コラム・観戦記

FACES - “選手の素顔に迫る” 最高位戦インタビュー企画

【FACES / Vol.51】井上祐希 ~平成生まれの寡黙な男は淡々とA1発走のファンファーレを待つ~

(インタビュー・執筆:神尾 亮

 

「カメラに向かって対局前の意気込みを喋る練習をしよう」

2017年、麻雀プロになって2年目だった筆者が、思い付きで始めた私設リーグでの練習内容である。

本番の対局を意識して全員スーツ姿で集合し、公園にカメラをセットして、一人一人が対局前の意気込みを喋る。

そして、後日編集してYouTubeにアップする。

喋る練習をしておけば、いつかA1リーガーになって配信で打つようになったときのためになるから。

 

「いつか」というのは将来の不定の時、n年後の未来(nは任意の自然数)を指すわけだが、まさかn=5などという小さな数にしてくるとは思わなかった。

井上 祐希(いのうえ ゆうき)

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第47期A2リーグを終え、夢のA1リーグ昇級を決めた、彼の強さに迫る。

 

読みの土台は「将棋」で培った

高校と大学では、将棋部に所属していたんだよね。

1991年神奈川県相模原市で生まれ埼玉県で育った井上は、将棋部のある私立栄東高校に進学した。

運動が得意なタイプでもないし、とはいえ帰宅部っていうのも味気ないので、部活で将棋ができる高校を選んだんだよね。

幼少期は普通の子だった井上も、中学、高校と進むにつれて内向的な性格になっていき、部活動は当然のように文化部を選んだ。人とのコミュニケーションも、お喋りよりも将棋盤の上の方が得意だったようだ。

将棋は、漫画とか読んで知っていたからね。そんなに強かったわけでもないけど、一応、最高で県大会は団体で3位、個人だとベスト8だったかな。戦法はオールラウンダー型で、相手が振り飛車だったら居飛車にするとか、相手によって戦い方を変えるタイプだったね。

井上の麻雀を見たことがある人であれば、将棋もオールラウンダーだというのは納得がいくだろう。ただ、麻雀の道を極めていった井上であれば、将棋の道を極めるという気持ちはなかったのだろうか。

大学に行ってからも将棋サークルに所属したんだけど、元奨励会のやつとかいて、全然かなわなかったんだよね。奨励会ってそもそも入るのだって大変なわけだけど、その中でしのぎを削っていた人達だからね。

 

 (画像:スリアロ将棋部にて)

麻雀プロになってから、「スリアロ将棋部」という番組に出させてもらったんだけど、そこで初めて啓文さん(新井啓文)と知り合った。啓文さんとは、麻雀よりも将棋の対戦の方が多いかな。いや、さすがに麻雀の方が多いか(笑)。

ちなみに、写真を見ると、他団体選手を含めAリーガーだらけなことに気付く。

将棋の強さと麻雀の強さはつながるところがあるのだろうか。

将棋を指す人って、そもそも何手先も読む能力の下地があるんだよね。だから、そういった力が麻雀にもつながっているのかも。最強戦で活躍しているプロ棋士の鈴木大介さんとかは、記憶力も良いから、どこからどの牌を切ったとか全て記憶しながら麻雀打っているらしいよね。

たしかに今年の最強戦予選の鈴木大介さんの勝ちっぷりは凄まじかった。

さて、将棋の駒に触れていた井上が、麻雀牌を握るようになる形勢逆転の一手は何だったのか。井上の人生の盤面をもう少し見ていこう。

 

あの日の勝利の味が「麻雀カフェ」に足を向かわせた

高校3年のとき、たまたまアニメの「咲」を見て、麻雀というものを知ったんだよね。それで、アニメで言っていることが分かるようにルールや用語を覚えたって感じかな。

麻雀を打つようになったのは大学に入ってから。大学の将棋サークルの先輩やら同級生が麻雀打っているところを後ろで見ていて、次第に打つようになった。

早稲田大学教育学部に進学した井上。ただ、教育学部となれば、取らなければいけない授業も多く、忙しいのではないのだろうか。

まあ、早稲田といえば高田馬場なわけで。高田馬場となれば麻雀なわけで(笑)。

なるほど、地の利というやつか。

教育学部を選んだのも、特に先生になりたいとまで思っていたわけでもないんだよね。つぶしがきくかなあ、くらいの感じで。教職課程の説明会を聞いて、「めんどくさっ!」と思って嫌になっちゃった。

