(インタビュー・執筆:平野貴彦)
2019年11月25日、筆者は一通のDMを受け取った。
プロ試験に合格し、ようやくプロとしての第一歩を踏み出した頃だった。
しかし地方支部ということで、本部同期に知り合いはほぼいない状態であり、
SNSで一部交流がある程度であった。
DMを確認してみると・・・
なんと同期女流プロから麻雀合宿のお誘いである。何かの罠なのか?と疑った・・・
よくよく聞いてみると最高位戦の同期で親睦を深めようというものらしい。
当時フットワーク軽めだった私は快諾した。
これが筆者と今回の主役である梶田琴理とのちょっぴり面白おかしい出会いである。
(左から3人目が梶田、右から2人目が筆者)
梶田 琴理(かじた ことり)
負けん気と向上心が原動力の活発な幼少期
1990年12月4日生まれ、福井県出身。
幼少期は現在の梶田のイメージとは少し異なるが意外なことに活発なタイプの女の子だったようだ。
5歳頃からかるたとピアノと合唱をやり始めて、特にかるたにハマったね。地域の公民館みたいなところで週に数回やってたんだけど、その中ではすぐに一番強いレベルにまでなった。
だけど、県大会に出た時に同じ年の女の子に数枚しか札を取れないボロ負けをしたんだよね・・・・めちゃムカついたしすごい悔しくていつか絶対勝ってやろう!!!って思って強くなるために隣町の練習会に通った。
梶田と初めて会った時、長身でスラっとしていてクール&冷静という第一印象だった。
このエピソードを聞いた際にはとても意外だった。今でこそ感情は抑えられるが昔は悔しくて泣くことも多く、相当負けん気が強かったらしい。
屈辱の敗戦を経て絶対にリベンジしてやる!という気持ちでかるたの練習に励んでいたようだ。
それ以来その子と数回対戦する機会があってずっと負けは続いてたんだけど、枚数差はだんだん少なくなっていって手ごたえというかいつか勝てるかもな・・・っていう感じはあったかな。小学2年生の時に大会で初めて勝ってめちゃくちゃ嬉しかったし、勝つことの楽しさを覚えた気がする。
そこから梶田はメキメキと頭角を現し、数々の大会で優秀な成績を収め、向かうところ敵なしレベルまで強くなり小学校の間に初段まで上り詰めた。
ちなみに余談ではあるが、背が高いという理由で小学校の時に陸上とバトミントンもやっていたようだがそちらはからっきしだったらしい。
スポーツ少年団でバドミントンやったけど2年間でほぼ1回も勝てなかった!笑
私とダブルス組んでた子、本当にかわいそうだよね。ハハハハ!
無理なものは無理ときっぱり言い切るのも一芸に秀でる強者の片鱗かもしれない・・・
しかし、そんな一見順風満帆に思える梶田に暗黒期が訪れる。
人間関係に悩み留年も経験した中学~高校時代
中学時代はいい思い出がないかなぁ・・・かるたの印象もあんまりなくてポロっと大会とかには出てたみたいなんだけどあんまり記憶にないかも。二段にあがってB級の大会に出れるようにはなってたんだけどね。あと人間関係もちょっといやになって中学3年の夏からは学校も行かなくなった。
笑いながらそう話す梶田だったが、私には彼女にそんな過去があったことが意外だった。
どちらかといえば優等生であり才女というイメージがあるのではないだろうか。
学校行かない時は、ゲームしたり読書したりして結構昼夜逆転生活だったな。いわゆる反抗期でプチ家出みたいなのもしてた。金沢にフラッと行ったり、愛知のおばあちゃんの家に行ったりしてた。
読書というのがなんとも彼女らしい気がするし、全体的に知的な反抗の仕方である。
意外さの中にも梶田らしさの光るエピソードだと感じた。
高校は地元がいやだったから、電車で通う少し遠めの学校にした。けど中学の時の昼夜逆転生活が直らなくて、あんまり学校にも行けずで一年生の二学期の時点で留年が確定してた。だから後半は学校行かずにかるたの練習とバイトばっかりしてたね。時給750円のミスタードーナツで。
ミスタードーナツといえば、梶田ファンであればピンとくる方もいるのではないだろうか!
詳細はまたこの後触れることにしよう。
梶田の人生の中ではなかなかの闇の時代であることは間違いないのだが、その間にもかるたでは着実に実績を重ねており、高校一年生時には高校選手権で優勝し、A級と呼ばれる最上級位までたどり着くほどになっていた。
かるたと麻雀って似てるかも?
大学受験は京都大学文学部が第一志望だったものの当時のセンター試験で思うような結果が出ず
二次で合格した大阪大学と私立の早稲田大学の選択で後者の早稲田大学に入学する。
やっぱり文学部に入りたくて、大阪大学はやりたい学部ではなかったから、親には負担が大きくなるけど東京にも出てみたかったし早稲田大学にした。かるたが強い先輩が早稲田にいたのも知っていたしね。
滑り止めの私立大学にしか引っかからなかった筆者にとってはなんとも贅沢な二択である・・・
このあたりから現在の梶田のイメージと合致する部分が増えてきそうな感じがするが、果たしてどんなキャンパスライフを送っていたのだろうか?
