コラム・観戦記

FACES - “選手の素顔に迫る” 最高位戦インタビュー企画

【FACES / Vol.26】粟野大樹 ~最高位戦運営の中核、金色のバンドマンは不敵に笑う~

(取材・執筆 神原 健宏

 

勝つコツは当たり牌を掴まないことよ。

そう言って不敵に笑うのは、現在最高位戦の様々な運営業務を担う粟野である。

粟野 大樹(あわの ひろき)

選手紹介ページ https://saikouisen.com/members/awano-hiroki/

Twitter https://twitter.com/awapi413

 

最高位戦には各リーグ戦の運営もさることながら、新人王戦や練習会の運営、あるいは未来の最高位戦選手に向けたアカデミーの開催など、実は見えない部分で膨大な量の業務が存在している。

現在、そんな業務を一手に担っているのがこの粟野である。今回は、今や最高位戦にとってなくてはならない運営の中核とも言える粟野の半生に迫る。

 

4歳のころには父親の手牌を左から読み上げて怒られてた

まずはそもそも麻雀自体をいつ覚えたのか。

覚えたということで言えば、4、5歳くらいの頃にはもう覚えてたね。地元は福島県のいわき市なんだけど、小さい頃は父親が打ってるのを後ろから見てたんよ。それで何もわからずに父親の手牌の数字を左から順番に読み上げて怒られたりしたもんよ。

と無邪気な幼少期エピソードを語り始める。

そんな感じでずっと「見る雀」として育ってたんだけど、小学生くらいの頃にプレステのゲームで麻雀を打つようになったのが打ち手としてのデビュー戦だね。で、いざ実際に麻雀牌で打つようになったのは中学生くらいの頃かな。兄貴が2人いるんだけど、けっこう歳が離れてて家をもう出ててさ。その兄貴が月1で戻ってくるたびに家族麻雀をやるようになったわけよ。

何が嬉しかったって、家族麻雀で勝つたびに父親がお小遣いを500円くれるんだよね。『東大を出たけれど』の500円玉のエピソード知ってる?まさにあれみたいな感じでさ。今思い出すだけでも泣けてくるね。

冒頭の不敵な笑みとは違う、屈託のない笑顔が粟野から溢れている。

で、そうやって家族麻雀をし始めてからは友達とやり始めるのも時間の問題なわけでさ。高校ではカード麻雀で友達と遊び三昧。そんな生活をしてたから、高校を出た後に麻雀漬けの生活になるのは目に見えてるよね。

このように、かなり小さい頃から麻雀に触れてきた英才教育タイプの打ち手であるようだ。

 

演奏するより楽器製作に興味を持った

ところで、粟野と言えばアイコンでおなじみ(Twitterのアイコンにもなっている)のバンドマンのイメージが強い。それはいつ頃からどんなきっかけで始めていたのだろうか。

それもちょうどこの高校くらいの頃から始めたんよね。中学校の頃実は吹奏楽部で、当時は管楽器を担当してたんだけど。楽器屋に行ったときに弦楽器コーナーのギターを見てビビッときてさ。ほら、学生のときってバンドとか格好良く見えるじゃん?

んで、こんな遊び三昧なところからもわかる通り、高校のときは帰宅部のエースで四番をはってたわけよ。帰宅部のエースが時間を持て余してたら始めるしかないっしょって。当時の遊び仲間と一緒に始めたんよね。

実に粟野らしい返答だ。格好良さそうだったからという理由で始めたところもだが、それを包み隠さず打ち明けるところに粟野の素直さが垣間見える。

で、高校のときに進路を考えてて、そのままプレイヤーとしてっていうのも少しは興味があったんだけど。でも楽器作りに興味を持ったきっかけがあってさ。当時というか今もBUMP(BUMP OF CHICKEN)が好きなんだけど、そのBUMPのギターの特注を担当してる人がちょうど近くの専門学校の先生に居てさ。それを知って飛びつくように進学を決めた。

