(インタビュー・執筆:鈴木夢乃)
4人それぞれの思惑が絡み合った結果、誰かのアガリで思いがけず自分がトップになることもある。麻雀とはそういう性質を有するゲームだ。
しかし、タイトル戦決勝となるとほとんどの場合、自分で決めない限り優勝はない。
第21期(2021年)女流最高位決定戦、内間は最終日を迎えて首位を走っていた。ところが、南2局3本場に2番手につけているいわま(いわますみえ)の先制リーチが入る。これに対し、親番の内間は一発目に有効牌を引き入れた。
ドラを切れば1500のテンパイだが、放銃すれば最低でも5200から。
彼女は一瞬の思考ののち、どこまでも冷静な表情でドラを真っ直ぐに打ち抜く。筆者は思わず息を呑んだ。
「絶対に自分が女流最高位を獲得する。そのためには自らの手で試合を決めなければならない」
彼女の打牌は、視聴者、そして筆者にあまりにも鮮烈にそのメッセージを伝えていた。1時間後、新女王として女流最高位の座につく者の打牌だった。
内間 祐海(うちま ゆうみ)
数あるゲームの一つとしてネット麻雀と出会う
内間が麻雀を始めたのは、中学生のころである。
出身は神奈川県で、育ちも神奈川県です。実は内間という苗字は関東にほとんどいなくて、沖縄に多いんですね。父が沖縄出身で、よく沖縄生まれですか?と聞かれますが、ずっと神奈川県で過ごしています。
もともと小さいころからゲームは好きでした。麻雀に限らず、いろいろなゲームをやっていたけど、その中でも当時、パソコンでできる『ハンゲーム』という麻雀ゲームがあって、それをやるようになりました。あとは両親が麻雀のゲームソフトを買ってきたりして、そのころの私にとって麻雀は「実卓ではなくゲームでするもの」でした。それが中学生くらいの頃かなあ。両親は麻雀を知ってはいるけど、お父さんはたまに仲間内でセットをやる程度、お母さんは私と同じようにゲームでやるくらいで、二人ともそこまで詳しくはなかったですね。
そんな感じで麻雀はゲームでずっとやっていたけど、高校の時、当時アルバイトしていたファミレスの同僚とスノボ旅行に行ったことがあって、その時その中の一人が麻雀セットを持ってきたんですよね。私にとって、それが初めてのリアル麻雀になりました。もっとも、その時の旅行メンバーはみんな点数計算も全然できなかったし、ルールもあやふやだしで、ナシナシ(喰いタンナシ、後付けナシ)でずっと麻雀をしていました。それでも、そこで初めてリアルでやった麻雀はすごく楽しくて、もっと麻雀のことを知りたい、覚えたいと思うようになったきっかけになったのは確かです。
雀荘勤務から1年というスピードで最高位戦の試験を受ける
麻雀の楽しみを知った内間が麻雀にハマるのにはそう長い時間はかからなかった。
高校を卒業した後1年くらいして、高校時代の友達と久しぶりに会うことになりました。会って話しているうちに、なんとその友達が雀荘で働いていることを知り、とても驚いたのを覚えています。私が、高校生の時のスノボ旅行でやった麻雀の楽しさが忘れられないことをその友人に話すと、「今からセットしに行かない?麻雀教えてあげるよ」と言われ、その足で麻雀をしに行きました。その時の雀荘が川崎の『MAP』さんでした。
セットしていると、当時のMAPの店長さんにうちで働かないかと誘われ、週1で働くことに。
あまり麻雀のルールを知らなかった内間は、最初こそウエイトレスメインで働いていたが、麻雀を覚えていくにつれて、卓に入るようになっていった。こうして1年が経ったある日、店長から意外な提案がある。
ある日、店長が「プロ試験を受けてみないか」と言ってくれました。それで、21歳のころに最高位戦を受験し、36期(2011年)後期に入会しました。
麻雀の仕事1本で生活。麻雀プロ人生に終止符を打つことも考えた
こうして麻雀プロの世界に足を踏み入れた内間は、それ以降ずっと麻雀の仕事1本で生活している。
今は昔に比べて門戸も広がったし、いろいろな麻雀プロとしての活動の形があるけど、当時はそもそもプロになりたい人がまだ少なかったと思います。最高位戦に入る前は麻雀以外の仕事もしていましたが、「今ここで働いて自分がこれ以上成長できる機会がないのではないか」と考え、プロデビューのタイミングで麻雀の仕事1本でやっていくことを決めました。人間関係も構築しな直さなきゃいけないし、仕事も覚え直さなきゃいけないし、あまり働く場所を変えるのは好きじゃないんですけどね。
最初に働いた店の店長が、内間にとってはプロになるにあたって一番お世話になった人物だという。
当時の店長さんには本当に感謝しています。店長さんは麻雀プロではありませんでしたが、私に最初に麻雀を教えてくださった方で、プロ試験に向けての勉強も面倒を見てくれました。プロになってからも、まだデビューしたてのコネも何もないころに、店長さんの知り合いのプロやお店での仕事を紹介してもらったこともありました。昨年女流最高位を獲ったときも、「おめでとう」と連絡が来たりしました。
