コラム・観戦記

FACES - “選手の素顔に迫る” 最高位戦インタビュー企画

【FACES / Vol.32】木村翼 ~奔放に生きてきたトランペット雀士の見つけた居場所と使命~

(インタビュー・執筆:田渕百恵

 

34年前の冬、北海道苫小牧市に、キテレツで、異常なほど勝ち気で、それでも真面目な男が生まれた。

最高位戦北海道本部イチのお調子者、木村翼である。

木村 翼(きむら つばさ)

最高位戦選手ページ

Twitter

 

木村と筆者は、筆者が苫小牧に住んでいたときに一緒にプロテストを受けた同期だ。
お互いに譲らない性格で、酒が入ると両者泣きながら自己主張を繰り返すという泥試合を何度も繰り広げた仲である。

今回は、そんな筆者さえも知らなかった木村の素顔と想いを届けられたら嬉しい。

 

頭は良かった。ただ、生きるための知識がなかった

木村は自身の幼少期を真面目な子供だったと振り返る。幼い頃からピアノを習い、小学4年生でトランペットをはじめる。学力的にもとても優秀だった。確かに記憶力がずば抜けている印象がある。

しかし、底抜けに明るい木村にも暗い過去があった。

俺って頭良かったんだけど、実は中学校で、ある頃からいじめられるようになったんだよね。トイレでリンチとかされたり。

いじめてくるのは自分の同じ学校のヤンキーとかで。当時俺まじめだったから。
でも悔しいじゃない。抵抗するようにその頃から悪いことや深夜徘徊してをみたりして。それで他校の奴らと連むようになったんだよね。そこらへんから人生が歪み出した気がする。

骨折したこともあったけど、負けず嫌いだから”喧嘩して負けて骨折した”なんて恥ずかしくて親に言えなくて。
なまら痛いんだけど、家でずっと我慢してた。その時の影響で今でも左手の薬指第一関節曲がらないんだよね。

手の指の骨折を我慢して放置するという並々ならぬ忍耐力で乗り切った中学校生活。

高校は苫小牧市内の公立で一番の進学校に入った。頭はいいんだよね俺。生きるための知識がなかっただけで。でも高校に入ってからはテストでは学年最下位。赤点しか取らないし出席日数も足りなかった。

そんな荒れた高校生活でもやめなかったことがひとつだけあった。トランペットである。

1年生の頃は一番荒れ狂ってて。部活にさえも全然顔出さなかった。あるとき先輩に”練習に出てないやつをコンサートになんて出させられません”って言われて頭にきて。そんな大した強い部活じゃなかったっていうのもあるんだけど、なんせ俺が一番上手かったのね。“申し訳ないですけど先輩より俺が吹いた方が上手いっすよ”って言っちゃったんだよね。そしたらその先輩泣いちゃって。それで顧問に相談したりとか演奏してる音だけを聞いてもらってどっちの方が上手いかとかやって。で、やっぱり俺の方が上手いってなって。そんなことばっかりやってたね。

1年生のくせに部活をサボる。そのくせ3年生の先輩にコンサートに出させろと食ってかかる。とんでもない問題児である。

その後、授業には出ないが部活の時間になると登校して部活にだけ出る日もあったり、札幌交響楽団のオーケストラの方に個人的に指導してもらうなど精力的にトランペットと向き合っていく。

こうして木村は音楽の道に進むことを決意し、音楽大学への進学を目指した。

 

音大でトランペットを学び、トランペット奏者として生きるが・・・

一般的に音楽大学の入試の難易度はとても高いと聞く。荒れた高校生活を送っていた人間には難しいのではないのか。

音大に入るのはすごく難しいよ。でも音大って学力テストはないんだよね。楽典っていう音楽の知識のテストはあるけど。あとは歌。声楽は絶対。それと聴音っていう聴く力のテスト。あとはピアノ。さすがにピアノの専門の人よりは簡単なものになるけど、たとえトランペット専門でもバイオリン専門でもピアノの試験は受ける。それから主科。俺でいうとトランペットね。

なんと木村はその難関試験を一発合格し、神奈川県溝ノ口にある洗足学園音楽大学に入学することとなる。在学中はプロのプレイヤーになるためにイギリス留学やオーケストラとしての演奏を経験しトランペットの腕を磨き続けた。さらに、地元に恩返しをするために木村主催で苫小牧市にトランペット奏者を5人呼び、コンサートと子どもたちへの講習会を開催したこともあった。

卒業後はフリーランスのトランペット奏者となり23歳の時にはフィンランドで行われた国際音楽祭にも出場した。

しかし、音楽の道は険しかったようだ。

大学出たての頃って音楽一本で食ってくことができなかったのね。だからって就活とかはうちらないからさ、どっかの楽団のオーディション受けて受かるくらいしかないから。それでもやっぱり仕事がないとはいえ音楽で頑張っていきたい。で、金がない時にどうしようってなって雀荘で働くことにしたんだよね。

