コラム・観戦記

FACES - “選手の素顔に迫る” 最高位戦インタビュー企画

【FACES / vol.16】河野直也 ~元ヘタクソは麻雀と生きることの楽しさを伝えるために何でもやる~【生きる楽しさ編】

※この記事は後編です。ぜひ前編からご覧ください。

(インタビュー・執筆:成田裕和)

選手のみならず、麻雀教室の講師、実況・解説、YouTuberなど多種多様な仕事をこなす河野。自慢のコミュニケーション能力を活かして様々な仕事にチャレンジし、活動の幅を広げてきた。いかにも順風満帆な人生に見える。

ここで家族について聞いてみた。すると、河野は少し考えてから、暗いトーンで語りだした。

ここからは重い話になるかもしれないけど、皆さんに伝えたいことがあるので、長くなるけど話させてください。

普段プライベートについて多くを語らない河野から、麻雀プロになる前の話を聞いた。

 

自由奔放に生きた青年期、人生最大のモテ期も経験

河野は東京都日野市生まれ。中学では卓球部だったという。その卓球部を選んだ理由が興味深い。

本当は親友がソフトテニスやってたから一緒にやりたかったんだけど、道具を揃えるのにかなりお金がかかることを聞いて、悩んでいた時に偶然近くに卓球部の部室を見つけたんだよね。「卓球って中学から始める人多いイメージあるし、そんなに経験者少なさそう。今から始めても目立てるんじゃね?」って思って、速攻で入部を決めたよね。サッカーとか野球もやりたかったんだけど、昔からやってた経験者がレギュラー取りがちじゃない。とりあえず目立てそうな競技をやってみようって思って卓球始めた。

やはり河野は根っからの目立ちたがり屋なのだと、話を聞きながら改めて再認識した。河野はやがて中学校の生徒会長となり、さらには卓球部で『キャプテン兼エース兼監督兼部長』となる。役職が多すぎてこんがらがってしまいそうになるが、部活では練習内容を考えたり、試合のオーダーを組んだりするなど、率先して部活を引っ張るようになる。

でも中学最後の大会の時、あと1つ勝てば関東大会の試合で、僕のオーダーミスと緊張ですごい悔しい負け方をしたのよ。あの時はすごく責任感じたし、チームメイトへの申し訳なさで試合終わった後、ずっと泣いてたなあ。

責任感の強さと負けん気の強さは、幼少期に培われたのだろうか。河野には4つ離れた兄がいる。

兄は僕とは真逆の性格で、とにかくおとなしい性格だった。そんな兄のことを今でも僕は大好きなんだよね。けど、本当に迷惑をかけてたね。特に高校時代は。

河野は高校時代、「人生最大のモテ期」と自称するほど、入学して間もなく10人に告白されるという、かなりのモテ男だったようだ。その中で付き合った当時の彼女と遊ぶ時間が長くなり、実家からは次第に足が遠のいていった。

高校時代くらいからかな、親がとても仲悪くなったんだよね。僕が家に帰らないことが多くなったこともあって、兄が親といる時間が長かったから、兄が両親どっちの話も聞く役目だった。今思うと、兄は大変な時代を過ごしていたんだよね。親父がB型肝炎になったのもあって、食べちゃいけないものとかつまんだり、タバコ吸っちゃいけないのに吸っちゃったりとか。そのたび両親は喧嘩してたらしい。

両親の喧嘩をよそに、河野は自由奔放に遊び続けた。やがて高校を卒業すると実家に戻り、小さいころ父親から教わった麻雀にハマったことをきっかけに、麻雀店でバイトをしながら生活することとなる。しかし、その時から次第に母の様子がおかしくなっていったという。

 

母の発症と父の死去

ある日、母が「ベッドを2つ買ったから」と言ってきた。ベッドはもうすでに足りてて、店に電話したら「そんなもんは買ってない」と。そしたら翌日届いたのはパソコン2台だった。なんかよくわかんないけど「おかしいな」って初めて感じたのはその時だった。

一抹の不安はあったが、その時はそれほど気にしなかった。父はやがて肝硬変となり、病院に入院する生活を余儀なくされた。兄は仕事に行くようになり、家には母一人となる。そして、ついに事件が起こる。

