(インタビュー・執筆 佐藤崇)
「◯◯さ~ん!いらっしゃいませ~♪」
明るい大きな声と大きな身体。
ちょっとクドいくらいの満面の笑みでお客様を迎える、スキンヘッドの男がいる。
それが今回の主役、現A1リーガーの太田安紀だ。
太田 安紀(おおた やすのり)
マーチャオサターン南草津店。グループ49店舗目となる、オープンして約1年半とまだ新しい店だ。太田はそこの店長として忙しい日々を過ごしており、筆者も時々ゲストプロとしてお邪魔している。
それにしても改まってインタビューするなど、どこかおかしく笑ってしまう。ひとまず麻雀を始めたきっかけから聞いてみることにした。
当時少年マガジンで連載されていた『哲也』が好きで、麻雀覚えようかなってなりました。最初は漫画にも出てきた「カブ」(というゲーム)を友達とやってたんですけど、やっぱり麻雀が一番面白そうだなあと思って、玩具屋さんでマグネットの麻雀を買いました。
とにかく時間があれば部活の仲間とずっとやってましたね。それから同じ高校に通っていた中学時代からの友人宅に誘われて、そこで初めて本物の麻雀牌を触りました。確か高校2年の頃だったかと。そこからめちゃくちゃハマりましたね。
そうなると、大学進学後には麻雀店でアルバイトをするのが既定路線に思われるが、太田の場合には少し違う。
大阪の大学に進学したんですけど、授業に全くついて行けなくて、大学は2年でドロップア ウトしました。それで当時京都にあった麻雀店『雀のお宿』でアルバイトを始めたのがこの業界に入るきっかけですね。
ちなみに現在『雀のお宿』があった場所は、友添敏之が経営する『Potti』になっている。
最高位戦に一発合格、そして上京
そこからどのようにしてプロテストを受けることになったのだろうか。
麻雀プロの世界には元々興味があって、その中でも特に金子さん(金子正輝)に勝手に憧れてましたね。それで『KO』(金子が経営する『ノックアウト』という麻雀店)に直接電話を入れて、最高位戦のプロ試験に合格できたら上京するんで、ノックアウトで雇ってもらえませんか?といきなり聞いてみました。今から20年ほど前ですね。
その結果、一発合格で最高位戦入会を果たす。
でも、筆記試験の出来はあまり良くなくて、正直落ちたかなと思ってたんです。ところが合格者名簿の一番下の所にポツンと名前がありました。
当時最高位戦のプロテストでは、合格・不合格通知が郵送で届くことになっていた。その時点では合格の順位まではわからないのだが、その後発表される来期リーグ戦の期首順位を見れば、新人選手は概ね試験の成績順に並んでいるため、自分が何番目の評価で合格したかがわかった。
ちなみに同期合格者の一番上の欄には現最高位・鈴木優の名前があった。当時の最高位戦は、ちょうど会員増加の方針に切り替えた時期。将来が有望視される若手は、積極的に合格させていた。時期も太田に味方したかもしれない。
当時21歳で上京した太田は、すぐにノックアウト新宿店にアルバイトとして勤務することとなり、同時に最高位戦のリーグ戦デビューも果たす。そうして晴れて金子門下の仲間入りを果たした。
でも、金子さんに麻雀教わったことは一度もないですね。だいたい金子さんが人に麻雀教えることなんてほとんどないですもん。
最初、天狗になってた割には、お店の麻雀の成績がついてこなくて、半年くらいは全然勝てなかったですね。要するにヘタクソだっただけなんですけどね。そんな中、唯一親身になって教えてくれたのが熊田さん(熊田健志 ・34期までB1リーグ所属後退会)。
