コラム・観戦記

FACES - “選手の素顔に迫る” 最高位戦インタビュー企画

【FACES / Vol.13】浅見真紀 ~「産休中は居場所がなくなるのが不安だった」マルチに活躍する女流プロのリアル~

(インタビュー・執筆:吉田光太)

 

私は浅見のこのブログが大好きだ。大好きなものは紹介したくなる性分である。

浅見の才能を理解していただくためにも、まずはコチラをご覧いただきたい。

『忘れられない恥ずかしい話』

以下、ブログに登場する絵を抜粋して掲載しておく。

浅見のブログは面白い。もちろん文や絵が上手いのもあるのだろうが、浅見真紀という人間の一切飾らないリアルが描かれていることが大きな要因であると私は思う。今日は、そのリアルを私・吉田の視点からみなさんにお届けしていきたい。

 

浅見 真紀(あさみ まき)

選手紹介ページ→https://saikouisen.com/members/asami-maki/

Twitter→https://twitter.com/makimakinncho

 

国立・千葉大学の大学院を卒業して24歳で麻雀プロに。

第9回野口恭一郎賞を優勝し、モンドTVに出演。

その後もビッグタイトル日本オープン準優勝、プロクイーン3位と実績を残している。

「浅見画伯」と呼ばれるほど絵の上手さには定評があり、現在は放送対局の実況でも才能を発揮しているマルチに活躍する女流プロだ。

プロ入りして12年。

そもそも、なぜ浅見は一流大学を出て麻雀プロになったのか。

女流プロとしての生活とは。

彼女のライフスタイルを追った。

 

 

 

――新しく麻雀店を開くことになった。人材が必要だ。

池袋に念願の新店を開く。私は働いてくれるプロを探していた。

言うは易し、これがなかなか難しいのだ。ナゼって、麻雀店で働いてくれるプロは大抵どこかの店にすでに所属している。引き抜きは許されないし、求人広告で来るものでもない。

すると、私の話を耳にした野口みちるから朗報が入った。

「私がいま研修しているオススメの女流プロが2人いるから紹介してあげる」

願ったり叶ったりだ。

私が当時在籍していたプロ協会のことはわかるが、最高位戦の新人のことまではさすがに知らなかった。ましてや、女流プロの教育係をしているみちるさん推薦となれば間違いないだろう。

 

店の開店準備を進めていた初夏のある日、私は新宿の焼肉店に予約を取った。

あまり高級だと気を遣わせてしまうから――

ランチの手頃なコースにして、話しやすい掘りコタツの個室を選んだ。

約束の30分前に店に着き、到着を待つ。

みちるさんと、来てくれる2人への礼儀だ。

そういえば、今日来るうちの一人は国立大学大学院出の才媛だと聞いた。

大学院まで出て、なぜ麻雀店に?

 

そんなことを考えてると、みちるさんと一人の女流プロが到着した。

もう一人は少し遅れているらしい。

挨拶をしてくれて私の対面に座る女性。20歳そこそこに見える。

茶髪のツインテールで服装はパーカーにジーンズ。

一応面接だというのに気負いが全くない。

私のことを知っているかわからないが、緊張しているだろう。

ツインテールの彼女に楽にしてくれと言った。

 

すると、彼女は立膝で思い切りリラックスし始めた。

ちょっと田舎のヤンキーっぽさが窺えた。

――良いじゃないか!

私は胸の内で喝采した。

おそらく茨城とか栃木あたりでメンバーをやっていたのだろう。

こういう子は即戦力になるし、年配受けも良いんだよなぁ…

胆力もありそうだ。

私もこの業界は長い。お客様の素性や見立てなど、人を見る目には自信がある。

さすがみちるさんだ。ツボをわかっている。

すると国立大学出はこの子ではなく、もう一人の方か。

 

そして遅れてシックな洋服に身を包んだ女性が入って来た。

メイクもばっちりで挨拶や佇まいに品がある。なるほどな、と。

ようやく4人が揃い、改めて私は自己紹介の挨拶をした。

すると私の対面に座るヤンキーっぽい子がこう名乗った。

「浅見真紀です、大学を出たばかりです。宜しくお願いします」

 

――こっちが国立出なのかよ!

