(インタビュー・執筆:沖中祐也)
--あれは今から(2025年3月)ちょうど3年前、名古屋でのこと。
筆者が最高位戦の東海支部に復帰入会をした時に、歓迎会という名の飲み会の席に同じくプロテストに合格した一人の女の子がいた。いわゆる同期である。
後にClassicを取る伊藤高志もその場にいて、その女の子にこう言った。
「君は一体人生何周目なの?」
後にMリーガーとなる鈴木優もいた、そしてこう言った。
「東海支部の光となるかもしれない存在ですね」
そこにいたのは、当時20歳となる新榮有理だった。
新榮有理(あらえ ゆうり)
ミラクルガール
新榮は礼儀正しい。
選手や裏方さんに対し尊敬と感謝の念を忘れない。
常に相手に興味を持ち、相手の目を見て話を聞く。
新榮は努力を怠らない。
プロになって数ヶ月が経った頃、私が主催しているゼロワンリーグという配信対局に実況者として新榮を呼んだことがあった。
私としては実況の場に慣れることができれば…と思って気軽に呼んだのだが、新榮は参加者の詳細がびっしり書かれたノートを手にした上で、参加者にインタビューを重ねそのメモを増やしていった。
自分のためですよ。しっかりと実況ができるように最低限の準備はしておきたいんです。
さも当たり前のことのように語ったときの衝撃を私は忘れない。
20歳という若さで、その当たり前を徹底している人間を他に知らないからだ。
礼儀正しい→仕事に全力、という新榮の両輪は、すぐに150cmにも満たない小さな体を大きな舞台へと運んでいく。
2年目にシンデレラファイトで優勝し、はやくもタイトルホルダーとなると…
3年目にはPiratesトレジャーハントで実況を担当するなど、実況者としてもおなじみの顔に。さらにMトーナメントでもリポーターを務めた。
さらにさらに年始に行われた最高位戦フェスのドラフトでは、MCを担当しながら指名を受けるという離れ業をやってのける。
歓迎会の席で初めて言葉をかわしたときから、新榮ならすぐに世間の目に止まり活躍の場を広げると確信していた。
それにしても1年目で実況の仕事を完璧にこなし、2年目にタイトルを取り、3年目にMの舞台へと足を踏み入れたのだ。
私の想定していたペースより何年も早い。
20代の前半なんて目の前の欲望や、明日どう生きるかという窮状に振り回され、将来のことなんて一切考える余裕のない時期ではないだろうか。
私だけではないと信じたいが。
その多感な時期に、麻雀プロとしてどうありたいかというビジョンを描き、自分の敷いたレールの上をしっかり歩き続けている。
どういう環境で育ったら、こんなミラクルガールが生まれるのだろうか。
さぁ覗いてみよう、新榮の過去を。
…といってもその過去があまりについ最近のことすぎて絶望したことを付記しておく。
おぼろげな記憶
2001年、静岡県磐田市。新榮有理は5人兄弟の末っ子として生を受ける。
5人兄弟ということは、さぞかし賑やかな家庭で育ったのだろう。
いえ、私が小学生の頃に2人のお姉ちゃんは結婚して実家を出ていったので、大家族という感じではありませんでした。
(小学生の頃の新榮。次女の甥と)
普通の家庭ですこやかに育ち、普通の女の子なのであまり書くことはないと思うんですよ。
あ、ありました!小学校1年生の健康診断の時に身長が1mぴったりだったことを覚えています!
