コラム・観戦記

FACES - “選手の素顔に迫る” 最高位戦インタビュー企画

【FACES / Vol.41】石﨑光雄 ~すべてを擲(なげう)って、最高位戦の門を三度敲(たた)く~

(インタビュー・執筆 秋田大介

 

その男の名は、石﨑光雄。26期(2001年)後期入会のB1リーガーである(2022年6月現在)。

昭和44年*1、房州*2にて生を享けた。

 

*1【昭和44年】西暦1969年。アポロ11号が月面着陸。金田正一が400勝達成。森高千里、石田ゆり子が生誕。

*2【房州】旧安房国。千葉県南部。チーバくんの下半身に当たる。

 

石﨑 光雄(いしざき みつお)

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最初の最高位戦受験は不合格となり、就職と結婚を迎える

麻雀というものに出逢った、いや出逢ってしまったのは中学生のころ。

誰かが駄菓子屋に置いてあるゲームをやっているのを見て、『ああ、大人だな』と思いました。いつかやりたいと思っていたら、家に麻雀の入門書があったんです。それで高校受験を控えていたんだけれども、勉強はせずに麻雀を覚えました。

石﨑は笑いながら言う。

ある意味、エリートですよ。

ここにのちの石﨑の萌芽を看て取ることができる。

「麻雀」のために大事なもの(ここでは受験勉強)を擲(なげう)ってしまう性向とでも言うべきか。

ともあれ、それでもいわゆる進学校に入る。仲間うちで卓を囲むこともあれば、授業中に麻雀ゲーム*3をやっているのが見つかって教師に激怒されたこともあった。

当時、石﨑が麻雀プロの存在を意識していたか問えば、

もちろん知ってましたよ。金子さん*4とか。最高位や名人位獲るのを見てた。漠然と『プロになれればなりたいな』と。

大学に進学すると麻雀熱がいよいよ嵩じたのか、雀荘でアルバイトを始める。

麻雀誌にて最高位戦が新人を募集していることを知り、一念発起して受験。

これが15期(1990年)のこと。石﨑光雄、最初の挑戦である。

石﨑によれば、当時100人くらいの受験者があったらしい。

麻雀の内容や所作を問う現在の試験とは違い、当時合格するには、実際に麻雀をやって勝つ必要があった。まず受験者同士で戦う。勝ち上がると研修生*5を加えてさらに対局。最終段階ではCリーグの降級者が加わる。

最後まで勝ち残れば晴れて入会だが、合格者は僅か3名ほど。

結果は27位で、あえなく不合格。

その後、続けて挑戦することはなかった。

力がないな、もういいかな、と。

プロ入りの夢を封印して卒業後は就職。数年後には結婚して子宝にも恵まれた。麻雀はあくまで趣味。

このまま通常の社会人として、家庭人として生きていく道もあった。

しかし「麻雀プロになる」という夢は、決して消えたわけではなかったのである。

 

*3【麻雀ゲーム】当時はスマホはおろか、スイッチもゲームボーイもない。麻雀専用の携帯ゲーム機。

*4【金子さん】もちろん金子正輝のこと。最高位を4度獲得。石﨑が言うのは、第11期、第12期最高位連覇のころか。

*5【研修生】当時の最高位戦にも今とは若干違う研修生制度があった。

 

二度目の最高位戦受験も不合格。しかし炎は燃え上がる

再び最高位戦の門を敲(たた)く契機となったのは、通っていたフリー雀荘のオーナーのひと言。

「最高位戦が新人を募集している。門戸が広がったよ」

燻(くすぶ)っていた種火が、炎となるのに時間はかからなかった。

すぐさま家族に打ち明ける。

夢だから受けさせてくれ。

かくして26期前期、10年以上の時を経て二度目の受験。

しかし、相当な覚悟をもって受けたにもかかわらず、ここでも不合格となる。

そのとき面接官の一人に言われたそうだ。

「この業界にいないと難しいのではないか。家庭があって普通の仕事してると厳しいよ」と。

今でこそ色々な形で関わる麻雀プロが多くなってきたが、当時はそういう時代ではなかったために出た面接官の本音だったのだろう。

石﨑は振り返って言う。

……今思えば、遠回しに諦めさせようとしていたのかな、とも思います。ただ逆に言えば、そこを何とかすれば通る可能性もあるんだ、と。

一度燃え上がった炎は、もう消えることはなかった。むしろいよいよ火勢を増して、一人の男の人生を焼き尽くさんばかりとなっていたのである。

 