 

これが、私と浅見の出会いである。

 

 

医者になりたかった女の子

幼稚園の頃は人見知りだったけれど、小学校に上がると活発な子になりましたね。弱気な男の子を突っついたりするような(笑)。進学塾に入ってからは好きだった勉強も嫌いになってしまったけど、あるときから成績がぐいぐい上がってきて。それが楽しくて勉強はまた好きになりましたね。

浅見は相手が男女に関わらず高いコミュニケーション力を発揮する。あと、物事をゲームの様に捉えてクリアしていく楽しみ方。この10年、上司として、先輩として、友人として彼女を見続けてきた私はすぐに共感を覚えた。

お母さんが看護師だったので、漠然と医者になったら喜ぶかなって。医者を目指して勉強し、豊島岡女子中学に入りました。

池袋にある、いわゆる“御三家”と呼ばれる超難関3校に次ぐ名門校だ。その後、同じ池袋にある雀荘で働くなどと、女子中学生・浅見は想像していなかっただろう。なんだか少しスマナイ気持ちだ。

中学3年間はバスケ部に所属していました。ずっと補欠だったけれど、バスケ部の女の子達と遊ぶのが好きだったから苦ではなかったなぁ。そのままエスカレーター式に高校に上がり、天文学部に入りました。ほぼ帰宅部なんですけどね。顧問の先生がゆるかったんで、自由に遊べる!と思って。あ、この頃、友達とバンドを始めました。

浅見らしい一面だ。彼女は人を集めたり、楽しいことを企画する天才でもある。しかし、一般的に女流プロというと家庭麻雀の出身、または学生時代に友達から麻雀を教わる、または麻雀店にウェイトレスのバイトで入り麻雀を覚える――この3パターンが多いと思うのだが、少なくとも家庭麻雀出身ではないようだ。まだ「ま」の字も出てこない。

高校卒業後の進路はどうやって決めていったのだろうか。

子供の頃に描いていた医者への思いは薬剤師になりたい!に変わっていましたね。進学校に入ったことで自分のレベルを知って、医学部に入るのはけっこうきついって自覚して。薬学部なら勉強すればどうにかなりそうだし就職先もありそうだなって…まぁ打算ですよね。

でも、高2になっていざ受験する大学を決めようとしたときに本当にこれでいいのかなって疑問を感じたんです。私が本当にやりたいことって何だろうって考えたんですよ。

このころ、女子高友達と学校帰りにカラオケや渋谷・原宿に遊びに行くのが好きで。いわゆるサブカルっていうか、オシャレなものが好きだったんですよね。10代はみんな通る道だと思うんですけど。それでカッコ良い建物を作ったり空間デザインがしてみたいって思って、建築学科のある大学を探しました。

サブカル系女子――確かに私は初めて浅見のファッションを見たときに歌手のaikoさんのイメージが浮かんだ。aikoさんがサブカル系なのかは置いておいて。

話は逸れるが、浅見は仕事のタスクをこなすのが抜群に上手い。勉強もできただろうが、仕事もできる。大学受験も順調だったように想像がついた。

そうですね、念のため受けた私立もばっちり受かって本命の千葉大学も受かりました。打算的なところは中学受験のころから変わってなかったんで、勉強すれば受かりそうなところを選んでたんですよ。落ちたら悲しいから無理目なところは狙わない。そういう人間なんです。

結局受験科目の関係で建築学科ではなくて工学部デザイン学科を受験したんですけど、建築に近い授業もあるし、幅広いデザインについても学べたので今思うとよかったなぁ。まぁ全然関係ない仕事してますけどね、今。

で、楽しい大学生活が始まったわけですけど、それまで校則の厳しい女子高だったから、大学生活のなんと楽しいことか。初めて一人暮らしをしてアルバイトしたり友達と遊んだり。ただ、デザイン学科だったから新品のMacや多くのソフトを買う必要があって、親にたくさんお金を出させてしまいました。これが後で響いてくるんですよねぇ……

 

