コラム・観戦記

FACES - “選手の素顔に迫る” 最高位戦インタビュー企画

【FACES / Vol.07】鈴木たろう ~鈴木たろうは人間だから負けるのが普通に怖い~

(インタビュー・執筆:鈴木聡一郎)

 

「(A2リーグから)落ちたらどうしようって思う。怖いよね」

ポジティブな鈴木たろうの口から、意外にも弱気な言葉を聞いた・・・と、あなたは思うだろうか。

私たちは心のどこかで、「数々のタイトルを手にしてきた鈴木たろうは恐れなどない」と思ってはいないだろうか。バラバラの手牌から仕掛けて高い手をアガってしまうところを見て、本当に全知全能の神ゼウスかのように錯覚してはいないだろうか。

鈴木たろうがトッププロであることには間違いないが、決して神などではなくただの人間である。

人間だから負けることが普通に怖いし、勝ったらうれしいのだ。

 

鈴木 たろう(すずき たろう)

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2020年11月、「ゼウスの選択」の異名を持つ鈴木たろうが最高位戦に入会した。その詳細についてはたろうのYouTube配信(「ご報告があります。【LIVE配信】」)に譲る。

それまでの実績と期待によって来期A2リーグからの編入となったが、たろうも簡単にA2リーグを勝ち抜けるなどとは思っていない。たろうは色々なものを背負って最高位戦にやってきた。負けるのが怖いのは当然だ。果たしてどうなるのか、鈴木たろう参戦はA2リーグの最注目トピックである。

 

小学校3年、後ろで見て麻雀を覚えた

私は、たろうと一緒に本も作ったし、ドリブンズ広報としてずっと試合に同行していたわけだが、このようにかしこまって昔話を聞いたことなどない。そもそもたろうはどのように麻雀と出会ったのだろうか。

茨城の田舎で育ったんだけど、親父が家で友達と麻雀してたんだよね。うちの家が親父の友達のたまり場みたいな感じで、田舎だから鍵もかかってなくて親父の友達も勝手に入ってくる。だから親父がいないときでも卓が立つわけ。それを後ろでずっと見ててルールを覚えた。そもそも小さいころから本を読む習慣もなかったしね。ルールの本とか読んだことなかった。

ルールやゲーム性について見て覚えた、それはわかる。では実戦の場はどこだったのだろうか。

後ろで見てるとたまにやらしてもらえたんだよね。リーチ代走とか、ちょっと席外さなきゃいけないときとか。そのときにうまくアガれると誉めてもらえるからさ、それがうれしかった。だから、打てるときが来るまでしつこく後ろで見てたね。次はいつ打たせてもらえるのかなあって。

小3にして麻雀店スタッフのような仕事をこなす。大人の代わりに何かをすることは子供にとって怖さが大きいと思うが、たろうにとっては憧れや誉めてもらうモチベーションの方が優った。この辺りのポジティブさは今のたろうからも想像しやすいところである。その後も同じようにして麻雀を覚えていったたろうは中学、高校と進学していく。

 

最初の授業で顧問といきなり揉める

中学1年のとき、技術の初回授業でいきなり先生と揉めちゃった。内容覚えてないけど、先生が理不尽なこと言ったんだよね。それに対しておかしいって言い返したら、また理不尽な怒られ方して。元々そういう理不尽なのは許せなかったから、まっすぐ反論とかしてたね。

この辺りは今のたろうにも通じるものがある。納得のいかない理不尽なことには真っ向から反論する。そうやって素直に生きてきた。

で、その先生が運悪く野球部の顧問だった。少年野球やってたから中学では野球部に入りたかったんだけど、これで野球部に入りたくなくなっちゃったんだよね。

そんなとき、友人から意外な部活に誘われた。

野球部入れなくてふらふらしてたら友達がハンドボール部に誘ってくれて、ハンドボール始めた。そもそも運動は全般的に得意だったから、ハンドボールもすぐ上手くなって。さっきの麻雀と同じで、頼られる喜びみたいなのがモチベーションだったかも。高校でも学校側から進学クラスは部活やらないでほしいと言われてたのに、助っ人として呼ばれて試合に出たら、そのまま部活に入ることになっちゃって、結局6年間やったね。

ハンドボールって体全体を使うから、オールマイティな選手が出来ると思う。TBSでやってたスポーツマンNo.1決定戦とか出れたらワンチャン優勝できるかもと思ってたしね(笑) それぐらい運動は得意だった。

