(インタビュー・執筆:成田裕和)
私が最高位戦に入会し、昨年10月に上京してきて間もない頃、勉強会に誘ってくれた一人の先輩がいた。その男は、後輩への指導で決して手を抜かないことで有名で、新人研修で最初に出会った際には、怖さすら感じたのを覚えている。
そこで、自分がいかに弱いかを思い知った私は、その先輩に対する「怖い」という印象も相まって、あまりの自分の弱さに申し訳なくなり、涙をこぼしてしまった。
でも、その男は手を抜かずに正面から私と向き合い、麻雀を教えてくれた。私は心を打たれ、この人に麻雀を教わりたいと思うようになった。その男は言う。
褒めてもうまくならないんだよね。僕が成田みたいな時はいつも「そんな牌切るなら麻雀辞めちまえ」とか叱られてばっかだったのよ。僕もそうだったから痛いほどわかるんだけど、すぐ調子に乗って努力を怠る人を何人も見てきたからこそ、麻雀プロとして、教える側に立っている以上は厳しく、そして愛を持って接しなきゃって思っているんだよね。
現在HQ麻雀で共に仕事をする、河野直也の言葉である。
河野直也(こうのなおや)
最高位戦選手ページ https://saikouisen.com/members/kono-naoya/
Twitter https://twitter.com/corn708
選手のみならず、今では講師業をメインに、後輩プロへの指導も行っている。その他実況・解説や司会、YouTuberなど、今や麻雀界でも指折りのマルチプレイヤーとなった河野。人気者となった彼のこれまで、そしてこれからを追った。
『天職』と語る、HQ麻雀での講師業
河野は現在、13年間働いた八王子の麻雀店『ジャンゴ』を退職し、昨年9月からスリーピース株式会社の麻雀部門『HQ麻雀』で講師業を行っている。
河野から教わるHQ麻雀の生徒たちは、「楽しく教えてくれる」「自分の雀風に合った打牌指導をしてくれる」と嬉しそうに言う。
(HQ麻雀のレッスンで指導を行う河野。写真は北海道遠征時の写真)
教えるときに意識していることは、まず自分が楽しむこと。ここが一番大きい。そして、相手のレベルに合わせて、必要であろう情報を、必要な分だけ伝えるようにしてる。麻雀って難しい言葉が多いから、特に初心者・初級者に対しては意味が伝わるように言葉を変換しなきゃいけないからね。もちろん、上級者や麻雀プロの参加者に対しては厳しく接しているし、そういった使い分けが大事なお仕事ではあるよね。
気遣いはもちろん、人を見抜く力が長けているのだろう。その力は、自身の麻雀人生の中で培ったものだった。
プロに成りたての頃は大志さん(坂本大志)や石橋さん(石橋伸洋)に教わることが多かったんだけど、麻雀はほぼ打たずに後ろ見だけ。先輩方が何を切るかと、僕自身が何を切るかをメモして、違ったところや疑問に思ったことを聞く。その繰り返しを1年間くらい続けて、自分の麻雀の基礎が固まった気がする。
一般的な「打って考える」だけでなく、とにかく「見て考える」ことを繰り返したことで、様々な麻雀に触れ、自分で取捨選択を行ってきたからこそ、レベルに合わせた指導が自然とできているのかもしれない。
でも、生徒さんたちにとっては、HQ麻雀で教わることより、HQ麻雀に参加するまでが大変なんじゃないかと思っているんだよね。僕が麻雀プロじゃなかったとしたら、麻雀を教わろうと思わないもん。それでも今、Mリーグが始まって麻雀を見る人たちが増えて、見て楽しむ機会が増えたじゃない。それが自分が強くなる一歩だと思っていて、次第に「この人はなんでこの牌を切ったんだろう」をどんどん知りたくなって、同じように打ちたくなる。そうして「もっとうまくなりたい」「麻雀の奥深さを知りたい」って思う人が増えたからこそ、今のHQ麻雀も成り立っているのかなと思う。