人生は選択の繰り返しであり、麻雀によく似ているなどと言われるが、「早稲田大学」「教育学部」というターツ選択をしたことで、「大変な授業を抜け出して、高田馬場で麻雀」という手に育った。

週8くらいの感覚で麻雀打っていたね。実家暮らしだったんだけど、きちんと家に帰っていなかったんじゃないかな。当時は今よりも当然弱かったし、初めの頃は将棋サークルの先輩に負けるんだけど、特に麻雀の勉強をするわけでもなく、回数打って麻雀に慣れていったね。

井上を虜にしていった麻雀であるが、将棋との違いはどういったところだろう。

将棋・チェス・囲碁は完全情報公開ゲームで、麻雀は不完全な情報公開ゲームだから、そういう意味では別種のゲームなんだけれども、完全情報公開ゲームの方が実力差が如実に表れるんだよね。だから、将棋だと、強い人には逆立ちをしても勝てないんだよね。

では麻雀は?とすかさず聞きたくなるような喋り口調だ。

麻雀は、将棋でかなわない相手でも、勝てることがあるんだよね。だから、夢中になるよねえ。

麻雀打ちは皆共通して、麻雀の魅力を語るときに笑顔になる。井上もそうだし、この話を聞く私もそうだった。

で、まあ次第にフリーにも通うようになって、セット以外でも麻雀を打つようになるんだよね。

ある時、近所の麻雀店で麻雀大会があって「人が足りないから参加してほしい」と誘われて何となく参加するんだけど・・・

 油断していた。薄まり始めていたアイスコーヒーに口をつけようとしたところだった。

うっかり優勝するんだよね。

きた。A1リーガー井上祐希への道が開かれるテープカットの音が鳴った。

麻雀の世界に一気に引き込まれる勝利の味。この味を知ると一気だ。この優勝体験が、井上のその後の人生を決めたといっても過言ではないだろう。

これをきっかけに色んな麻雀店に行くようになるんだけど、それなりに勝てちゃって。でまぁ勘違いするよね。ただ、それでも徐々に負けるようになって、麻雀店で働くことにした。

「埼玉県 麻雀店」で検索して、一番上に出てきたのが『麻雀カフェ』。面接に行って、すぐに採用してもらい、『麻雀カフェ南浦和店』で働き始めたね。

いよいよ仕事でも麻雀をするようになり、さらに麻雀濃度の濃い生活が始まった。

 

当時はペヤングの麺がふやけるほどのコミュ障だった

麻雀カフェ歴は9年目かな。最高位戦の冨木さん(冨木賢吾)や101競技連盟の山内さん(山内啓介)は、当時からいる人だね。冨木さんは志木店の店長で、自分は南浦和店と戸田店が多かったからあまり接点はなかったんだけど、勤め始めて半年後くらいにヘルプで志木店に行ったときに初めてお会いした。今回昇級したことで、冨木さんから「おめでとう」と昇級祝いまでいただいた。

当時を知る冨木はこう語る。

入ったときは今よりも覇気が無く、コミュニケーション能力も全然無くて、はっきり言ってあまり好かれるタイプのメンバーではなかったですね。でも当時から麻雀が好きなのは伝わってきていて、休みの日でもわざわざ他のお店のフリーに行っていて、プロになってからはセットや勉強会もいろいろやっていました。今回A1リーガーになって、あっというまに抜かされちゃいました(笑)。

自身のコミュニケーション能力について、井上本人としてはどう思っていたのだろうか。

当時自分はほんとに社会常識とかなくて、コミュニケーション能力も今の1/500くらいで全くしゃべれなかったね。それこそ、相手に全然聞こえないような声で、的外れなことしか言わないような人間だった。