そのあと、新宿で働いていたころには、今最前線で活躍している女流プロたちとも一緒に働いたりしていました。懐かしいなあ。
21歳のころから、ずっと麻雀プロ一本でやってきた内間。麻雀はいつもうまくいくゲームではないが、そういうときにはどのように気持ちを切り替えているのだろうか。
麻雀だけを毎日していると麻雀を嫌いになりそうな怖さもあって、休日は麻雀以外のことをするようにしています。ゲーム、アニメが大好きなので、基本そのどっちかをしていることが多いですね。普段は結構シリアス系のアニメを観ることが多いのですが、『先輩がうざい後輩の話』というTwitter発信のアニメが最近は好きです。ゲームは基本的には何でもやります。
そんな内間には卓につく際に決めていることがある。
お仕事にせよ、公式対局にせよ、楽しく麻雀を打ちたいと考えています。
もちろんちゃんと反省しなきゃいけないこともありますが、落ち込んでもしょうがないようなラスもあるので、そこはしっかりと判断して反省するようにしています。このマインドの切り替えは、メンタルを保つのにかなり大事だなって思っています。つらいときがあっても、そのうちいいときがくる。メンタルがブレていたら良い麻雀は打てないので。まあ、元々メンタル強めではあります。
話を聞いていると、内間はかなり強靭なメンタルを持っているように感じる。女流最高位決定戦のときも、終始冷静な表情を崩さなかったのが印象的だった。そんな内間の、プロをやっていて良かったと思う瞬間とは、いったいどのようなときなのだろうか。
プロをやっていてよかったなと思ったのは、ゲスト先でお客さんに決定戦観たよ、応援しているよと言われたときです。一度自分がゲストに入ったときに、岡山からわざわざファンの方がきてくれたことがあって。それはすごくうれしかった。
多くのファンに応援され、女流最高位となった今、タイトルホルダーの実感などはあるのだろうか。
タイトルについてはいつか獲れたらいいなと思っていたぐらいなので、まだ実感がわいてないです。決定戦進出も初めてで、決定戦に行くのが長年の目標だったので、今ちょっとフワフワしています。
プロになりたての頃は、30歳くらいでやめるのかなと漠然と思っていました。降級したらやめようと思うこともありましたが、なんとか11年間女流Aリーグに在籍できています。やめなかったことが実ってよかったと思います。
やめようと考えたこともある麻雀プロ。どういうときにつらさを感じてきたのだろうか。
麻雀で負けたときはいつもつらいです。あと、麻雀で負けたときより落ち込むのは、勝って内容がとても悪かったときです。自分が納得できない打牌をしてしまったときはかなり落ち込みます。
対局後にはそうやって落ち込んできた内間。一方で、対局前にはとにかくポジティブなようだ。
決定戦2日目の朝、スタジオに向かうために乗ったホテルのエレベーターで花嫁さんに会ったんですよ!こんなこと滅多にないと思って、今日は行けるんじゃないかな?って思いました。
卓についているところからは想像もできないほど適当なことを言ってくる。ただ、こういった日常のちょっとした出来事をプラスに捉えて自分のテンションを上げることができるのも、彼女の強さの秘訣なのだろう。
メンタル強者内間がプレッシャーで腹痛を感じた日
ここで、悲願の初タイトル獲得となった第21期女流最高位戦決定戦を振り返ってもらった。
入会初年度に女流BリーグからAリーグに昇級して、11年間ずっとAリーグです。そのうちの半分くらいの年はプレーオフに行けていましたが、いつもあと一歩で決定戦を逃す、といったことの連続でした。決定戦の壁は、私にとってずっと厚いものでした。2年前、プレーオフでツモれば逆転して決定戦進出を決めることのできるリーチをかけたけど、食い流されて流局し、負けたことがとても印象に残っています。
今年も女流Aリーグ最終節で瑞原さんがオーラス逆転条件を満たす倍満リーチをかけ、私がポンしていなかったら瑞原さんがハイテイで倍満をツモっていたというような半荘がありました。ここでアガられていたら決定戦進出はけっこう厳しかったと思っています。
11年越しというのもあり、初めての決定戦はとても楽しみでした。前日は酸素カプセルに入って、会場となる大塚近くのホテルをとって、少しでも寝ることのできる用意を万全にして臨みました。
こういう準備も地味にメンタルを支えているのだろうなと想像がつく。そうして迎えた1日目、常に攻めの姿勢を崩さない麻雀で、内間は+60.0ptの暫定1位で終える。
