-このへんが勝負処だな。
ドラ 抜きドラ
5巡目のこの手牌を目の前にして、そう思わずにはいられなかった。
長い勝負の途中に、もう幾度となくこんな局面を経験している。
流れが変わる瞬間の迷い道、これをうまく切り抜ければ、
流れはこっちへ向くもんだ。
もちろん、地力がなければ、それも無に等しいが、
いったん流れが変わってしまえば、それからは自信がある。
この手牌はその迷路の分れ道。
道はふたつ、と思う。
ひとつは、か切りの一シャンテン。
理由は後で説明することになるが、迷路を抜けてしまえば、そして勢いに乗ってしまえば、
ここは間違いなくどちらかを打って一シャンテンにとる。
ピンズとソウズの形を比較しても、
対子手への牌の流れを考慮に入れても、
どちらを打つかは難しいが、とにかくどちらかを打つ。
そうなったときには、間違わない方を打てる自信があるからだ。
だが、今はまだ迷路の中。
もうひとつは、一シャンテンにとらない打牌。
打と打の優劣の判断がつかないから、しかたがなくこう打つ。
を打った後にの形が伸びるのではないか、
を打った後にを引いての形を逃すのではないか。
と、心配して、判断がつかない。
一シャンテンにとらない打牌というのは、この判断を下さない打ち方。
もっと簡単にいえば、
どちらかの形が決まるまでは、
どちらにも手をかけないという打ち方、ということになる。
その場合の打牌はズバリ。
・に手をかけないとすれば、
残りはだが、
引きを考えればに手をかけるのは重い。
そうするとかだが、この場合はが1枚切れている。
そういった判断材料がなくとも、最初からストレートには打ってないのだから、
タンヤオの含みも残す方が勝っている。
を打って二シャンテン戻しの瞬間がこの形。
ペンを引いてのイーペーコウテンパイと
のいずれかが暗刻になってのシャンポンマチテンパイの
両方を断ってしまったのだ。
通常の麻雀ならば、たいした手ではないから、
さほど重要には考えないかもしれないが、
サンマーではこのテンパイをのがすのは大変なデメリット。
そのデメリットも十分承知していたが、
それでもとを残す方を選んでいた。
まだストレートに打つにはほんの少し早すぎる、
迷路を抜ける一歩手前に来ているのだ
という意識がこう打たせたのだ。
しかし、サンマーでこういった打ち方が必要なときは、
その結果がハッキリと出やすい。
それだけに、麻雀の原点に近いサンマーでのこの種の打ち方は、
通常の4人麻雀でもひとつの型となるものではなかろうか。
打ちの次巡、ツモが。
これで早くも一シャンテンに復帰した。
なんのことはない、一シャンテンぐらいならいくらでも復帰できる形なのであるが、
それでも打ちの瞬間にはテンパイを逃すかもしれないと、
なかなか勇気がいる。
さて、ピンズの方が伸びた以上、もうを打ってもよさそうだが、
引いたのはでもでもなくなのである。
これがツモでとなっていれば、ピンズは十分形とみてよく、
ここで打と、ソウズの方もに、
形を決めてしまえる。(毎回同じことを書くようだが、高くアガる必要はさらさらない)
ツモでも同じことじゃないか、と思うかもしれないが、
この微細な違いが重要なポイント。
ツモとくるようなら、前巡の打ちはハッキリ悪手なのだ。
ここでを打つようなら、前巡に打っておかなければならないだからだ。
これだけピンズが十分形になるような牌勢でありながら
という形で持っているのは感覚が悪すぎる。
つまり、ツモと来るような牌勢のときには、
前巡に一シャンテンにとっておかなければならないのだが、
まだそういった状態になっていないと思ったからこその
二シャンテン戻しだったわけだ。
まだ迷路の中、スンナリを引かないと思ったからこそ打ちと備えたのだ。
だから打ったのは、ここでも。
さらに手牌をふくらませたのである。
1巡置いて引いたのが。
このツモには手応えがある。
同じようでも、ツモの方は、
のテンパイをのがしたことになる。
これは牌の流れが悪い。
ツモならば自然にを落として、タンヤオにワタれる。
この違いは大きい。
そして10巡目に引いたのが。
-これはアガれそうだな。
そう思わずにはいられなかった。
ツモ、が実に自然なのだ。
このツモを呼んだのも、打ちの一シャンテン取らずからなのである。
ストレートに打てるのには、ほんのちょっとだけ早い。
この認識さえあればこう打てるのだ。
案の定次のツモでの引きアガり。
タンヤオ1点、ツモ1点、親1点、1本場が1点のバンバン(場ゾロ)で計6点。
それに抜きドラが5枚で合計11点オールのツモアガリになった。
