コラム・観戦記

FACES - “選手の素顔に迫る” 最高位戦インタビュー企画

【FACES / Vol.08】中野ありさ ~若き店長、名古屋に咲く笑顔の大輪~

(インタビュー・執筆:梶田琴理)

 

これは私が以前からぼんやりと思っていることなのだが、人間には「陽」タイプと「陰」タイプがいる。その人の表情や言葉、考え方、行動などから何となく感じられるオーラが陽か陰か。どちらが優れているとかいうものでは全くない。それに、人間なんて多面的な生き物だから、どちらの性質も持っていて環境によって変わる(意図的に変える)人だっている。

中野ありさは、陽の人だと勝手に思っていた。初対面は2020年1月。發王戦本戦で同卓した。挨拶を交わした時の愛嬌のある笑顔や、対局中の気取ったところのない真っすぐな姿勢から、本当に勝手ながら「陽の人だ!」と印象に残っていた。

第43期後期(2018年)入会、東海支部所属。プロ歴わずか1年足らずの時、中野は『夕刊フジ杯争奪麻雀女流リーグ2019』の個人戦で優勝した。夕刊フジ杯は、人気と実力を兼ね備えた女流プロが多数出場していて、対局の放送もある。そんな中でプロデビュー直後に優勝を遂げるのは、完全に“持っている”人だという匂いがする。

名古屋駅からほど近い『フリー麻雀ひまわり』。3フロアにわたり約20卓を備えた、規模の大きいと言っていい雀荘だ。中野はこの雀荘の店長をしている。どんな話が聞けるのかわくわくしながら、ひまわりの階段を上った。

2021年1月2日。年始の多忙な時にもかかわらず、中野はやはり笑顔で迎えてくれた。入会期では私の丸1年先輩にあたる。中野が夕刊フジ杯で優勝した頃の私はまだ点数計算もままならない素人で、数か月後にプロ試験を受けようとは自分でも思っていなかった。夕刊フジ杯も見ていなかったため、失礼ながら「今日は何から何まで根掘り葉掘り聞かせてください」と頼んで取材を始めた。

(写真:中野が店長を務めるひまわり店内で)

 

中野 ありさ(なかの ありさ)

最高位戦選手ページ→ https://saikouisen.com/members/nakano-arisa/

Twitter→ @codegeass_L

 

麻雀は小学生から、家族で毎年恒例の大会も

まずは生い立ちを尋ねると、いきなり麻雀の話題が出た。

生まれも育ちも(愛知県)日進市というところです。小学生ぐらいから麻雀はしてました。年末年始は家族や親戚と毎年恒例の麻雀大会があって、父と祖父と私と妹といとこ、全員女の子なんですけど、手積みでジャラジャラとやっていました。祖父が「よしやるぞ」って感じで開催してたんですけど、祖父が亡くなってしまったのと、私がプロになり…父をボコボコにしてしまってから、父があまり乗り気じゃなくなってしまって、最近やらなくなっちゃいましたね。あ、全然仲良しですから大丈夫ですけど。

そう言ってケラケラ笑う。麻雀好きな家族や親戚で囲む卓は、温かい団らんの場だったのだろう。

中学では吹奏楽部でした。めちゃめちゃ音痴な家庭で、みんな音感がなくて歌が下手なんですよ。すごい軽い気持ちで、友達が吹奏楽部に入ろうって言うから入りました。全然音楽好きじゃないのに。

中野の歌声を聴いてみたいと思った人は少なくないはずだ。2020年の『四神降臨』にはのど自慢のコーナーがあったが、今後そういった企画があれば是非中野を取り上げてもらいたい。

そうしたらその中学がすごい強豪校で。夏休みとか3日しかなくて、普段は朝練もあるし放課後も夜練があってっていう生活で。しんどかったけど、友達と一緒に何かをやるっていうのは楽しかったです。全国大会で金賞も取れました。自分の中でもやり切った感があって、燃え尽きましたね。

私も中学では吹奏楽部だったから親近感が湧いたし、全国大会に出場してなおかつ良い賞を取ることがどれだけ大変なことかは少し想像ができた。元々音楽が好きではなかったのに、嫌にはならなかったのだろうか。