2位のいわまさんとは20pt強の差でした。最高位戦ルールで20ptのアドバンテージはあってないようなものなので、2日目の勝率は30%くらいかなと思っていました。自分は追う展開のほうが得意で、守るような試合運びが苦手なので、トップで折り返したとはいえ、不安のほうが大きかったかもしれません。それでも、優勝しか意味のないこの戦いでは、黙っていたらまくられてしまうのはわかっていたので、戦おう、守りを意識しすぎてはいけないというのは心に決めていました。その信念にしたがって、普段の自分なら押せない牌も押し切りました。
自分で試合を決めないとタイトルは獲れないですからね。
そして、冒頭の局面を迎える。
ドラだから押すのは当然怖かったけど、(自分が競っている)いわまさんのリーチだから、自分が立ち向かってかわさないといけない、と思っていました。
理屈はわかるが、この点数状況から一発でドラのをすんなり打ち切れる者がどれほどいるだろうか。解説の園田賢、新井啓文も思わず叫び、称賛した。
内間は続けて最終半荘について語った。最終半荘については、さすがの内間も相当神経をすり減らしたという。
最終戦が始まったときからもうずっとおなかが痛かったです。南場のいわまさんの親番が終わったときも、やっと終わったと思いましたが、オーラスはさらに長かったです。
いわまさん、茅森さん(茅森早香)ともに現実的な条件があり、結局勝負は6本場までもつれ込みました。1000点アガるのってここまで大変なのかと。
特に2本場、2巡目にテンパイが入ったときは正直「もらった!」と思いましたが、ソウズホンイツ模様のいわまさんに放銃してしまうリスクが出てきてしまったりで、途中で待ち替えすることができなかったのが悔やまれます。その局は結局ハイテイで親の茅森さんに放銃したのですが、その時、「あ、今日は無理かもしれない」と思ってしまいました。ここで心が折れかけたのですが、それでも最初に決めた「自分で決めないとダメ」という信念をもう一度思い起こし、6本場、最後は自分でリーチをツモって勝負を決めることができました。
このときは嬉しさももちろんありましたが、「この長い苦しみからやっと解放される」という安堵の気持ちも大きかったです。本当に長かった。寿命が縮まった。やめてしまう人も多い中、自分もいつまで麻雀プロを続けようか考えたこともありましたが、11年間続けて、優勝を手にすることができて本当に良かったと思っています。
1度も降級せずに女流Aリーグに居続ける内間を順風と見る者も多かっただろう。一方で、そんなにAリーグに在籍していて1度も届かない決定戦とタイトル。本人にしかわからない苦悩の日々。
数々の苦難を乗り越え、念願の女流最高位の座を手に入れた内間。生活に変化はあったのだろうか。
仕事はですね・・・かなり増えましたね。最高位戦プロアマのゲスト、放送対局への出演、タイトル戦のシードなど、いろいろな場に呼んでもらえてうれしいです。特にタイトル戦に関しては、今まであまり出場してこなかったので、挑戦できる機会があればすべてチャレンジしていこうと思います。
ほかの変化としては、いろんな人がお祝いしてくれるようになりました。私の両親は関内で飲食店を営んでいるのですが、お客さん経由で両親にタイトルを獲ったことが伝わったり、ファンの方がお店までおめでとうを言いにきてくださることもたくさんありました。
一つの目標を達成した今、次なる目標はどこになるのだろうか。
まずは、女流名人戦の本選があるので、女流最高位との二冠を目指して頑張りたいです。年が明けて公式戦の成績があまりにも悪いので不安なのですが・・・とにかく頑張りたいです。この先シードで参加させていただくことの多いタイトル戦も全力で挑みたいと思っています。
その不安通り、内間は先日の女流名人戦をあっさり敗退してしまう。それでも、最高位戦女流選手が目指す最高峰・女流最高位の座につく内間。最後に、女流最高位を目指す選手たちへメッセージをもらった。
女流選手だと、「若い子たちもたくさん出てきたし・・・」など、いろいろと考えて途中でやめてしまう人がとても多いように思います。けれども、やめてしまったら絶対にタイトルを獲ることはできないです。女流最高位はシステム的には、大平さん(大平亜季)のように1年目から獲得できることもあるし、いつ穫れるか本当にわからないタイトルだと思います。つらいこともあるとは思いますが、あきらめず、やめずに頑張ってほしいです。
これから新しい選手がたくさん増えて、最高位戦がもっと盛り上がればいいなと思っています。昔に比べて麻雀プロとして活動する環境も向上しているし、機会も増えたと思うので、頑張ってほしいです。継続は本当に大事です。
取材を終え、「私、話すのがあまり得意ではないのですが、ちゃんと話せていましたかね?」とこぼす内間。麻雀中は冷静に見える彼女も、趣味や家族の話をすると、時折笑顔がのぞく。次の仕事に向かう彼女を駅のホームで見送りながら、「自分で決めないとタイトルは獲れない」という彼女のまっすぐな言葉が、頭の中にずっと響いていた。
(対局画像引用元:株式会社スリーアローズコミュニケーションズ)