彼の言うことを聞くようになってから、お店の麻雀の成績も向上したし、最高位戦ルールもこの時期にかなり上達した気がします。だから僕の師匠は熊田さんなんです。
そうしてノックアウト新宿店に勤務して2年が過ぎた頃、太田にある転機が訪れる。それは多くの同級生が新社会人として新たな人生をスタートさせるのと同時期だった。太田は先の見えない当時の生活に、突然不安を覚えていたようだ。
地元の友人に誘われたのをきっかけにノックアウトを退職してサラリーマンを始めました。家族経営の会社でしたが、親父さんが身体を悪くしたので手伝ってくれないかと。それでとりあえず3年は手伝おうかなと。
地元の滋賀に戻りサラリーマンになった太田だが、その間もリーグ戦には出続けた。当時は交通費補助などもなく、関西本部もない時代。地方のサラリーマンが東京のリーグ戦に通うのは決して楽ではなかったはずだ。現に地方に就職したと同時に引退する選手も少なくなかった。
金銭的に厳しいときは夜行バス使ったりもしてましたね。麻雀の面でも色々苦労しました。リーグ戦が近づくと、何とか地元の友達にお願いして、定期的に最高位戦ルールでセットしてもらったりしてましたね。
そんなサラリーマン生活も3年が過ぎた頃、社長の復帰を機にお役御免と退職。再び麻雀業界に戻ることを決意した。そこで、当時スタッフを募集していたマーチャオ1号店の京都駅前店に勤務することとなる。社員として順調にキャリアを積んだ太田は、横浜店などの転勤を経て京都駅前店に戻り、店長となる。以来十数年、マーチャオ店長職一筋で今に至る。
趣味なし、家族との時間を大切に
現在太田には、サラリーマン時代に知り合った、保育士をされている奥様との間に、今年小学生に入学したばかりの一人息子がいる。
(よく笑う明るい感じは太田そっくり)
休みの日は大体麻雀の動画見て勉強する以外はもっぱら家族サービスですね。やっぱ子供は可愛いですよ。
趣味などはないのだろうか。
……ないっすね(笑)。ホントに麻雀の動画見て、子供が帰って来たら遊び相手するくらい。家事とか料理は全部カミさんに任せきりなんで、その分他の部分を頑張ってます。
あっ!でも、カミさんがYouTubeのアウトドア動画とかを見るのが好きで、その影響でキャ ンプとかはやってみたいなと。アウトドアの専門店にこの前行ったので、いずれキャンプはやってみたいですね。バーベキューとかは滋賀ではポピュラーなんですよ。琵琶湖も近いし。ヒッヒッヒッ(笑)。
今の会話のどこが面白かったのかわからないが、そう言って太田は笑った。知らない人から見れば、一見怖そうにも見える太田だが、実の所よく笑う、テキトーな会話と冗談が大好きな、とっても楽しいヤツなのだ。
京都研究会にて研鑽を積む
昨年の6月頃から44期最高位・坂本大志と筆者が中心となり立ち上げた『京都研究会』。太田もそこに名を連ねる1人だ。他に参加メンバーは飯沼雅由(A2リーグ)、牧野伸彦(A2リーグ)、友添敏之 (B1リーグ)、楠橋思(B1リーグ)、角谷ヨウスケ(日本プロ麻雀協会所属・元雀王)、西村雄一郎(日本プロ麻雀協会・前A1リーガー)。ここに今期から現最高位の鈴木優、南亮吉(C2リーグ)も加わっている。関西随一の豪華布陣と自負できるこの研究会は、だいたい月一のペースで開催される。
1日半荘4回。一局毎に全員の手牌を開けて終局図の写真を撮る。半荘終了後、すぐにその半荘の検討会を行うという形式だ。そんな訳で、めちゃくちゃ時間がかかる。11時に始まるのだが、10時間以上かかることも珍しくない、ガチンコ研究会である。リーグ戦を想定しているため当然一言もしゃべらず、笑わず、麻雀する。
