「J」に通い始めて二日目、望むと望まざるとに関わらず、こんな3人が今、卓に座ろうとしていた。
私の上家にはトド松、下家には昨日トド松の下家で打っていた男、スーさんである。
私が「J」に顔を出したのは、ひとつにはトド松とケン坊との再戦が目的であったが、その2人が苦戦するほどの男がいると知ってその男との初対戦にも大いに興味をもっていた。
その男こそ、スーさんなのである。
望むと望まざるとに関わらずといったのはこの3人でこの時間に待ち合わせていたわけでもなんでもなく、たまたまこの3人がこの時間に「J」に顔を出した、単なる偶然の組合せであったからである。
だが私にとってはふたつの目的が同時に叶えられる対戦であったことには変りなく、いやが上にも気合いが入っていた。
その気合いを見透かすように、「J」の勝ち頭であるトド松が、
「なんだ、このメンバーはお客さんが1人も入ってないじゃないか。まあ、たまにはキツイメンバーでジックリ打つのもいいか」
と、余裕をみせれば、年長格であるスーさんは、それに応えてうっすらと笑みを浮べる。
まるで、「オレにとっちゃ誰であろうとお客さんだよ」そういった感じにさえとれる。
五十年配のスーさんであるが、おそらくその年まで麻雀一本でシノイできた自信がそうさせるのであろう。
だが、2人の余裕ある態度に合わせてやる必要なんか、これっぽっちもない。
「いきますよ」
と言うと、勝手に親決めのサイコロを振った。
2と3で5。スーさんが11。決まったかなと思っていると、最後にトド松が思い切って投げつけたサイコロが6・6と出て12。最初の親はトド松に決まった。
──なんだかんだといっても気合いが入っていやがるな。
親になったトド松がもう1度サイコロを振る。今度は1・1と出て2。私の山の2つ目からの取り出し、スーさんが自分の山の左から7番目をカシャリとめくる。ドラ表示牌は9番目。
その一連の動作が瞬時に行なわれた。サイの目いくつが出ようとも、数えずに9番目がめくられる。そのぐらいのことはオートメーション化されたように体にたたき込まれている3人である。
最初の一局、5巡目、
、とも初牌、それでもこの手牌なら通常どちらかを切る。しかし、やや手牌の進行が遅い。
もしどちらかを切ってポンされたとしたらこの手牌では追いつけないだろう。ということは、この手牌のまま相手のテンパイを助けるような牌を打つのは、相手を勢いづかせることにもなりかねない。
で、私は序盤戦トド松に対してほんの少し後手を踏むかもしれないと覚悟してを切った。
あえてトド松に対してといったのは、昨日見た限りではおそらくスーさんもあの手牌からならとりあえずをハズして様子を見るだろうと思ったからで、それがどういうふうに局面に現われるかといえば、この前ケン坊が入っていた時よりも局面のスピードが遅くなるのである。
スーさんの麻雀、これは昨日数局見ただけだが、おそらく間違いない。
この手牌からトド松のアタリ牌を引き、打とテンパイを崩すスーさんと、
いくら将来が危険になりそうでも、をポンテンに取れないばかりにアガリを逃がす方がはるかにツキを落す、ということが完璧にフォームになっているトド松。
言い方を変れば、なかなか放銃しないようにネチネチと打ち回し、それでいてバランスを崩さない“北抜き流”のスーさんと、サンマーにおける利、これをとことん生かそうと機械のように押してくるトド松である。
スーさんが好調ならば局面の進行が遅くなり、トド松が好調なら早くなる。これは見えている。
今、私が打った、これは明らかに局面の進行を遅くしようとしているもので、序盤戦はトド松のペースになるのだけは避けようという気持があったのである。
打ちの後、ツモ打、ツモ切り、ツモ切り、ツモの9巡目、
この一シャンテンで打ち、無事通過。
それに合わせてスーさんも手の内から──やはり序盤はそう打つか。
トド松マーク。2人の意見がそう一致しているのだ。
次巡、ツモでテンパイが入った。これはもうかまわずを打つ。今度はトド松のポンが入った、捨牌から見ておそらくテンパイだろう。だが今はこちらもテンパイが入っている。マチはカンだが、テンパイならば十分に対抗できる。ツモの裏目を捨てを絞ったのはこの局に関しては成功といえる。
が、トド松のポンと同巡、スーさんがバシッとツモアガった。
この役無しのテンパイを引きアガリ。3人ほとんど同時のテンパイだったが、を合わせ打ちしながらテンパイが入った分だけ有利だった、そんな感じのするツモアガリ。
サンマーはこんな紙一重の局面が多い。
数局は同じような局面が続いた。誰かが先にミスを打たない限り局面が大きく動くことはないだろう。
だが、このメンバーでは誰もミスを打つような気がしない。もしかしたら永遠にこんな膠着状態が続くのではないかとさえ思えた。
ところが意外なことに、いきなりといっていいほど急に局面が傾いていったのである。
こんな配牌が私に入った。
親はスーさん、第一打。
トド松の第一打、。
そして私のツモが、一シャンテンである。第一打は。
これをいきなりトド松がポン、打。
スーさん、手の内から、トド松も手の内から。
そして私のツモが、
2巡目のこの手牌、おそらく十人中十人がに手をかけるのではないだろうか。
という両面、ソウズは、の他にツモでもテンパイという有名な形。を打つのがセオリーだと信じているのだから、そう打つしかしようがないのだろう。
打ちが手筋、そんなことは百も承知している。
だが麻雀には手筋を越えた局面がある。
いや、越えたというほどオーバーなものではなく、この場合の手筋というのはカンチャン、ペンチャンよりもリャンメンが有利というセオリーの積み重ねであるが、そうでない、カンチャンの方がリャンメンよりも有利な局面がいくらでもあるという、ただそれぐらいのことでしかない。