では、学業の方はどうだったのだろうか。

中学くらいなら授業聞いてるだけで成績良かったんだけど、高校で落ちこぼれた。学力別のクラス編成だったんだけど、年々落ちて行って。サボること覚えちゃったんだよね。人生でちゃんと読んだことある本って8冊しかないんだけど、高校の授業中にこっそり読んだ三国志の1巻から8巻だからね。高校からは教科書も読まなくなっちゃった。

 

浪人時代に受けた授業はたったの4時間。麻雀店勤務を経験

高校卒業はできたんだけど志望大学には受からず浪人した。浪人中には河合塾行ってたんだけど、授業は結局1年間で4時間しか受けなかった。ふらふら遊んでた。スロットとかしてたね。18歳だし、そういうの何でもやってみたい時期だったんだろうね。

確かに、18歳のたろうに「何かを我慢して嫌いな勉強をやれ」というのはなかなかに難しいと感じる。

で、おカネなくなったときがあって、そのとき2か月間だけ雀荘で働いた。それが初めての雀荘勤務かなあ。麻雀も普通に1人で雀荘に入れるぐらいにはやってたし、それなりに強かったと思うよ。

あ、そうそう、そういえば浪人生活に入ったぐらいのときに、ふらっと予備校近くの雀荘に入ったんだよね。そしたらそのとき同卓した大学生ぐらいのお客さんに、フリテンのドラ北単騎でリーチされてチートイドラドラツモられるのよ。で、そのにいちゃんが「おれ、ずっと打ってるからこういうのわかるんだよね」とか言い始めるわけ。

たろうはそれを見てどう思ったのか。

はあ?って思うじゃん。でも、一発ツモじゃないし、ガン牌とかではなさそうなの。で、なぜかわかんないんだけど、「大学生になったらこういう風になりたい」って憧れを持っちゃったんだよね。なじみの店でずっと打ち続けてる常連みたいな。なんかこのにいちゃんのことは妙に印象に残ってた。

大学に入る前に見た大学生は、妙に大人の世界を知っているように輝いて見えるものだ。たろうは、その大学生に憧れを持ちながらなんとか大学入学までこぎつける。

大学から一人暮らし始めたんだけど、大学入って一番最初にしたのは近所の雀荘を探すことだった。で、しばらくは見つけた近所の雀荘で打ってたんだけど、あるとき隣駅に麻雀プロが雀荘作るらしいって噂を聞いて、オープンの日に行ってみたの。それが純子さん(高橋純子・日本プロ麻雀棋士会)の店だった。

そこで1日中打ち続けたたろうは、あっという間に高橋の目に留まる。

純子さんから「君いいね、うちで働きなよ」って言ってもらって、なんと次の日からバイトで入った。純子さんは店のみんなからめちゃめちゃ怒られたらしいけどね。1日中打ってくれるお客さんなんてそんなにいないわけで、その貴重なお客さんを1人失った形だから。

紆余曲折あったが、こうして大学時代を通して働き続けることになる麻雀店にたどり着いた。この店での勤務をベースに、他の店に遊びにいったり友人と卓を囲んだりして、実戦経験を積んでいく。

それだけ麻雀にどっぷり漬かったら、授業には行かなくなるよね。大学には4年間いたけど、1年目で9単位ぐらいしか取れなかった。4年目で20単位ぐらい取って巻き返すんだけど、全然単位足りなくて辞めちゃったね。

その結果は当然のようにも聞こえるが、続けてたろうから発せられたのは意外なものだった。

でも、サークルだけは休まず行ってたね。経営研究会っていう大学公式の部活で、例えば定期的に部会があるんだけど、それに遅刻したら怒られる。

時間に縛られるのが嫌いなたろうが、自主的にそのような部活に入るなど思ってもみなかったが、どういうきっかけがあったのだろうか。

スポーツ系のサークルに入ろうと思ってたんだけど、経営研究会の勧誘文句が「麻雀」だったんだよね。「麻雀!?」と思ってすぐ食いついたね。合宿行ったり、飲み会したり、普通に大学生っぽいことしてた。楽しかったなあ。

 

