コラム・観戦記

FACES - “選手の素顔に迫る” 最高位戦インタビュー企画

【FACES / Vol.19】石井一馬 ~批判を結果で黙らせた男はシビアに自身を見つめる~

(インタビュー・執筆:鈴木聡一郎)

 

私が石井一馬と初めてちゃんと会話したのは、2014年のことである。

一馬の著書を作るべく竹書房に呼ばれた私は、会議室にいる一馬とその隣にいる女性を見つけた。

はて、この女性は?

話を聞いていくと、一馬の彼女ということが判明する。そもそも今回の本は彼女向けに一馬が作った麻雀ノートの書籍化だということだった。

そういったコンセプトもあり、その後も打ち合わせには必ず彼女が同席していくのだが、今思い返すと打ち合わせに彼女を連れてくるという一見不思議にも見える行動は、一馬がシビアに自身を見つめた末の選択だったのだろうなと思い至る。

一馬は自分語りがあまり得意ではなかった。そこを彼女がうまく補完していく。著書『麻雀偏差値70へのメソッド』が、単に戦術を語るだけではなく、一馬の人となりまでわかるような内容になっているのは、正に彼女の功績だった。

あれから7年、一馬はこの取材にも当然のように2人でやってきた。

この7年は、麻雀界にとっても一馬にとっても激動だったはずだ。そんな時代を、一馬がどのように考え、どのように歩んできたのか、話を聞いた。そこには、意外にもシビアに自身を見つめる一馬の姿があった。

石井 一馬(いしい かづま)

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母親に勉強を見てもらう毎日だった

一馬は3人兄弟の長男で、とにかく母が勉強について厳しかった。

両親は大学出ていなくて苦労したみたいで自分が損したことがあったから、子供にはちゃんとした教育を受けさせたいと思っていたみたい。幼稚園から公文式に行っていた。そのときから算数は好きになってたかな。

母は19時ぐらいに仕事から帰ってくると、つきっきりで一馬の勉強を見ていた。

「なんで勉強しないの!?」ってよく言われてた。「俺はゼルダの伝説やりたいのに、なんでそんなに勉強しなきゃいけねえんだよ」って感じでしょっちゅう口喧嘩。20時以降はテレビも見れないから、学校でテレビの話になってもわからないので困ることも多かった。勉強が嫌になって、家出もしたんだよな。小学4年のときかな。勉強自体は嫌いではないけど、夏休みだってのに週5で塾に行く生活で不満も溜まる。

最近俺の子供の時の話をしたんだけど、結局お母さんも初めての子育てで力入れすぎたわテヘって感じだったみたい。勉強は嫌いになりつつあったけど、お母さんの徹底した管理によって成績は上がっていった。俺との経験を活かし、弟二人には少し緩めの指導でえっ????ってなったけど。

こうして、考える基礎を築いた一馬は、名門・巣鴨中学校に入学する。

 

中学に入ってからの成績は酷いものだった。お母さんと中学受験終わったらしばらく落ち着くからと話していたので、本当に落ち着いたんだろうな。

ちなみに、現在両親や兄弟とは非常に仲良しとのこと。

両親には感謝してるし、尊敬もしてる。仕事終わってから子供に付きっきりで勉強させるとか、普通できないよ。親をすごいなと思い始めたのは高校ぐらいからかな。今、父は建築士辞めて釣り船屋をやってるし、楽しそうだね。サイトも自分で作っててすごいなと思う。おじいちゃんが3年前に亡くなって、それを父が継いだ形だね。とにかく何でも調べて自分でやっちゃうから、スマホとかのことも俺より全然詳しいよ。

剣道場で麻雀と出会う

中学では剣道の授業があって、中間テストでも剣道があった。それなら剣道やっておくとテストの点数がよくなって得だなと思って剣道部に入った。

一馬が麻雀と出会うのは、この剣道部でのことだった。

中1の合宿で、厳しい練習して、休憩時間って普通寝るけど、1人だけ持ち込み禁止のゲームをやっているやつがいた。そんな面白いゲーム最近あったっけなあと思って近づくと、麻雀だった。昔よくあった1つだけゲームできるハードウエアみたいなやつあったじゃん?あれの麻雀だけできるやつ。

