(インタビュー・執筆:木村 翼)
2022年9月某日。
筆者のスマホに何かの間違いか、と思うようなメッセージが届く。
「新人王の村中君が、FACESを木村君に書いてもらいたいと言ってますが可能ですか?」
おいおい、マジかよ…。Twitterを投稿したかと思えば誤字脱字の嵐。
出汁をでじる、特製ラーメンを特性と書き、五目ラーメンをごめらーめんと読んでしまうような男が文章を?
悩みに悩んだが彼のためならばと、今回重い腰を上げてみることにした。
第47期 最高位戦新人王
村中 啓太(むらなか けいた)
選手紹介ページ→https://saikouisen.com/members/muranaka-keita/
Twitter→@k_sg1
村中が麻雀店デビューしたときからの付き合いであり、まだ牌の扱いですら覚束ないときを知っている筆者ですら知らなかった彼の素顔に迫る。
勝負事って負けるもの。勝負事で負けることの悔しさってよくわからなかった
タイトルにもあるが、筆者が村中のインタビューをして一番に驚愕した言葉だった。
それはそうだろう。
最高位戦日本プロ麻雀協会に所属しているほぼ全ての選手はリーグ戦やタイトル戦に出場し、上位リーグを目指したり、タイトルホルダーを目指したりして鎬を削っている者たちばかりだ。
信じがたい負け方をし、心の底から出てくる悔しさを抑えきれない者を当然のようにたくさん見てきたし、紛れもなく筆者もその一人である。
負けて悔しくない。負けた悔しさがよくわからない。
そのような言葉を聞いたことは無論ない。
麻雀というゲーム、一般の世界においての楽しみ方は人それぞれ。
だがここはプロの世界であり勝負の世界。
なぜ村中がそのような言葉を発したのか、幼少期からの村中の生い立ちにヒントがあった。
まわりに流されるままにサッカーを始めた幼少期
札幌生まれ札幌育ち。負けて悔しくないという言葉から想像もしないほど、活発な子供だった。
保育園が少し特殊なところで。今だと考えられないんですけど、年長クラスの子にトンカチとノコギリを持たせてるんですよ。それで色々工作とかするんですけど、遠足に行ったときにはそれを持ってフキを切ったりという感じで、野生児みたいに育ちましたね。TVゲームなどは一切やったことがなくて、良い意味で世間知らずで、外で走り回るのが大好きな子供でしたね。
そこから小学校へ上がるんですけど、勉強をしたことがなかったので、文字や数字はゼロからのスタートでした。小学校は保育園と少し離れたところにあったので、誰も知り合いがいなくて。ただ、保育園がすごい運動が活発だったところだったから、足がめちゃくちゃ早かったんですよね。
その頃に初めてファミコンに触れて、外で遊ばなくなった。そうした結果太っていって、小6でやってたのが応援団長。で、もう流石に太り過ぎって話になって。そのときに一番興味あったのが野球だったんですよ。父さんが巨人ファンで、球場とかもよく行ってたし。ただ同級生に野球やっている子が全くいなくて。ちょうどワールドカップの時期だったんで、仲良い子たちがみんなサッカーをやるって言うんで、僕も流されるようにサッカーを始めましたね。
(写真右:小学生の村中)
サッカーとはどのようにかかわっていったのだろうか。
活躍したいって人が結構いると思うんですけど、そういう人達と外で遊んでいるときに、必然的にキーパーをやっていて。なんかうまいことボールを止められちゃうんですよ。周りにも絶対キーパーやったほうがいいよって言われて。何も知らずにキーパーを始めて、そこからずっとキーパーやってるって感じですね。
所属してたチームがめっちゃ弱くて、「スポーツや勝負事って、やって負けるもんなんだ」って刷り込まれて育ってきました。勝ったことがほぼないんで。勝負事で負けることの悔しさを知らなかったです。
悔しいと思ったことがあまりなかったのは、この幼少期の「負けに慣れていたこと」が大きく影響しているのだろう。
村中は、自ら目立ちにいくタイプではなく物静かな感じだが、人付き合いと周りに合わせるのが上手い。
そんな村中が目立ちたがり屋さん達の中に入ったら、キーパーになるのも納得感がある。
勝負事に勝てないのが悔しいことを覚えた高校時代に麻雀と出会う
中学校は、そのままエスカレーター式だったんで周りの友達とかは変わらないんですけど、流石に勝負事に勝てないのが悔しくなってきて。サッカーでも強豪校に行きたいと思った時期もありました。でもやっぱり勝てなかった。
高校に入ってからもずっとサッカーをやっていくわけなんですけど、高校では部活がそこそこ強くて、そこでは「勝たないといけない」みたいな。勝つ回数のほうが多くて。勝負に対して負けちゃだめなんだって思い始めたのが高校生です。
麻雀に出会ったのも高校ですね。初めて人と打った麻雀はサンマで、手が入るから好きっていう理由でやってる友達がいたんで、僕も便乗して。符計算もできないし、人と打ったことなかったんで初めてのときはしこたま負けた記憶がありますね。でも、勝てないのが普通ってマインドセットされてるんで。悔しかったりとかはあんまなかったですね。高校ではそんな感じで少数の人たちとサンマをやってたのと、あとは家族がやってるのを見て高校2、3年生くらいから少しずつ参加するようになって、やりながら独学でルールなどを覚えていったって感じですかね。
