーグ戦の仕組みを教えてあげたりとか、リーグ戦でのうまくいった局面や失敗した局面を話して生徒さんと一緒に喜んだり悲しんだり。そういうのが嬉しいんだよね。だから選手としては、あたしの為にというより生徒さんに喜んでもらったり教室に通うことの励みになるかもしれないからタイトルが獲りたい。
教室に通っている人って毎週何曜日の何時に決まった場所に行くってのが大事なんだけど、それが生きがいとかに繋がればいいなって。
生徒さんのために活動し、生徒さんの笑顔が見たい。これが中里の原動力だ。
東京にお母さんがいっぱいいるイメージ。すごい気にかけてくれるんだよね。うちの息子どう?とかすごい言われるの。(笑)
あとはママさん先生の働きやすい環境を整えてあげたいかも。子供連れてきて生徒さんが抜け番で順番に面倒見るとか?みんな大先輩で気軽に言ってくれるから、現状産休とかで働けなくなる人が多いからなんとかしてあげたいなあ。
女流の生きる道は生き方は色々あって。後輩を育てられるとは思わないけど、灯台みたいな存在にはなれると思うんだよね。こんな生き方もあるんだよって。
女流選手として新たな活躍の場を作り続けてきた中里。
その背中で後輩に道しるべを照らし続ける。