麻雀の印象は「渋い」!女子4人で麻雀三昧

そんなある日、大学の友達が連れてきた男の子が麻雀をやろうよって。手積みで初めて麻雀牌に触りました。

麻雀の話がようやく来た。学生時代に友達から教わったパターンか。そのときの麻雀の印象はどうだったのだろうか。

一言でいって、「渋い」ですね。

渋いとは、どういうことか。

お父さん世代の人がやるイメージだったから、渋くてカッコよく思えた。何ていうんだろう、ジャズ喫茶に行くような?麻雀できるんだぜっていうのがオシャレに見えた。

オシャレに見えてしまえば手を出してしまうのがサブカル系女子。確かに昔から芸大や文学部には麻雀をやる女子も多いと聞く。

凝り性だから、その日の帰りに麻雀の本を買って覚えましたね。それで大学の女友達にも勧めて、女子4人で毎日のように打つようになりました。

4人だけで!?メンツを集めるのが大変で、普通は男子も入るものだ。

うーん、ほぼこの4人でしたね。バイトや授業がないときは、今日は誰々んちで麻雀だ!って朝までやるぐらいみんなハマッていました。みんなそれぞれ初心者用の本を片手に、半荘3時間くらいかけて。

うら若き女子大生がアパートで麻雀に熱狂。しかも1ゲームに3時間。何とも微笑ましい光景だ。

本当に仲良しだったので、お祭りの帰りに浴衣で打ったり、ディズニーランド行った後に猫耳つけたまま麻雀したり。今でいう“インスタ映え”じゃないですけど、そういうのがオシャレで、なんか特別な時間を過ごしているように感じてたのかも。

 

人生初の挫折。リーマンショックに泣いた就活

大学2年の頃には例の女子4人で麻雀店でセットをやるようになっていて。そこの店員さんに誘われて雀荘でアルバイトを始めました。最高でしたね。麻雀を打ったり麻雀を見たりしてるだけで給料がもらえるなんて。最初は下手ッぴだし、点数計算もあやふやだったから先輩たちが守ってくれていました。3年生になると大体みんな就活を始めるんですけど、私は自分が社会に出てるイメージが全くわかなくて。

麻雀プロになる男性は大学の授業に出ない。一方、女性はきちんと単位を取る。そういうセオリーが私にはある。そのセオリー通り、浅見は麻雀にハマりつつも、大学生活は手を抜かずにデザインの勉強をしてきた。にもかかわらず迷いが生じた原因は何なのだろう。

私のいた学部の学生はメーカーのデザイナー職だったり広告代理店だったりを目指す人が多いんですけど、今の私のスキルで会社で働いても何もできなくない?就職できるレベルになってないんじゃない?って考えてしまってましたね。打算的な私が「私が就職しても使い物にならないだろうな、無理だな」と思っちゃった。今まで無理そうな努力はしてこなかった人間だから、ここでも自分を見切ったんです。就職できないやって。

ある意味、真面目な浅見らしい選択だ。だが、手積み麻雀仲間たちが就職していく中、焦りはなかったのだろうか。

焦りがないと言ったらウソになるかもしれないですけど、そもそも今の自分で社会に出ても意味がないと思ってたので。長い目で見たらあと2年スキルをつけた方が自分のためには良いだろうなって考えてました。

では、資金的な援助をしていた親御さんはどのような反応だったのだろう。

当時の私は仕送りゼロで、奨学金5万円と麻雀店のバイトだけでやり繰りしていて。でも、親には当然学費を出してもらっていたし、さっき言った教材などでたくさんの負担をかけていた。進学したいって話をしたときは申し訳ないなと思ったけど母親は話を聞き入れてくれて、真紀が納得してから就職しなさいって大学院へ進む2年の猶予をくれたんですよね。

お嬢様学校へ入れて、優秀な大学へ進学した一人娘。どうしたって早く良い報告が聞きたいものだ。しかし、あっさり娘を待つと言う。親はいつだって偉大だ。大学院ではどのような勉強をしたのだろうか。

奨学金を8万円に増やしてバイトの時間を減らしたので、修士論文を書くのに時間を使いましたね。あとはスキルをつけたかったので、企業が開催してる学生コンペにエントリーして作品を作ったり。ほとんど研究室で上下スウェットで過ごしてました。麻雀を一緒にしてた女子達は卒業しちゃってたので、麻雀打つのはバイト先だけになってましたね。

そういえば私の店で働いていた頃の浅見に経済事情を聞いたことがある。彼女は私の店に週に3日ほど入り、基盤となる基本給を確保。残りの日をゲストや対局、勉強会などに充てていた。奨学金は今でも返し続けているという。

「女流プロ」と聞くと華やかなイメージを持つ方が多いが、彼女たちの生活はイージーではない。経済・対局・ゲスト、これらにどう時間を割り振るかが大変なのだ。体力的に最も充実している20代という有限の時間の中で、仕事だけしていたのでは競技麻雀の勉強ができない。