HQ麻雀はスリーピース株式会社が1年半前から開始した麻雀事業で、初心者~中上級者にレベル分けしたレッスンを展開している。初心者・初級者は河野、中上級者はパートナーの醍醐(醍醐大)が担当で、オンラインレッスンやゲストプロを呼んでの添削レッスン、各種大会やトークイベントなど、徐々に事業を拡大しつつある。リピーターも増加し続けており、一定の需要は河野自身も感じているようだ。
素直で良い生徒さんに恵まれているのも、本当にありがたい限りです。レッスンの金額を従来の指導サービスより比較的高めに設定させていただいているんだけど、これは麻雀プロの価値を高めていくうえで必要なことであると思っています。スキルを持った麻雀プロが適正な金額でサービスを提供することが実現しないと、これからの麻雀プロが育っていかないですから。そのためにはもっと知識をつけて、教えるスキルも上げていかなきゃいけない。やることだらけっすね。
麻雀界全体のことを考えて日々奔走する姿は、凄味すら感じさせる。そもそも、パートナーとして働く醍醐大との出会いはなんだったのだろうか。
醍醐さんと親交が深まったのは、1本の電話がきっかけだった。まだ少し挨拶交わしたくらいで全く交流なかったんだけど、ある日「あっもしもし?最高位戦の醍醐だけど分かる?あのさー、昔からずっとずんたん(村上淳)とか賢ちゃん(園田賢)とかと『VS研』っていう研究会やってるんだけど、良かったら来期から一緒にやらない?」っていきなり電話がきたんだよね。当然電話のかけ間違いかと思って、間違いじゃないですよね?僕なんかでいいんですか?って言ったら「ん?掛け間違えてないよね?河野くんだよね?」って。天然すぎる返しは今の醍醐さんそのままだったよ。
こうして醍醐と運命の出会いを果たした河野。『VS研』は2010年にスタートした、醍醐大主催の最高位戦選手による1年間に渡るリーグ戦形式の研究会だ。なんと、当時リーグ戦の立会人をしていた醍醐が河野の麻雀を見てセンスを感じ、この研究会に誘ったらしい。しかし、当時のVS研メンバーからは「まだ早い」「実力不足じゃないか」など、反対の声も多数挙がったという。
そりゃ僕自身も呼ばれるなんて思っていなかったから、びっくりしたよね。最高位戦入ってすぐくらいのときなんて、麻雀見てもらってた大志さんや色んな人から「ヘタクソ」って言われてたし、実際にヘタすぎたからね。それでも醍醐さんが「来期だけは見てやってほしい」とゴリ押ししてくれたおかげで、VS研に入れてもらえることになった。それ以降、醍醐さんとの親交も深まったね。
村上淳・園田賢・坂本大志・佐藤聖誠などの猛者たちが集まるなか、河野はなんと初年度で優勝という結果を残す。そこから人間関係を着実に広げ、活躍するきっかけをつかんだ。
(2019Mリーグ駅伝の際の写真。左からMリーグ公式実況・小林未沙、河野、醍醐)
醍醐さんの1本の電話がなかったら、今の河野直也はないと言っていい。本当に感謝しかないですね。おかげさまで今は一緒にお仕事させてもらってますけど、醍醐さんは今年最高位になって知名度もかなり上がったよね。けど僕なんてタイトルも獲っていなければ、A1リーガーでもない。一番そばで働いているからこそプレッシャーはいつも感じてる。何かしらの結果を出さなきゃプロになった意味がないと思っているので、早く結果を出したいですね。
A2リーグに9年間在籍するなど、辛酸を舐め続けてきた男からの発言は本当に鬼気迫るものがあった。結果に飢える河野のアグレッシブな麻雀に注目してほしい。
しゃべるのは好きだが、解説前日には緊張で吐いたりする
河野といえば自団体のリーグ戦やタイトル戦の実況・解説、イベントの司会を務めるなど、選手のみならずトークでも麻雀業界に貢献している。自身でも「話すことが好き」と語っており、HQ麻雀のレッスンや大会ではとにかくしゃべり倒して会場の笑いを誘うなど、場を明るくする力はピカイチだ。そもそも、実況や解説に携わるきっかけはなんだったのだろうか。