(専門学校時代にパンフレットに載った粟野)

 

こういうところからも今のプレイヤーを支える裏方としての実直な気質がにじみ出ている。

で、その頃からBUMPと同じくらい、ジュディマリ(JUDY AND MARY)も好きでさ。特にギターのTAKUYAさんが。その人がやってた髪色をずっと真似し続けてんのよ。好き過ぎてメールアドレスにも曲名が入ってるくらいだし。バンドとしてはめちゃくちゃ憧れてたね。

ここまで話を辿っているとまるでバンドマンの過去に迫るインタビューのようである。そんなバンドライフを送り続けていた粟野が麻雀プロになるきっかけはどこにあったのだろうか。

 

薬剤師と麻雀プロの二足の草鞋?

専門学校にいた頃はプロとかは全く眼中になくて。あそび倒す生活の中にバンドも麻雀もあっただけなんだよね。で、専門を卒業するタイミングで親父から「家業を継がないか?」って連絡が来てさ。親が薬剤師で薬局を経営してたんだけど、それを兄貴じゃなくて自分に話してくれてさ。正直迷ったよね。で、そうやって返事を渋ってたら、「車も買ってやる」って言われたので即決した(笑)

そう言いながら粟野はやんちゃそうに笑ってはいるが、人生の大きな転機である。しかし麻雀プロとしての片鱗は未だ見えてこない。

で、地元の大学の薬学部に入り直してさ。そっからはしばらくバンドも一旦離れて割と真面目に学生やってた。まあ優等生やりながらも少しは遊んでたけどね。

ところが、麻雀プロを意識するきっかけが4年生の頃に突如訪れたんよね。大学の知り合いがけっこう麻雀打ってるみたいでさ、「プロにでもなってみっかな」ってイキってたのを聞いて、ちょっとカチンときて。「お前でなれるなら俺でもなれるわ!」って思っちゃって。そいつよりも先になってやろうとか心に誓ったわけよ。それが一番最初にプロになってみようと思った瞬間だった。

なんとも粟野らしい理由が飛んできた。その反骨精神だけで実際プロになったのであれば、行動力の化身である。

と思うじゃん?でも別にそういうわけではなくて、それはあくまでも一時的な感情に過ぎなかったんよね。それだけで受験してたらヤバいやつでしょ(笑)

ただ、もしかしたらそっから頭の片隅には麻雀プロっていう選択肢が残ってたのかもしれない。んで、大学の6年の頃にふと東京に行くタイミングがあって、そのときにたまたま空いてる日があったから川崎の麻雀大会に申し込んでみたんよ。それがめちゃくちゃ衝撃だった。今まではテキトーな所作でバチンバチン麻雀打ってたからさ。その大会では全員きちんとしてるし、しかもその中でもとある人が発声も大きいし、相手の点数にも「はい!」って返事してるし、しかもめちゃくちゃ強いし。そこで村上さん(村上淳)を見たのが1番のきっかけだったね。プロってカッコいいなって思っちゃって。

それで、帰ってから最高位戦って団体を調べてみたらなんかアカデミーなるものがあるみたいじゃん?しかも学割を使ったら受験料と金額変わらなかったし。じゃあとりあえず受けてみるかってアカデミー行ってみたんだよね。そしたらそこで光太さん(吉田光太)に会ってさ。なんというかプロとしての在り方に憧れたというかさ、男が男に惚れるってのはこういうことかって思っちゃったんだよ。それでそのままアカデミーに通い続けて、試験に合格して晴れてめでたく最高位戦に入ったんよ。

ようやく麻雀プロ粟野の爆誕である。

 

最高位戦をやめようと思っていた

ではそこからは薬剤師と麻雀プロの二足の草鞋だったのだろうか。

いや、実はそういうわけでもないんよね。ちょうどプロに合格した年が薬剤師としての国家試験の年だったんだけど、それがダメでさ。1年間資格学校に通うために川越に引っ越したんだよね。だから最初は試験勉強と麻雀の二足の草鞋だったわけよ。