麻雀を考えるきっかけになったμ育成会・忍田幸夫の講義

大学を辞めたたろうは、どのように生活していたのだろうか。

大学辞めて実家に帰ったんだけど、やっぱ東京かなと思って、なんとなくもう1回東京に出てきてたんだよね。そんなとき、純子さんから連絡がきた。純子さんからは「女性の麻雀団体作るから、彼女たちに麻雀教えてくれない?」って言われて、引き受けた。それが、日本麻雀愛好クラブ。でも、麻雀教えたことなんてないし、ちゃんと勉強しようと思ってμ(麻将連合)の育成会に入ろうと思ったんだよね。当時、城島さん(城島清貴・μ)の店でバイトしてたっていう縁もあって。

現在でもμには選手育成会があり、受講対象は「基本的なマージャンのルール(点数計算等)を把握している方」とある。

当時は育成会にも入会試験があって、実は全然できなかったんだよね。麻雀用語の問題とかは当然のように間違えまくったし、点数計算の問題でさ、仕掛けたサンアンコのみを「役なしチョンボ」って書いたり、数え役満なしのルールなんて知らないから32,000って書いたり、色々酷かった。でもさ、雀荘に行ったことしかないただのにいちゃんだったから、しょうがないよね。知識なんて何もなかったし。

たまたま会場に来てた須藤さん(須藤浩・μ)が、自分の答案用紙を見てめっちゃ笑ってたの覚えてる。須藤さんってそんな大笑いしないイメージあるじゃん。その須藤さんを笑わせたのはすごいよね。何しろ点数計算問題で「役なしチョンボ」だからね。そりゃ笑うよ、自分でも笑うもん。そのときは「クソー!」って思ったの覚えてる(笑) それでもなんとかお情けで育成会に入れてもらって、初めての麻雀の勉強が始まった。

点数計算や何待ちなど麻雀の基礎を丁寧に学んでいったそうだが、たろうが最も衝撃を受けた講義がテンパイチャンスだった。

忍田さん(忍田幸夫・μ)が特別講師で来たときだったんだけど、その講義がテンパイチャンスだった。それが自分の麻雀観を変えたと言ってもいいね。「麻雀って数字で考えられるのか!」って。もともと数字は好きだったんだけど、麻雀を数字で考えたことがなかったから、枚数を数えて確率で考えるって考え方が衝撃的だった。とにかくこれが麻雀を考えるようになったきっかけだね。さっきも言ったけど、それまでは雀荘にいるただのにいちゃんだから感覚だけで打ってた。それでもけっこう勝ってたけど、この講義をきっかけに「理で打つ麻雀」に変わった。麻雀の質が変わった感じだね。

もしこのきっかけがなければ、たろうは「理」というドリブンズでの共通言語を持たなかったかもしれないし、そもそも麻雀プロとしてトップまで駆け上がることはなかったのかもしれない。ハマるととことんやりたくなる性分のたろうは、ここからとにかく麻雀を考え続けていった。

ある日、育成会の宿題が「1(~9)からn待ちをいくつ出せるか」だった。

例えば、1からn(n≧1)待ちとは、1待ち、1・2待ち、1・2・3待ち、1・2・3・4待ち・・・のそれぞれについて思いつく限りの形を出していくというものだそう。次に2からn(n≧2)、3からn(n≧3)という感じでやっていく。

「ちなみにツアー選手の集まりでやったら〇〇個だったけど、全部は無理でもできるだけやってみて」って言われて燃えたね。他の人にできるのに自分にできないとでも?と思って、絶対に全部見つけてやろうと思って2週間くらいひたすら考えてたからね。結局言われた数より何個か多く出したけど。

ただの負けず嫌いならここで話は終わりなのだが、たろうは違った。

その後も麻雀を数字で考えることを繰り返し、テンパイチャンスではなくアガリの組み合わせの数や打牌ごとのアガリ点期待値などを考えるようになり、それらを基にした麻雀アルゴリズムを作ろうと思ってJava(プログラミング言語)を覚えたりした。結局繰り返し処理が多すぎて当時のPCだと処理が追い付かなかったから、作ろうとしたものは無理だったんだけどね。ただ、そのときに作ったアルゴリズムを使って1(~9)からn待ち全パターンは確認してみたりしたよ。

意外な一面ではないだろうか。元々プログラミングができたのかという問いに、たろうは「いや、全く。このために気合で覚えた」と答えた。麻雀研究のためにプログラミング言語まで覚えてしまうところが、理で走り始めた鈴木たろう。麻雀を考える探求心を止められない。そして、止められなかったのは考える探求心だけではなかった。

愛好クラブで麻雀教えるために始めた麻雀の勉強だけど、麻雀を教える役だった自分たちも試合に出たいっていう欲が出てきて、男性も会員になれるようにしてもらった。

これが選手・鈴木たろう誕生の瞬間であり、その後「日本麻雀愛好クラブ」は「日本プロ麻雀棋士会」に名前を変えた。たろうはその後何年かして日本プロ麻雀協会へと活動の場を移し、昨年最高位戦にやってきた。

 

フリテン北単騎の打ち手と再会。意外な正体とは!?

