コラム・観戦記

FACES - “選手の素顔に迫る” 最高位戦インタビュー企画

【FACES / Vol.21】大平亜季 ~デザインする麻雀の未来~

(インタビュー・執筆:高倉武士)

2016年10月に対局が行われた第16期女流最高位決定戦最終日。アガれば優勝という条件の中、聴牌を入れた2巡後、山に伸ばす手が震えだした。

「どうしてもツモりたい。勝ち続けたい。」

その一心だった。

打ち出されたアガリ牌にロン発声をかけたが、しっかりとした声が出ない。倒牌もままならなかった。

前人未踏となるデビュー期からの女流最高位3連覇。あれから5年の歳月が過ぎようとしている。

彼女の現在地はどこにあるのだろうか。そしてどこに向かって歩みを進めているのだろうか。

大平亜季(おおひらあき)

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結果で見返すために最善を冷静に追い続けた

第16期女流最高位決定戦で3連覇を決めた時もそうですし、モンドチャレンジマッチで条件を満たす手が入ったときもそうだったんですけど、「どうしてもツモりたい!これをツモれば勝てるんだ」って思うと手が震えてしまう気弱な小心者なんですよ。これがコンプレックスです。

大平と言えば、淡々と一定のリズムで摸打を繰り返せることが特長の選手であると思っていた。初出場初優勝の2014年、連覇を達成した2015年は終始落ち着いていて、貫禄すら感じさせる対局姿勢。一転、2016年に鮮やかなピンクのネイルが小刻みに震える様子が映し出された時、大平の人間らしさを感じ、私は少し嬉しい気持ちになったことを覚えている。この震えの由来について少し掘り下げて訊いてみた。

1年目の決定戦は放送対局とは言え、不思議と緊張はしなかったです。優勝した後に「これは2年目以降、苦労することになるなぁ」とは思いました。いきなり最良の結果を出してしまいましたから。勝てたことは素直に嬉しかったのですが。

実は当時、大平を知る者はこの結果に驚かされることはなかった。新人離れした雀力も認知されていたし、その力を大舞台で発揮する精神力も備わっているだろうと思われていたからである。しかし、戴冠後に周囲からは様々な反応があったそうだ。

多くの祝福もいただきました。しかし一部選手やファンの方から「1年目で優勝するのはおかしい」という声ももらいました。競技麻雀は対局の前提となるルールとシステムありきだと自分の中では割り切れていたので、そういう声もドライには捉えることはできたんですけど。

周囲から直接寄せられた不満は結果で見返すしかないと思っていました。だから1年目よりも2年目に優勝したときの方が嬉しかったし、2年目よりも3年目の方が懸ける想いが強くなっていました。

3連覇を果たした第16期の決定戦で迎えた最終戦南4局、大平の条件は「役満ツモ」であったが、そこで大平は冷静に条件を整理し、俯瞰的に自身の置かれた状況を捉えていた。

役満条件であれば役満を見ることはもちろんですけど、そもそも役満なんて滅多に出ない。それよりも親がテンパイ連荘したときに、自分がテンパイ、競争相手のいわまさんが一人ノーテンであれば、次局満貫直撃くらいの条件になるのはわかっていました。決めに行ったいわまさんが親に放銃してもっと条件が軽くなるかもしれない。とにかく親の連荘に期待しつつ、少しでも条件が軽くなるようにと進めました。

実際には同0本場は親番石井あやの一人テンパイ。同1本場にいわまが石井に満貫を放銃し、同2本場を迎えた時点で大平が暫定優勝ポジションに躍り出るのだが、局間毎に冷静に自分と他家の条件を再計算する大平の姿が見て取れる。そして決着のついた同2本場、いつものように淡々と摸打を繰り返す大平はくっつき牌の選択も間違えず、最速かつ良形のテンパイを入れた。

-周りの動向がより冷静に見えてくる。暫定首位ポジションの自分が本局で速度も形もリードしていることを再認識できた。くっきりと勝ち筋が見え、ここで初めて勝ちを意識した。そして決着の瞬間をカウントダウンするかのように震えだす手。2年前にぶつけられた不満を結果で見返したかったから、どうしてもツモりたい。勝ち続けたい。-