1/500というと相当だ。コミュニケーションの面で、困ったことはなかっただろうか。

カップ焼きそばのペヤングを頼まれたんだけど、当時作ったことがなかったんだよね。かろうじてお湯を入れることは分かったんだけど、お湯の捨て方が分からなくて・・・

もちろん誰かに聞けばいいんだけど、人と全然しゃべれない人間だったので、誰かに聞くこともできず、それから5分間立ち尽くし・・・

なんということだろう、熱湯3分の商品である。

ようやく湯切りの穴に気づいて捨てたときには、麺ブヨブヨ。今では考えられないけれど、そのままお客さんに出したら「なんかやわらかくない?」って言われてね。それに対しても、「そうっすかねえ」と小声ではぐらかしちゃった。

立ち尽くす井上、ふたの下でじっと待ち続ける麺、それを待つお客様。

絵画にしたらどれだけシュールな作品になっただろう。

そんな自分が、コミュ障の状態から今くらいまで喋れるようになったのは、当時の部長さんが指導してくれたおかげ。まあ今でもコミュニケーション能力が高いわけではないけれども、最低限の会話が成立するレベルくらいまでに指導していただいた。性根から叩き直された感じだね。

具体的にはどういった指導を受けたのだろう。

例えば、自分にその気がなくてもまずは「すみません」くらいは言おうとか、いちいち反論しないでまずは考えてから発言をしようとか、そういった基本的なことから学ばせてもらった。

この日のインタビューをするにあたって、井上から事前に「よろしくお願いします。」と連絡をもらい、終わった後には「今日はありがとうございました。引き続きよろしくお願いします。」と丁寧な挨拶をもらった。当たり前のことかもしれないが、もしかすると、この時に教わったことが今の井上につながっているのかもしれない。

さて、そんな井上がいよいよ最高位戦の門をたたく。麻雀プロの道が始まり、この道がA1リーグへとつながっていく。

 

特別昇級の恩恵とA2リーグ昇級までの道のり

最高位戦を受験したのは、麻雀カフェで勤め始めて1~2年経ってから。今後麻雀に関わり続けるということを考えると、団体に所属した方が良いかなと考えたんだよね。将棋界でいうところの羽生善治や大山康晴に憧れて、麻雀界でそういう存在になってやろうってね。

羽生善治も大山康晴も、数多くのタイトルを保持する有名なプロ棋士である。その後、藤井聡太という若いスターが現れるが、井上はそういったタイトルホルダーに憧れていた。

当時の麻雀のスタイルについて、こう語る。

近代麻雀で「鉄鳴きの麒麟児」や「麻雀小僧」を読んでいたこともあって、当時流行っていたスピード第一主義みたいな麻雀を打っていたね。ひたすらポンチーして、門前でもテンパったらとにかくリーチという麻雀だったね。

当時の鳴きとは違うかもしれないが、今年のA2リーグで井上の鳴きが光った1局が動画で取り上げられている。

昔から鳴くことに慣れていたからこそ、このに声が出たのかもしれない。是非見ていただきたい。

そんなスタイルでも、初めのD1リーグでは+200越えで昇級できて、やっぱ俺つえーじゃんと思った。実際はたまたまツイていただけで、翌期のC3リーグではぼろ負けだった。

なんで勝てないんだろうと思い始めた頃、強い後輩達が入会してきて、彼らと定期的に最高位戦ルールの勉強セットをやるようになった。塩澤君(塩澤彰大)や開田君(開田健仁)とかだね。そこでようやく競技麻雀の打ち方を覚えるようになった。リーグ戦ですさまじい結果を出している後輩もいて、本当に勉強の機会がありがたかった。

ちなみに筆者も井上とは私設リーグをはじめ何度か一緒に練習させてもらった。当時の筆者は役牌ワンスルー当たり前&ヤミテン大好きという昭和な麻雀を打っていたので、井上のポン!チー!リーチ!と局参加率の高い麻雀に度肝を抜かれたのを覚えている。井上のおかげで、麻雀の幅を広げさせてもらったのは間違いない。

麻雀プロとなり、熱心に勉強を重ねる井上。その勉強の成果がまたたく間に実を結び始める。2017年の第7期名将戦優勝、そして第42期特別昇級リーグ優勝である。

当時、出られる大会はすべて出ようという意識があった。今でも他団体ふくめ出られるタイトル戦はほとんど出場している。名将戦は、Classicルールで戦うプロアマ混合の大会だったんだけど、初参加で優勝できちゃったんだよね。もちろんClassicルールも初めて打つルールだったんだけど、普段通りの麻雀で運よく勝ててしまった。

 