麻雀を続けていると、様々な出会いや別れがある。当然のことながら、何十年ぶりかの再会というのも珍しくない。

そういえば、最初にした話って覚えてる? 憧れた大学生の話。フリテン北単騎ツモって「おれ、ずっと打ってるからこういうのわかるんだよね」って言ってた人。

そう言うと、ビックリ箱を隠し持った子供のような笑顔で、たろうは楽しそうに話し始めた。

選手として色んな大会に出るようになったんだけど、王位戦に出たときに見つけたんだよね、フリテン北単騎の人。で、そのときは声かけなかったんだけど、その十年後ぐらいに聞いてみた、出身地どこですか?と。でも場所が全然違ったので勘違いだったのかな?と思うことにした。

普通ならたろうの勘違いだと納得して終わる話だが、たろうには確信があった。

でもめっちゃ覚えてて絶対その人なんだよね、こっちは憧れたんだから。諦め切れなくて、そこからさらに十数年後ぐらいかなあ、けっこう仲良くなった後にもう1回聞いてみたのよ、めちゃめちゃ詳しく状況説明して。そしたら思い出してくれて、「確かに武者修行のつもりでその辺で打ってた時期あった!」って。なんとそれが瀬戸熊さん(瀬戸熊直樹・日本プロ麻雀連盟)なのよ。

麻雀を続けていると、どこでどうつながるか本当にわからないものである。当時お互いに名も知らぬ若者だった2人が、今やトッププロとしてMリーグでも戦っている。

瀬戸熊さんも「若いときは生意気なことも言ってたから当時ならそういうこと言ったかも(笑)」って笑ってた。ほんと、また会えてうれしかった。こういう大学生になりたいと思って憧れてたって言ったら、瀬戸熊さんはやっぱり笑ってたね。

 

麻雀で勝つには人の気持ちを感じ取ることも必要

ここでシンプルに、たろうが思う麻雀で勝つために必要な力を聞いてみた。

麻雀は才能だと思う。麻雀って普通のことを普通にやるっていう意外と淡白なゲームだと思うけど、情報共有でみんなが当たり前のことをできるようになった今、そこから抜け出して上にいける人って才能がある人なんだと思う。そういう時代に入ってきたんじゃないかな。

では、たろうが思う麻雀の才能とはどのようなものなのだろう。

論理的思考力と経験と感覚力。物事を論理的に考えるのは普通っちゃ普通なんだけど、自分がしてきた経験を理で整理できて、最終的には感覚と融合できる人じゃないかな。論理的思考力の上に、経験と感覚が乗ってくると厚みが増してくる感じ。

あと、共感力っていうのかな、人の気持ちを感じ取る力も必要だね。相手の考えを想像できないとその相手への最適戦略がとれないからね。

ただ、論理的思考力と感覚や共感力って共存しにくいイメージがあって、どっちかだけの人は本当に強いとは思えないなあ。あと真似事から抜けきれない人は、まだこれからなイメージ。自分で考えて選択をするようにしないとね。

そう言うと、最高位戦の選手たちについてたろうなりの分析を語り始めた。

最高位戦って、基本カラい系の人が多いと思ってる。カラいって、どちらかというと手堅くリスクを回避するようなイメージ。でも、みんなが「カラいのがベスト」だと思ってる中で、実は自分みたいなドリーマーというかやりすぎ系が活きる余地もあると思ってる。例えば平賀さん(平賀聡彦)とか、ドリーマー系だけどずっと勝ってるよね。実は、ドリーマーの良さを理解しないままカラい麻雀を打ってる人が多い気もしてるんだよね。
と、自分でドリーマーと言っといてなんだけど、多くの人のイメージとは違って自分こそ将来のマジョリティ、理の中の理だと思ってるけどね(笑)