早稲田大学かるた会に入ったんだけど、やっぱりかるたメインの生活してた。でも大学ではどちらかというと団体戦の戦い方に重きを置いていて、自分が今まで福井でやってた個人重視のかるたとは違ってたから”こういう戦い方もあるんだ”って新鮮だったね。ほかの大学生活は至って普通だったかな。でも勉強はもうあんまりだった。(筆者と二人で)大学なんてそんなもんだよね!
大学時代のかるたの成績はどうだったのだろうか。
入学時はA級四段で卒業時に五段に上がった感じだから個人成績としてはそんなに目立ったわけではなかったと思う。でもそれより団体戦の大学選手権の優勝も経験したし、福井時代の攻め一辺倒のかるたを見直して自分の中でバランスを取るいい機会になったからそこがよかったと思う。
※ここでかるた豆知識のコーナー
①大会の種類
かるたの大会には入賞時などに個人のポイントが加算され一定値に達した時に昇段していく公式大会とポイントは加算されないオープン大会(団体戦など)がある。梶田は公式大会での優勝こそなかったが上位入賞などを重ねて五段に昇段。オープン大会では優勝を経験した。
②かるたにおける攻め/守りとは?
攻め:初動を相手陣地寄りにし、自陣の札が読まれたときには瞬時に腕を戻す動作をすることで対応する。人間は腕を戻す動作の方が有利にはたらくため瞬発力がある人はこの戦法が優位。また相手に精神的に圧をかけることもできる。
守り:自分陣地を確実に取りこぼさずに、敵陣もうまく拾いに行く戦法。どちらかといえば少数派で、ほとんどの指導会などでは攻め戦法を教わるため自己流になりやすい。
こう見ると、攻めた方が得ではないか?と思うが、自陣の読み札が続いてしまうことなどがあり、その際にお手付きや取りこぼしなどがあり試合展開が劣勢になることもあるためバランスが大切なのだそうだ。(もしかして麻雀と結構近いのかも・・・)
ところで、ここまで麻雀の話が全く出てきていない。
このままではかるたプロのFACESになってしまう。麻雀とはどのようにして出会ったのだろうか。
麻雀は大学3年生の時にかるたの練習終わりの飲み会で先輩に教わって始めた。でもその時は麻雀やってたらかるたの勝負勘も磨けるよっていう先輩の勧めで始めた感じだった。そこからはほぼ同一メンツでたまにセットしたりするくらいで、ルールもやりながらだんだん覚えていった感じだった。だから大学時代に狂ったようにハマったとかはなかったかな。
大学時代にやっと麻雀に出会った梶田だがいつ頃からプロ入りを意識するようになったのだろうか。
地元に戻って就職 最高位戦アカデミーの門を叩く
大学卒業してから、一度は就職したんだよね?
うん。もともと読書とか活字が好きだったから出版系の仕事をしたかったんだけど、なかなか競争率も高くて。地元の福井の新聞社に就職して5年くらいはかるたも両立しながら続けてたよ。
なるほど、いつかるたと麻雀が逆転したの?
かるたはやっぱり福井の環境が良くて、大学時代の経験も踏まえてさらに強くなった気がして、A級優勝も経験した。26歳の時に六段になったんだけど、その時点以上の伸び代を感じられなくなって、このままかるたクイーンを目指すのもちょっと難しいなという想いはあったかな。
(A級2連覇を達成した当時の紙面)
そこは持ち前の負けん気とハングリー精神はなかったの?
ある時、たまたま麻雀の動画を見てたら最強戦の動画にたどりついて。その時まで麻雀プロの存在すら知らなかったんだけど、見てみたら実況・解説まで付いてめちゃくちゃ本格的でさ。しかも奥深くて面白くて・・・気づいたら麻雀のことばっかり調べるようになってた。
人生を捧げてきたかるたに匹敵する麻雀の魅力に気づいてしまったわけね!
でも私なんて大学の時に、麻雀を覚えてからたまに身内でセットするくらいだったし、どうやったら勉強できるかと思って調べてみたんだけど、福井はかるたは盛んでも麻雀教室とかって全然ないんだよね。それでもう少し調べてみたら最高位戦アカデミーがヒットして。もうこれしかないなって思って気づいたら申し込んでた。
かるたの払い手並みの判断の速さだ・・・!
福井から東京に時間とお金かけて通ってたんだけど、初心者レベルの私にも親身になって教えてくれるし周り(後に同期となる梅沢恵、北畠美智代、南雲みなとなど)の意識の高さに刺激を受けてだんだんプロになってみたいなって思うようになってきた。あと初回の講習の時の講師の浅見さん(浅見真紀)の最高位戦の歴史や活動内容の説明がとても印象に残ったんだよね。
その後、半年間の講習を経て晴れてプロ試験に合格し、2019年に44期後期としてプロ入りを果たした。
大きな壁にぶちあたったプロ入り後
これから書く話は今でも梶田とよく笑い話としてする話である。
梶田も私も同期としてプロ入りしたがその後、巨大な壁にぶち当たった。
リーグ戦で全くと言っていいほど勝てないのだ・・・。
梶田はプロ入り後最初のリーグ戦で5節20半荘トップなしの▲300超え、なんと初トップは32半荘目である。初昇級は49期前期リーグで、実に5年、10回目のリーグ戦までかかった。
ちなみに余談ではあるが、筆者も9回目のリーグ戦まで一度も昇級を決めることができず、境遇として近い部分もあり、お互い何度も慰めあい、心折れないように高めあったのを今でも覚えている。
リーグ戦勝てない時はどうだった?