タイトル戦の参加には時間も費用もかかる。仮に大きなタイトル戦に出たら、勝ち上がったときのために本選・準決勝・決勝の日程まで空ける必要がある。また、ゲストに行くために身だしなみにもお金がかかる。いつなんどきも写真撮影に備えなければならない。浅見は、その辺りの管理スキルもこの時期に学業と並行して手に入れていたのだろう。

研究室の勉強はかなり有意義で、先生にも良くして頂きました。いよいよ就活を迎えて、いろんな職種を受けてはいたんですけど、自分に向いていそうでやりたいなと思えたのがCMプランナーだったんですよ。一番行きたかった会社のCMプランナー枠の最終審査まで進むことができて。

残り3人。例年最終審査の3名は全員採用される会社だったんで、ちょっと安心しちゃってたんですけど、ちょうどこのときリーマンショックがあってそれまでの売り手市場が崩壊して、「今年の採用枠は一人です」って言われて、結局私は採用してもらえなかったんですよね

それまで受験でも行きたいところに思い通りに行けてたのに、初めて挫折を味わいました。ああ、人生って大変だなぁって思いながら泣きました。

田舎のメンバーが似合うような女の子。彼女に対して安易なイメージを抱いた自分が恥ずかしい。こんなにも学業や就職に対して真面目に取り組んできた浅見に対し、そのような浅はかな考えしか持てなかったことを反省する。

それで先生の勧めでTVの制作会社にインターンとして入って、そのまま内定も貰えたのだけれど、どこか違和感があって。時期的にもう就職を決めなくてはいけないのでインターンを続けていたのだけど、どうしても心のモヤモヤが取れないでいた。

それでまた母親に泣きながら「ごめん、行きたかった会社落ちちゃった」って電話したら、「残念だったね。そんなに行きたかったんなら就職浪人しても良いよ。あなた一人ぐらい何とか食べさせられるから実家に帰っておいで」って。でも大学院まで行かせてもらって、就職浪人するわけにはいかかないし、やっぱり制作会社でとりあえず働くしかないなと思ってました。

浅見真紀はよく泣く。飲んでいてもそうだ。かく言う私も、今お母さんの話を聞いて泣いている。

失意の中アルバイト先には行ってたんですけど、ちょうどそのころお店の人にプロ試験を勧められたんですよね。麻雀プロで食って行く心算は無かったのだけど、学生生活も終わりだし、記念にプロ試験を受けてみようかなって。

 

麻雀プロになりたいと言ったら母からメチャクチャ怒られた

ちょっとしたチャレンジ精神だったんですけど結果は合格で。最初は働きながらリーグ戦に出ようと思ってたんですけど、入社日が近づいてくるにつれて「いや、どうせプロになるなら麻雀を仕事にしたい!」って思うようになったんですよね。

私もともとゲームとか全くしないですし、趣味もないし、好き!って言えるものがない人間なんです。でも麻雀はたぶん私一生やるゲームだな、こんな風に思ったこと今までの人生でないなって気づいて。そこで意を決して、お母さんに「麻雀プロになりたい!」って言ってみた。

これに対する親御さんの反応は容易に想像がつく。

うん、やっぱりメチャクチャ怒られた。

ところで、相談の窓口がいつもお母さんであると気づく。お父さんには相談しないのだろうか。

お父さん、昔はすごく怖かったんだけど、このときは口を開かずにお母さんと私に任せてくれた。お母さんもすぐに折れてくれて、それでプロの道に進みました。

麻雀プロの道を選ぶのは私たちの青い情熱だ。だが、それを支えてくれる人が必ず存在している。

最高位戦に入って、研修をしている内に実代子(華村実代子・元最高位戦)やみちるさんと出会って。それで吉田との面接になったんだよね。

曲りなりにも私はこの業界でのキャリアが長い。そんな私のことを「吉田」と呼び捨てにする年下の女性は彼女ぐらいなものだ。やはり胆力が半端ではない。

最高位戦のC2リーグから入ったのだけど、あれよあれよという間に2期連続昇級して、2年目で野口賞の推薦を勝ち取って出場したら優勝。モンドTVにも出れました。女流モンドに出たころは赤無し麻雀の経験も浅い頃で戦い方もわかってなかったし、よくあれで予選勝ってたなと思います。めちゃめちゃツイてたんでしょうね。

