コラム・観戦記

FACES - “選手の素顔に迫る” 最高位戦インタビュー企画

【FACES / Vol.49】下山和生 ~ALS(筋萎縮性側索硬化症)による早すぎた最高位戦リーグ引退~

(インタビュー・執筆:辻百華

 

それは突然のことだった。

「立会人、申し訳ありませんが続行できません。」

A2リーグ第7節。前代未聞の半荘途中での途中休場。下山の身に、一体何が起きたのだろうか…

 

下山 和生(しもやま かずお)

選手紹介ページ

Twitter

 

双子だったからメンツを集めやすかった

下山は1983年生まれの栃木県出身。双子の兄である。

高校生のとき、友人が麻雀牌を持っており、それでよく遊んだという。

双子だからメンツを集めやすかったんだよね。

確かに高校生で麻雀が打てる友達を3人集めるのは難しいだろう。

兄弟や姉妹で麻雀プロをしている人も多いが、下山兄弟は大学から別々の道に進んだ。

大学生のときにはテニスサークルに所属しており、アクティブに活動していた。

それでも麻雀好きは変わらず、授業が少なくなった4年生のとき、さらにのめり込んでいく。

数学科の卒論を麻雀について書こうとしたんだ。確率論や麻雀に出てくる数字について扱いたかったんだけど、やっぱり教授に却下されちゃった。麻雀なら卒論発表を聞いているゼミ生も面白いんじゃないかと思ったんだけど。

自分のためだけでなく、聞き手のことまで考えられるのは気遣いの塊である下山らしい。

 

佐藤聖誠と出会い、麻雀店勤務&最高位戦入会

大学卒業後、関心を持っていた化粧品の会社に就職した。

大学があった山梨を離れて上京したが、生活環境が変わり、麻雀をする知り合いがいなくなる。仕事も多忙で月~金曜には自宅に寝に帰るだけだったという。麻雀から切り離されたそんな生活を2年続けたが、希望退職者募集のタイミングで1、2か月ほど休もうと思い仕事を辞めた。

時間ができたから久しぶりに大学時代の友人と飲みに行ったんだよね。そのときに次の仕事も興味のあることがしたい。麻雀で仕事ってできるのかなって話したんだ。そうしたらその友人が同級生に麻雀プロがいるよって言って、後日紹介してもらうことになったんだ。

それが佐藤聖誠である。

大学同期の同級生。そう、一度も出会いはしなかったが、実は下山と佐藤は同じ大学の同級生だった。

佐藤が勤務しているマーチャオの名刺をもらい、実際の麻雀店を見にくるように薦められたことをきっかけに、人生初のフリー雀荘『マーチャオ池袋店』に足を運んだ。

当時そこで副店長を務めていた谷井茂文(RMU)を筆頭に、賑やかで面白いスタッフが下山を歓迎した。マーチャオ池袋店で麻雀を打つのが本当に楽しく、毎日のように通う。

しかし、いつまでも無職のままでいるわけにはいかない。下山は谷井にマーチャオで働きたいと相談する。

本気で働きたいならお薦めするけど、遊びでやるならやめた方がいいって言われてちょっと考えたんだよね。結局、試しにマーチャオ以外の麻雀店でアルバイトをしてみることにしたんだ。

半年ほど別の店で働くが、プロ活動との両立が難しそうだった。そこで改めて谷井のもとへ赴き、自宅からも勤務しやすいマーチャオ新宿店を紹介してもらう。

ちょうど同時期に最高位戦を受験し、合格を果たした。今から11年前、2011年のことである。

(マーチャオのHPのプロフィール写真。新宿店では副店長、秋葉原禁煙店では店長を務めた)

 

このままではいけない。多くの選手から吸収し続ける選手生活

入会当時、最高位戦が主催の勉強会や実戦経験を積める場も少なく、自力で勉強する機会を作らないと雀力向上は望めなかった。日向藍子海老沢稔といった同期と月に1回練習することは何度かあったが、競技練習の場はその程度だった。

2年目でB2リーグに昇級し、3年目の夏には最高位戦Classicも3組に昇級。順調に結果を出していた下山だが、そんな折、下山に転機が訪れる。

ひとつは平賀聡彦に侍リーグという私設リーグに誘われたことだ。そこで己の実力不足を思い知らされることになる。

このままではいけない。そう自分に言い聞かせ、勉強量を増やしていった。

侍リーグに参加して良かったなと思うことは雀力アップもそうなんだけど、麻雀プロの集まりで楽しいと思える場ができたことかな。新人のときは平賀さんのことを全然知らなくて怖い印象を持っていたんだけど、本当は優しくて新人の自分にも良くしてくれて。最高位戦の先輩って良い人たちばかりだなって思った。

(下山の結婚祝いに集まった侍リーグの面々)

 

もうひとつの転機は坂本大志との出会いである。

大志さんは新人の僕らの勉強会にも、呼んだら来てくれるとても後輩思いの先輩。いや本当にありがたいことだよ。大志さんは当時すでにAリーガーだったからね。そのときに、この人に1対1でもっと教わりたいと思った。