なぜか目を輝かせながら語る新榮。体育のときは一番前であり「前へならえ」をしなくていいポジションか。
新榮と新榮の2倍以上の体重と顔の面積を保有する私を混ぜて2で割るとちょうどよくなりそうだ。
あとは立場を気にすることなく、誰とでも接するタイプでした。
今の言葉で言う「みんなか勢」や「陽キャ」である。
小さくて元気な女の子が人気グループや文化部グループなど属性に関わらず話しかけたり、放課後の教室を走り回ったりしている姿が容易に想像できる。
中学校で美術部に所属し、さらに学級委員長を務めたりもしましたね。
そこでみんなをまとめる楽しさを知って今の新榮が形作られてきたに違いない。
いえ、ただの目立ちたがり屋だったのかもしれません。中学2年では陰キャになりましたし。
一転して引きこもりになったと目を伏せる新榮。中学2年の多感な時期に何があったのだろうか。
特に何があったというわけじゃないんですけど、スマホを手に入れてネットにハマりましたね。その中でも歌を歌って投稿するアプリが大好きでした。
様々なことに興味を惹かれた中学時代。当時何を考えていたのかを聞いてもどこかおぼろげで、まだミラクルガールの片鱗は見えてこない。
新榮有理の原点
高校生になってバレー部に入ったんですよ。
興味はまた新たなものへと移っていく。小・中学校では運動部に入っていないという話だったが。
はい、だからかなりキツくて。まずは上下関係ですね。先輩や先生に対しての挨拶は当たり前で、他にも先生が階段を登っていたら荷物を持ちなさい、とか、全校集会でのカーテンの開け閉めなんかは率先してバレー部がやるように、と指導されました。
(バレー部時代の新榮)
厳しいしきたりの中で、挨拶と先輩を敬う気持ちを半強制的に身に付けていった新榮。
間違いない。新榮有理の原点はここにある。
昨今では体罰などが問題となり、体育会系のノリは鳴りを潜めているが、その一方で厳しい教育にも学ぶことも多くあるんだなと感じた。それは学校の勉強と同じくらい大切なことなのかもしれない。
上下関係も厳しくて、初めての運動部での練習も厳しくて…でも嫌だとは思わなかったんですよね。むしろ楽しかったです。
ただ、合宿で出たご飯が多すぎて無理でした。もともと少食なのに、山盛りのご飯を食べないと終わらなくて、みんなの前で吐いたこともあったんですよ。それが辛くて辞めちゃいましたね。
それは嫌な思い出だろう。
浮かび上がってきた新榮の特徴の1つとしてスッパリとやめられる点が挙げられると感じた。部活は続けるものという固定概念があったり、同級生や先輩に言い出しづらかったりなどの理由でなんとなく続ける人も多い。
それだけ合宿のご飯がトラウマだったということかもしれませんね。バレー部を辞めてから、空いた時間を埋めるようにバイトをするようになったんですよ。お兄ちゃんが働いていたカラオケ店から始まって、その後は飲食店とかも。
(バイト時代の新榮)
合宿の苦い思い出を語っている時とは裏腹に、新榮の顔に明るさが戻ってくる。
私、自分で言うのもなんですけど、器用なんですよね。何やらせてもある程度のことはすぐにできてしまうんです。
ただ、そこから成長がないって言わるのが難点なんですけど。働いてすぐに社員の方やお客さんに「高校生なのに偉いね」って褒められて。
競走馬で言うと2歳のときに完成しつつある早熟型といったところか。
それにしてもお客さんに褒められるって相当である。
田舎だから高齢の方が多かったですしね。そして褒められるのが嬉しくて嬉しくて。
褒められるためにバイトやっていたまであります。あまりに嬉しいから、学校をサボってバイトに夢中になったこともあります。あ、これは書けませんね。
残念ながらそういう人間くさいところがドキュメンタリーの華だから書かせてもらう。
持ち前の明るさとバレー部で培った礼儀によって周りから認められ、またその認められたことが嬉しくてますます頑張るという好循環。
それがそのまま今の活躍につながっているのは間違いない。