僕が当時麻雀店で働いている最中に、おばあちゃんから電話がかかってきて、「今日16時に母が私の家に来る予定だったんだけど何回かけても電話にも出ないし、全く反応がない。どうかしたの?」って。時計見たら19時。胸騒ぎがして急いで家に戻ったら、浴室からシャワーの音がした。まさかと思って浴室のドアを開けたら、裸になった母が風呂の桶に座って冷たいシャワーをずっと浴びていた。その時に母が「ここから出れなくなっちゃた、なんでこうなっちゃったんだろうな」って呟いた瞬間、泣いてしまったんだよね。ああ、母は今とんでもない状態なんだなって。

その後病院に連れていくと、母は「若年性認知症」という診断を下された。認知症は、一般的には高齢者に多い病気だが、65歳未満で発症した場合、「若年性認知症」とされる。すると、次第に兄はうつ病になり、父も病気が悪化。あっという間に家族が崩壊していった。当時を思い出したのか、うつむきながら河野は続ける。

ほぼ全て麻雀プロになる前の出来事だった。しばらくして麻雀プロになって、数年間で親族が多く亡くなってしまった。親父が亡くなった時のことも、僕の結婚式のことも、母はたぶん覚えていないと思う。僕は明るい母が大好きだったから、なおさら辛かった。あの頃、僕以外の家族はみんな壊れてたね。今は兄貴の家族方で母を施設に通わせてくれてて、本当に頭が上がんないです。

身内でこのような不幸が連続して起きると、麻雀が手につく精神状態ではなかっただろうが、河野は妻と支えあい、前を向いて生きてきた。

辛いことが連続して起きたからこそ、自然と心の芯が強くなったんだと思う。「苦しい」「辛い」っていうのを出し続けていても意味が無いと思っていて、それは今の麻雀人生にも通じている。こんな大変な中で麻雀を続けられたのも、僕の楽観的な性格もあるんですけど、やっぱり妻の実代子のおかげですね。お互い麻雀関係のお仕事をやっていたからこそ理解もあったし、うまくやれてきたのかなと思います。

いつも私たちの目の前にいる河野は、明るく振舞いよくしゃべる、麻雀に熱いお兄さんである。しかし裏では、常に自分と戦っている繊細な心の持ち主だ。こうした辛い経験を乗り越えたからこそ、河野は決して人前で苦しい姿や辛そうな姿を見せないのだろう。

若年性認知症って、あまり認知されていない話だからこそ、皆様にお伝えしたいと思って今回こうした話をさせていただきました。こういう病気があるってことを知っていれば早めに対処できるかもしれないしね。そして、僕もいつまで麻雀が打てるかわからない。だからこそ、家族を大切にしたほうがいいと常々思って生活しています。

麻雀をしたくてもできなくなる人がいるように、生きたくても思うように生きられない人がこの世の中にはたくさんいる。だからこそ今を一生懸命に、そして楽しく生きてほしい。河野の実体験からくる熱いメッセージだった。

 

麻雀プロになってから急速に人間関係が広がった

そんな河野は、家族だけでなく人とのつながりも大事にしている。河野のインタビューを通じて感じたのは、つながっている麻雀関係者の多さだ。そもそも麻雀プロになるきっかけはなんだったのだろうか。

麻雀プロになろうと思ったのは、一番近くで一緒に麻雀をしていた坂井さん(坂井秀隆)さんがきっかけでしたね。その坂井さんに憧れて最高位戦に入りました。プロに対してカッコイイなあっていう印象がありましたし、もちろん目立ちたいっていう気持ちもありました。でもあの頃は本当に井の中の蛙でしたね。

河野は最高位戦入会後初のリーグ戦で、現A1リーガーの石田(石田時敬)とそろって降級してしまう。最下リーグからの降級となるため、再試験が課された。現在では2期連続で下位だった場合に課される再試験が、当時は1期で再試験を受ける仕組みだったのだそう。そのまま辞めることも考えたらしいが、持ち前の負けん気の強さがここで発揮される。

このまま辞めたらかっこ悪すぎるなと。死ぬ気で勉強して再テスト合格したね。でも今思えば早めにつまずけて良かった。ここで負けてなかったら、逆に今プロ続けてたかわかんないもん。受かった後はひたすら最高位戦ルールの知識を入れたり、先輩にセット組んでもらったりしたね。