この局面がまさにそうであった。
私はこの手牌からのリャンメンを嫌って出た。一シャンテンの広さはソウズの方がと変らないのにピンズのの受け入れを拒否している。
単純に考えれば損な打ち方である。
だが、ここで2人の捨牌を思い出していただきたい。
トド松が
スーさんが
2人がピンズの一色手に走ったのである。
サンマーではこういった現象が起こりやすくたとえば、
こんなオタ風の対子が2組入っている場合は、メンゼンで手を拱いているよりも、ポンをしていった方がはるかに早い。
(ここのルール、東天紅ルールと呼ばれているもので、場風はしかない)
スーさんの方にもピンズが固まっていて、、という牌を必要としないのだろう。
サンマーの場合は遠いところから一色手を睨むという打ち方はせず、、と切り出すような場合は相当ピンズが入っていると見ていいのである。
万一の国士無双も私がを3枚抜いている他にトド松が1枚抜いているので無い。
2人の配牌にはピンズがゴッソリと入っているのである。
それに対してソウズの残りは全て山の中なのである。
つまり、残りの牌山を開けてみれば一目瞭然、ソウズの方が圧倒的に多いのである。
この厳然たる事実。これが牌の流れの根本原理。
サンマーの方がわかりやすく説明できるので、サンマーを使って説明したが、牌の種類が多いだけで普通の4人麻雀にしても原理はまったく同じなのであって、ただ種類が多い分、牌の流れがゆるやかになるだけの話なのである。
マンズ、ピンズ、ソウズが均等に来ると思っている方がおかしい(暗刻よりも順子ができやすいと思っていることも同じである)のであって、牌山には片寄りがあって、そこから牌の流れができることも、ごくあたりまえの現象として受けとめるべきなのだ。
(それと同じく、均等に牌が来る局面もあたりまえの現象として受けとめられるので、それも牌の流れとして考えることができる。これを先の“寄り場”に対して“三色場”『三色同順の三色ではなくマンズ、ピンズ、ソウズの三色の意』と私は呼んでいる)
こんな簡単なことに気がついてない人が圧倒的に多いのだから、牌の流れなんて信用しないなんてバカなことを言う人間が出てくる。
もっとハッキリ言わせてもらえれば、
「麻雀は次のツモがなんであるかわからないのだからツキだ」
よく言われるこの言葉も、私に言わせれば麻雀の幼年時代(自称麻雀プロも含めて)のことであって、これからは次にどういう傾向の牌を持ってくるかというのが開拓される分野になるのではないかと思う。
現に、青野滋氏のツモ牌相理論(寄せ麻雀)も私の牌流定石もまだまだ未完成には違いないが、まさにこれ。
ただ、以前本誌に牌流定石を10回程連載したときには、これほど牌の流れというものが一般に受け入れられていないものだとは思わず、牌の流れがあるものとして、そこから新しい戦術(牌の流れで牌勢を診断するなど)に取り組んだため、牌の流れの根本原理の説明が不十分になり、理解していただいた人はごくごく一部だったようだ。
また機会があれば新牌流定石なるものを書いてみたいと思う。
前置きが長くなった。
しかしサンマーを語るには、牌の流れがどうして起こるのかを語らねば始まらない。
サンマーはその格好の材料なのである。
私がのリャンメンに手をかけたのは次からのソウズのツモを予測したためであるのはお解りいただけたと思う。
の方を打たないのは細心の注意、一色手の場合真中のポンはしづらい。
が何枚生きているか、そこまではわかりようがないが、そう何枚も生きていると考える方がおかしい。
それに対して、ソウズは全て生きているのであるから、どちらがアガリやすいかなど説明するまでもない。
この手牌から手筋だからといってを打つ打ち手は、終盤たった1牌のを全員で引きっこ、先に引いた人の勝ちなどという、それこそツキだけの勝負に参加してしまう打ち手なのである。
そして、そういう打ち手に限って、決まってこう思うのだろう。
──あー、同テンを引き負けてツカないな──
まったくの素人同然。
こんな打ち手に限って、三色同順があるからといって、牌の流れに逆った手作りをする。あげくに“死にスジ”の三色同順をテンパって、こんなキレイな手をテンパってなんでアガれないんだろうと、王牌をめくってくやしがる。
いくら次の一手が上手かろうと、牌の流れが読めないようじゃ、どうしようもないのである。
さて、打ちの後、ツモは、打、続いてをツモリ、テンパイ。
もちろん即リーチ、次巡一発ツモ。
のツモといい、一発ツモのといい、このときはちょっと出来すぎであったがたとえそうはならなくても、ソウズに寄せればアガリはわかりきっているのである。
もちろん、これらはアガリきれるのはわかっていても、相手が先にアガる場合もあるが、山に少ないピンズに寄せている2人と山にゴッソリのソウズに寄せている1人とでは勝負は見えているのである。
そこからである、いっこうに動きそうもないと思えた局面が一気に動いた。
誰もが手筋と思う打ち。だが、それはの引きっこに参加してしまう。
それを打ちと牌の流れに乗り、スンナリアガリきったのだから、勢いに乗って当然なのかもしれない。
私の勢いは凄まじい限りだった。
もちろん1人でアガっているわけではないが、大波が過ぎ小波が続くと、また大波が来るといった状態が続いた。
とうとうスーさんがネを上げた。
「マスター、用があるから代ってよ」
勝負は今日だけじゃない、どうせ毎日顔を合わせるんだ。目の悪い日は引くに限るさ。と、これはこれで見事な引き際である。
──もちろん、これで勝ったなんて思っちゃいないさ。
──アンタと打つときのあのシビレるような緊迫感、あれは金じゃ買えないよ。
“