これは面白い分析に映る。たろうが言うところのドリーマーとは、どちらかといえばリスクの回避よりポジティブにリターンを追うということだろう。来期A2リーグ、ドリーマーたろうの選択を見てほしい。

 

初めて自分より小めんどくさい話をする人がいた

取材日程はクリスマスイブの夜だった。12/24、ドリブンズにとってのMリーグ年内最終日を終えたたろうを捕まえたのである。そういえば、確か去年のクリスマスイブも園田(園田賢)と仕事の話をしていた。つくづく理屈おじさんと縁がある日だ。

実は、この取材には園田も同席している。たろうの昔話によほど興味があったのだろう、取材の話を聞きつけてついてきた。たろうと園田、今でこそ麻雀の話も噛み合う親友のような関係に見えるが、意外にもMリーグ以前にはあまり見られなかった組み合わせである。

Mリーグで賢ちゃんと出会ったのはデカかったね。こんなに麻雀の競技性や公平性などの話ができる人がいると思わなかった。自分は根本的に小めんどくさい話が好きなんだけど、好きじゃない人も多いからある程度で控えちゃうんだよね。でも、賢ちゃんと会って、初めて「自分より小めんどくさい話する人がいた!」って思った。

小めんどくさい話は、競技性や公平性といった麻雀の大前提に対して繰り広げられることが多い。「こういうときは必ずどちらかがアガリ放棄にならないとおかしい」、「誠実にプレーしてる人が損してズルい人が得するのは公平じゃない」といったことについて、具体例を挙げながら深く話し込んでいく。園田とたろうの小めんどくさい話は、私には熟年夫婦の餅つきに見える。正に阿吽の呼吸である。

あとは、麻雀の細かい推理とか損得とかも。そういうのって感覚の部分が大きいからなかなか議論にならないことが多いんだけど、しっかり一から「理」で考え続けてる賢ちゃんとは議論の前提がすり合ってるから、スムーズに深い話に入っていける感じだね。

そこまで麻雀の話が噛み合う2人だが、麻雀以外では噛み合わないことも多い。園田がすかさず「いや、でも血液型は絶対関係ないからね。そんな一要素で性格なんて決まるわけないから」とツッコむ。実は、たろうは血液型診断の愛好家。Mリーグ全選手は元より、多くの選手の血液型を知っている。

いや、血液型は絶対関係あるから。ちなみに、賢ちゃんはA型で、聡ちゃんはO型ね。

血液型を気にしたことがない園田と私が苦笑いしながらたろうを見つめる。園田と私は、他人の血液型など1人たりとも覚えたことがないのである。私にとっては不毛な、たろうにとっては大事な血液型の話で今日も夜が更けていった。

 

おわりに~鈴木たろうは日常生活を送る~

2017年1月、たろうの本を作る最後の2日間、私はたろうの家に泊まり込みで文章を直し続けた。私が直した文章をたろうが最終チェックでさらに直し、修正内容を2人で確認する。

たろうは本を全く読まないのに、たろうから次々に明快な文章、的確な誤植修正が返ってくることに驚いた。よく私のことを「本を読まないのに文章書けて器用だね」と言う人がいるが、私は全く同じことをたろうに思った。

「なんて器用な人なんだろう」

一方、今回作った本のパートナー・村上淳からは、待てど暮らせどほとんど誤植修正は返ってこなかった。校正に対する向き不向きもあるだろうが、本当に不器用な男で、村上もまた愛したくなるキャラである。

思うに、器用や不器用といった言葉は、きっとその対象を人間だと思っている証拠だ。例えば神の所業に対し、器用などという感想を持つことはないだろう。

たろうは麻雀も独創的で強く、器用に何でもできてしまうから、まるで神かのように錯覚する。

しかし、ふたを開ければ、部屋の片付けは苦手だし、縛られる感じがして先のスケジュールを入れるのを嫌がるし、リーグ戦で負けるのが怖いし、シドニーのカジノで負ければ部屋に帰ってきて「ふて将棋」するし、誉めてもらえたらうれしいし、家を訪ねれば自作のおいしいハンバーグカレーに目玉焼きを2つ乗せてくれる、そんな日常を送る人間である。

そう、日常。私にとって、鈴木たろうは日常なのだ。

鈴木たろうが私にとって非日常になることはこの先もないだろう。

まさか、神でもあるまいし。

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