最高位戦に入会して間もないころ、土田さん(土田浩翔)が講師として開催していた解説の勉強会みたいなものに参加して、そこで言葉遣いだったり、実況や解説における基礎を学んだね。今はアナウンススクールに行くことも考えてる。よりクオリティの高い解説を皆様にお届けしたいからね。
(Mリーグの解説を終えた直後の河野)
河野の根本には、麻雀をもっと知ってほしいという、素直な麻雀愛があるように見える。その愛の大きさゆえに、河野はいつも「麻雀の楽しさ」をどううまく伝えられるか、日々葛藤している。なんと解説前日には緊張で食べ物が喉を通らなかったり、吐いたりすることもあるそうだ。
最高位戦の解説はもちろん、最近はMリーグの解説に呼んでいただくことも増えて、どうやったら選手の魅力を視聴者の皆様にお伝えできるか、いつも考えてる。もともと目立ちたがり屋なのに緊張しいな性格なんだよね。自分でもめんどくさいって思う。嫁の実代子(元日本プロ麻雀協会・華村実代子)に何度も励ましてもらって、最近になって徐々に慣れてきたけどね。実代子からは「よくできたと思うけど普通だったね」とかしょっちゅうダメ出しされるけどね(笑)。
目立ちたがり屋と緊張しいが同居する、非常に人間味あふれる性格の持ち主である。しかし、人前では決して辛い、苦しいなどの弱音を吐く姿を見せず、明るく振舞って見せる。また、努力している姿も見せない。河野のプライドでもあり、美学なのだろう。
麻雀番組と麻雀プロが急増した現在、麻雀番組の実況や解説を目指している者は多い。そのためにはどういった勉強をすればよいのだろうか。
まずはひたすら対局を見ること。音声をオフにして、しゃべりながら実践的な練習をするときもある。あとは実際に実況解説をしている人にポイントを聞くことかな。最高位戦はそういった勉強会みたいなものはないから独学でやるしかないんだけどね。
実況・解説のどちらも経験したことのある河野。歯切れがよくテンポの良いしゃべりは、独学で培ったものだった。河野は、実況・解説の勉強する際、まずそれぞれの役割に応じた振る舞いをしっかり理解する必要があると語る。
実況と解説は役割が全然違う。その場で起きた事象について細かくかみ砕いてお伝えするのが解説だとすれば、実況はその場で起きた事実を正確に伝えて、なおかつ解説に振るタイミングだったりとか、解説と被らないように話すことだったりとか、とにかく全体を俯瞰しなきゃいけない。どちらが欠けても成立しないし、麻雀番組としてどうしたら面白くなるか、盛り上がるかを常に考えています。みなさんが思っている以上に、実況・解説のお仕事は大変です。
河野は解説終了時に川柳を詠むことがある。それは番組を盛り上げ、麻雀の楽しさを伝えるための手段であり、それが自然と自らのセルフプロデュースにもなっている。わかりやすく聞き取りやすいその声で、今後Mリーグでの解説も増えていくに違いない。
プロとして見られることを学んだ『萩原リーグ』
あと、VS研の後になるんだけど、土田さんのお誘いで『萩原リーグ』っていう番組にも参加させていただいたのも大きかったかな。
『萩原リーグ』は、当時アマチュアだった萩原聖人(現・日本プロ麻雀連盟)が主催する2015年からスタートした私設リーグだ。河野は土田の誘いで『萩原リーグ』のオーデションを受け、見事合格。萩原聖人、鈴木達也(日本プロ麻雀協会)、小林剛(麻将連合)、山田独歩など、今も麻雀界の第一線で活躍するメンバーに囲まれながら麻雀を打つこととなる。
(『萩原リーグ』で対局中の河野)
特に達也さんは異質の人だった。知らないものが多すぎた当時の自分にとって、手役の追い方も、押し引きも、目から鱗のものばかり。達也さんの強さは、どんなに手役を追っていても、押し引きを間違えないところだね。本当にたくさん勉強させてもらいました。だからこそ、達也さんが当時言っていた「6ブロックって何?」っていう言葉には衝撃を受けた(※当時、「5ブロック」、「6ブロック」という言葉で手牌進行の議論がされることがすでに多い時期だった)。そういうところも含めて好きになったし、今でも仲良くさせていただいてます。
