(インタビュー・執筆:浅井裕介)
ゆーすけさぁ、もしなんか俺のこと書くことあったら、ゆーすけに書いてほしいんだよね。
いつの日か思い出すことも出来ない、道半ば同士の口約束。様々な世界で結ばれ、果たされることなく終わっていく。
一つの夢を叶えた男のこれまでとこれからの物語、あの日の約束を果たす時が来た。
今回の主役の男の名は、坂井秀隆。
坂井秀隆(さかい ひでたか)
私と坂井、良く話すようになったのは15年ほど前だろうか。
当時最高位戦に若いプロは少なく、私や石井一馬・河野直也あたりは年下の先輩というものが非常に少ない。
しかも入会前に麻雀を打ち込んだ街が同じく八王子であるという繋がりもある。お互い入会前から存在を意識していた。
歳・街・入会期、環境が近い人間と親しくなりやすいのはわざわざ説明するほどの事でもなく、距離が詰まるのに時間はかからなかった。しかし、ピチピチの20歳過ぎの我々は、麻雀を始めたきっかけなどの話をすることはなく時を過ごしてきた。
その十数年越しの質問から始めることにした。
そういえばなんで麻雀始めたの?その辺の話ってしたことないよね。
ありきたりなんだよねー。小学生の頃に父親の部屋にあった麻雀マンガを見つけて勝手に読んだ。それがきっかけで将棋の延長みたいな感じで教えてもらったなー。中学生になって友達とするようになったらもうどっぷり(笑)。
うーんありきたり。しかしここから話はありきたりとは真逆の方向に進んでいく。
高校卒業して18歳の時くらいにすぐに親父が急死して。卒業後の進路とか考えてなかったから1年間浪人したんだけど、母親が心のバランスを崩したのもあって、少しでも安心してもらう為に大学に行くことにした。
坂井をあまり知らない方にはピンと来ないかもしれないが、実は家族との繋がりをとても大切にしている。
八王子の大学に行くことになって、4年生の時に最高位戦に入った。地元(千葉)で繋がりがあった麻雀プロの方に、多井さんの勉強会に出席させてもらったりしてて。元々プロに興味あったんだけど、八王子の縁で最高位戦を選んだ。
元々縁の無かった八王子に、家族との縁の為に向かった坂井。大学へ通う傍ら、八王子近辺の麻雀店で腕試しをする日々で新しい縁が生まれていく。
八王子で生まれた縁の数々
まずは河野直也だ。
今の自分があるのは坂井君がいなければありえなかった。
麻雀店に初めて遊びに行った大学時代、そこには人を惹きつけるオーラを纏った若い男性がいて。異様に態度はでかいし、働いてる従業員を友達感覚で呼んでいて、普通は関わりたくないはず。でも、当時の自分にとっては輝いて見えたんだよね。
同卓になった時は話さなかったんだけど、当時仲良くなったお客様の居酒屋で働いていたら坂井君が遊びにきて、『おまえ、おもしれーな!』と一言かけてくれて。それをきっかけに、そこからはほぼ毎日のように一緒にいた。
自分の大学には行かず、坂井君の大学に毎日のように車で送り迎えするぐらい一年の250日は一緒にいたかな。とにかく口は悪いし、態度はでかいけど、不思議と人が集まる彼に憧れしかなかった。
ある日坂井君が麻雀プロになるって聞いた時もただただすげーとしか思わなかったけど、あまりにも坂井君と一緒にいすぎて、当時付き合っていた彼女に愛想を尽かされて。
そして行きつけの麻雀店で働き出した僕は、麻雀を一生続けていきたい!麻雀の楽しさを広めたい!そして坂井秀隆を麻雀で超えたい!その思いで最高位戦日本プロ麻雀協会のプロテストの門を叩き今に至るんだよね。改めて、今の自分を作ってくれてありがとう。
同じく年下の後輩目線として河野の意見にはかなり共感が持てる。ちなみに自分と河野が初めて会話をしたのは、河野が入会した直後に坂井から「面倒見てるやつが最高位戦入ったから揉んでやってよ。」とセットに誘われた時である。坂井の語る「縁」という言葉を本当に実感する。
石崎光雄とは橋本の麻雀店で勤務していた際に出会うことになる。
当時の坂井は麻雀店の大会荒らしとして有名だった(笑)。鼻っ柱強いな、生意気そうだなってのが第一印象。礼儀正しさはあったんだけど、自信がみなぎってるような。