正直、最初の2年くらいはもちろん悔しかったけど実力的にまだまだだと思ってたから、「伸び代があってよぉござんすなぁ!」くらいの感じだった(笑)でも5回目のリーグ戦くらいから、勉強も結構しているのになんで結果が出ないんだろう・・・って自暴自棄になることもあった。今期こそは絶対に昇級するって気合入れて臨んだ1節目に100負けた時はこらえ切れずに新宿駅のトイレで泣いたし、何のためにリーグ戦やってるんだろうと思うこともあった。
本当に経験した側だからその気持ちはとてもよくわかる。
いや、経験した人にしかわからない、順風満帆に昇級していった人にはわかってたまるか!なのである。
勝てなさすぎて、最高位戦リーグは欠場して女流リーグだけ出ようかって思ったときも正直あった。ゲスト先などでお客様に所属リーグを聞かれてD3って言うのがとても辛かったし、所属リーグでしか評価されないのも悔しかった。でもやっぱり欠場っていうのは逃げることになるから絶対にしたくなかったし、いつか必ず昇級して見返してやるっていう気持ちだった。
そう!これこそが幼少期から梶田琴理を突き動かしてきた負けん気なのだ。
でもやっぱり何か自分の中で頑張った証みたいなものは欲しくて、プロ入り後から天鳳を初めて今もコツコツやってる。リーグ戦は決められた本数しか打てないけど、天鳳は気が済むまで打てるし、とりあえず鳳凰卓で打つ!を目標にまずは七段目指して頑張ってた。
彼女は2019年7月~pipppiというアカウントで天鳳をスタート。
2020年4月には自分の苦手な副露の練習に特化したミスタードーナツというアカウントを開設。
2021年11月にミスタードーナツ 七段昇段、2023年7月にpipppi 七段昇段と両アカウントで目標の鳳凰卓を達成するなど、天鳳をプレイする女流プロの中でも実績は上位の方なのではないだろうか?
そして、記憶にも新しい2025年1月12日・・・
pipppiアカウントがなんと八段昇段。素晴らしい功績である。
FACES投稿に間に合わせるべく頑張ったようだ。おめでとう!!
目指すは女流最高位!
今まであまり聞いたことなかったけど、誰によく麻雀教わってるの?
うーん、これと言って特定の人とかはいないけど、プロ入りしてからずっとお世話になっているのは牧野さん(牧野伸彦)かな。天鳳の検討とか勉強会もしてもらったし、浅井さん(浅井裕介)とやってたまきラボ(牧野のYouTubeで行われている勉強会)でもお世話になった。牧野さんも浅井さんもプロ入り後のリーグ戦で苦戦した勢だから、そういったメンタル面とかも二人に色々教えてもらった。あとは東京来てから最初に私設リーグに誘ってもらったのが石田さん(石田時敬)で、最近は大志さん(坂本大志)の私設リーグにも出て勉強させてもらってる。
あと、てふリーグも初期の頃からずっと食らいついて頑張っているよね?
関西本部の本長くん(本長浩斗)が主催の天鳳を使った最高位戦ルールの私設リーグなんだけど、第2期(2021年)から参加させてもらってる。これまでMリーガーの鈴木優さんや天鳳位の方々だったり強い選手がたくさん参加していて今期でもう8期目になる。最初に声をかけてもらった時は、自分のレベルでついていけるか不安だったけど、回数を重ねるごとに成長を感じられるし、牌譜が残るから細かい部分まで強い人たちの意見を聞けることがとても勉強になってる。
(第8期てふリーグ参加メンバー)
いろいろな先輩方や仲間たちの教えもあり、梶田は女流リーグ最上級のAリーグに昇級した。
やっぱり女流Aリーグは入会してからずっと目指してきた場所だし、リーグ戦で悔しい思いしている分、気合入るし頑張りたい。あとやっぱり全節配信されるのが緊張するけど楽しみ。去年、配信対局に出てみて、年々見てくださる人が増えてることを実感するし、いつも通りをしっかりできるようにして、最終的には女流最高位になりたい!!
プロ入り後、悔しい想いを人一倍たくさんしてきているからこそ、力強く並々ならぬ決意に感じた。
幼い頃から悔しさを原動力にし、幾度となく跳ね返してきた梶田。
かるたでは勝ち取れなかった”かるたクイーン”を”女流最高位”に変えて、麻雀という舞台で必ずや勝ち取ってくれるだろう。
もう慰めのLINEは絶対に送らないぞ!と心に決め、筆者も久しぶりに天鳳の予約ボタンを押した。