コラム・観戦記

第11回 本物のバクチ打ちドンさん①

「よう」
飯田橋の歩道橋を渡ろうとすると、急に声をかけられて立ち止まった。
「どうしたい、最近ごぶさたじゃないか」


ここからは目と鼻の先にある水道橋の雀荘の常連ドンさんだった。
「えぇ、最近サンマーに凝ってましてね」


年齢はかなり違うが、私はこの人物に対して尊敬の念に近い感情を持っていた。
それは普段の接し方にも自然と態度に出るものだろうから、相手の方も悪い感情はもっていなかったに違いない。


「どうだい、ちょっとそこでお茶でも飲んでいくかね」

「いいですよ」


ちょうど「J」に出勤する時間になっていたが、私はふたつ返事で答えていた。
「J」に日参しているせいで、水道橋へは足が遠のいていたが、そろそろ様子が気になっていたところなのだ。
今は「J」が旬だ。だが水道橋の方も大切な漁場に違いない。
ドンさんに聞けば大方の様子がわかる。そのこともあったのだが、もうひとつどうしても聞いておきたいことがあった。

 

「しかし、ぼくにはどうしてもあのは打てませんね」
ひとわたり水道橋の話をした後で、いきなり3ヶ月程前の話を持ち出していた。
「ああ、あれ」
気のない返事が返ってきたが、ドンさんはさすがに局面をよく憶えていた。
その局面というのはこんな感じだった。

オーラス、私は3番手、僅差でラス親がラスめにいたが、トップとも8千点弱の差でしかなかった。
そんな状況の中で、2巡目、いきなりラス親がポンと仕掛けてきた。


半荘ごとに順位ウマの付く巷の麻雀では、こんな仕掛けは日常茶飯事、ごくあたり前の顔をして行なわれる。
案の定、すぐに2着めの西家からが出て、当然のように親がポン。
(ポン) 


と、ポンして、捨牌は、


混一には見えない。普通はチャンタかトイトイ、まあ、そんなとこだろう。


親にしたって1万点程の点差を詰めなければならないだろうから、そういったものを含みに残しているに違いないのだ。
上家の私としては苦しいところだが、3着めとしてはそうもいってられず、おまけに手牌が、

こうなっていては、危険は覚悟の上でいくしかない。がドラなのだ。

 

6巡目ツモ。タンヤオの確定する絶好のツモ。これはもうちょっとオリられない。
。親の仕掛けは、点棒の状況といいからの仕掛けといい、もう1組役牌が対子の可能性が高い。
本当はテンパイまでを絞って、を先に処理したいのだが、ツモのウラ目がある。
押すと決めたら、とことん押さなければオカシイ、中途半端じゃケガをする。


もちろんラスになるのは嫌だが、かといって3着に甘んじる気はない。
トップと2着の差は順位ウマ+オカ(2万5千点持ちの3万点返し、その2万点分)があってかなり大きい。

 

だが2着と3着は貰う側と払う側という差があってさらに大きい。
3着と4着はそれに比べれば差が少ない。

 


となればこの麻雀、3着とラスが攻め、2着とトップが受けに回る、これが普通の展開となる。
もちろん2着めはスキあらばトップまでと考えているだろうが、トップめは万が一にも満貫放銃で3着以下に落ちることは実にバカバカしいことなのである。


もちろん、その時の牌勢、次回からの牌勢への影響といったものが加味されるのだが、それにしたって、このを打たない人間はトータルで負けてしまう。

 


「ポン」
またしても親のポンが入った。
役牌の対子は1組ではないと覚悟の上で打ったではあるが、ポンされたことによってさらに動き方が難かしくなった。
(ポン)  
そして打牌が


ここまで見せられては親満も覚悟しなくてはならない。そして、親満をアガられてしまえばゲームは終了してしまう。

アガリ止めルールがあるから、をポンされた後は動き方がよけい難かしくなるのだ。うかつな牌は切りづらくなった。
だが、それでも3着めの私は勝負にいかなければならない。をポンされたからといってオリるぐらいなら、もとよりを絞って手を進めている。

 

2巡後、私のツモは


うまいぐあいにドラメンツの方を先に引いたもので、場の状況からいってもマンズのテンパイは絶好である。はチャンタがあるがは親の現物でもある。

 