それから時間を見つけては麻雀について話し合える場を作ってもらったんだ。Evoリーグっていう私設リーグにも参加させてもらったし、考え方や考える力はかなり養ってもらったね。それと大志さんの麻雀への姿勢や愛には敬服した。自分もこんな生き方できるようになりたいって思った。

平賀さんと大志さんは僕の麻雀人生に大きな影響を与えてくれた。結果もそうだけど、楽しみもたくさん与えてもらった。

仕事をしながら多くの私設リーグに参加して麻雀の勉強をしていたわけだが、大変ではなかったのだろうか。

そんなことは全く感じなかったよ。みんな好きでそうやってやってるし、自分以上にやってる人たちもたくさん見てる。もちろん、子供が生まれてからはその時間が大きく減ってしまったけど。

そんな努力が実を結び、2020年についにA2リーグへの昇級を果たした。

 

順風に見える10年以上に及ぶ選手生活の中で、その日の対局が原因で眠れない夜を過ごしたことが下山にも一度だけあったという。

2020年の新輝戦、惜しくも敗退した準決勝だ。

3半荘制のトーナメント(=同卓者の中で3半荘合計の上位2名が勝ち上がり)だったんだけど、2戦目の南1局までは自分の中では完璧に打てた。内容も考えていたこともよく覚えている。もし2戦目か最終戦南場の村上さん(村上淳)の親番を落ち着いて蹴ることができていたら、楽々決勝に行けたんじゃないかな。

そう言って下山は顔を歪めた。

技術云々より、目の前に決勝がぶら下がっていることへの焦燥感で平常心を保てなかったんだよね。これが準決勝でさえなかったらしっかり親を流せたはず。何も難しいことをミスしたわけではなくて、プレッシャーに負けてしまったんだ。

元々すごく緊張するタイプで、最初の数年はリーグ戦のたびにお腹痛くなってた。周囲にギャラリーなんていた日には麻雀になってなかったんじゃないかな。でも対局の経験が増え、放送対局にもたくさん出してもらえたから、普通に打てるようにはなったよ。まあ今でも対局のときはトイレに行く回数すごく増えるんだけどね。

だからこういう日のための練習も自然とたくさんしてきたはずなのに、まだまだ精神力が弱いなあと思ったね。

決勝進出は逃したものの、貴重な経験をした下山。悔しさを胸に、タイトル獲得を目指していく。

 

しかし、天はそれを許さなかった。

 

筋萎縮性側索硬化症(ALS)の発病

筋萎縮性側索硬化症(ALS)とは、筋肉が徐々に痩せて力がなくなっていく病気だ。筋肉そのものの病気ではない。筋肉を動かす神経細胞が障害を受けるため、脳からの命令が伝わらなくなることによって力が弱くなり、筋力が落ちていく。

現代の医療でも原因が解明されていない、不治の病である。

最初に違和感を感じたのは、先述した新輝戦の頃。次第に利き手である右手の握力が落ち始め、クリップを開ける、ペンを握って字を書くといった日常生活に支障をきたすようになる。2021年の1月に病名を告知され、3月には確定診断が下りた。

その後すぐに病気について職場の身近な社員には話したが、競技選手関係やマーチャオのお客様にもはっきり伝えた方が良いのか、それとも言わずにおくべきなのか、悩んでも答えが出なかった。病気を公表することによる仕事のやりにくさや、周りからの目がどうなるかわからず、病気が進行してから改めて考えることにした。

私は下山からALSの話を聞いたとき、その場で泣き崩れてしまった。

ALSの最終段階は手足を動かすばかりか呼吸すら自力で困難になると聞く。その段階になったら人工呼吸器を装着するかどうかを選択しなければいけない。装着しない場合には当然死に至るが、装着するとそれは一生外すことが許されない。知性はそのままで、一生自分の身体の中に閉じ込められるのだ。

もし私がそうなったらどうするだろうか。麻雀プロとしてのキャリアが断たれ、家族と思うように過ごせなくなる。想像を絶する状況に、人生に絶望して自暴自棄になってもおかしくはない。

しかし、下山は違った。

部下や周囲の人々に心配をかけまいと、病気になる前と何ら変わりなく振舞った。

精神力が強いなんてものではない。私はその態度に応えるべく悲しむのをやめた。その代わりに、職場では全力で下山のサポートをし、仕事も麻雀も全力で教わることを心に誓った。

 

昨期の最高位戦リーグが始まる頃、右手の握力がなくなり左手で打つことを余儀なくされた。あと1,2年で麻雀が打てなくなる予感はあったという。

病気が判明してからは私設リーグを全て断った。場合によっては年単位の長期にわたる私設リーグを最後まで打ち切れるかどうかわからないからだ。その代わりに動画や戦術本、麻雀に関するnoteを読むなど1人でできることに力を注ぎ研鑚していく。発病前にも、何切るやチンイツの問題などをひたすら解いて1人で雀力を向上させた経験はあるため、大丈夫だと自身に言い聞かせた。