若い頃は本当に生意気だったと語る河野。何度も先輩とぶつかって、そのたびに麻雀界での生き方や礼儀を学んできた。

プロに成りたてだった世間知らずのクソ生意気な僕を諭してくれたみちるさん(野口みちる)や有賀さん(有賀一宏)らが道しるべを示してくれたからこそ、今のポジションで麻雀業界に携われているのかなと。礼儀や先輩との関わり方など、若いときにしっかり学ばせていただけて本当に良かったと思う。最高位戦の上の方々は本当に優しくて良い先輩方ばかりなんだよね。

先輩方の人柄の良さは以前のFACESでもたびたび取り上げられるが、そうした中で河野が先輩に好かれる理由が私にはよくわかる。彼はお調子者だが、どこか人懐っこい性格が滲み出ているからだ。

先輩で特に仲いいのは賢ちゃんと早香(茅森早香)だね。二人ともタイプは違うけど本当におもしろいよね。あと嫁と共通の親友である真紀(浅見真紀)とも長い付き合い。今新潟から本部に戻ってきた佐藤崇さんや北海道本部の伊藤聖一さん、現女流最高位の伊藤奏子さんにも本当にお世話になってる。もうお世話になってる人がいすぎてしゃべり足らないんだけど、それくらいたくさんの人に支えられて、プロ生活を送ることができてます。

(河野本人が仲良しと語る、園田、浅見、茅森の3名)

(2018年最高位戦ドリームマッチの『浅見ヤンキース』チームメンバー。左から伊藤聖一、園田賢、浅見真紀、河野、佐藤崇、水巻渉

関わった人の多さが河野の原動力となり、今の活躍の礎となっている。これからも彼は人との出会いを大切に、麻雀と向き合っていくことだろう。

 

後輩プロへ伝えたいこと~プロとしての自覚を持って活動してほしい~

河野は、後輩の麻雀プロに対してメッセージがあるという。

僕は後輩に厳しいです。なぜなら、今後の麻雀界を背負うであろう人たちだから。そして、後輩たちはぜひプロとしての自覚を持って活動してほしい。麻雀プロとして、どう活躍していきたいか、どう見せていきたいか。その部分が活動する上での原動力となるし、一番大事になってくると思う。実力で強くなることはもちろん、ファンの方との接し方も丁寧に自覚を持って行うことで、自然と活躍の場は広がっていくと思います。

ここ数年で麻雀プロはかなり増加している。Mリーグの影響で麻雀の社会的価値が上昇し、麻雀プロの対局が身近になって知られる機会が増えたからこそ、河野は今のポジションで得たこと、伝えられることは惜しみなく後輩へ伝えていくつもりだ。

今の僕のポジションを目指している人もいると思うけど、見た目以上にけっこうなプレッシャーと戦ってます。でもそれが心地いいですね。麻雀プロはそうじゃなきゃなって思います。選手としてはもちろんA1リーグ昇級が現在の目標ですけど、やっぱり一番は麻雀プロとして「いかに麻雀の楽しさをお届けできるか」がメインですね。麻雀はじめたきっかけって、「楽しい」という気持ちが全員にあるはずなんですよ。それを伝えていくのが麻雀プロとしての役目だと思ってずっと活動してます。

麻雀プロとして、麻雀の楽しさを伝え続ける。プロ13年目、麻雀プロ・河野直也のポリシーであり、永遠のテーマである。そして、河野の熱いエールを、後輩である麻雀プロはどう受け取り、どう実行するかもまた重要なことである。

これからも河野は自ら楽しみながら、元気に声を枯らして麻雀の楽しさを伝え続ける。そして愛する家族、HQ麻雀の生徒ら数々の声援を胸に、A1リーグ昇級、待ちわびたタイトル獲得へ一心不乱に突き進む。そんな無邪気で熱血な河野に、思わず目が向いてしまう。

では、「雀界の575」とも呼ばれる河野に、最後は得意の川柳で締めていただこう。

 

楽しもう!

未来も手牌も

構想力

 

本当に多才な男である(川柳以外)。

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