ただ、幸か不幸か引っ越してきた家のすぐ目の前に雀荘があるじゃん?そんなの当然行くというか行かない選択肢がないわけでさ。で、そこでバイトも始めて、結局麻雀漬けになっちゃって。

でもそうやってずっとフリー麻雀ばっかに明け暮れてたら最初のリーグ戦タコ負けしてさ。▲400ptくらい叩き出しちゃって。萎えたのもあったし、試験に専念したいのもあって一旦休場したんよね。

しかも、結局そうやって休場したものの、麻雀ばっかしてる生活は変わんなかったから、次の国家試験もダメだったんよね。で、休場し続けるのも微妙かなと思ってリーグ戦もとりあえず復帰はしたんだけど、ぶっちゃけめちゃくちゃモチベーションも低くて。もう辞めようかなと思ってたんよ。

驚きである。今や運営の中心人物とも言える粟野が最高位戦をやめようとしていた時期があったとは。ではそのモチベーションが回復した出来事はなんだったのだろうか。

マジで辞めようかなってモチベーション低くなってたときに、高倉さん(高倉武士・最高位戦事務局員)が実写版『天牌』の闘牌指導の仕事を回してくれて。それをきっかけに他にも麻雀番組のお手伝いとか最高位戦の配信スタッフとかの仕事もさせてもらうようになったんだよね。

それまでは、麻雀ってただ好きなように自分で打ちまくるだけだったんだけど、スタッフをやるようになってから麻雀を見る機会も増えてきてさ。しかも当然だけど目にする麻雀の質も数段レベルアップしてるわけで。そうやってとにかくいいものを見てはそこから吸収して自分で実戦に活かす、それを繰り返していたら自然とモチベも回復していったわけよ。

麻雀との向き合い方が今までと大きく変わったこと、そしてそれによる自身の成長が実感できたことが競技麻雀に対するモチベーション回復のきっかけだったようだ。では、そこから今の粟野の立場に至るまではどのような経緯があったのだろうか。

いや、特に何かがあったってわけではないんよね。モチベーションが回復してからは、うまいことリーグ戦も勝ち続けられたし。だから放送スタッフとかをやるのは全然嫌ではなかったんだけど、普通に仕事を振っていただいたらただそれを受けるって感じだったんだよね。そしたらいつの間にか立会人とか放送責任者も任せてもらえるようになったってわけ。責任者やりたいです!立会人やりたいです!とかそういう風に動いてたわけじゃないけど、自然と成り行きでなっちゃってたって感じなんだよね。

この部分だけ聞くと麻雀プロ生活としては気持ちいいくらいの逆転劇ではないだろうか。ところで、そもそも『天牌』の闘牌指導の仕事や放送スタッフの仕事がなぜ粟野のところに回ってきたのだろうか。

いやー、もしかしたらやめそうなオーラ出すぎてたから気を遣って仕事振ってくれたんじゃない?それか、ただ暇そうに見えたんじゃね?

そうやって冗談混じりに微笑む粟野であるが、本当のところはわからない。気になったので実際に高倉にどうしてこれらの仕事を粟野に依頼したのか聞いた。

当時、好きな曲を聴きながらタイトル戦のエントリー情報をまとめる作業をしていたら、その曲名をメールアドレスに設定している粟野さんに気付いてしまい。嗜好が合いそうかな、と閃きでオファーしてみました。正しく言うと、この曲がきっかけでコミュニケーションを取るようになって、働き方の意向を確認した上で打診してみました。