確かに実戦練習はここ10年で1番少ない年になったが、下山は今期が一番強い自信があると語る。

(利き手ではない左手で打つのは、麻雀の内容のみに100%集中できる状況ではないだろう。そんな中でも下山は魔境と呼ばれるA2リーグを立派に戦った)

 

今年の6月、牌山から1トンずつ取ることが困難になった。指サックを装着したり5本指全部で取るなどの対策を講じたが、それを上回るスピードで病は進行していった。

この1年間たくさんの人に迷惑をかけたと思う。牌をこぼしてしまったり打つのにも時間がかかるから、同卓者の許容範囲を超えてしまうのではないかと不安だった。

冒頭のA2リーグ第7節の3日前までは手の調子も悪くなく、自動配牌であれば打ち切れそうだったためギリギリまでリーグ戦に出場することを選択する。

そして万全の準備をして当日を迎えた。もしかしたら途中で打てなくなるかもしれないという思いを払拭して卓に着く。

しかし、その不安は現実となってしまう。1回戦目の東4局で左手に力が入らなくなったのだ。立会人の裁定のもと、続行不能でその半荘はノーゲーム扱いとなり、急きょ5人打ちから4人打ちになった。

立会人に今日はこのまま残って観戦しても帰宅しても良いと声をかけられたが、突然こんなことになってしまい皆に合わせる顔がないと申し訳ない気持ちでいっぱいになり、家路につくことにした。

それから下山は同卓者や運営スタッフに謝罪の連絡をし、自身のツイッターでも今回の件について触れる。

すると予想外に反響があり、たくさんの知り合いから連絡が来た。ツイートに反応があってありがたい反面、その場で病気を公表するのは心が追い付かなかった。また改めてどこかのタイミングでと考え、今回FACESでの公表に至った。

 

今後もできるところまで麻雀に関わっていく

仕事は9月いっぱいで退職。最高位戦については、自身の手で対局することは不可能だが模索していることがあるため、少なくとも来年の2月までは籍を置いておくつもりだ。それとは別に後輩の育成・自身の勉強のために麻雀にはわずかながらだが携わっていくという。

12年間下山和生と関わってくださった皆様、本当にありがとうございました。楽しいことも辛いこともありましたが充実した麻雀人生でした。

最高位戦・麻雀界がますます発展していくこと、麻雀というゲームがたくさんの人に喜びを与えることを願っています。

どうか覚えていて欲しい。

私の尊敬する上司であり先輩でもある下山和生が最高位戦にいたことを。

 

 

編集後記:選手引退を見届ける者のわがまま(FACES編集長:鈴木聡一郎)

いつだったか、私が残留したリーグ戦の最終節最終戦を終え、昇級者最後の1人が呼ばれた。それが下山だった。

聞けば、ほぼ残留だと思われた下山が、10万点以上の特大トップを取って昇級したのだという。

選手はみな最後まで諦めずに戦うとはいえ、本当にこんなヒーローみたいな勝ち方をするやつがいるんだなと呆気に取られながら、おめでとうと肩を叩いた。

同い年の下山がALSであり、今期いっぱいでリーグ戦をやめるつもりだと聞いたのは、4ヶ月ほど前だっただろうか。

すでにFACESの候補には挙がっていたが、そのときに私は下山の記事を今期末までに必ず上げたいという思いに駆られた。そんな矢先に起きた、冒頭の途中棄権だった。

 

このFACESという企画が持つ意味としては、今活躍しているまたはこれから活躍しそうだがまだあまり知られていない選手をみなさんに知ってもらう、という将来に向けた意味が大きい。

その意味に照らせば、リーグ戦を引退し、最高位戦を退会するかもしれない会員を紹介するのは正反対の行為といえる。

しかし、私はどうしても下山を紹介したかった。私のわがままと言われても構わない。多くの者から慕われ、A2リーグまで登った下山という選手を紹介できずに終わってしまうのは、あまりに寂しいと思ったから。理由はそれだけである。

 

これまでも、家庭の事情、仕事の都合、病気、死、様々な理由によって最高位戦を去らざるをえなかった者を数えきれないほど見てきた。

その中には、素晴らしい麻雀を見せてくれるだけでなく、人間的に魅力的な者も少なくない。そんな選手が最高位戦を去るとき、私は寂しさとともに「どうして辞める前にみなさんに紹介できなかったのか」という後悔と申し訳なさを抱く。

少しでも後悔したくない。これはそういう私のわがままである。

 

ついでにわがままをもう1つ言わせてもらえるなら、この瞬間だけは下山和生というA2リーガーがいたことを認識してもらえたら幸いである。

私は筆者の辻ほど下山と親しいわけではないから、覚えていてくれとまでは言えないが、せめてこの瞬間だけは、私を含めた最高位戦のみなが愛した下山という選手を認識していただけたら、同じ選手としてこの上なく幸せなことである。

 

※対局画像提供:㈱スリーアローズコミュニケーションズ

コラム・観戦記 トップに戻る