すべてを擲(なげう)って、最高位戦の門を三度敲(たた)く

すぐに家族に「どうしても麻雀プロをやりたい」と相談したが、理解を得られない。

また職場のほうは、社員は有給取るな、土日休むなんてもってのほかという空気。社会的にもまだまだそういう風潮だった。

八方塞(ふさ)がりの石﨑が、熟考に熟考を重ねて出した結論は、常人には思いもつかない過激なものだった。

家族も仕事も擲(なげう)って、身ひとつでプロに挑戦しよう。

不合格に終わった二度目の受験が26期前期。

それから僅か半年後、26期後期の受験会場に早くも石﨑の姿があった。

たった半年の間に、退職、離婚ともに実行してしまったのである。

ただ最高位戦に入会して麻雀プロになるために。

面接で石﨑は言った。

前回言われたことをふまえて、嫁さんとも別れてきたし、仕事も辞めてきました。どうしても最高位戦に入りたいんです。

結果、三度目の受験でついに合格を勝ち取る。

石﨑いわく、

きっとそれ(退職と離婚)で決意みたいなものは理解してもらえたんだと思います。ほんとに。何の取り柄もなかったですし。あとで聞いた話ですけど、新津さん*6あたりは『(そこまでさせてしまって)どうしよう』って言ってたらしいです(笑)。

幾星霜の想いを遂げて、ついに石﨑光雄は最高位戦所属の麻雀プロとなった。

爾来二十余年、紆余曲折を経ながらも近年では常に上位リーグで戦い続けている。

*6【新津さん】現最高位戦代表、新津潔のこと。

 

自分が生きているうちにこんな時代が来るとは思ってなかった

石﨑が、どうしても言いたいことがあると云う。

大志くん*7と、啓文くん*8が最高位獲ったとき、この二人については個人的に思い入れがあってすごく応援していました。それまでは決定戦ってちょっと冷めた目で見ていたところもあったんですけど……

そのわけを問えば、

大志くんは雀荘勤務時代にお金が潤沢にあるわけではない苦労をしているのを知ってたし。当時の雀荘勤務でお金がない苦労は僕も経験してるので。その大志くんが最高位になるっていうので嬉しかった。

啓文くんは同期で(最下リーグで負けて)何回か再試験を受けていた。それが最高位って嬉しいじゃないですか。とにかくこの二人の最高位はすごく嬉しかった。

幾度も「嬉しい」と繰り返す。

当の石﨑自身は、タイトル獲得についてどう思っているのだろうか。

これ言うとすごく怒られるかもしれないけど……。麻雀って優秀なコミュニケーションツールのひとつであって。うまいとか下手とかであれこれ言うものじゃないって思ってるんです。

だからタイトルを獲ることそのものには、あまり興味も願望もありません。むしろタイトルを獲る、上のリーグに昇級する、そうした実績がベースになって業界だったり団体だったりでの発信力や影響力が高まることに価値がある。だから僕は上に行きたいんです。

(勤務する『しぶとん』もそんな麻雀を通じたコミュニケーションを楽しめる場所)

 

見据えるのは、個の栄光よりも業界全体の地位向上、社会的な認知。

なぜなら、しみじみと言うには、

ほんと若い子には自分みたいな思い、してほしくないんだよなあ。

というのは、業界に入るために家庭も仕事も擲ったことを指すのだろう。

自分で決めてこの道に入ったにもかかわらず、結果が出ないジレンマもある。失ったものが大きいので、何でこんなもののためにと思ったこともありますよ。

それでも信じて二十余年続けてきた今、昔とは風向きが変わってきたことも実感している。

昔は一般の人に麻雀のイメージを聞いても、いいイメージってあまりなかった。それがちょっと変わってきて、普通の人(というのは麻雀関係の仕事を主としていない人たちなどを指すのだろう)が麻雀プロとして活動できるような環境が作られてきた。それはすごくいいことだと思うし、ありがたいことだし……。囲碁将棋とはまた違うんですけど、メジャーになったなあ、と。

また言うには、

麻雀プロや、業界の人間が社会的に認められるには、身なりだったり常識だったり、そういうものを磨いていくことが第一歩じゃないかなあ、とずっと思っていました。ダメな人ばかり集まってると思われたらいけませんから(笑)。

その点、最近の若い子は身なりや言葉遣いもきちんとしているし、ちゃんとアピールもできる。麻雀プロ自体が増えたのもすごくいいこと。特に女性が増えたのは大きい。

ようやく麻雀プロって言っても恥ずかしくない時代が、ちょっとだけ来たのかな。Mリーグとか、タイミングが合ったのもあるんでしょうけど。

そして万感胸に迫る調子で言う。

自分が生きているうちにこんな時代が来るとは思ってなかった。

 