しかし点数はともかくこのアガりは、
迷路から抜け出させてくれるのに十分な手応えを感じさせてくれたのだ。
2本場。
今度こそは迷わずに打てる手牌になってほしいものだ。
それこそ、迷路を抜けだした証だからである。
しかし、またしても6巡目、はたと迷ってしまう手牌になっていた。
ドラ 抜きドラ
さて、何を打つ。
ソウズの方は手をかけられない。
では、ピンズの方なのだが、の連続形を手放すのは惜しい。
といって、をハズすのでは二シャンテンになってしまう。
迷うのはこの一点。
1本場のときと同じような悩みなのだが、ちょっと違うところが2点ばかりある。
まず、1本場で迷う手牌をアガリ切っていること。
トイレに立った、たった1局のマスターの代打ちで親番になり、すぐにペンをツモアガって連荘。そして1本場でのアガリ。
この経過は大事にすべきだろう。
とすれば、そろそろこちらのペースになりそうだということを
意識した打牌をせねばなるまい。これがひとつ。
もうひとつは、同じように迷う手牌にみえても、今度は迷う箇所はただ1点なのだ。
つまり、1本場のときよりは手牌が簡単になっているわけだ。
これは明の兆しだ。
この2点を考えれば答えは出る。
打ち──、
これには自信があった。
これだけの大敗の中で、このときは驚くほど冷静な判断力を保てていたと思う。
1本場の、
ここからの二シャンテン戻しと、2本場の
ピンズの連続形を捨てての打ち。
同じように迷う手牌なのに、
これだけの冷静な判断が下せたのは我ながら驚異だ。
7巡目ツモ。
もう迷うことはない、を打ってリーチの1手である。
念を押すまでもないだろうが、ピンズの悪形を嫌って
ソウズのを伸ばそう
などというバカなことは頭に浮かばない。
それならば前巡の打ちが悪手になってしまう。
だいいち、この流れならペンは悪いマチではないのだ。
経過からいってもそうなのだが、が入ってペンが残る。
これがいい。
ペンが先に入ってしまうと、残りの形が、
と、選択が残ってしまう。
もちろん、を打ってのダマテンに構えるが、
それにしても今の流れなら形がハッキリした方が押しが効く。
もう迷いはなかった。
「リーチ!」
ノータイムでそう宣していた。
3本場。
ようやく長いトンネルを抜け出していた。
2本場のペンリーチを一発でツモリあげ、この局も、
ドラ抜きドラ
2巡目、早々とが出てポン。
こんな手牌は門前で手を拱いているよりもポンの方がスピードがある。
もちろん、こんな手材料ならの先ヅケには未練は残さず、さっさと打ち。
1巡置いてが重なり、ほどなくを暗刻にしてテンパイ。
こうもスンナリテンパイが入ること自体流れがこちらに向いた証拠だが、
驚いたことに場にはソウズが安くなっている。
相手もソウズの脂っこいところを残して
字牌を先に打つわけにはいかなくなっているのだ。
(字牌よりもソウズを先に整理しはじめたな)
そのことが手にとるようにわかるのだ。
そのためにこちらのテンパイが入ったときにはが2枚切れており、
テンパイは当然カンになった。
ところが、引いたのはポンカスの、これでマチという
絶好のマチに変化。これも次巡ツモ。
完全に勢いはこちらのものになったのだ。
4本場、
トド松がいきなりのダブリー。
だが、もうこちらは手牌を曲げたりしない。
まっすぐ打って4巡目、
を引いたところで、ドンさんから現物のスジが出てポン、打ち。
迷うことはない。ここで往かなければなんのために
7時間も8時間も辛抱したのかわからない。
勢いで打てるようになるためではないか。
結局トド松がをツカまされて、これで5本場。
ここは早いピンフの3メンチャンが入ったが、
念を入れてダマテンのままツモアガリ。
この麻雀は連荘の勝負だ。
アガるたびに本場が加算されていくのだからあたり前だが、
それが10本も積むと大変なことになる。
役満の60点(打ち切り)も大きいが、10連荘もすると最低でも250点はいくのだ。
特に5本場くらいからは、アガる毎に5点、6点、7点・・・・・・・と加算されていくのだから加速度がつこうというものである。
だから、まず連荘なのである。
リーチをかける必要はさらさらなく、出アガリでも十分なのだ。
そのうちイヤでもツモれるようになる、自らマギレを求めることはない。
結局この本場は13本までいった。
400点近くはいっただろうか。
このときのためにがまんしてきた苦労が実ったのだ。
現実にはまだ100点近く負けている、ただこちらには天をも突くような勢いがある。
-これならばドンとトド相手でも勝てるぞ。
私は身をゆするようにしてイスに座り直していた。
“