そこで麻雀をやらせてもらった一馬の感想は、意外なものだった。

最初、全然面白いと思わなかったんだよね。アガリの形になると点数もらえるのは知ってたけど、ロンボタンが出ないときと出るときがあった。おかしいなと思ったから、本を読んで役を覚えたりした。あるとき、イーペーコーの形があるのにロンボタンが出ないことがあって、カワラ(ゲームの持ち主)に「鳴いてるとイーペーコーダメだってよ」って言ったりして、2人で少しずつ覚えていった。

カワラがルールよく知らないのに麻雀マニアで、モンドとかも見てるようなやつだったんだよね。そのカワラが「飯田さん(飯田正人)はマジ強い」ってよく言ってて、そのおかげで飯田さんと金子さん(金子正輝)のことは知ってた。

この後、麻雀牌が家にある友人と出会った一馬は、中2でリアル麻雀に出会うが、高校進学とともにネット麻雀を始め、ネット麻雀にどっぷり浸かっていくことになる。

 

ネット麻雀で味わった初めての挫折

勉強で培った理解力を武器に、麻雀のことをみるみる理解していった一馬が、ついにインターネット麻雀『東風荘』に出会う。

高1のときに東風荘始めた。仲間でワイワイ卓っていうのがあって、俺はこれが多かった。それ以外にランキング卓、上級ランキング卓、超上級ランキング卓(超ラン卓)っていうレーティングを競う卓があったんだけど、あるときワイワイ卓で打ってた仲間が超ラン卓に行ったのを見て、ラン卓を始めた。

始めて2ヶ月で特に苦労もなく一番上の超ラン卓に登った一馬だったが、超ラン卓では成績が伸びなかった。

超ランというフィールドで勝ち抜くために強い人の麻雀を見たらわかるかなと思って、観戦し始めた。当時強いって言われてた氷室さんにも頼んで観戦させてもらってた(※東風荘ではプレイヤーが許可しないと手牌を見ることができなかった)。

そこでの気づきは意外なものだった。氷室は一馬と比べて愚形リーチ率が高かったというのだ。裏を返せば一馬は両面リーチ率が高すぎた。

無理に好形リーチを目指すと手牌の速度は落ちるから、オリることが多かったんだよね。だから、愚形でもいいからとにかく先にテンパイするようにした。

これをきっかけに、一馬は当時の最高レートまであと一歩のところまで迫る快進撃を見せた。

 

麻雀店スタッフを掛け持ちし、麻雀で食っていく

高2からヤバイと思って勉強始めたから、高2、3は麻雀自体全然やってない。そのころブラックジャックという手塚治虫さんの漫画を読んだことがきっかけで医学部を受けることを決意。ただ2年間受験に挑戦するも、国立の医学部に合格することができなかった。もう一浪するかってなったんだけど、お母さんがとりあえずセンターの成績でいける大学に行って様子見てみたら?と言われたので迷った挙句その提案にとりあえず乗ることに。

そんな一馬は大学入学と同時に、渋谷と歌舞伎町の麻雀店でスタッフを掛け持ちする。

昼間は渋谷で働いて、仕事後に歌舞伎町でも働いてた。極力麻雀してたかったから、そんな生活でほぼ家には帰らなかった。この辺りで、麻雀で食ってくことは可能だと思った。そこで、19歳のときにプロテスト受けることにした。フリー雀荘で勝ち続けても誰にも見てもらえないから、自分が強いことをみんなに見てほしい人はプロになった方がいい。

プロになろうと思ったとき、真っ先に1人の男の顔が浮かんだ。17歳のときに東風荘のオフ会で出会った石橋伸洋である。

ばっしーの団体なんて言うの?受けるわって感じで最高位戦を受けた。

 