 この名将戦優勝によって、特別昇級リーグ出場の切符を手に入れた。この名将戦の決勝が行われたのが12月10日。特別昇級リーグの第1節が12月16日だったので、本当に奇跡的な滑り込みでの出場となった。

出場選手16名が決まっていたところにギリギリ滑り込んで、運営的に大変な17名の実施となってしまい、申し訳ないと思った。ただ、当時採用されていた参加条件を満たしての出場だったので、許してほしい。

謙虚な井上である。

しかし、そんな謙虚な井上も、麻雀の成績は謙虚に終わらない。この特別昇級リーグでも優勝し、現B1リーグ(当時B2リーグ)への昇級を決めるのであった。

最高位になった元太さん(第39期特別昇級リーグ優勝の竹内元太)もそうだし、一緒にA1昇級を果たした牧野君(第43期特別昇級リーグ優勝の牧野伸彦)も、A2の平島君(第44期特別昇級リーグ優勝の平島晶太も特昇組。特別昇級リーグの恩恵はかなりあるよね。当時のC3リーグから昇級だったので、もし特別昇級がなかったら、箸にも棒にもかからない選手で終わっていたかもしれないね。

これはうなるほど共感する。私も1年目に出場した特別昇級リーグで準優勝したことで現B2リーグにジャンプアップしたのだが、これが無かったら本当に何年かかったか分からない。

さて、ジャンプアップで現B1リーグに昇級した井上は、翌年のリーグ戦でも勢いは止まらずに昇級。一気に現A2リーグまで昇級を果たす。この時、麻雀プロになってまだ4年である。

 

ハイレベルな環境における質の高い鍛錬と『101』ルールでの打ち込み

(画像:井上の生涯成績。※名称変更のため第44期昇級となっているが正しくは残留)

現A2リーグに昇級した年は全然まだまだ弱くて、入ってすぐの1節目だったかが、佐藤聖誠石橋伸洋石井一馬という卓組みだったんだけど、とにかくリーグ戦終わったあとの皆さんの振り返りに全くついていけなかったんだよね。正直その第1節目終了時点で、その年の昇級は無理だと確信して、気持ちは残留狙いになっていた。だから、ひたすら大人しい麻雀を打っていたんだけど、そのせいで最終節が終わった後、聖誠さんに「君は、別のルールでも打っているの?」って言われたよね。

 たしかに当時のスコアを見ると、第11節までは大きく勝つ節も、大きく負ける節も無く、大人しくまとめていた印象である。

2年目のA2リーグは、コロナ関係の休場者が多く、降級無しの昇級だけという特殊なリーグ戦になって、中盤までは上の方にいたんだけど、後半失速して残留となってしまった。

当時、平賀さん(平賀聡彦)と練習セットやらせてもらったときに、「始まる前だけどA2リーグで降級しそうな選手がいる。そのうちの1人が井上だ」と後ではっきり言われたんだよね。でも後々、平賀さんと再度同卓した際に、「井上、変わったな」と思ってもらったみたいで、平賀さん主催の私設リーグ(侍リーグ)に参加させてもらうようになった。

侍リーグのみならず、坂本大志さん主催のEvolutionリーグなど、あらゆる勉強会に参加させてもらって、経験を積むことができた。ハイレベルな環境での勉強は本当に大事だね。

ちなみに、麻雀を勉強するうえで、一番影響を受けた人物を聞いてみた。

当時最高位戦のA1リーグで戦っていた松本浩司さん(2020年の45期A1リーグを最後に退会)だね。松本さんとは面識がほとんど無いんだけど、配信で見た松本さんの麻雀が自分には一番響いた。

松本さんの麻雀は、押し引きがはっきりしている印象で、親番の時に無理やり高打点を目指すわけでもなく、現実的にアガれる手組みに構えるところとか、現実的な押し引きがとても参考になった。松本さんの麻雀を見て学んだことを、お店で打つ麻雀でも色々と試させてもらった。ご病気で決定戦には出られなかったものの、その実力は本当に参考になった。松本さんが出ている配信だけは絶対に見ていたね。

一般にこういった質問には、Mリーガーなどメディア露出の多い選手名が出てきてもおかしくなさそうだが、とにかく麻雀の中身だけを見て、松本選手の名前を出したところがとても井上らしい。