そのくらいじゃないとプロとしてはやって行けないだろうから、プロになって心が折れなければ上位リーグに行ける器だなとは思ってた。実際にメチャメチャ強かったし、入会してあっという間に抜かれたしね。
坂井・河野・石﨑・そして私が配信でぶつかった46期A2リーグ最終節は坂井にとって、そして全員にとってとても思い出深い一日だったと言える。
そして坂井の人生に一番の影響を与えたのが村上淳だ。
八王子の麻雀店で出会って同卓希望を出してガツガツ遊びに来てくれて、若いのに気概がある子だなと。んでみんな生意気って言ってたけど、上下関係を大事にしてくれていて意外と生意気じゃなかったよ。A2までは早くてすぐA1に来ると思ったけど、そこから苦戦して。苦しかったと思うけどよく続けてこられたよね。
先輩二人の意見で共通しているのは礼儀正しさと生意気さ。村上の言う「意外と生意気じゃない」はある程度生意気じゃないと選ばれない言葉だろう。若者特有の自信と確かな実力、そして生意気さを持ち合わせた坂井がプロ入りを目指すのはとても自然なことだった。
他の団体もあったからどこに入るか考えたけど、村上さんがいる以上は最高位戦一択。村上さんと出会ってなかったら違う道もあったかもね。
プロ活動の原動力となった「“麻雀店”を自分で作りたい」という思い
しかし入会即昇級を決めて迎えた2年目から2年近くの間、休場を選択することになる。
対局日が会社の入社式と被っちゃったんだよね。18歳でああゆうことあったのに、大学に行かせてくれた母親への感謝もあったから、まずはちゃんとサラリーマン頑張るのが筋かなって思って。
当時日程変更は原則不可、両方を続けることはできなかった。
坂井が選んだのは家族の縁だった。ここから坂井は仕事に専念し、最高位戦や麻雀との縁も薄れて…いかなかった。
やっぱりどうしても麻雀プロやりたくて。でも当時それだけでは稼げる時代じゃなくて、仕事軸で成功しないと麻雀(対局や稽古)に時間を使えないし、ちゃんと稼がないと母親への顔もたたない。普通じゃありえない様々な出会いをくれた〝麻雀店〟を自分で作りたいって思ったんだよね。
就職した一般企業を退社し、リーグ戦に復帰した坂井はストレートでB1(現A2)リーグまで昇級。
仕事面でも麻雀店の勤務を重ね、渋谷で麻雀店の代表となる。まさに順風満帆。当時の坂井は本当に自信に満ち溢れていた。
第39期最高位戦B1リーグ最終節、そこには藤田晋氏の姿があった。
藤田社長とは最高位戦ペアマッチの前日に張さんの紹介で練習セットしたのがきっかけでそこから交流させていただいて。俺がA1リーグへの昇級争いしてるからって初めてプロの対局を観戦しに来てくれたんよ。
結果は残念ながら僅差すぎる微差で3位での残留。
(最終節、あと一歩で昇級を逃した坂井と河野)
坂井はこの縁を活かしサイバーエージェントの麻雀部顧問に就任し、ABEMAでの番組にも出演することになる。
人との縁を大事にし麻雀でも仕事でも活躍してきた坂井だったが、このあたりから雲行きが怪しくなる。翌年のB1リーグでプロ入り後初の降級をしてしまったのだ。
降級後のB2リーグは一期で昇級するも、復帰したB1リーグで2度目の降級。筆者が43期のB2リーグで久しぶりに坂井と同卓した際に、あまりの麻雀の変化に衝撃を受けたことを今でも覚えている。
元々は軽くて手数の多い麻雀だったんだけど、B1で良い結果を出せなすぎて、麻雀観が変わってきてさ。リスクを冒さないほうが勝てるってゆうか負けないって思っちゃったんだよね。
びっくりするほど守備的に戦った坂井は、ほぼ±0でその期のリーグ戦を残留で終えた。
仕事面でも変化が訪れる。渋谷の麻雀店を離れることにしたのだ。
麻雀店のコンサルティングをやってみたくて、自分の店をやりながらコンサルするのは変な感じだなぁって思って。代表から退くことにしたんだよね。
そんなタイミングで、多くの人の生活を変えたコロナ禍が訪れる。
あの頃は麻雀店もかなり閉めることになってみんな困っててさ。
この頃の坂井は正直に言うと弱っていた。ここまで自分が生きる道にまっすぐ進んできた坂井が初めて迷っているように見えた。しかし〝麻雀店〟への強い気持ちが坂井を動かすことになる。
