―まだ早い。
トド松の手出しと同時に入ったテンパイ、オレははやる気持ちを懸命に押さえた。
どこかで主導権は取らなければならない、しかし、ここがその局面かというと、はなはだ疑問に思えてくる。
第一打の、2巡目のドラ打ち、をポンしての、そして初牌の手出し、この強烈な4枚の手出し牌によって与えられたトド松の手牌への幻想、警戒心は、手出しによってかなり薄らぐ。
確かにトド松の手出しは、こちらにとってはチャンスかもしれない。
だが、これも計算されてのことかもしれないという思いもある。
というのは、上手は相手が自分の捨牌、手出し牌を注視していると思った場合、しばしばこういった手法を使ってくるからだ。
古川凱章のチンイツ(昨年本誌9月号)を思い出していただきたい。
(ポン)
親の古川は5巡目のこの手牌から、初牌のを放ち、を温存しているのである。手出しはこれと同じ手法、つまり一シャンテンが、
(ポン)
という完全一シャンテンからの初牌打ちといった”手役隠し”と十分考えられる。
だから間違っても手出しごときで、警戒を解いてはいけないのである。
私やケン坊、そして先生が、打てる牌を狭められ、手牌を歪めている様子がありありをうかがえる、よし、もうそろそろいいだろう。ここまでくれば、手牌をオープンにして攻めても誰も手出しはできまい。
トド松の手出しには、そういった自信がありありとうかがえていた。
ところが局面はそれほどトド松も思惑通りにはいっていなかったのである。
私にしてもケン坊にしても、
この意味ありげな捨牌にはもちろん最大限の注意は払ってきたが、トド松のそういった思惑が隠されているかもしれないというのは十二分に意識しており、手出しのような手の内をばらす一打が出てくるのをいまかいまかと心待ちにしているところもあった。
そしてそれと同時に曲りなりにも私にテンパイが入った。
もし、私がここでを打ってリーチといったとする、するとこの局を采配し切ったと思ってを手出しで打ったトド松にはかなりショックだろう。
この相手には少々のオドシは効かない、この作戦は常用できないな、と思わせる効果もあり、これには魅力を感じる。だが、手出しが”手役隠し”だった場合はどうなるか、リーチは絶好の餌食になってしまう可能性があり、確かにチャンスかもしれぬが、それと同じぐらい危険もあるのである。
―まだまだ早い。
早いダマテンの満貫が入るといったもっと確実なチャンスをものにしたい。
私は必死に自分の気持ちを押さえていた。
結局私はを打った。一シャンテンに戻したのである。
もし絶対にを打つ気がないのなら、ここはの対子落しが本手だろう。将来単騎に構えるために。
私もトド松の手出しがなければ、なにもこんなに考えることはなかったのであって
間違いなくノータイムでを打っている。
しかし、を手出しで打たれたからにはもう意地でもに手をかけたくない。トド松に采配し切ったという安心感、つまりスキが見えるからだ。
この後もトド松かその安心感を見せるような打牌をひとつでも打ってきたら、その時こそ大手を振って反撃だ。
と、を引き戻してもいいし、
の、フリテンでもいい。
とにかく、トド松のヤツが私達の手牌を歪めさせるためのブラフ含みだとわかる牌を一牌でも打ってきたのなら反撃する。
打ちはそういう意味なのである。
ただし、仮にそうなったとしても、を打てば、間違ってもは出てこないだろう
こんな下の三色丸出しの捨牌に飛び込んでくれる甘ちゃんなんか一人もいない。
ヨミの先生にさえ
「アレ、金子ちゃん、下の三色が入っちゃったの、ヤバイヤバイ。ジュンチャンまであるのかな」
と、例のセリフを言われるのがオチである。
そんな、バカな真似は間違ってもできないのである。
打ちの後ツモ切り、次巡のツモが。
このもツモ切れない。トド松の方の捨牌が手出しの後ツモ切り、ツモ切り、
と、”手役隠し”なのか、ブラフ含みなのか、まだハッキリとせず、
また私の方としても、打ちとテンパイを崩すからには、だけ押さえては切るというわけにはいかない。
これはしようがない。打ち。
とうとう二シャンテンまで戻してしまった。もう10巡目である。この巡目でこんな形の二シャンテンに戻してしまっては、もう戦えない。
ではなくドラのから打ったのも、どうせ戦線から離脱するなら、自分の手牌に未練を持つまい、他の2人がテンパイ気配のないうちにドラを処理しておこう。まあ、無理だとは思うが多少の牽制の意味も含めて、といった締めの気持ちが強かったからだ。
次巡トド松がようやくを手出し。まるで私の二シャンテン戻しが解っているかのように自信タップリである。
ここでおそらくテンパイだろう。
もうトド松の手の内もほとんどといっていいほどバレている。
早い混一なんかどこにも入ってない、そう見せかけるためのチャンタだ。
役牌はおそらく入っていても一組だろう、いや、入っていない可能性も高い。
そうじゃなかったら最初から意識的に役牌を絞らせるような動きをしてくるわけがない。
しかし、捨牌と手出し牌からいっても、対々の含みはあるに違いないのである。
結局、トド松の手配はこうだった。
(ポン)
たかがチャンタと笑わないでいただきたい一手変えば混老対々(ホンロウトイトイ)、親満から親ハネまである手配なのである。
しかしそれよりもこの一局の眼目の一手はトド松の2巡目、
この手牌から、一見有利とも思えるソウズの混一を捨てチャンタに走っていることだ。
混一の方が確かに有利だが、チャンタの方は2巡目にドラが打てる。つまり他の3人に対してオドシが効く、というわけだ。
そうして、
という、オール手出しの捨牌を作り上げ、他に3人は見事に、この捨牌によって手牌を歪めさせられている。
これが、混一の方へ走った場合はどうなる?