さらに井上は、最高位戦の若い選手達に最高位戦ルールを強くなるために伝えたいことがあると言う。

若い子達には、101ルールで打ってみろと言いたいね。

これまた井上らしい助言だ。

八重洲でやっている101の道場に、麻雀カフェの山内さんに誘われて行って、101ルールを打たせてもらった。八翔位戦にも出させてもらったんだけど、101のルールはアガリ連荘のルールということもあって、手の作り方や読みの精度が上がるんだよね。アガれない高い手のテンパイに意味がないから、アガれる手の組み方や、手を崩すタイミングなどが身についた。

実際、場況をかなり意識するようになって、A2でのリーチ成功率も上がった。101は完全順位戦だから、ラスを引かない立ち回りとか、最高位戦ルールにつながる順位取りの勉強にもなるんだよね。最高位戦だと、金子さん(金子正輝)ももちろんそうだし、平賀さんも101打っていたよね。

ただただ強くなるために地道な努力を重ねてきた井上。その稽古の質の高さと量の多さが、井上の強さの秘訣と言えるだろう。

そんな井上がいよいよ今年A1リーグへの昇級を決めた。プロ7年目での快挙である。

 

密かに抱く野望~A1発走のファンファーレを静かに待つ井上のこれから~

これからA1リーグで戦うにあたって、今何を思うか聞いてみた。

実力を見ても、今の自分が勝てそうなんて言えないんだけど、それでも決定戦を目指しつつ、絶対に残留するつもりで戦いたいね。まずは地固めのために、絶対残留。ほとんど打ったことのない近藤さん(近藤誠一)や村上さん(村上淳)といった実力のある先輩選手達と戦うことになるので、初めのうちは苦労するだろうけど。

麻雀プロとしての今後の目標としてはどうだろうか。

あらゆるタイトル戦を総ナメするように勝ちまくりたいのが第一。最高位戦に入会したときに、20代のうちにA1リーグに上がって、30代前半で最高位を取るぞと思っていたんだよね。今31才になったけれども、正直ようやくスタートラインに立ったかなと思っている。最高位を取ることはもちろん目標ではあるけれども、それでもあくまで通過点にすぎないというくらいの気持ちでやっていこうと思っている。

A1リーグがスタートラインで、最高位が通過点だと言うのだから、井上の思い描くビジョンの壮大さを思い知らされる。こういうのをビッグマウスと言うのかもしれないが、一般にビッグマウスの人はニヤニヤとドヤ顔をしながら言うことが多い。一方、井上の表情は真剣で、淡々とした口調で語ってくる。この表情を見ると、本当にあらゆるタイトルを淡々と獲得していくような気がしてくる。

(画像:筆者から昇級祝いでプレゼントしたネクタイとダルマを手にする井上。ダルマはこの記事のどこかに出てきた画像をもとに、高崎で買ってきてプレゼントした)

ちなみに、今回昇級した4名のうち、3名(牧野伸彦、井上祐希、有賀利樹)は平成生まれの選手である。平成生まれA1リーガーというのは史上初なので、平成三銃士みたいなユニットとして、パッケージで売り出せるのではないかと個人的に思っている。

このことを井上に言ってみると、

なんか競馬みたいだね(笑)。オグリキャップ、スーパークリーク、イナリワンっていう3頭のサラブレッド競走馬をあわせて「平成三強」って言ったよね。そんな感じだね。

良いではないか。「平成三強」は平成時代の三強なので、厳密には今回の3人は「平成生まれ三強」となるか。

平成三強だとオグリキャップがいいね。もともと地方競馬を走っていた馬が、中央競馬に出て勝ちまくって、当時の競馬ブームの火付け役になったんだよね。あとは有名なラストランの有馬記念での勝利ね。そりゃみんなファンになるよね。

イノウエユウキのグッズがバカ売れする時代が来るかもしれない。「イノウエ先頭!イノウエ1着!」の実況とともに。

若くしてA1の舞台にたどり着いた令和のオグリキャップが、日本中の麻雀ファンを熱狂させる時代がやってくるのもそう遠くないにちがいない。

A1リーグ発走のファンファーレが待ち遠しい。

 

(番組画像提供:㈱スリーアローズコミュニケーションズ)

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