さて、大平の震えは弱気な小心者ゆえであっただろうか?モンドチャレンジマッチの時も同様で、最高位戦の代表として出場した対外試合での勝利に飢えているゆえのものであった。おそらくこれは俗に言う武者震い。興奮であり、高揚である。他競技ではあるが、かの有名棋士のそれに大平の反射が重なった。

 

リーグ戦の不調と意識改革

デビューから3期続いた華々しすぎる女流リーグでの結果。しかし大平からはその栄光にすがる様子は一切感じられない。

過去の結果にこだわりたくないし、自分が強い選手の部類に入るとは思っていません。ただ3連覇した当時より今の自分の方が間違いなく強いという実感はあります。

最高位戦リーグではデビュー期である第39期前期にD1リーグから昇級したものの、そこから8期に渡ってC3リーグとD1リーグを往復することとなった。

同リーグの選手に比べて、女流リーグで成功体験を得たせいか、プラス評価を得ることに傾倒してマイナス評価を避ける大切さをおろそかにしていました。負けてても頑張れば昇級ラインに届くんじゃないかっていう過度なポジティブさ。短期決戦の戦い方が自然と身についてしまっていました。だからこの頃は「不屈のヘナチョコリズム」ですね。

白い歯を見せておどけて笑った大平のキャッチコピーは「不屈のリアリズム」。夢は見ず、手牌に溺れず、与えられた状況での最善手を繰り返し選択し続ける。そして、それが最善手であったかどうかをひたすら検証する。その精度と準備の姿勢は当時から評判が高かったはずだが。

継続参加している私設リーグで2年前くらいに気付かされました。これは小山さん(A2リーグ所属、小山直樹選手)の影響が大きくて、2着の重要性に納得し、実感できるようになったんですよ。最近のリーグ戦の成績が安定しているのは、無理に昇級を狙わず、時に残留を受け入れる姿勢を取れていることが結果に結びついているからかも知れません。

鍛錬は絶え間なく続けられ、リアリズムにさらに磨きがかかっている模様。そういえば、大平が強いと思う選手、理想とする選手とはどういう選手なのだろう。

強い人いっぱいいますよ!先ほど触れた小山さんの他にも、入会当初から、いや、麻雀を始めたときから憧れているのは坂本さん(A1リーグ所属、坂本大志選手)。坂本さんがいるから最高位戦を選んで入会しました。坂本さんの麻雀とその向き合い方を尊敬しています。

 

漫画や小説を創作する小学生

大平は1980年福岡県生まれ。物心がついたのは東京に転居した後であった。言葉を覚えたのも東京。そして小学校入学前に鹿児島県へ移り住み、高校卒業まで緑豊かな鹿児島県で育つ。

凡庸なこどもですよ。みんなと遊ぶ凡庸な子。ファミコンしたり、ブランコで遊んだり。新聞広告の裏に自作の新聞を書いて、家族に読んでもらっていました。日曜日はクロスワードパズルなんかを付け足したりして。

たしかにどこにでもいる典型的な小学生の姿に思える。ここまでは。

「小さなひよこちゃん」っていう漫画を描いてみたり、「豚の旅」っていう小説みたいなものを書いてみたり。先生の似顔絵を描いて、先生に見せたりもしてました。テストの点数は勉強しなくてもなぜか取れちゃう子だったんですよ。ただ忘れ物が極端に多かったり、学校の机の引き出しがものすごく散乱していたりはしていたんですけど。

「凡庸」に疑義が生じてきた。勉強しなくてもテストの点数がクラス上位になる児童はそんなに数多くないはずだ。また、漫画を描いたりしていた子はいたかも知れないが、小説を書く児童っていただろうか。

ただ、勉強しなくてもテストが解けてしまうこの能力は、こどもの頃しか使えないんだろうなぁと幼心ながらに思っていました。そして自分は優秀な人材ではないとも感じていました。