また、萩原リーグの配信で「麻雀を見てくれている人がいる」というのを意識するきっかけになったのが、麻雀プロとしての転機にもなったそうだ。
強い人たちと麻雀をたくさん打つのと同時に、麻雀というコンテンツを番組として行ううえで、自分の麻雀をどう見せるか、実況・解説として番組をどう盛り上げるか。そういった部分を教えていただいた気がします。「魅せ方」ではなく「見せ方」ね。メディアに出るときの基礎は、間違いなくこの萩原リーグで学んだね。でもその時はホントにとがってて、達也さんや土田さんともぶつかったりしたし、人間としても成長させていただきました。
自分という存在を知ってもらうため、YouTuberはもともとやりたかった
様々な出会いを重ね、2017年から日向藍子がMCを務めるYouTube『ひなたんの麻雀するしない?』(現『麻雀ウォッチ』)でブルー担当として活躍している。そのいきさつを聞いてみた。
自分の存在をもっと知ってほしいという気持ちもあって、YouTubeはもともとやりたかったんだよね。リーグ戦会場で藍子から、「河野さんにYouTubeに出てほしい」と。ついにおれもYouTuberデビューか、よっしゃって思ってたら、「単にモノマネやってほしいんです」と言われて、愕然としたよね。てっきりメンバー加入のオファーだと思ってたから。言い訳なんだけどその日リーグ戦100近く負けちゃった。心揺れてたね。そのあと、僕のほうから「入らせてください」と直談判して、正式にメンバーになったのよ。
トークの巧さ、目立ちたがり屋という性格から、河野がYouTubeで活躍するのはある程度予想できたが、自分から「入りたい」と言ったのには驚いた。こうして、晴れて3番目のツナギメンバーとして、YouTuberデビューを果たす。
(『ひなたんの麻雀するしない?』メンバー)
麻雀プロの結果の出し方はいろいろあるから、とにかくいろんなものをやってみようと思った。YouTubeの企画も出したりするんだけど、120個くらい出して1個くらいしか採用されないんだよね。僕頭良さそうに見えるでしょ?ほんとセンスないのよ。
頭が良さそうに見えるかはノーコメントだが、HQ麻雀を見ていても、確かに河野はネタを書くよりも舞台で羽ばたくタイプだと感じる。
一方、藍子はほんとにすごい。どんなにつまんなくて実現できなさそうな企画でも、いったん持ち帰って、あとで「それっておもしろいの?」「これって企画として成り立つ?」っていつも一緒に突き詰めて考えてくれる。間違いなくあの人はYouTuberとしてもプロだね。
その後、チャンネル登録数は6万人を超え、ますます人気を博している。
このように、キャリア13年で目立ったタイトルこそないものの、30代前半でマルチに活動する男子プロはそうそういない。
河野の通り名といえば『麻雀グラップラー』。グラップラーとは総合格闘技において使われる言葉で、組み技で戦う人のことを指すが、転じて「なんでもできる人」という意味でも使われるそうだ。
こう呼ばれるようになったのは、「麻雀関係のことであればなんでもできます。麻雀を打つのはもちろん、実況・解説、司会までなんでもやります!」と最強戦出場時にアピールした際、実行委員会の黒木真生(日本プロ麻雀連盟)に名付けてもらったことがきっかけだそう。
実際その通り名にふさわしい活躍ぶりを見せている。自らの手で掴み取った唯一無二のポジションを確立させつつある今、順風満帆なプロ生活に見える。
しかし、家族の話になると、河野の表情が少し曇った。それは、これまでの人生が決して順風満帆ではなかったことを物語っているようだった。
【後編 生きる楽しさ編】へ続く