多分、その頃から負けず嫌いはあったんだと思います。本当に練習がきつくて、途中で辞めていく人もいました。2年目の夏休み、クラスで仲の良い子たちは皆で海に行っているのに私は部活、みたいな。もう辞めようかなって思うんですけど、辞めたら頑張ってきた1年間が無駄になる。なんか負けた気がしてムカつくから3年間やってやりました。

根性のある、芯の強い少女だった。

 

曖昧なことが許せない自分を責め続け、高校中退

その後、高校には吹奏楽部での実績から推薦で入学する。

推薦だから、吹奏楽部に入らざるを得なかったんですよね。でも入部したての時に、先生が先輩たちに「中野に教えてもらえ」みたいな言い方をするんですよ、私が強豪校出身だから。私が入る前までは皆で頑張っていた仲の良いパートだったのに、構図が変わってしまって、私はいじめられたとかではないんですけど申し訳なくて居づらくなってしまって。それですぐに辞めちゃいましたね。

人間関係って難しいですね…と声を落とす中野。周りへの気遣いができるからこそ、空気感に敏感だったのだろう。陽タイプだと思っていた中野が、この日初めて少しだけ顔を曇らせた。

高校2年生ぐらいの時かな。私、思春期をこじらせてしまって、将来に漠然とした不安を感じて、「何のために生きているんだ」っていう状態でした。曖昧なことが許せなくて、何となくで学校に行っていることが嫌になっちゃったんですよね。ほぼほぼ学校に行かなくなって、少しでも頭の中を空っぽにしたくて、家でアニメをずっと流し見してましたね。すごいタイトル数見てます。

何で私はこんなに融通が利かない人間なんだろうってしんどかったですね。自分を責めるようになって、病気っぽくなっちゃって、3ヶ月くらいベッドの上で生活してました。うつ病だったと思うんですけど。3年生の2月に出席日数が足りませんって宣告されて、残り1ヶ月のところで高校中退しました。

正直驚いた。私もいわゆる「こじらせ」で高校の時に留年しているから、こういう人には共感するのだが、中野がそうだったとは。お互い今となっては笑い話として消化しているから、「ありますよねそういう時期」と笑い合った。

自分を責めた原因のもう一つに“妹”の存在がありました。4歳離れているんですけど、小学校5年生の時、七夕の短冊の願い事に「ピカチュウになりたい」って書くような奇想天外さだったんです。それで私はガチで話し合いをして、「今やりたいことがないのなら勉強だけでもしておきなさい。そうすれば後で何かやりたいことを見つけた時に道が開けるから」って言ったんです。

その妹がある時「将来の夢を見つけた。不老不死になりたい」って言うんですよ。「じゃあ不老不死になるにはどうしたらいいか一緒に考えよう。まず、ノーベル賞レベルの発明をしなきゃいけないよね。そのためには東大に入らなきゃいけないよね。東大に入るには愛知県ではこの高校に入らなきゃいけなくて、中学校では上位2人に入っていなきゃいけないよね」って全部逆算したんです。妹は、話し合いをした日から勉強を始めて、高校3年生までの8年間、両親の結婚記念日以外は全部塾に行っていて。「携帯があると触ってしまうから南京錠を付けて鍵は隠してほしい」って両親に差し出すんですよ。

それだけやり続けられる妹を見て、学校に行くっていう当たり前のことすらできない自分がすごく残念な人間みたいに感じてしまって、余計に自分を責めちゃったのはあります。

10代半ばにして一人の人を突き動かす力のある言葉を投げかけた中野はすごいが、本人としてはそのことに縛られて苦しんでいた。

その頃ネット麻雀にもハマって、寝ずにくらいの勢いでやってたんですよ。『桃色大戦ぱいろん』っていうんですけど。月間レートのランキング上位に載りたいのと、可愛い女の子の画像が欲しいのとで。半分はキャラを集めるトレーディングカードのゲームのような感じでやっていました。

周りにそのゲームをやっている同世代の人はいたのだろうか。

いないですね。中学、高校の時は(家族麻雀を除いて)誰かと一緒に麻雀をやるという意識はなかったです。空いた時間にポチポチやるゲーム…例えばスパイダーソリティアをやるような感覚でした。誰かと対戦しようと思ってスパイダーソリティアやらないじゃないですか。でもなんか好きって感じで。高校生の時の私の夢は、警察官か麻雀プロになることでした。

