ニュース

【清水昭選手リーグ戦勇退&尾崎公太選手退会】

早いもので昨年春から始まった第34期も現在開催中の發王戦で終了となり、またこの春から第35期のリーグ戦が開幕する。春といえば進学や就職、転勤など新しい旅立ちを迎える季節であり、多くの出会いや別れのある季節でもある。

それは最高位戦にとっても例外でなく、毎年この時期に多くの人間が夢を追って飛び込んでくるが、何かと世知辛いこの業界の内情を知ってか、長く持たずに去っていく者もまた多い。

 

そして今年は、長い間最高位戦を引っ張ってきた2人の選手が、惜しまれながらも去る事になった。

 

清水昭選手と尾崎公太選手。

 

大ベテラン清水選手は、リーグ戦選手からの引退で最高位戦の会員としては残る、いわばご勇退という形なのに対して、尾崎選手は会員としても残らない退会という形である。第29期最高位、昨年も決定戦に出場したトップ選手の脱会は余りにも惜しいのであるが・・・。

 

お二人に話を聞いてみた

 

      清水昭選手

 1949年11月24日生まれ。長野県出身。B型。射手座。

第6期(1981年)に最高位戦入会。在籍29年。

第28期~第30期までAリーグ在籍。第1、14期發王戦決勝進出。

1977年より、長野県長野市にて雀荘「チェック」を開店。以後長野で競技麻雀の普及、発展に尽力しつつ、対局の度に上京し続けた。現在株式会社「チェック」代表取締役。長野県麻雀業組合会長。

 

 

Q最高位戦に入ったきっかけは?

 昭和52年私は脱サラをし、麻雀店を開業しました。当時、日本経済は当然右肩あがり。麻雀も一番盛んな頃でした。その頃『竹書房・近代麻雀』は全国に近代麻雀クラブを募集、設立しました。競技麻雀を目指していた私はその仲間入りし長野支部をひらきました。支部活動のなかで『かきぬま王位戦、日本牌王戦』などに参戦、好成績を挙げたことで田中貞行先生の推薦を頂け、当時は唯一のプロ団体「最高位戦」のプロ予選を受験できました。ただ1年目は24人中最下位、2年目にやっと合格しました。

Qプロ入りしてからの目標、目的は ?
目標は当然最高位になる事でした!、、、、と、言いたいところですが、実は私はただの一度も最高位になろうと思ったことはありませんでした。実力もセンスも中途半端の私にそんな力がないのは、自分自身が一番よく知っています。私は常に「自分は一般のマージャン ファンの代表である」と言う思いで対局していました。しかし長い間に数多くの場を踏んでくると、麻雀力だけでなく知識やプロとしてのマナーもかなり身についてきました。そして50歳を越えた頃「せめてAリーグの麻雀を味わいたい」と思うようになり53歳第28期より3年間Aリーグに在籍できました。29年間最高位戦に身をおいて麻雀に関わったことにより技術・ルール・マナー・知識等を習得出来、自分の一つの目的が達せられたような気がします。だから引退出来たのかもしれません。

 

Q一番の良い思い出は何ですか?      

 友人がたくさん出来たことでしょう。一番身近な阪元俊彦さん、代表の新津潔さん、狩野洋一先輩あげ始めたらきりがなくなりそうです。      

それと第1期發王戦の準決勝。4枚目の緑發を止め安藤満さんの国士無双を阻止、決勝戦に出れました。

 

Q逆に辛かった事はありますか?      

 50歳に近づいたころ、自由奔放の生活をしていたので年齢からくる体の衰えを感じていなかったのですが、やはり歳には勝てません。日常生活においても・麻雀においても『キレ』が悪くなってきたことを感じたことでした。

 

Q引退を決断した理由は?      