ちなみにその曲は―

JUDY AND MARYの『くじら12号』です。

なんと。実はこんなところでも粟野がバンドマンだった頃の名残がきっかけとなっていた。粟野の今までの全ての活動がまさに今の粟野を形作っているかのようだ。

他に、放送対局などで粟野と関わっている張敏賢(元最高位、Mリーグ公式審判)にも粟野の普段の働きぶりについて聞いた。

粟野くんにはいつもABEMAの麻雀放送を何かと手伝ってもらってるんだけど、粟野くんの仕事ぶりを一言でいえば「職人」って感じだよね。黙々としていてあんまり多くは話さないけど、与えられた職務を粛々と遂行するみたいなプロ気質を感じるかな。だからこちらとしても信頼して任せられるんだよね。

職人気質なところはまさにイメージ通りであるが、「黙々と」というのが非常に意外であった。筆者が初めて一緒に粟野と関わったときから、かなり気さくに話しかけてくれる印象だったからだ。放送スタッフとしての粟野はまた一味違った側面を持つのかもしれない。

 

「村上ってのはつえーなぁ」って言う父親にシンパシーを感じた

さて、ようやく運営の中核たる粟野の誕生秘話に迫ることができた。そんな粟野の現在のプロとしての目標や今後どうしていきたいかを尋ねた。

色々あるね。まず一つは最近とにかく上の方から刺激を受けまくっててさ、もっとちゃんとやんなきゃなって思うんだよね。生来の性格で物事を教わるのが苦手というかさ、好きなようにできないのが嫌いだったんよ。だから麻雀を教わるとかってほとんどしたことがないんだけど。でも今のこの環境は嫌でもその気にさせられるというか、常に刺激を浴び続けちゃうよね。しかも最近だとほぼ同年代の岩澤(岩澤圭佑・前新人王)とか平島(平島晶太・最高位戦Classic)とか山ちゃん(山崎淑弥・BIG1)のタイトル獲得があったし、俺も頑張らなきゃなと思う。前回のリーグ戦で最終節開始時首位だったところから昇級を逃して悔しい思いをしたのもあるしね。好き嫌いは置いておいて、改めて学ぶってことに挑戦してみようかな、というかしなきゃって感じるようになったんだよね。

あと、自分が憧れている先輩たちみたいになりたいよね。村上さんもそうだし、光太さんもそうだし。特に光太さんはアカデミーでお世話になって、自分がアカデミーの運営をしてる今でも講師をお願いし続けてるし。麻雀プロとして、男してこういう先輩みたいになりたいね。

最後に、親への恩返しをしたいってのがあるね。最近ようやく親からも自分の活動に理解をしてもらえ始めたんよ。元々は麻雀プロって結局巷で言うとところの雀ゴロみたいなもんだと思われてたみたいなんだけど。そんな父親が最近Mリーグを見始めたみたいで「村上ってのはつえーなぁ」って電話で話しててさ。自分のプロ志望のきっかけになった村上さんにそう思うあたりにシンパシー感じちゃうよね。でもこういった麻雀番組のお手伝いをしてるって話をしたら、父ちゃんから「頑張れよ」って言ってもらえたときはめっちゃ嬉しかったね。

ぽろっと粟野から溢れた「父ちゃん」という呼び名。色々とやんちゃをしたり反発したりしつつも、そんな中に垣間見える粟野と父親との関係性が滲み出た、温かみのある言葉だった。

今まで色々迷惑かけたかもしれないけど、父ちゃんが生きてる内に自分が活躍してる姿を番組上で見せること、そして何かしらのタイトルを獲ること、今はそれが一番の恩返しになるんじゃないかなと思う。

急に語られた家族愛について耳を傾け、少しじーんとしていると、粟野が最後に口を開いた。

あと、やっぱりジュディマリのTAKUYAさんといつか麻雀打ってみたいかな。髪型も昔からずっと真似してるくらいに大好きだし、いつかこの夢は叶えたいね。

くじら12号が紡いだ縁は、TAKUYAさんの元まで届くのだろうか。夢を語る粟野は楽しそうに笑う。この男にはやはり不敵な笑みがよく似合う。

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