そして今度は各々スマホ片手に、共有した写真を見ながら1時間以上ブツブツ話し合っていく。中年のオヤジ共が集まって、時には熱く言い争っている。知らない人から見たらとんでもなく異様な光景だろう。
最初に坂本さんからお誘いを受けたとき、実は一度断ったんです。お店はオープンしたてで人手不足、研究会は丸一日かかるので、家族サービスが減るのにも抵抗がありました。ただ現状A1リーグで戦って行く上で、正直今のままではダメなんじゃないかと。定期的にしっかりトレーニングしなくていいのかと。A1リーグの人達ってほとんど全員、自己の麻雀の研鑽のために時間を割いていますからね。研究会、私設リーグ、競技会のゲストとか。
そもそも関西でこれだけのメンバーとやれるのって簡単なことじゃないし、月に一度くらいならやれるだろうと。断りの連絡を入れた翌日に、やっぱり参加させて下さい!とLINEしました(笑)。
太田は最高位戦に入って20年以上経つのだが、この手の研究会や私設リーグに参加するのは今回が初めてらしい。
めちゃくちゃありがたいです。ただ、正直自分にとっては雀力アップのためと言うよりは、貴重なトレーニングの場と言うか。たとえるなら、お店で打つ麻雀が普段日課にしている筋トレだとすると、京都研究会はジムに行ってトレーナーがついてる本格的な筋トレみたいな感じです。そこの感覚は他の参加者とは少し違うかもしれません。麻雀観がかけ離れ過ぎてるなあと感じる人もいますしね。ヒッヒッヒッ(笑)。
今の話の何が面白いのか。そう言って太田はまた笑った。それにしてもこんなに笑うヤツだったんだなと改めて思った。
最高位戦での戦歴はエリートクラス
C1→B2二期→B1三期→A2三期→A1二期→A2四期→A1七期目 ※現在のリーグ方式で表記
デビュー以来の太田のリーグ戦成績である。
こうやって見るとかなり順調にリーグを駆け上がっている。いやむしろエリートクラスの成績と言える。A2リーグを三期目で昇級し、晴れてA1リーガーとなったのが今から約11年前の35期。実はこのとき、筆者とも2年間A1リーグの舞台で戦っているのだが、そのときの印象は正直ほとんどない。
いやー、何か間違って上がっちゃったなあみたいな感じで(笑)。僕なんかがここ(A1リーグ)にいていいのかな?みたいな気持ちも正直ありました。でもA2から昇級した勢いで自分の麻雀にはそれなりの自信もついていて。当時、とつげき東北さんの『科学する麻雀』(デジタル思考の先駆者的麻雀戦術本。当時一世を風靡した)を読んで影響を受けて、その通りにやってたら勝てるようになって。
この麻雀で天下を獲れるのでは?という感覚だったのだろう。
そうですそうです(笑)。最高位とかも簡単に獲れるんじゃね?と思って、棒テン即リーチばっかやってたらA1リーグでコテンパンにやられましたね。やっぱりこの人達にはこれだけじゃ通用しないんだなあと思いましたね。
そして、2年でA1から降級。悔しさはなかったのだろうか。
悔しくはなかったですね。今思っても完全に実力不足でした。悔しい気持ちよりも降級して当然だなと。
それにしてもどこまでも謙虚な太田である。その後、A2四期目で再びA1リーグに昇級。以来今期でA1リーグ7期目になるが、依然トップリーグに居座り続けている。それで弱い訳がない。果たして太田の強さは何処にあるのか。直近3期の最高位に、太田の麻雀の印象を聞いた。
ズバリ聞かせて!太田安紀の麻雀ってどんなイメージ?