上記にもあるように、自分なりの目標を達成できたんじゃないかと思ったこと。これは表向きの理由(笑)。

本当は麻雀の力が落ち、プロとして打つことが出来なくなったからです。

 

Q今後の活動を教えて下さい      

引退はしても最高位戦の会員でありますので、健全なマージャンの普及、プロの確立に力をそそぎます。ただプロとしての力がないのだから、タイトル戦への出場はしばらくは見合わせます。

 

最後に最高位戦選手とファンの皆様へメッセージを頂いた。      

 

選手諸君 

皆さんは最高位戦の選手であることに誇りをもってください。最高位戦はどの麻雀団体よりも民主的であり、麻雀に対しとても造詣の深さを感じております。そんな背景のもと、この頃の若い選手の台頭と・活動への努力はとても目を見張るものがあります。マージャンを世に認めてもらい、確実な市民権を得るため日々ご活躍ください。

 

ファンの皆様      

長い間お世話様でした。活躍のない高齢の選手はほとんど知られていないと思いますが、最後に一言。  麻雀プロは技術的にとても高いところ・高い思いで対局しています。皆さんもプロの思いを感じながら観ていただくと、ひと味 美味しく 観れますぞ。          

 

 ー回答からも伺える様に、いつもニコニコして紳士だった清水さん。体も心も大きな方だった。

私がAリーグに入ってから、清水さん始め重鎮の方々と対局させて貰う中で、麻雀はもちろん、その所作などから最高位戦の歴史や伝統といった事も教わった気がする。近年は後進への指導役的立場も含めて若手と卓を囲んでいらした訳だが、清水さんから色々と学びとった者が少しでもいてくれたら、と思う。

お体に気を付けて、まだまだこれからのご活躍祈ります。

 

=============================================

 

 

     尾崎公太選手

1978年4月1日生まれ。大阪府出身。O型。牡羊座。

第22期最高位戦入会。在籍13年。

弱冠18歳で最高位戦入りし僅か5年、第26期に最年少(23歳)でAリーグ入り。するとその年にいきなり決定戦進出を果たした天才。その3年後の第29期に2度目の決定戦進出を果たし、見事第29期最高位となる。こちらも最年少記録(26歳)。他に第7期優駿位。26、29、30、31、32、34期に決定戦進出。

 

 

Q最高位戦に入ったきっかけは?
小学生の時から家族麻雀はやっていたのですが、高校生の時、井出さんや金子さんの戦術書を読み、麻雀の持つゲーム性に惹かれ、最高位戦の存在もその時知りました。

 

Q一番の思い出は?
正直、思い出も多すぎて、どれがと言われると困ります。プロテストからCリーグ時代。BリーグからAリーグ昇級を賭けた対局も厳しい一番でした。最高位を取った時の麻雀はもちろん、Aリーグのリーグ戦も今でも鮮明に覚えていますよ。

 

Q選手として意識していた事は?
見た目に関しては、ギャラリーが見易いように理牌したり、なるべく無駄な長考をしないとか、採譜者が採譜をしやすいようにとか、そんなところです。
麻雀に関しては、とにかく読む事に集中してやってました。手牌構成は基本的には手なりですが、将棋と一緒で一見奇異に見える着手が勝着になったり、また普通に見える着手が敗着になったりする事がしばしばあるので、手なりで打ちつつ形にとらわれないように、そのあたりを意識してやってました。

 

尾崎選手コメント

 

ここまでやってこれたのは、最高位戦の皆さんやファンの皆さまが温かく見守ってくれたおかげだと思っています。色々な事があって麻雀へのモチベーションが保てなくなり、今後はしばらくは少しだけ、麻雀とは離れて生活をしていきたいと考えております。
本当に、どうもありがとうございました。今後とも、最高位戦をよろしくお願いいたします。

 

 

ー最初に決意を聞いた時にはもう戻る可能性はかなり低いと感じたのだが、コメントを読む限りでは少し希望が持てそうだ。区切りを付ける為に退会という形を取ったと思うが、あれだけの輝きを放っていた場所を、そう簡単に捨てる事は出来ないと私は信じる。

いつになっても良いので、また打ちましょう!

 

お二人方共に、今まで長い間お疲れさまでした!そして本当にありがとうございました!!

 

ニュース トップに戻る