なんだか村中とは非常に不思議な男である。
サッカーにおいてはやっと勝てないのが悔しいと思うようになってきたかと思えば、出会った麻雀では相変わらず「勝てないのが普通」と言う。
幼少期から小学生にかけての日常というのは、その後の考え方にこんなにも影響するものなのだろうか。
話は少し脱線するが、村中は麻雀を打つときの所作が美しい。
落ち着いているというか、どっしり構えてるというか、入会当初からまるで緊張の様子もなければ焦りもない。
麻雀というゲームにおいて、技術が物を申す部分も山ほどある一方、その技術を遺憾なく発揮するためのメンタルもまた非常に大切だ。
信じがたい事象が起こったときにも、その後を冷静に打ち続ける。村中には自然とその強靭なメンタルが備わっていたのかもしれない。
というのも、村中が今までに出場したタイトル戦で、初戦の逆連対率はなんと驚異の100%。それはタイトルを取った新人王戦でも変わらずだ。
北海道予選も本戦ベスト32も決勝当日も、全て逆連帯からスタートしている。
「負けて当然」、「勝てないのが普通」。
村中にとってのそれは日常のことであり。焦りというものが何一つない。
これが村中の最大の持ち味なのである。
中国での麻雀生活とフットサル
真面目な性格からは意外にも勉強が苦手であると言う。
最高位戦のプロテストを受けたときも筆記を疎かにして研修合格からのスタートだ。
麻雀はとても素晴らしいものを持っているのにも関わらず、な~にやってるんだよ!っていうのが筆者の正直な感想だった。
そんな村中は、大学で中国への留学経験を持つ。
大学がアジアを学ぶっていうコンセプトの大学で、1年生のときに前期の4~9月に留学生が日本に来るんですよ。んで、そこに交換留学生としてぼくらが行くっていうのがありました。ぼくは中国を選びましたね。中国の授業って朝8時に始まって11時に終わるんですよ。その後にメシ食って、みんな寝るかどこか買い物行くかとかになるんですけど、そのときに麻雀をやりたいって言ってた人が麻雀牌を持ってきてて。そいつの部屋に集まって麻雀をやるようになりました。
帰国した村中は、やはり大好きなサッカーがやりたかったのだが、ひょんなことからフットサル部に入る。それをきっかけに、現在も所属しているフットサルチームに入ることとなった。
大学時代に高校で一緒にサッカーやってた人がフットサルチームやり始めたんだけど入らないかって声がかかって見学に行きました。それが今いる「アデリーザ」っていうチームです。めちゃめちゃ真剣度が高くて、次第にアデリーザ一本になりました。大学4年生になったころにはバイトとアデリーザの練習と麻雀しかしてなかったですね。
バイトは大学1年からずっと小籠包屋一本でした。バイト先には今日ちょっと無理ですって言って麻雀行って、フットサルの練習終わってから朝まで麻雀打つという生活が始まり、寝て起きてバイト行って練習して、みたいな生活。
大学生活は結構濃かったですね。
これまでの村中の人生を聞いてみると、実に充実しているように見える。何を持って充実と捉えるかは人それぞれだが、とてつもなく人生経験が豊富というのが筆者の印象。
野性的な保育園。真面目な小中学校を経て、遊びを覚えだし海外へも留学した高校大学時代。
この豊富な人生経験、控えめな性格、土台「負けて当然」の精神。
それでなお、周りに合わせる力が高い。
正直、恐るべき後輩である。
就職を経て麻雀熱が再燃、村中の麻雀人生第2章へ
そんな大学生活も終わりに向かい、就職することになる。
なりたいものがなくて、ちょうどアデリーザにいた翼くんって人が入ってる会社受けてみたら?って言われて受けてみたんですね。その会社で内定もらうんですよ。それが今いる会社ですね。就活で、なんでここにしたの?って聞かれたら、言っちゃえば翼くんがそこにいたからって理由です。就職もそうだし、最高位戦もそうだし、翼って名前には縁があるみたいですね。
元々知ってる人がいたって理由で就職したんで、ちょっとダレて入っちゃったのが僕の悪いところで。営業してたんですけど2年間くらい成果が出ない。そんなときに当時のめっちゃ怖い社長と部長に個室に呼ばれて。なんかされんのかなって思うじゃないですか。そしたら転勤の言い渡しで、君には来年の1月から苫小牧へ行ってもらうと言われて苫小牧へ行きました。
所属していたアデリーザが好きだったんで、苫小牧から札幌まで通いながら続けてたんですよ。その生活が1年くらい続いたときに、苫小牧でもなにかやること見つけたいなって思って、久々に麻雀打ちたいなってある日突然思ったんですよね。そのときに連絡したのが木村翼さん(筆者)の働く『COLORS』でした。そのとき電話に出たのも翼さんだと思うんですけど、初めてフリー雀荘デビューしたのもそのときです。
これが筆者と村中の出会いである。
村中覚醒・最高位戦へいざ挑戦!