坂本 大志(第44期最高位)
普通。完全に普通なイメージです。淡々と無難な選択を続けていけるのが逆に強さと言うか。とにかく当たり前のことを直線的にやっていて、ボーンヘッドをしないイメージですね。
麻雀生徒会長らしい、率直な意見だ。
醍醐 大(第45期最高位)
んー、難しいですね。重厚な門前リーチ派なイメージはあるけど、手組は場況や手役より形重視な印象ですね。勝つときはめちゃくちゃポイント叩くタイプなので、トータルで負けなさそうだなという印象は持ってます。
どうやらこの中では、醍醐の評価が一番高いようだ。多少はヨイショしてるかもしれないが。
鈴木 優(第46期最高位)
んー、難しいですねえ。忖度なしですか?門前重厚派ですよね?他の方と印象同じだと思います!つまらなくてすいません!
忙しいところありがとう。でもホントにつまらなかった。足のケガが早期に回復することを祈っている。
3人の印象を総合すると、特徴の少ない門前派といったところだろうか。切れ味が鋭いタイプではないが、当たり前のことを当たり前にやる、太田はそういう強さを持っている。
最高位決定戦で戦ったことで見えた景色
太田はこれまで、BIGタイトルは手にしていない。そもそも他団体のタイトル戦には過去ほとんど出ていないらしい。自団体のタイトル戦も發王戦以外は出ていないようだ。地方在住でお店を任される立場。更に家庭もあるとなれば、それは仕方ないことなのかもしれない。そんな太田にBIGチャンスが訪れる。今から4年前、43期最高位決定戦に初進出したのだ。
いや、そりゃーめちゃくちゃ嬉しかったですよ!でもそのときは「あれ?何か残れちゃった?」みたいな。やるからには当然勝つつもりでやりましたけど、結果は3位でした。最高位決定戦って、それまでは何か別の世界のステージだと思ってたんですけど、やっぱりあのステージにまた立ちたい。一度出て、その思いは俄然強くなりました。ほんでいつかはラッキーパンチ当たらへんかなあ、みたいな。
その年の最高位は近藤誠一。通算4期目の獲得だった。それにしてもつくづくどこまでも謙虚な太田である。ラッキーパンチとは多分に謙遜も入っているとは思うが、いかにも太田らしい例えに思えた。
そんな太田は、A1リーグで誰が1番強いと思うのか、また誰に1番苦手意識があるのだろうか。
いやもうみんなめちゃくちゃ強いですよ!イヤになるくらい!でもその中でも強いて挙げるなら、やっぱり誠一さんかな。決定戦で負けたイメージが強いのかもしれないけど、凄く苦手意識がありますね。
他にはそうだなあ…いやもう、全員僕より強いんで。だから間違いなく言えるのは、今のA1リーグの中で、僕が1番他の選手をリスペクトしてる。これは間違いないっす!これだけは自信を持って言えますね!ハッハッハッ(笑)。
自信持つ所がそこなんかい!と思わずツッコミを入れたくなった。しかし、それこそが実は太田のストロングポイントなのかもしれない。その謙虚でひたむきな姿勢に、きっと麻雀の神様は微笑んでいるのだ。
とにかくA1リーグから落ちないこと、毎年それが目標です。ほんでたまーにラッキーパンチ当たったらいいなーみたいな(笑)。謙虚な気持ちでこれからもやって行きます。ハッハッハッ!!
それにしてもお店での太田は底抜けに明るい。そしてよく笑う。麻雀と同じでギャグにも切れ味はないが、じわじわ来るテキトーな会話はお得意様。そんな店長だから若い社員やスタッフからとても慕われている。経験の浅いスタッフの教育にも実に熱心だが、実に優しく、穏やかに接している。それはお店の雰囲気にも直接影響するのか、お店はいつも和やかな笑いに包まれている。
そしてそんな店長・太田の配信対局を熱烈に応援している常連客も、実は結構いたりする。地元滋賀県でサラリーマンをしていた時代から通い続けたリーグ戦。それも今年で21年目を迎える。過酷なトップリーグ。太田の戦いはこれからも続いて行く。いつか『ラッキーパンチ』を『KOパンチ』にして栄冠を掴むために。
(左:太田、右:筆者)
※対局画像提供:㈱スリーアローズコミュニケーションズ