コラム・観戦記

第1回 若き流転の雀士ケン坊

 ある雀荘、バッタリケン坊と出会った。

むこうさんもオレが入るとすぐに気がついたらしく、久し振りだなという感じで目が合った。

「よう、どうしたんだい、こんなところで」
「うん、たまには違うところで打ってみようかと思ってな」
 たったそれだけ言葉を交わしただけでケン坊は視線を卓に戻していた。

 やけに表情が堅い、なにか切羽詰まった感じで打っていやがる。
 勝負の最中、こちらもそれ以上話しかけるわけにもいかず、ケン坊の手牌の見える席に腰を降ろし従業員の運んで来たお茶をすすった。

 久し振りにケン坊の麻雀が見てみたい。
 何事にもよらず人には向き不向きというものがある。麻雀もまたしかり。
 ケン坊っていうのはまぎれもなく麻雀に向いている男、オレはそう思っている。

 彼とはじめてであったのはもう8年近く前になる。
 オレが高田馬場界隈で打ち歩いていたころのこと。今からみればなにほどのこともないが、それでも一晩打てば大卒のサラリーマンの給料くらいは軽く動くぐらいの麻雀を毎日打ち歩き、いっぱしの雀ゴロ気取りだったころのことだ。

 高田馬場界隈だけでもオレの打ち歩いた雀荘は10軒以上になるが、その中でも一番レートの安い、まあ比較的学生の集まる店でたむろしていた時、ケン坊が4人連れのセットで打ちに来ていた。


 彼はまだその頃、高校を卒業したばかりの予備校生で、おそらく学友とでも打ちに来たのだろう。
 ひやかしの方へ回っていたオレに、何気なくケン坊の手牌が目に入った。
 その時の手牌は確か、
 

 こんな感じで、ドラはだった。
 見るからに4人とも初心者で、自分の手牌だけで精一杯という感じである。このクラスの人間、あの手牌でテンパイすれば「チッ、しょうがねえな」といった感じでを打ってリーチをかけたがるもんだ。

 ところがケン坊はそうはしなかった。を打って単騎に受けたのだ。を持ってきても単騎のまま変えようとしない、確かにまだ初心者のはずだから「ほう」と思った。
 別にその時は彼がどうのこうの思ったわけじゃないし、その局面がそう打つべき局面かどうかも深く考えていたわけじゃない。

 まして、マチでリーチといった方が一発・裏ドラ有りのルールじゃ実践的だとか、そんな技術論もどうだっていい。

 どうせたいした技術論を持っているわけじゃないだろうし、こちらにしたって点棒状況さえ知らないのだから。
 ただちょっと他のヤツらとは違うなぐらいに思っただけだった。
 ところが、次にその雀荘に顔を出した時には、4人連れではなし、たった一人でフリーの客の中に混じって打っているのを見つけ、「ウン、例の単騎のヤツか」とすぐ思い出した。「仲間内の麻雀じゃあきたらず一人で打ち出したか、ヤツはのめり込むな」とみていた。

 ケン坊が麻雀に向いていると思ったのはその後のことである。最初はさすがに負けていたものの、すぐにヤツは負けなくなった。まだ打ち筋自体には芯が入ってなかったが、形が実にいい。
 たとえば、
  ドラがのこんな手牌。
 普通ならペンをハズせても、ドラがとなるとなかなかハズせないもんだ。
 とくにこの手牌のようにテンパイしてしまえば、よけいハズシづらい。

 もっとスジの悪いヤツになると、テンパイした時に打牌がだからというだけでリーチをかけるヤツだっている。

 ケン坊はこんな時迷わずをハズせる。ハズしておいて、が対子になればベストだが、そうならなくてもアガれる形になってからの処理を考える。


 

 

 ここで考えるヤツと、テンパイの時にを打とうか、リーチをかけようかと考えるヤツとでは雲泥の差なのである。

 これは確かに天性のもので、勝負事、なんでもそうなのだろうが、センスが悪い人間は何十年やっても少しもうまくならないもんだ。

 ケン坊はその点で実にセンスがよかった。当初はそのセンスの良さだけで負けなくなっていた感がり、このままいけば将来は一流かと思われた。

 ただ、それがケン坊にとっていいことだったかどうかはわからない。とうとう大学へは入らず、その道に入ってしまったのである。

 その頃はよく打ち合った。ケン坊はメキメキ腕を上げていったが、私が高田馬場以外のところで打ち歩くようになったせいで、しばらくの間顔を合わせることはなかった。

 次に出会ったのは六本木の雀荘で、3年近くも経っていただろうか。
 オレが初めて顔を出した雀荘で、ヤツは常連だった。

 それからは時々顔を合わせるが、3年振りに会った時は、お互いに「よう、まだ生きていたか」という感じで、ずいぶん嬉しく思った。この世界も生存競争が激しいのだろうか新しい知り合いも増えるが、しばらく顔を合わせない連中も多い。