筆者と出会い、村中がCOLORSに通い出して3年くらいはあまり会話もせず黙々と麻雀を打つタイプで、深い会話もしなかった。
麻雀も正直すごく強いというタイプでもなく、平均着順2.50付近をうろうろする感じだ。
ただ、あるとき、急激に村中が強くなった。何かコツというか感覚をつかんだようであった。
そのとき、筆者が村中に声を掛けた。
「プロテスト、受けてみないか」
ある日翼さんに麻雀褒められるんですよ。なんか安定してきたねって。
そこから翼さんとも麻雀の話をするようになり。プロ受けてみたらいいしょって話になって。もっとレベルの高いところで打ちたいって思って受験に至ります。最初は筆記をおろそかにしたんで研修合格でした。いつもだったら頑張れないと思うんですけど、半年間しっかり頑張って勉強して、筆記も受かり、リーグ戦がスタートしましたね。
そして無事合格しスタートしたリーグ戦、ここでも村中は好成績を収める。
北海道C2リーグ、C1リーグをストレートで昇級。現在、筆者が在籍しているBリーグまですぐ上がってきた。
正直受かったとき、入ったはいいけどタコ負けするんだろうなって思ってたんですよね。翼さんにはBリーグにはすぐ行けなきゃねって言われてたんですけど、実際そんな風に自分は思ってなくて。C2で最初にいい結果出てすごくホッとしましたけど。C1も昇級して、翼さんに言われた通りC2、C1と超えてここからですね、次のBリーグがどうなるか。
筆者も驚く快進撃だ。成長スピードや麻雀センス、精神力。プロになって1年弱、日々ものすごく力をつけている。
そして、村中は新人王も獲得した。
タイトルは獲れたが、あまりにも麻雀を知らなさすぎる自分を悔やんだ
新人王というタイトルにはまだ実感が湧いてないんですよね。でも、タイトルってすごく重いっていうのは感じました。その日、結構ツイてたんで。勝つのって運も大事ですけど、あのメンバーでまた打ったら実際に勝つのは僕じゃないと思ってるんですよね。実力的な部分とか思考とかが勉強不足すぎるなって痛感してます。解説の方が言ってる以上のことを対局中に思考できてるかって言ったらできてないんで。こうすれば得だよっていうのはわかってても、その先の思考でこういうのがあるよって部分には辿りつけてない部分もたくさんあるし。
(画像引用:スリーアローズコミュニケーションズ)
それこそ最終戦ですね。この人には打てるからいったほうがいいみたいな感じで気合のプッシュしてるけど、実際に卓内にいるときは「これ当たんないで!」って祈って打ってるのもあったし。あまりにも麻雀を知らなさすぎるなっていうのは正直思ってるところありますね。そんな人がタイトル取っちゃったんで、もっと勉強の機会を増やさないといけないなって。今のままだと時の人になると思ってるんで、もっと麻雀の勉強を頑張りたいと思ってます。
ただでさえ力がついた、いや、つきすぎた村中。そこからさらに強くなりたいと思わせてくれた今回の新人王戦は、ある意味村中の麻雀人生のなかで「勝って悔しい」と感じた初めての経験だったのかもしれない。
結果からきている部分ももちろんあると思うが、意欲の塊のようになりつつある。
さらには、こんなことも言っていた。
僕の彼女が麻雀を全く知らないんですよ。ただ、今回の対局を見て「すごい熱狂したし感動した!」って言ってくれたんですよね。正直、麻雀って「暗い」「怖い」みたいなイメージが先行してたじゃないですか。でも今はMリーグの影響とかもあって麻雀って言ってもそういうイメージじゃなくなってきてるし、実際はすごくゲーム性があって面白い競技なんで、それを自分が発信することで業界全体のイメージが変わってくれたらいいなって思ってます。
持ち前の豊富な人生経験からくる、社会性。
どんな人とも上手く生きていける人間性。
そして、『勝負事は負けるもの』小さな頃から植えついた精神力。
すべての能力を遺憾なく発揮し意欲の塊となった村中は、間違いなく北海道の若きエースとして活躍していくことだろう。
第47期最高位戦新人王 村中啓太。
幼少期からたくさんの負けを通じ、今回栄光を掴んだ現新人王は、さらに麻雀道を究めるべく、勝利に飢える麻雀モンスターへと変貌を遂げようとしている。