自分の麻雀はプロ相手でも通用する

当時の最下リーグC2から最高位戦リーグにデビューした一馬。実際に打ってみて、麻雀プロの印象はどうだったのだろうか。

「こんなもんか。」だった。初めて「この人もしかしたら強いかも。」って思った人は、1年目の發王戦のときに打った人。オリているときの牌の選び方がうまいと思って、他の人とも違うように感じた。

奇しくも、一馬は翌年も發王戦でその選手と当たる。

發王戦の2回戦で、「この人、本当に放銃しないな・・・。名前はなんというんだろう。」って思った。それが多井さん(多井隆晴)。多井さんの周りにはとにかく人も多くて、初めて意識した麻雀プロかも。

その後、一馬はB2リーグ(現B1リーグ)で後のライバルとも言える佐藤聖誠と出会う。

そこからリーグ戦は聖誠とずっと一緒だったね。B1リーグ(現A2リーグ)では、最終節けっこう競ってた。

最終戦を迎えて現状3位(2位までが昇級)。同卓の新井啓文を抑えてトップを取り、別卓の佐藤がマイナスする、というのが条件だった。最終局、一馬が2着目、新井が3着目。新井は5200出アガリで一馬をトータルでまくるが、結果は流局し、一馬が新井より上にいった。

で、聖誠を観にいったら、聖誠の持ち点がゼロだったんだよね。おっ、これはいけるかもって思ったけど、結局1ポイント差で残留になった。悔しくてその日はすぐ帰った。

※わずか1.8ポイント差に3人がひしめき合う熾烈な争いとなった。

ところが、残留から2ヶ月後、一馬に事務局の石橋から電話がかかってくる。Aリーグの飯田と金子が休場のため、一馬が繰り上がりでAリーグ昇級になるとのことだった。

飯田さんも金子さんも好きだから複雑な気持ちではあるけど、Aリーグで打てることはうれしかった。

そして、ここから一馬の本当の戦いが始まる。

 

金子さんと麻雀がしたい

Aリーグに上がってしばらくが経ち、聖誠と「金子さんと麻雀打つ機会を増やしたくないか?」という話になった。当時俺は勉強会と呼ばれるものに参加したことがなく、他人の麻雀における思考というものをほとんど聞いたことがなかった。最高位戦最高峰・金子正輝の思考ならお金を払ってでも聞きたいなと思ったので、聖誠とお願いにいった。

金子さんは快く承諾してくれた。もう一人は金子さんの希望であの多井隆晴プロを呼んでやってもらえることになった。

これが金子麻雀研究会、通称「ねこけん」の始まりである。

 

本当にAリーガーか?

Aリーガーとなった一馬はシードをもらい、最高位戦以外のタイトル戦にも出場するようになっていった。2012年、第21期麻雀マスターズもその1つだ。26歳の若武者は、初出場でするりするりと決勝まで駒を進めた。

聖誠も直前に發王位取ってて、うらやましいなと思ってたから、優勝したかった。決勝前、応援メッセージがみんなからきた。聖誠からも珍しくきたんだけど、「君もこっち側にきなよ」って書いてあって、なんだよこいつ(笑)って思ったけど、聖誠なりに応援してくれてるんだなって思った。

決勝は全6回戦。全員初決勝というメンバーだった。

みんな決勝に慣れてないし、それなら自分の方がうまいことやれるなと思った。3着3着スタートだったけど、どこかで隙をみせてくると思ってたから全く慌てていなかった。そしたら、3、4回戦で2連勝。俺の後ろに観戦者が集まり始めたのは3、4回戦で2連勝したときぐらいからかな。

瀬戸熊さん(瀬戸熊直樹)の観戦記にも東1局の仕掛けからのオリ打ちについて「本当にAリーガーか?」って書いてあったよね。やっぱり、それぐらいフーロに対する意識が当時の常識みたいなものと違ったんだと思う。