ほら、やっぱり。大平から「凡庸な子」と繰り返されたときに、その予感はあった。自分の限界を推して測る感覚をもつ児童なんて、そうそういない。少なくとも私は出会ったことがない。なんとまぁ個性豊かな、大物感の漂う少女であっただろうか。そんな中、大平はクリエイティブな活動を継続していく。

中学校では授業中に漫画や先生の似顔絵を描くようになり、クラスに回覧していました。高校でも吹奏楽部でパーカッションを担当していました。部活以外では生物科目にどハマリして、昼休みは生物室に入り浸る学校生活を。大学は当時の先生のススメもあって女子大に一旦進学しましたが、2年で中退し、服飾の専門学校に入り直しました。学業で良い成績を収める能力は18歳までしか続かないと思っていたし、手に職を付けた何かの専門家になりたかったので。

大平はこの専門学校の中でも優等生として学校生活を過ごしていた。18歳までしか続かないと予想していた特別な能力を発揮できる期限から既に5年も経過しているのだが。そしてこの頃大平に人生の大きな転機は突然訪れた。

最終学年の3年生の時に、手と腕を中心に全身に痛みを感じるようになりました。立体裁断の授業ではとてもじゃないけど、ハサミを持てるような体調ではなくて。病院を転々としたものの、当初は原因も病名もわからず。病院に行って治療すれば治るものと思い込んでいたのに、快復に至らず、戸惑いを超えて怒りの感情が出てきたんです。

後に “胸郭出口症候群”と病名こそ明らかになったが、この病気とは今でもお付き合いを続けている。これまでずっと健康に、そして順調に過ごしてきた大平にとっては自身に降りかかった初めての災難であり、自分がフルパフォーマンスを発揮できないという状況に陥ったときに抱いたのは、この分野で仕事をしたくないという気持ちであったという。実は大平、病気のことについてはあまり語りたくなさそうだった。どうしても人によって様々な受け取り方があることに配慮してのことだろう。しかし、結果的にこれが雀士・大平亜季を生むきっかけの一つとなる。

 

麻雀を始めたきっかけは牌のデザイン性

人生で初めて感じた無力感でした。今までと全く違う何かに挑戦したくなり、麻雀を始めました。麻雀は本で見たことがありましたが、最初に惹かれたのはゲーム性というよりも、牌のデザイン性だったんです。元々、ピクトグラムと呼ばれる非常口のマーク、信号のマーク、道路標識のデザインとかが大好きだったので。

牌のデザインにそこまでの魅力があるとは感じたことはなかったが、大平を誘ってくれたのであるならば、牌のデザインを制作してくれた先人に感謝せねばなるまい。そこから大平が麻雀に傾倒するようになるまで時間はかからなかった。都内の麻雀店でアルバイトを始め、他のフリー麻雀店にも通うようになり、とにかく打ち続ける日々がやってきた。この頃知り合ったのが、坂本大志、新井啓文、佐藤聖誠、故・田中巌といった面々であったそうだ。

ゆくゆく最高位戦のトッププレイヤーになっていく人達ですが、彼らのような麻雀を自分は打てていないと自覚していたので、プロになることは自重していました。強くなる方法を自分で考え、人に聞いたり、書籍から学んだりして実践することを繰り返してはいたのですが。

出会ったのが彼らでなければ、もっと早くにプロ入りを考えられたのではないだろうか。いや、出会ったのが彼らでなければ、最高位戦の門を叩くことはなかったのかもしれない。一念発起し、受験した最高位戦プロテスト。受験者全24人中、2位という好成績で合格する。大平が麻雀に触れるようになってから8年の年月が経っていた。

とにかくめちゃくちゃ強くなりたいという競技者としての思い、そしてまだまだできることがあると感じていた麻雀業界に自分が携わって、発信していきたいという思いがありました。

 