私はすかさずを打った。
もちろん、勝負!と強く叩きつけたわけじゃない。は親の仕掛けに対して相当危険な牌である。チャンタやトイトイ、あるいはその両方の狙いを含んでいるのが見えているからだ。


だが、放銃も覚悟の上で打つと決めている以上、強く叩きつける必要はこれっぽちもないのであって、必要以上の警戒心を煽るだけで得なことは少しもない。

 

ところが予想外のことに、このにチーが入った。
(ポン)   (チー)
これには私もいささか驚いた。なんと4フーローの裸単騎にしてしまったのだ。


しかし、よくよく考えればありえないことではないのであって、ラスめの親なら配牌からそれほど手牌が決まっていなくても不思議ではない。
親にしても、とりあえず仕掛けてみて、後はどうにかなるだろうと思っていたところに予想外に次から次へと欲しい牌が出てしまった。そんなところだろう。


チーで打牌が
しかし、私の方はこれで楽になった。
親のマチは単騎一点なのである。


これは説明するまでもなく、の形だったのである。
、たとえば、こんな形の一シャンテンだったとしたら、をポンした後の打ちがおかしい。当然を残してを切るハズである。
つまり、は手牌に関連があったわけでそうなると単騎以外考えられないのである。

次巡もを引いてくると、キョロキョロと見回し、二枚切れを確認してツモ切り。
すでにチャンタになっているのだ。二六オールならトップになれるのだから、中張牌で待っているのなら、間違いなく老頭牌と持ち換える。もう100%単騎なのである。

 

 

──親め、焦ったな
私は内心ほくそえんでいた。以外はなんでも切れる。もうアガリは自分しかない、そんな気さえしていた。

──さあ、をツモってしまえ。
あーあ、ところがなんとしたことか、よりによってそのを2巡後に引いてきてしまったのだ。

 

もうこれはしかたがない、泣く泣くをハズした。とたんに親がツモ切り。
悔しいが、先にアタリ牌をツカんだ以上、これもしょうがない。


も勝負した。そうせざるを得ない状況だったのだからこれはしかたがない。
しかし、このだけは死んでも切れないのだ。

 

──親め、マチを変えろ!
──そんなミエミエは誰も振らんぞ!


ところが引いてくるのは中張牌ばかり、これじゃマチは変わりようがない。
そのうちに、を引いた。

どうせ打てぬならば、これでリーチといってやろうか、しかしは2枚切れている。ちょっと迷ったがそのままダマテン。
13巡目、引いたのがだった。

さえ打てれば絶好のマチになる。だが、相変らず親は単騎のまま。

 

とりあえずを打っておき、親がマチを変えたら、こちらもを打ってタンヤオに変えるか。

まだ多面張になる可能性はいくつも残っていて、を引いてのマチ、を引いてのマチ。を引いての、

の5面張、これはがフリテンになるが、親は裸単騎、十分勝負になる。

 

──だが、待てよ。
親がマチを変えてを打ってからこちらがマチを変えるのなら、このまま単騎でリーチをかけておけば、そので打ち取れるではないか。


ゴーニィじゃ足りないが裏ドラ1枚乗ればいい、もしかしたら親より先にツモるかもしれない。
「リーチ」
「ロン!」
「アッー」


思わず声が出てしまった。
親のマチは単騎だったのだ。
──まさか…。
しかし現実に、親の裸単騎は倒されている。


親がをポンしたときの形は、こうだったのだ。


この形からのポンも盲点になっていたが、それよりも単騎一点にヨませるために、トップに手が届くをツモ切り、その後も中張牌をツモ切りするという計略に、私は見事に引っかかってしまったのだ。

 

「ハッハッハッ」
後ろから笑い声が聞こえた。
「あんたは、麻雀打ちにはなれても、バクチ打ちにはなれないな」
その言葉の意味はよく解った。


あそこでを切っておけば、でアガってトップになっていた。3着めでも切り飛ばした以上、なんでも勝負しないんだ。ということであろう。


確かに、100%単騎しかないなどと思っていたのは思い上がりであって、単騎がであっても、あるいはであっても、であっても、絶対オカシイなどといえるものではない。


を先に打ったのは打ち手が、これは対子になりそうもないという勘で打ったのかもしれないのだ。
もし、この半荘トップか2着にならなければ命は無い、そのぐらいの覚悟で打っているバクチ打ちがいたとしたら、あのはどうしたのだろうか。を勝負する状況だったのだから切り飛ばすのだろうか。