 「よし、久し振りに今日はとことん打とうじゃないか」
 もちろんこちらも望むところである。朝までミッチリと打ち合い、最初にオレがその店のルールを聞いた時のことだ、店の主人が言うには「人和は役満、ただし、自分のツモ番が来るまでのアガリ」

 つまり、南家だったら親の第一打でアガれば人和なのであるが、北家なら、親と南家と西家のいずれの第一打でアガっても人和になる。親には人和という役満は成立しないことになる。

 普通人和という役はポン、チー、ロン、カンの無い1巡以内のアガリとされており、それも役満ではなく、満貫相当というところが多い。

 それで、こちらも店の決め(ルール)に口を出すつもりはまったくなかったのだが、「それじゃ北家が有利ですね」と一言だけ言った。

 「北家になる確率は皆んな一緒さ、ここにいる連中はどうせ毎日のように麻雀を打つんだから長い間の人和のチャンスなんか一緒なんだよ」

 オレは一言もなかった。
(なるほど、確かにそう言われてみればそうだ。見方を変えただけでずいぶんと違うもんだ)
 オレはあらためてケン坊のセンスの良さを見直した。
 もちろん麻雀の方も、期待以上のものだった。

 

 「お茶をもう一杯」と注文して、彼の方へ目を返した。

 

 お茶を一杯飲む間にケン坊は親満を一発引きアガっていた。

 だがどうもおかしい、打ち方にノビがない。ケン坊だったら、親満という優位に立ったらそれを利用して、もっと差を広げていくはず。

 

 別に点差のことではない、無理をしなければならない者と自然に打てるものとの差をだ。

 それをしない。打ち方が表情と一緒で、やけに堅い。

 

(ははあ、今はフトコロがサムイな、また例の病気が出たな)

 

そう思った。病気というのはケン坊の場合競輪。オレも含めて麻雀打ちという人種は大方他のギャンブルが好きである。

 

 まあ、人一倍神経をスリ減らす職業だから気分転換は必要なのだろうが、ケン坊のヤツは時々それでアツクなる。

 

 たぶん今度もその口だろう。

 しかしいくらセンスがよかろうが、フトコロがサムクて打ち方が堅いときはなかなか勝ち切るのは容易ではない。

 

 案の定、ラス前ピンチに立たされていた。

 

 (リーチ)

 たったこれだけの捨牌で親にリーチ。

 

3枚とも手のうちからの切り出しで、ドラはである。

 

 ケン坊の手牌はというと、

 

 

こうである。

 

 もっか彼がトップめであるが、リーチの親は2番手で、点差は一万二、三千といったところ。

 どうしても放銃(うつ)わけにはいかない。

仮に親満でも放銃ったとしたら、トップ目どころか3位に落ちてしまう。

 そうなれば2度と浮かび上がれまい、いやラスになる可能性だっておおいにある。

 

 しかし現物どころか、通りそうな牌などひとつもない。

 

 よっぽどをチーして勝負かと小考していたが、一面子もない手牌から親のリーチに勝負は無謀とツモ山に手を伸ばした。

 このへんは当たり前のことながらさすがで、どうせ現物が無いのならとチーで攻めに出るヤツも多いが、それならば門前のままの方がいい、安全牌を引いてくるかもしれない。

 

だが、ケン坊のツモってきたのは

 さあ、ますます苦しい。

 

 いったいあの手牌からなにを打つのだろう、

 「これでアタレばしょうがない」

 

 そんあことをつぶやいてを打つヤツも多い。だが、一発でがアタレば最低でも7700、ドラ含みか裏ドラでものれば親満である。

 

 だいいちが通るという保障なんかどこにもない。

 

 あの捨牌のどこにが通るという材料があるのか。

 

 では、いったいないを打つ。

さすがのケン坊も困ったにちがいないと思っていた。ところがあにはからんやケン坊はノータイムで次の牌を打った。

 

 「アッ」さすがだなと思った。

 確かにその一打である、だがわかっていてもそうは打てないもんだ。

 

 さあ、ケン坊が打った牌とは・・・・・・。

 

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