当時の浅見のキャッチフレーズは「守備を忘れた特攻シンデレラ」である。当時の浅見にぴったりの良いフレーズだ。

でも、それから最高位戦の女流Aリーグに10年いるのだけど、いつも準決勝止まりで。やっぱり女流最高位をいつか獲りたいです。

麻雀店で働きながら交流を広げ、活躍していく浅見のプロ生活。充実したプロ生活も12年目を迎えた。現在のライフスタイルはどのようなものなのだろうか。

 

産休中は「不安」の二文字。自分の居場所がなくならないか心配だった

2017年にプロ協会の橘哲也さんと結婚しました。

2019年11月に子供を一人産んで、現在は子育てをしながらプロ活動をしています。

実は新郎・橘プロも私の元・部下であり、二人の結婚の証人にならせて頂いた。非常に嬉しく思っている。

無知な男に教えてもらいたい。妊娠~出産というのは仕事や対局をどれぐらい休むものなのだろうか。

仕事は麻雀店を妊娠5か月まで、実況の仕事を7か月ごろまで続けていました。復帰最初の仕事は四神降臨クライマックスの実況で、出産後2か月弱。

普通の会社員の方とは違って、私たちは仕事をひとつひとつ受けるので、「この日からこの日までが産休!」という感じではなく、ゆっくり休みに入って体調を見ながら復帰できたのはよかったなぁと思います。この仕事ならではですよね。

その間の収入や出産などに関する国からの補助はどうしていたのだろうか。

個人事業主なので休んでいる間はもちろん収入はないです。ただ、MJや雀ナビがあったので体調のいいときに家で麻雀を打つ仕事だけはできました。国からの補助は普通に受けられますよ。

では、プロとしての根幹である対局はどうだったのだろうか。

11月出産予定だったんですけど、リーグ戦は6月で前期が終わったので後期から産休。女流リーグは8月まで出て、次の年は丸々1期育休を取りました。産育休って最高位戦に昔はなかった制度ですけど、産休・育休扱いの場合、同じリーグから復帰できるんですよね。つい先日、リーグ戦に復帰してきました!女流リーグも今年から女流Aリーグに復帰です。

リーグ戦に出続けている私には当然そのような長期離脱の経験がない。久しぶりの対局というのはどういうものなのだろうか。

めちゃめちゃ疲れました。いい疲労感なんですけど、「ああ、そうだった。リーグ戦4回打つとこんな疲れになるんだよなぁ」って。でも何より本当に最高位戦ルールを打てたのが幸せでした。

女流プロとしてゲストに行きたい!キラキラしたい!とかではなく、私はただただリーグ戦に出たい!と思って入会したタイプなので、ゲスト復帰したときよりリーグ戦復帰のほうが嬉しかったです。

そんなにモチベーションが高い試合を休むことになる妊娠出産期間には、どのような感情で麻雀と向き合うのだろう。

一言でいうと、「不安」の二文字ですね。私が練習不足のあいだ、みんなはどんどん進化してる訳だから。同じリーグに戻っても、所属選手も変わっているでしょ?女流も新しく優秀な子がどんどん入ってくるし。復帰して、私の居場所あるんだろうか、って思ってた。

打ち手として充実した時期を迎えた浅見。その充実期に2年もの長期間、現場を離れなくてはならない。そのようなジレンマを抱える女流プロは多い。それもまた、華やかさの陰に隠れた女流選手としてのリアルだ。

あとはやっぱりMリーグかな!活動休止前は無かったものが今は在るから。

麻雀プロなら誰もが憧れる舞台・Mリーグ。だが、現女性Mリーガーはママさん雀士も多い。

ね、皆さん本当に凄い。ひと昔前までは活躍してる女流プロって独身の方がほとんどだったけど、今は子供を産んでも活躍できるって証明してくれてるから、若い子も勇気になると思います。

ここまで聞いたように選手としての浅見は魅力的だ。ただ、一方で浅見と言えば最高位戦リーグ配信対局での実況もお馴染みになっている。今年も開幕を迎えたが、どれ位のペースで行っているのか。

A1リーグなどの公式対局は全体の5分の1くらいを実況担当してます。もう7年ぐらいになるかな。実況で気を付けていることは、まず一番は対局者、次に解説者の順で魅力を伝えること。私も麻雀プロですけど、私はどうでもいいんですよ。いかに対局とその解説がすごいのかってことさえ伝わればいい。前に出ないようには心掛けています。