そうして最初に働いた雀荘で一緒になったのが新井啓文飯沼紗菜可らだそうだ。

音楽の仕事がメインで、音楽の仕事が入ればそっち優先したいからぬくぬく働きたかったのね。だけど最初に働いた雀荘のオーナーがやめるって言い出しちゃって。結果的に店は閉まらなかったんだけど他店のオーナーが経営することになって。それが松ヶ瀨さん(松ヶ瀨 隆弥:RMU)が店長として働いてたお店のオーナーだった。それで2つの雀荘が系列店になって、俺が松ヶ瀨さんのいるほうのお店に移動することになった。それから4年か5年くらい働いてたかな。仕事終わりには松ヶ瀨さんとよく飲みに行ってた。お店はメンバーもお客さんもプロが多くて地獄みたいな店だった。そんな中にずっといたけどプロになる気は全くなかったね。

26歳になった頃から音楽での収入が増え、雀荘は退職したが松ヶとの交流は続いたという。

(3年ほど前、北海道に遊びにきてくれた松ヶ瀨と

 

実家の危機に、北海道へ戻る

しかし、27歳の冬の終わりに木村は突如北海道に舞い戻ることになる。

北海道に帰ってきた1番のきっかけは父さんの病気。精神的なもので家の中で奇行しはじめちゃったりして。
音大って医大と同じ位ものすごくお金が掛かるわけよ。本当にこれは申し訳ないんだけど家にはそんな金もなくて。母さんも昼間パートして帰ってきて家事して、夜は父さんが帰ってきたら父さんはそんな状態だし。だから母さんもおかしくなりそうで。

当時の俺はアホだから、入ってきたお金も家に入れないで好き放題やってて。家の状態にはうっすら気付いてはいたんだけど。でもその時は“まぁ大丈夫だべ”って思っちゃってたんだよね。

でも実家はいよいよもう危機だった。
それからどうこうもいかんってなって俺が苫小牧に帰ることにした。

そうして苫小牧に帰ってきた木村はカラーズという雀荘で働くことになる。

苫小牧に帰ってきてカラーズで働きはじめたその年に最高位戦の北海道本部ができたんだよね。その時にも一緒にやらないかって声を掛けてもらってたんだけど断った。家のこととか落ち着いたらまた東京に戻ろうと思ってたから。

それから思い直してプロテストを受けるまでの間、地元の中高生に音楽を教えたり音楽の仕事をやりながらカラーズで働いて。でもやっぱり北海道の苫小牧じゃ音楽の収入だけでは食っていけないってなって、たくさん悩んだけど麻雀一本にすることにした。
真剣に吹いたのは自分のおばあちゃんが入所してる介護施設で演奏したのが最後かな。

 

東京に戻らず、北海道で麻雀を普及することを決意

その後、家の状況は落ち着くものの木村は東京には戻らなかった。

やんちゃ時代を経て、歳をとって色々と見つめ返すような時が来たんだよね、俺にも。

”恩返しをしたい”

そう思わせたのは最高位戦北海道本部事務局長でもある山家輝生だ。

中高生の頃のやんちゃ時代からの付き合いで、苫小牧に帰ってきたばかりで仕事がなくて一番キツかった時にカラーズに誘ってくれて色んなことを含めて支えてくれた人なんだよね。山家さんにはたくさん叱られたし色んなことを教わった。

時々色んな人に“東京に出てこないのか”って言われるけど行く気は一切ない。

別に東京に出ていく人を否定する訳じゃないし、この業界にいれば普通のことだと思うけど今の俺はそうは思ってなくて。もちろんスター選手にはなりたいと思うけど俺は北海道に居続けることが大事だなって思ってる。

”最高位戦北海道本部といえば誰?”って言われた時に名前が挙がるようになりたい。それと北海道本部を支える人間になりたい。北海道本部やお店のために山家さんがやってきたこと、その意志を引き継いでいきたい。

新型コロナウィルスが流行り始めてからは参加を見送っているが、東京で開催されている私設リーグ『江戸リーグ』にも北海道から足繁く通っていた木村。

もちろん自分のためもあるけど東京の最新の戦術を北海道にも広めたいって思って通ってたんだよね。

はちゃめちゃに生きてきたと自負する木村だが、人生を振り返り、献身的に北海道を支える人間になりつつある。

そしてそんな木村に人生の伴侶ができた。

1月11日に入籍したという。

相手は子供が二人いる人なんだよね。麻雀がすごい好きな子で、元々うちのお客さんだった人。離婚をきっかけにカラーズで働くことになって。

江戸リーグから帰ってきた日とかリーグ戦終わった日とか毎回一緒に話してて。どういう対局だったのかとかこんなことがあったとか話してて。
だんだん俺の憂さ晴らしの場みたいになってきて。勝ったときも負けたときも気が付けば帰ってきたら話す場所みたいになってた。

ある日、店の人手が全然足りないときがあって。そんなときに店長の俺が体調崩しちゃって。

その時、彼女も既に週6回も出勤してるのに残りの1日を俺の代わりに働いてくれて。そのときに“あぁ俺この人のために何かしてあげなくちゃ”って思ったんだよね。

それが結婚を決めた一番大きな理由かな。しかも彼女麻雀すごい好きだしめっちゃ強いし。

自分が辛かったときに支えてくれた彼女を、今度は支えてあげたいと思い、結婚を決意したという。

木村は彼女の話をしながら「今日へべれけになって帰ったら怒られるんだろうなぁ」と満更でもない顔で言い、木村のマネをする子供の写真を幸せそうに見せてくれた。

木村は北の大地に根付き、恩返しをしながら、家族と麻雀と共に生きていく。

いつかスポットライトを浴びることを夢に見て。

コラム・観戦記 トップに戻る