麻雀をやってなかったら、〝麻雀店〟で色々な経験をしてなかったら、藤田さんを筆頭に今の縁はなかったものばかり。自分を育ててくれたって言うと大袈裟かもだけど、やっぱりそんな〝麻雀店〟って場所が好きすぎるんだよね。だからこそ〝麻雀店〟と関わりながらこれからも生きていきたいなって。
もう一度麻雀店をやりたい。そんな気持ちが大きくなったころに強力な相棒が見つかる。
立花さん(立花裕)も麻雀店を長く経営してたんだけど、違うことにトライするから譲ってさ。その事業がコロナで出来なくなっちゃって。昔に機会があったら一緒に〝麻雀店〟を作れたら面白いよねって話してたんだよね。今では最高のパートナーです。
立花とゼロから作りあげた〝麻雀店〟が神田の『ナイン』というお店だ。今ではたくさんのプロが在籍している。
せっかく人生かけて新しく麻雀店を作るならって本気で準備した。だからこそ良い環境が実現できたと思うんだよね。ナインの個室は本当に広いから勉強会とかに是非使ってほしいなって。
縁を大切にした男が掴んだA1リーグへの昇級
迷いがなくなった人は目標に向かってまっすぐに集中することができる。B1(現A2)リーグに3度目の復帰を果たした坂井は筆者と品川直・小山直樹に声を掛け、勉強会を立ち上げた。
やっぱりリスクを冒さないだけじゃ今のリーグで勝てるわけないと思って。特に攻撃的な浅井と品川から自分にない部分を吸収して学ぶことにした。
筆者と品川は一足先にA1昇級を決めるが、一期で降級。2023年のA2リーグで再び顔を合わせることになった。
そして、A2リーグ最終節、坂井は昇級争いのど真ん中にいた。
5~60勝って他の人次第のイメージ。1.2回打って動いたポイント見て目指すものを決めようと思ってた。
2半荘終えて大きな2着が2回。目標的には順調なはずだったが、不幸なことに上位4名が全員それ以上の加点。
キツイ。しかも3回戦はそーちゃん(鈴木聡一郎)に走られてもっとキツイ展開だったんだけど気合で2着が取れて。
この日、私にとっても残留をかけた大一番だった。残り2半荘で40ポイント差まで追い上げたが、3回戦にライバルの原を止めることが出来ずに事実上の降級を迎えていた。
このリーグには特に付き合いの長い仲間が多く、それぞれの最終戦の状況を確認するためにスコアシートに目をやると…平賀(平賀聡彦)が箱ラス。これで坂井との差は1.2ポイントとなり、ほぼ一騎打ちの着順勝負となった。
あの時の自分は明らかにまともな精神状態じゃなくて。ここで声を掛けてくれたのが浅井と品川。2人とも「勝てよ」って。ぶっちゃけこの時点で泣きそうになった。
そして挑んだ最終戦、オーラス3人競りの場面で、3年前の自分だったら絶対に声が出なかった仕掛けでホンイツをアガり切って2着。やりきった。
先に対局を終えた坂井は配信卓の平賀が30900点の2着未満であることをひたすら祈る立場となった。
他の対局者と一度打ち上げの居酒屋に向かったが、「ごめん先に行ってて、今飲み始めて昇級できなかったら一生後悔しそうだわ。」と店外で待つことを選んだ。
無言で対局を見守る坂井と、対局と坂井を見守る筆者と品川。
雨の神保町、本当に本当に長い平賀の親番だった。結果、粘り及ばず平賀は3着で終了。坂井のA1リーグ昇級が決まった。
万感の思いを込めて、待ちに待った勝利とお酒を味わう姿はとても心を打つものだった。
最高のステージで村上さんと戦えることが嬉しい
昇級を決めた坂井は、今期の最高位決定戦を複雑な気持ちで見守っていた。
村上さんがいなかったら今の俺は絶対ここにいなくてさ。その村上さんと18年越しでA1で対局できる。それが最高位になるのと同じくらいの目標だったのよ。だから勝ってほしいけど、なんか実は複雑でさ。だって俺がすぐ降級したらA1で当たれないからさ(笑)。でもそれはそれで決定戦まで頑張れって縁かもしれなくて。獲れなかったのは残念だったけど、楽しみとかでは言い表せない。
縁を大事にしてきた坂井へのご褒美が、来年A1リーグという最高のステージで待っている。
麻雀と”麻雀店”とは人生をかけて本気で向き合っていく。
曲がりくねった道でも決して止めなかった歩み。
自分の信じる道をしっかりと踏み締め、これからも1歩ずつ、歩みを進める。