高校を中退した中野だが、その後1ヶ月間猛勉強して大学に進学する。そして、麻雀との関わりが一気に広がることになる。

大学に入って初めて、家族以外と麻雀をしたんですよ。友達とした麻雀がめちゃめちゃ楽しくて、そこから麻雀にのめり込んでしまいました。あるあるだと思うんですけど、友達同士で打つ時って、すごく「流れ」のことを言ってました。黒歴史ですね。

目を輝かせ、生き生きと語る。

受験勉強中に「やりたいことリスト」っていうのを作っていて、その中に「大学に入ったら麻雀荘のバイトをする」って書いていたんです。無事大学生になって落ち着いた6月ぐらいから、ひまわりのバイトに来ていました。麻雀をいっぱい打ててお金ももらえるし、楽しすぎて、神みたいなバイトだなって思ってました。1日13時間週5日で働いて学校を休んでみたいな生活をしていたら、体調を崩して学校の単位も危うくなってしまって、一旦はバイト辞めたんですけどね。

 

好きなことをして生きるため、ひまわり店長、麻雀プロの道へ

大学は、家族のために行こうって思ってたんですよ。大学を卒業することで、家族皆が安心するならって。なので、その目的を果たしたらその後どうしようって就職活動のときに迷っていて、やりたいことを見つけたくてオールジャンルの企業説明会に行ったんですね。でもピンと来なかったんです。

最終的にはネジの会社にしようとしました。やりたいことがない状態で、ネジなら身の回りのありとあらゆる物に使われているからいいかなと思いました。でも内定をもらったタイミングぐらいで、「今まで考えないようにしていたけど、やっぱり麻雀プロやりたいな」って思いが強くなって。自分の人生だし、私の性格上やりたくないことをやっても半年ももたないなぁって。それで、ひまわりを経営している会社の正社員になって、麻雀プロになりました。

高校生の時に思い描いていた麻雀プロになるという夢。心のどこかにしまっていた思いを取り出して、麻雀で生きていこうという一大決心をした。東海支部長の鈴木優らに団体の話を聞き、最高位戦の魅力を知って入会した。だが、その少し前にひまわりの店長に就いた中野は、多忙を極めていた。

社員になってすぐに店長になったんですけど、店長ってこんなに忙しいんだって思いました。社員って私しかいないんですよ。会社の今後の経営戦略を考えたり、面接をしたり、シフトを組んだり…。お客さんもスタッフも皆が楽しいって思えるお店をつくりたいと意気込んでいました。

でも、まず仕事に対する価値観のすり合わせが難しい。例えばバイトの子が自発的にイベントを提案して、「じゃあ頼むね」って任せて、売り上げが良かったらその子にも功労賞を渡すっていう構図はwin-winじゃないですか。だけどやりたくない子に「お金は出ないけどイベント企画やってね」って言うのって可愛そうじゃないですか。でも、甘いことばかり言っていると仕事を誰にも振れなくなるんですよ。私が嫌われてもいいから仕事を振っていかないと、回らなくなるんですよね。嬉しいことに私に会いに来てくれるお客さんもいらっしゃるのに、ずっと私はホールに出ずにデータ整理してる、みたいなのは申し訳ないじゃないですか。そんな感じで思い悩んでいたら、哀れに思ったスタッフの子たちが手を差し伸べてくれるようになりました。助けられています。

大学を出て間もない年若い女性が大きな雀荘の店長というのはとても大変そうだが、中野が本当にお店を大切に思って仕事に取り組んでいることは言葉の端々から伝わってきた。きっと周りの人もこのパワフルさに吸い寄せられているのだろう。

(ひまわりで働く中野)

 

一方、プロ活動については悩みもあるようだ。

麻雀の勉強をやる時間がなくて…。ここ1年くらいは河野直也さんを月に1回名古屋にお招きして勉強会をしてもらっていて、その時間は必ず確保するようにはしているんですけど。それまでは、立ち番で教えなきゃいけないことが多すぎて、週5日雀荘で働いているのに月32本しか打ってないっていう時もあって、自分でも引きました。麻雀プロを名乗っていいのかっていう感じですよね。でもひまわりを皆が笑顔になるお店にしたいっていう思いは本当に本心なので、最初の2、3年でノウハウを掴むまでは仕方ないのかな、とも思っていました。もう3年目に突入するので、今まで以上に麻雀の勉強をしっかりとし始めることが今年の抱負です。