 

 

「しかし、なんといわれようと、ぼくにはあのだけは切れませんね」
「あのを切るぐらいなら麻雀をやめますよ」


繰り返し、ドンさんに聞いてみた。
その局、トップ走者だったのがドンさんなのだが、私は、この男こそ本物のバクチ打ちだと思っていた。
とにかく麻雀を打っていて、これだけ態度も表情も変らない男っていうのはめったにいない。


たいがいは、落ちれば落ちるほど打牌が荒くなったり、焦りが出るものだが、この男にはそれがない。


だが、麻雀だけならそのぐらいの男は他にもいる。
この男の本当に凄いところは、自分の生き様に1本筋が通っているところだろう。


あるところで、
「ご職業は?」
と聞かれて、
「バクチ打ちです」
と答えた。そのあまりにも堂々とした答え方に、相手も
「ハァー」
と呆れたように聞き返したという。


自分で手を出すのは本職の麻雀だけで、公営ギャンブルには一切手を出さない。全てノムだけである。
これもなかなかできることではない。「ドンさん」という愛称、いくらでもドンドンノムところからきている。


このぐらいの男がいったいどういう麻雀を打つのか。こんな局面があった。
南3局、くわしい説明は必要ない、千点でもいいからどうしてもアガリたい。そういう局面だと思っていただきたい。
3巡目、親がポンと早い仕掛けに出た。明らかにソウズ混一模様の捨牌である。
同巡、西家ドンさんの手牌は、

こうなっていて、ここに上家からが打ち出された。


これをチーしてしまう手もある。なにしろどうしてもアガリたい局面なのだ。
この時ドンさんは相当悪い状態だったのだが、そんな時、焦りからこんな手牌からでも動きたくなってしまうものだ。
だが、さすがにドンさんはピクリともしない。こう書いてしまうと、当り前じゃないかと思う人も多いだろうが、その局面の中にいてなかなか平然としていられないのは私もよく知っている。


次にが出た。これには混一の含みがあるが、これも見送り。
親の仕掛けに対してを抱えている以上ヘタに動くのは命取りになる。どうしてもアガリたい、ただそれだけの局面でも忠実にそのことが実行されている。


そしてを引いた。メンツ手になれば、が打ち出されることになるが、それは十分形になってからに違いない。

 

次に引いたのが


まだを打つわけにはいかない、ちょっと難かしいが、ドンさんはとハズした。このあたりはさすがというべきで、とハズすのはスジが悪いことはなはだしい。

ソウズが高い局面でのダブルメンツを残すこともさることながら、将来対子手になったとき、を抑え切ってしまう含みも残しているのだ。


の変わりに残したのは場に安いピンズの

次巡をツモると小考して2枚切れているを切った。
完全に対子手に決め打ったということで、メンツ手に行っても、はアテにできないは打ちづらい、となれば適確な判断といえよう。


この判断が功を奏した。
が重なり、を切るとが重なった。これはアガリだなと思っていると、次巡パシッとをツモった。

 

親の仕掛けはのシャンポン、ドンさんがを打てば親にアタリ、をあてに仕かけてもアガリめはなかったのだ。


現役のバクチ打ちで一財産築いている、こんな男っていうのはいそうで、なかなかいないものである。
才能もさることながら、自分へのキビシさ、これがなくてはならないのだ。
ドンさんの麻雀にはそれがよく出ている。
私がドンさんを尊敬しているのはその点なのである。

 

本物のバクチ打ち、そう思っているからこそ、私はドンさんに聞いたのだ。
ドンさんの答えはこうだった。


「あなたがだけは絶対に打たないという、それはそれでいいんじゃないの」
「ただ、あなたは麻雀のプロでしょう。ああいうバクチ麻雀を打っていて、麻雀打ちにはなれてもバクチ打ちにはなれない、って言われるのは、あなたにとって最大の賛辞じゃないのかな」

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