すぐにバイトリーダーという立場をいただいんたんですけど、ルーティンワークになって飽きてしまうんですよね。それ以上高みを目指せないというか。
だから嫌だったわけじゃないんですけど、違うバイト先に移って、そこでも褒められて嬉しくて、また移って…の繰り返しで、私はこれまでずっと褒められて生きてきました。
インタビュアーを務めたMトーナメントのコメント欄を見ても、新榮を褒めるコメントで埋まっている。
当の新榮にとっては「準備する→褒められる→嬉しい」という好循環を高校生の頃からただひたすらに繰り返してきただけにすぎないのかもしれない。
新榮有理、麻雀と出会う
さて、ここまで麻雀のまの字も出てこないが。
まぁ落ち着いてください。当時、麻雀は学生の時に家族やゲームでちょっとやるくらいでした。
高校を卒業したあと、趣味の延長でミュージカルを楽しんでいたんですけど、ミュージカルだけでは食べていけないので同時にいろんなバイトもしていて。
またしても唐突に新しいジャンルが出てくる。
はい。興味を持つとすぐに手を出したくなる性分は変わらなくて、私たちが歌って踊ってお客さんたちが喜んでくれるのが嬉しいのと、1つの作品をみんなで作り上げる達成感が素晴らしくて。
(ミュージカルの練習風景)
でも、その時にコロナが流行ったんですよ。
もうコロナ襲来か。ついこないだのことじゃないか、と言いたくなるのをグッとこらえて話を聞き続ける。
しばらくミュージカルが開催されなくて、時間が余ったので麻雀屋さんで働いてみよう、と。
興味のフットワークの軽さはずっと一貫している。
これまでいろんなことに興味を持っては離れてを繰り返してきたんですけど、どうやら麻雀だけは何か違うな、というのを感じました。
というと?
麻雀って生涯学習なんですよ。1つ覚えても次の課題がみつかって、それがずっと続いていくというか。
麻雀の素晴らしさを語る時に、そういった観点は珍しい。
ともあれ、そこから麻雀の魅力にハマっていくのだろうか。
いや、もちろん麻雀は魅力的だったんですけど、やはり1年経った頃に職場に対して飽き性が発動したんですよ。
そしたらプロという存在があることを知り、プロ試験に合格したら続けよう、落ちたら辞めようと思って受けたら合格しました。
新榮は現状に満足できないのかもしれない。ルーティンワークを感じると自ら舞台を変えてくる。
かなり引き伸ばしたつもりだったけど、もう現代になってしまったじゃないか。
プロ入り後は冒頭に示した通り、各種実況・MCをこなしたり、女流リーグもAリーグまで上り詰めるまでの活躍を遂げる。
私は恵まれているんですよ、周りに。
プロテストでお世話になった鈴木優さんに、当時関西で行われていたGリーグの実況席を見学させてもらったんです。そしたら現場で実況をやってみるかって言われたのが私の初実況です。
このとき本実況だった夏月美勇さん(日本プロ麻雀協会)の姿は今でも実況としての指針になっています。そしてこの配信を坂本大志さんが見てくださっていたらしく、最高位戦の実況にも抜擢されるようになりました。
Mトーナメントのインタビュアーも、裏で団体の方が私のために動いてくださったらしく、本当に私は運がいいのだと思っています。
いや、それは偶然じゃなくて必然だろう。
優さんだって、礼節・準備・仕事の全てが備わっているからこそ、新榮を実況席に連れて行ったのだし、坂本さんはその内容を見て必要な人材と判断したからこそ、抜擢したのだ。
褒められたい一心で仕事に取り組む新榮の「当たり前」のハードルは高い。
与えられた現場で人当たり良く接し、仕事に全力で打ち込む姿を見て、次の舞台を用意してやりたくなるのは自然な心理だと言える。
タイミングはあるかもしれないが、それは時間の問題ともいえる。新榮は、間違いなく実力でその座を掴んだのだ。
初めて味わった挫折感
リーグ戦の方も、初年度はD3リーグを抜け出せないでいたが、2年目にD2リーグに昇級すると3年目はなんと二段階昇級、今年はC3リーグからの挑戦となる。
また女流リーグもAリーグ入りを果たしている。
女流リーグの1年目のところ(第22期)見てくださいよ。