ここで少し突っ込んで聞いてみる。解説は誰と一緒だと話しやすいのだろうか。

うーん、新津さんが「誰とでもうまくやるのがMC(マスターオブセレモニー)の仕事だろ!」って話してるのを聞いてからは、得意不得意を作らないようにしてるんで、話しやすい人は特にいません。

でもここだけの話、らくちんなのはずんたん(村上淳)です(笑)。勝手にどんどん話してくれますし、「やめて」って言えばやめてくれますし。普段から会話を多くしていれば相手の間に慣れたり言いたいことがくみ取れたりするので、なるべくコミュニケーションは取った方がいいなと思ったりします。

私からの意地悪な質問に対する受け答えも、MCさながらバッチリだ。ところで、放送対局といえば、最高位戦は4半荘で10時間を超えることもあるほどの長丁場だ。濃密すぎる対局を長時間通しで実況するのは苦では無いであろうか。

大丈夫ではないですね(笑)。長いです。たまに5回戦や6回戦のタイトル戦なんかもあって、「半分担当にもできますけど、どうしますか?」って聞かれるんですけど、断ってます。1日の対局は全部やりたいですね。前の半荘にこういうことがあったとかその日1日の話をしたいので。

これが実況者・浅見真紀としての矜持であり、楽しみ方でもあるのだろう。女子大生が4人で卓を囲み、みんなで朝まで話しながら麻雀を楽しんでいるところを想像してしまった。

 

女流プロとして生きるヒントを与えられるようになりたい

私生活のまとめとして、母となった現在の働き方を聞いた。

夫はサラリーマンとして働いてるんで、こどもを保育園に預けて私も働いています。今までみたいに22時まで麻雀店で勤務っていうのは物理的にできなくなったんですけど、夕方までの時間帯でも麻雀に携われる仕事って無限にあるんですよね。今は最高位戦の事務局員として働いたり、MJのアーケードやアプリの仕事をしたり、たまにゲストに行ったりしてます。

あ!デザインの勉強もちょっとは役立ってるんですよ。放送の蓋絵を作ったり、今期のリーグ戦放送の選手紹介のスライドを作ったりもしてます。

もちろん私の店のメニューや店内ポップも全て浅見に作ってもらったものだ。現在、最高位戦でも裏方として活動していることを聞き、一会員として安心感を覚えた。

夫もリーグ戦があるので正直ゆっくりできる休みはほとんどないですけど、彼の協力のおかげでなんとかなってます。麻雀に対する価値観だったり仕事のイレギュラーさに理解を持ってもらえたりもするので、夫が麻雀プロでよかったですね。多分麻雀プロじゃなかったら崩壊してます(笑)。育児はポジティブに取り組んでるので、毎日笑えるし毎日可愛いねってこどもに伝えていて最高に楽しいですよ。

では最後に、今後の目標、また女流プロを目指す人たちへのメッセージを聞いた。

昔は何かのスペシャリストになりたいって思っていたんですけど、今は考えが変わって、何でもできるオールラウンダーになりたいです。

もちろんプレイヤーもできて、実況もできて文章も書けて裏方もできる。デザイン等の制作物も作れてビジネスもできるような人になっていきたい。

今って昔より麻雀に関するコンテンツが爆発的に増えたので、麻雀に関する業務も当然増えてますよね。浅見さんがいればなんでもできるから頼みやすいよねって言ってもらえるような人になれたら嬉しいな。もう打算的じゃなく、どんどんいろんなことにチャレンジしていきたいです。

結婚して子供が欲しいけどそうなったらなかなか麻雀の仕事ってできなくなるんじゃないか…って漠然と不安に感じてる人もいると思うんですけど、そういう人たちに対して女流プロとして生きるヒントを与えられるようになれたら良いなと思います!

 

リーグ戦に出るだけが麻雀プロではない。

これから、麻雀プロの数はどんどん増えていくだろう。

最初から麻雀に粗がない人、理念を持っている人は少ない。

その成長のさまを魅せていくのも、一つのプロ像ではないだろうか。

 

あの日、24歳だった少女が成熟したプロになり、母になり、私の方が大事なことを教わった気がする。

それと、麻雀を通しての出会いで、家族とこんなにも素敵な笑顔になれるということも。それもまた、浅見真紀のリアルである。

 

fin.  吉田光太

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