ずむや開店。麻雀の魅力を多方向から発信

33歳でのプロ入りは比較的遅めのデビューではあったが、ここからの活躍は前述の通り。広告会社に勤務する傍ら、最高位戦のデザイン業務を個別に請け負ったりもしていた。

麻雀に関わる面白いものを発信して、麻雀ファンの方々に楽しい気持ちになってほしいという願いからです。競技麻雀を打つというお仕事、麻雀店で麻雀を打つお仕事、それと同じ気持ちでやっています。どれもが同じくらい価値のあることだと思っていますし、業界を盛り上げるために自分ができることの一つです。

いざ、オンラインショップ「ずむや」開店。

ずむやには大平自らがデザインした、麻雀をモチーフにしたカラフルでコミカルなアイテムが並ぶ。ちなみに、屋号にも使われている「ずむ」は大平のニックネームである。

見た目からクールな性格に思われることが多いんですが、おどけていたい人間なんですよ。Twitterやブログで発信していることも、その根本は自分で思い付いたことで人を笑わせたい、喜んでほしいという思いからです。

2020年1月に開催された最高位戦ペアマッチにて、こんな被り物で笑わせてくれたのも、大平流のおどけなのだろう。

黄色いデスクライトが印象的な作業部屋でデザインはもちろんのこと、梱包や発送に至るまで、全てワンオペで切り盛りしている。梱包作業の様子が気になる方は、是非YouTubeのずむやchにて「ツモパーカーを爆速で梱包する動画」なるものをご覧いただきたい。大平の魅力とツッコミどころが多分に散りばめられていることがお分かりいただけるはずである。

最近やっと利益も出てきました。開店当初は多くの人に手にとってもらいたい気持ちが先行し、値崩れさせちゃったりもしてたんですけど、サービスを持続して提供していくためには、やっぱり利益を出さなきゃいけないという意識に変わってきました。利益が出ないと商品開発に投資することもできないですし。

仕入れや生産方法の見直しによるコスト削減、作業効率化など、やるべきことはしっかりと取り組んでいるようだ。この辺りは競技麻雀への取り組み方とまるで同じ。現状を客観的に分析し、課題が発見できれば、改善に着手する。それを実行に移して評価する。それを大平は淡々とこなしていく。

 

大平の目に映っている麻雀、行き先。

競技麻雀選手としての大平亜季に自分の最大の長所は何かと聞くと、こんな答えが返ってきた。

強いてあげるとすれば、麻雀というゲーム、対局で起こった事象、訪れる展開に対して不満を持たないことですかね。理不尽なゲームだなんて思ったことはないです。

ここまで言い切れることに驚きを覚えた。競技選手においては、理不尽なことが起こるゲームだから○○、理不尽さは感じるけれども○○、という意見や対応が多数であると思われる。一方、大平は「麻雀というゲームの中で起こる事象は全て、そのゲーム性に内包される事象」と予め捉えているため、ネガティブな方向に感情が揺れることはない。

だから厳しい状況でも屈することなく打つことができるのが長所かもしれません。あと無表情で淡々と打つので怖いと言われることが多いです。

そして

お会いしたこともない、見ず知らずの方々にも応援してもらえるようになって、そういう方たちのためにも勝って結果を出したい、喜んでほしいという気持ちを持てるようになったのもプロになったからこそ。競技麻雀選手としてはとにかく勝つことが何よりの発信方法だと思っています。「自分が勝つために」それだけを追及していきたい。

とつづけた大平は明日に向けてまた一歩、歩を進める。

競技選手として、デザイナー、クリエイターとして、発信者として。あなたの目には大平亜季の彩りはどのように映っているだろうか。

大平は自身からの、あるいは自身に関連する発信に対してとても気を配る。どんな言葉をチョイスし、どんな文脈で伝えれば相手に伝えたいことが伝わるのか。逆に相手はどのような意図でこの言葉を発してきたのだろうと慮るのである。そんな大平だから優しく、温かい。先輩、後輩を問わず最高位戦選手が大平を慕うのも、みながそれを実感しているからであろう。前述の病気の件も、そういった配慮の一例である。

 

大平の麻雀が、大平の創作物が、あなたの手元に届いたとき、あなたの麻雀ライフが少しでも彩られ、そして豊かなものになることを願う。

大平はきっと、麻雀の未来を色鮮やかにデザインしていく人間である。

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