*7【大志くん】坂本大志。第44期最高位。

*8【啓文くん】新井啓文。第38期最高位。石﨑とは同期入会。

 

最高のヒールとして盛り上がる麻雀界の中で死んでいきたい

令和になって競技麻雀の世界にも新しい風が吹いている。

その中で石﨑が選手として目指すものは何だろう。

何て言ったらいいんだろう。若いスターの引き立て役? 言わば『最高のヒール*9』になりたいですねえ。壁となって立ち塞(ふさ)がる存在というか。結局実力がないとヒールも気取れないんで。

不敵に笑いながら言う。プロレス好きの石﨑らしい回答だ。

この業界を盛り上げるためにも、そういう嫌な役というか、仇役ですね。ヒーローにはなれないけど、最高のヒールでありたい。

そして、

そうやって盛り上がってる渦中で死んでいきたい。楽しみだなあ、もっと見たいなあ、と思いながら死ぬのが理想です。

もちろん、そうは言っても単なる「咬ませ犬」になるつもりは毛頭ない。

ベテランって枠には括(くく)られたくないですね。個性がないからってベテランで括るなっていう(笑)。そんなにたいした歴じゃないですよ。

おおいに気炎を吐く。

石﨑が、自身を「ベテランではない」と言うのにはわけがある。

麻雀の師匠というか、目指したのは金子さん。あとやっぱり阪元さん*10。阪元さんは、Aリーグも経験された方。そうした諸先輩方が長く続けてる。もう尊敬の念しかありません。そうした先輩方ががんばってるのは本当に励みになります。

今、勃興の兆しを見せている麻雀界。諸先輩方の歩みが現在に繋がっていることを石﨑は強く感じている。そうした偉大な先輩方に比べたら自らは「たいした歴じゃない」。

一方で、後輩たちの努力や活躍にも目を瞠(みは)っている。

友添くん*11のセルフプロデュースとかすごい。ほかにも解説だったり、いろんなアプローチで麻雀の価値を上げようとしている人が大勢いる。すごいなって。

僕は人付き合いは下手だけど、ちゃんと見てるよ! て書いておいてください(笑)。

また最高位戦には、石﨑が人生の師と仰ぐ先輩がいる。

僕は淵田さん*12みたいな人間になりたいんです。誰にでも優しくて、料理も掃除もできる。人として本当にすばらしい方。人生の師です。

石﨑が夢を叶えるために失ったものはたしかに大きかったかもしれないが、得たものもまた決して小さくはない。

 

*9【ヒール】悪役。

*10【阪元さん】阪元俊彦。第5期入会。選手生活40年を超えるレジェンド。

*11【友添くん】友添敏之。アフロがトレードマーク。

*12【淵田さん】淵田壮。第22期入会。石﨑はかつて淵田がオーナーを務める雀荘で勤務していた。

 

頭下げてでも勝ってる人に話を聴くのは大事。プライドとか歴の古さとか関係ない

最後に石﨑が考える「麻雀が強い人」について聞いてみた。

卓上で性格の悪い人。というのは、人が嫌がることができるということ。自分に足りない部分。勝負ごとに向かないって言われるし。

とにかく相手が嫌がることをどんどんできること。最近は僕も考えています。麻雀自体が昔の感覚とはずいぶん変わりましたよね。だから勉強会にも参加して、若い人たちに教えてもらっています。

さらりと言うが、それこそが石﨑の強さの秘密かもしれない。

後輩だろうと、年下だろうと、教えを請うことに躊躇しない。

頭下げてでも勝ってる人に話を聴くのは大事。プライドとか歴の古さとか関係ないです。何とか対応しないといけないけど、頭固いんで無理々々何回も反復します。

リーグ戦とかでふとそれが思い浮かんで、ちゃんと対応できたときには、『あ、ありがとう。あのとき教えてもらったことができたよ』って。

また言うには、

ほかの人が得ている情報を、自分が得られないことを恥じますね。昔の感覚だと相手の態度や仕種から察していたところがあった。けれども、それだけじゃない。ちゃんと卓の中だけで分析して情報を得ている。感覚だけじゃない。それは学ばないと。

たしかにベテランの枠には収まらない。石﨑はいまだ成長曲線の途上にある。

「誰よりも麻雀プロになりたかった心優しいヒール」の目には、麻雀界がさらに盛り上がっていく姿が映っている。

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