からポン打 ドラ 東家3巡目

結果、一馬は優勝を果たし、1つ目のタイトルを獲得する。すると、次のタイトルもすぐにやってきた。3年後の2015年、第10期飯田正人杯最高位戦Classic、一馬は決勝に残る。

この決勝はいい意味で本当にめんどくさいと思った。多井さんとか準決勝で落ちそうだったのに勝ってるし、隣の卓を見たらたろうさん(鈴木たろう)残ってるし。でも、結果的には多井さんとたろうさんと決勝をやって優勝できたのはうれしかった。

すると、同時期に王位戦も優勝し、20代で3つもタイトルを取るというとんでもない偉業を成し遂げたのである。これでもう一馬の実力を疑う者はいなくなったのだが、一馬は満足していない。

19歳のときには麻雀が遊びだった。今はそれが仕事になって、競技になってる。16年もやり続けてる、人生で一番長くやってること。本気でやったからには一番になりたいよね。降級しちゃったけど、A1リーグを打って、強い人もやはりいるんだなと思ったから、そこで一番になりたい。最高位戦でそれが形になるのはやっぱり最高位だから、最高位戦ルールであんまり勝ててないのは悔しい。これからも考え続けて微調整を重ねて結果を出していきたいと思ってる。

石井一馬がMリーガーを目指す理由

やはりここ最近の話題といえばMリーグ。一馬はEX風林火山の新メンバーオーディションに出場しているが、接客が得意な一馬がこのオーディションに応募したのは少々意外だった。こちらからは麻雀店の接客業が天職のように見えたからだ。そこにはどんな思いがあったのだろうか。

麻雀プロとして、麻雀を打って、観てもらい対価を得るというのは理想の中の理想。どんなにオーディションの通過率が悪かろうが、それを腕で確率を上げ、手繰り寄せるのがプロのやるべきことだと思う。だから応募した。

このようにMリーグへの加入に興味のある一馬だが、どのようにMリーグを見ていたのだろうか。

結果はあんまり興味ないけど、麻雀は見てた。特に多井さん、堀さん(堀慎吾)を見てた。多井さんは強いし、堀さんは興味あったから。せっかくなら強い人の麻雀見たい。多井さんのことは一番強いと思ってるから。

一方で、観戦に対して一馬は独自の感覚を持っている。

他人の麻雀を見ることが上達につながることもあるんだけど、やはり自分で麻雀を打って気づきを増やすほうが上達が早いような気がする。結局知識があっても実践できない人はいくらでもいるし、その場で気づける力をつけることが一番大事なんじゃないかなと思ってる。

 

自分の麻雀の悪いところを把握する

最後に、一馬が思う麻雀が強くなるための方法を聞いた。

麻雀は自分がなぜ負けているかの原因がわかりづらいゲーム。うまい人の麻雀を観戦して自分との打牌の違いを見つけ、理由を自分なりに探るか直接聞いてみるかの繰り返しだと思う。

ある程度上手くなってくると自分の中で思考することによる解決が増えるけど、まずは上手い人に聞くことが一番の近道でしょうね。ここでいう上手い人というのは自分より上手いという意味ではなく、麻雀界の上位クラスという意味です。

そういう人に質問する機会も少ないので、難しい方法かもしれませんが・・・

批判と戦い続けたストリート系雀士

一馬はAリーグに上がってすぐ、単なる中バックで裸単騎になった。今と違って放送もなかったため、観戦者も多かった。そこにいた多くの者からの「なんだこいつ」という視線と空気。そういう目を向けられることは何度もあった。

ただ、その度に、一馬はシビアに自分を見つめ、自分の麻雀が間違っているかどうかのみを冷静に考え続けた。正しく自分の負けを分析したのである。

そして、それはやがて一馬に3つのビッグタイトルをもたらし、周囲を黙らせた。

19歳から麻雀店で働き続けるストリート系雀士は、今も現状に甘んじず、もがいている。

共に歩んでくれる最高の理解者が隣にいてくれるから、いくらでも前に進める。

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