+318.0ptの1位で通過したにも関わらず、地方プレーオフで負けて昇級できなかったんですよね。
1年かけたリーグ戦で圧倒的に勝ったのに、1日の戦いで残留になるって厳しいよね。
それはそういうシステムなので仕方ないんですけど、負けたのがあまりに悔しくて。それまで私は勝ちたいって思うタイプではなかったのですが、2年目は絶対昇級するぞという強い気持ちで臨みました。
記憶にある。当時、私が「麻雀ってそういうゲームじゃないからあまり気負わない方が…」ってたしなめても新榮は「いや、絶対昇級するもん!」って言って聞かなかった。
2年目、宣言通り女流Cリーグを勝ち上がり、地方プレーオフでも勝って昇級を決めた。
ここで勝てば女流最高位決定戦というところまで勝ち上がったんですけど、相川さん(相川まりえ)と谷崎さん(谷崎舞華)に勝たれてしまい、経験の差というものを痛感しました。
さらに悔しい思いを重ねた新榮は、3年目の女流Bリーグでは最終節だけで+155.9ptを叩き出す追い込みを見せて昇級。
またしてもプレーオフで敗れ決定戦へは行けなかったが、今期からは女流Aリーグの舞台で戦うことになった。まもなく一節目の幕が開けようとしている。
誰か戦ってみたい相手はいるのだろうか。
誰と戦ってみたいというのはないんですよね。ただ…
その瞬間、新榮が初めて語気を強くして語った。
女流最高位というのは中期的な目標の1つでもあるので、今期ではなくともいずれは必ず取りたいと思っています。
中期的目標って、どこかの企業のIR(投資家向けの情報)を見ているようだ。
あれ。1つということは他にも目標が?
視覚障害や聴覚障害を持った方たちへの麻雀普及活動をできたらいいなと思っています。学生時代にコンビニでバイトしていた時に、耳の聞こえないお客さんがいて、なんとか力になれないかと手話を勉強したんです。
コンビニの店員にしては意識が高すぎないか。褒められるのも納得がいく。
そしたら手話を使ったときにその人がとびきりの笑顔を見せてくださって。その時の体験が忘れられなくて。障害者の方でも楽しめるんだよと、私をきっかけに麻雀の良さを知ってもらえたらいいなと思っています。漠然的ではあるんですけどね。
あらゆることに興味を持ったものの、すぐに飽きてしまう中で、これだけは生涯続くと麻雀にハマった。その麻雀を通して体の不自由な方にも楽しんで欲しいと感じたのだろう。
褒められることが大好きな少女は、何でも器用にこなした。
麻雀だけがうまくいかず、悔しい思いも経験。生涯にわたって挑戦できるゲームだと確信した。
褒められることが大好きな少女は、その大好きな麻雀をいろんな人に伝えたいと心から願っている。
褒められることが大好きな少女は、自分の力とも気づかないまま、大きな舞台へ臨む。
飯を食え
新榮よ。
顔と体重だけでなく、年齢も私がダブルスコアをつけて圧勝している。
だけど不思議と私のほうが長生きするんじゃないかと思っているよ。
目標のためにも健康に気を使おう。
合宿のときほど食べなくてもいいけど、腕の細さを見ていつも心配になる。
歓迎会の打ち上げの直後「私が有名になったらZEROさんに記事を書いてもらおう」と言っていた。「じゃあ俺がタイトル戦の決勝に出る頃には君に実況してもらおう」と返した。
あの日の約束どおり、新榮の記事を書くことができて嬉しい。
と同時にあまりにも早くて笑ってしまう。
あの瞬間から、ずっと新榮のことを一人の人間として尊敬しているよ。
年齢は関係ない。宇宙の歴史からすれば我々の年齢差なんて微々たるものだ。
今はダブルスコアかもしれないが、40年経てば80代の爺さんと60代の婆さんである。
そして悪いが40年なんてあっという間だ。
新榮は間違いなく活躍するし、その活躍に驕ることなくさらに前へ進むだろう。
これまでの指数関数的な活躍を見ると、Mリーガーになるのも時間の問題だ。
目標も、時間軸も、戦う場所も少しだけ違うけど、新榮が前に進む姿をみて、自分にできることを頑張るよ。
爺さんと婆さんになったら、これから起こることを振り返りながら、また飯でも食おうや。