第一打は文句なくだが、2巡目、をポンしての対子落し、つまり、
これでオタ風のポンではミエミエの混一になってしまう。
これならば他の3人も混一だけを警戒すればいいのだから、かなり楽である。
なぜ、ミエミエがいけないのか、そう、この局はそこが問題なのである。
なぜトド松が混一を捨てたか、理由はひとつである。私とケン坊の手牌を歪めさせる必要があったのだ。
つまり、この局はトド松は、私とケン坊にかなり早い手が入ると読んでいる。
こ この説明はちょっと難かしい、というより長年のキャリアがものをいうのだが、まあ、簡単にいってしまうと、前の半荘トド松と先生は百メートルを全力疾走し た感がある。私とケン坊はそれを見ていた。その4人が同じスタートラインからあらためて競走しようというのだから、どうなるか。当然スタートから差がつ く。
誰も大差のない均衡状態では、こういったケースがまれにある。
トド松はそれを素早く感じとっていたに違いない。だからこそ、一見 有利と思える混一を捨ててまで、主導権を取りにきたのだ。これはヤツの雀風からいえば正解であろうが、たったひとつの誤算は私とケン坊が、トド松がそうく るかもしれない、と最初から意識していたことなのである。
手出しを待ちかねたように、ケン坊がを強打してきた。
いや、手出しの後はトド松の手牌も丸見えなのだから強打とはいえないが、まあ、テンパイが入ったと見て間違いない。
捨牌から見て、おそらく対子手。4暗刻か。いや、これまで一牌も目立つ牌を打っていないのだからそこまではいっていまい。
すると七対子か、それもドラ入りの。
いずれにしてもテンパイ者が2人では、もうオリるしかない。そう思った矢先に引いたのがだった。
(もう今回はフラフラだよ)といった感じでをそっと合わせ打ったが、こうなればガ然ヤル気になってくる。
つい1巡前までは打てないと思っていた2牌がいっぺんに解消できたのだ。
次巡ツモ、安全牌になっていた切り。その次も安全牌、ツモ切り。
そして次のツモが、
4巡前に二シャンテンに戻した手牌が、たったの2手でチャンタ三色に仕上がった。
しかも捨牌は、
と、危険牌など1牌も打っていない。
の合わせ打ち、と安全牌ばかりの連続切り、これではテンパイとわかりようがない。打ちの時を打つのとでは雲泥の差があるのがおわかりいただけるだろうか。
テンパイと同巡、先生がツモ切り。
先生にとっては思わぬ満貫放銃だろう。
はケン坊の現物であり、誰が引かされたって出てしまう、これはしかたがない。
こういったが、一番弱っている人間にいってしまうということは麻雀にはつきものであって、その理不尽さが麻雀のバクチ的要素なのだろうが、一度こういう状態になってしまうと回復するのはなかなか大変である。
案の定、この後先生が決定的なミスを打った。
3回目の半荘、先生が親の時である。
かなり早い巡目でポンと動いてきた。
捨牌から見て、タンヤオのドラ含みの仕掛けなのだろうが、問題はこの後である。
トド松の捨てたをでチー打ち、次巡のもでチー打ち、
これは誰が見たってからの喰い伸ばしなのだが、とを嫌ってたのがおかしい。
場にはが1枚、が2枚切れていたが、全体的にソウズは安く、絶好のマチのはずなのだ。
ではなぜを嫌ってきたのか、答えはひとつ。
(ポン) ドラ
というダブルメンツなのである。それ以外に絶好のマチを嫌う理由がない。
先生はカムフラージュをしたつもりかもしれないが、もう誰が見たってマチの一点である。
おまけに、この喰いで下家の私のところへ急所がポコポコと入り、
あっというまにこんな手をテンパイした。
不調者の動きが好調者に利するということはよくあることだが、先生の方にドラが入っていようといまいと、
マチは一点なのだから私の方は楽である。残り1枚のをもってきた時だけマワせばいいのである。
もう牌勢の差は歴然としている。ほどなく先生がをツモ切ってハネ満放銃、次の私の親でも、早いダマテンに先生が放銃、これが親満でハコテン終了、という調子だった。
4回目の半荘が終った時、フイに先生が席を立った。
「最近寝不足だからな、今日はもう帰るよ」
先生は4回ともラスだった、私は3連勝。
「今日はヤケに早いね」
トド松が声をかけたが、無理に引き止めても後味が悪い。
「ヨシ、じゃサンマーをやろうぜ」
トド松が言い出したが、私もケン坊も返事をしない。
「3人しかいないんだからしようがないだろ」
さかんに誘ってくるが、私は迷っていた。
サンマーでは小1時間ほとんどアガれないなんてことがけっこうあるが、そうなったら3連勝分は軽く飛んでしまう。
だがその逆もある。このメンバーなら、どちらの状態になるとしても、ほんの小さなミスが致命傷になってしまうだろう。
そのギリギリの攻防を味わってみたいという気持ちと今日はもう帰る手だという気持ちが両方ともある。
ケン坊はどうするんだ、という感じでヤツの方を見た。ヤツはたぶんやらないだろう、昨日の大勝に今日も少し上乗せしている。それならそれでいい、2人じゃしょうがない。
だが予想に反してケン坊の答えは、
「ヨシ、やろうか」だった―。
次回は2月15日(月)配信予定。お楽しみに!
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