 

天国の祖父に届けた夕刊フジ杯優勝

夕刊フジ杯での優勝は、手探りでがむしゃらに店長の仕事をこなし始めた頃のことだった。

予選の時から、悔しがったらだめだと思っていました。私はすごく負けず嫌いなんですけど、その時は今よりも麻雀の勉強をしていなかったんですよ。もちろん自分なりにやれることを頑張ってきたつもりだけど、未熟さを自覚してもいました。私程度しか勉強していない人間が悔しがれる世界じゃないから、悔しいじゃなくて「おめでとうございます」って言えるようにしようって思っていました。

そんな中野だが、見事個人戦決勝に勝ち進む。メンバーは最高位戦の先輩・宮本祐子と、水口美香(日本プロ麻雀協会)、御崎千結(同)。中野は、決勝には特別な思いを持って臨んでいた。

決勝の1ヶ月くらい前に、麻雀が大好きだった祖父が亡くなったんです。祖父は私の麻雀している姿を見たいって言っていたんですけど、未熟なところを見せたくないって強がってしまって、予選の配信は見せなかったんですね。今思えばきっと祖父は私の上手な麻雀が見たかったわけではなかったんですよね。だからすごく後悔していて、決勝に残って少しでも長く放送に映っていたいって思っていました。

控室の時点で、椅子にも座れないぐらい緊張していました。とにかく自分ができる限りのことをしようって思っていました。圧倒的に力量差がある方たちと打つことは分かっていたので、変にテクニカルなことはせずに、テンパイしたら即リーチで。たまたま配牌とかに恵まれて優勝することができました。

優勝した瞬間は呆然としていてあまり覚えていないという。でも、天国の祖父に最高の報告を届けることができた。

 

親友でありライバル、大園綾乃とは一緒に勉強しない

夕刊フジ杯は個人戦とともに団体戦も行われる。中野は、同じひまわりで働き、最高位戦の同期でもある大園綾乃とチームを組んで出場していた。

東海で唯一の同期で、すごく仲はいいけどライバルですね。元々ひまわりで働き始めた時期も同じくらいで妹みたいな存在だったんですけど、5年ぐらいの付き合いになります。夕刊フジ杯も、団体戦は敗退してしまって私が個人戦で優勝して、大園としては本当は悔しい思いもあったと思うんですけど「おめでとう」って言ってくれました。

ただ麻雀の考え方は合わなくて、私は今は手役を見て打点を追う打ち方だし、大園は鳴き寄りにシフトしていった感じです。お互い別々の人に教えてもらっていて、一緒に麻雀の勉強をすることはないですね。リーグ戦の結果とかはやっぱり見ちゃいますし、意識し合っていると思います。

とてもいい関係だ。ちなみに2020年の夕刊フジ杯は、大園が稼いだポイントを中野が溶かしてしまい、悔しい思いをしたという。今後もお互いに刺激し合って成長していくのだろう。

(左から大園、中野)

 

お店の顔だから、ネガティブなところを見せたくない

さて、第一印象で陽タイプという印象だった中野だが、話を聞いてみるとそうだとも言い切れなくなった。そんな中野には心に決めていることがある。

私は、応援したいと思ってもらえるプロになりたいと思っています。いつも笑顔で麻雀を頑張っている女性でいたいんです。だから、Twitterにネガティブなことは書かないようにしています。まだまだだけど、成長の過程も含めて応援してもらえるようなプロになれればと思います。

ああ、この強さだったのか、と気づかされる。ネガティブなところを見せない。ひまわりというお店の顔として、そしてプロとして、笑顔で明るい中野ありさでいようという決意。無理して飾っているわけではなく、芯の強さでそうしている。

(真剣な様子でお客様と麻雀する中野)

 

麻雀は楽しいですけど、分からないことだらけ。Aリーガーの方の見えている世界は絶対に違うと思うし、何も考えなくていい時間はない。本当の麻雀の面白さを知ることが人生の目標です。そして、いつか引退した後、ふらっと遊びに行った雀荘で若者相手に勝ちまくって、「あのおばあちゃん何者だ?」ってザワザワされる、みたいなのに憧れますね。

そう笑って、年明けの混み合う店内に戻って行った。

 

※写真撮影時のみマスクを外してもらっています。

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