(インタビュー・執筆:神尾美智子)
可愛くて、賢い。
そんなプロの名を挙げるなら、高津柚那(たかつゆうな)は絶対に外せない。
高津は第46期前期に最高位戦に入会し、東海支部に所属。
2024年の第24期女流Bリーグにて、+347.2ptの首位で女流Aリーグ昇級&プレーオフ1st進出を決めた。
勢いにのる注目の新女流Aリーガーだ。
高津はプロ5年目で会社員をしながら麻雀プロを続けており、東海リーグに出場しつつ、女流リーグのために愛知県から東京に毎月通っている。
小動物のように可愛いが、実は相当な負けず嫌いである。麻雀の話になると鋭い視点で熱く語る。
そんな高津の過去、そしてこれからについて迫っていく。
女に勉強は必要ない
高津の出身は、愛知県豊橋市。3人兄弟の長女で、英会話、水泳、ピアノ、書道、そろばんなど数多くの習い事に通っていた。
小さい頃から勉強が好きだったんだよね。分からないと悔しいもん。
分からないままが嫌だから分かるまで考える。自然と勉強熱心になり、高校生まで勉強に困ったことがなかった。
ただ、父親が昭和気質な考えだった。暴力や暴言が日常的にあった。
父親は酔っ払うと「女に勉強は必要ないだろ」と叫んでた。
でも、私は勉強したかった。自分がどこまでできるのかチャレンジしたいの。
そうした中でも高津はコツコツ努力を続け、高校は豊橋で一番の進学校、時習館高等学校に進学。
部活はハンドボール部で、キーパーを務めていた。
昔から予定を埋めるのが好きで、週7で部活に打ち込んでた。ハンドボール部を選んだのは、自分と同じく忙しくすることが好きそうな人ばかりで気が合いそうだったから。
ハンドボールのキーパーは防具一切ないから、至近距離で顔面直撃するみたいなことがザラにあって。他の人はキーパーが怖いと言っていたけど、自分だけは全く怖くないどころかシュートを止めて痛いのが快感だったの。よし!止めれた!みたいな。
(高校生のときの高津)
努力を惜しまず、成功や勝利を求める。高津のこの芯の強さはハンドボール部でも育まれたのかもしれない。
高校では物理が好きだったので理系を選んだ。
大学は、京都大学に行きたかったんだよね。塾には行かず、独学。模試もA判定と好調だったの。自分のペースでじっくり納得いくまで考えるのが向いてた。
ひとり暮らしをして京都大学で学ぶ、そんな生活に思いをはせていた。
しかし、大学の受験前に事件は起きた…。
「女は県外の大学なんか行くな」と、父親が京都大学受験に猛反対してきたのだ。
実家から通えるという理由で、父親に指定された名古屋大学に入学することになった。
京都大学を受験すらさせてもらえなかったのは本当に悲しかったし、今までの努力を否定されたって気持ちになった。
もちろん名古屋大学でも充分すごいのだが、自分が好きな勉強で挑戦さえさせてもらえなかったという心残りがあるのも理解できる。
恩師・鈴木優との出会い
無念が残るまま始まった大学生活。最初は大学の授業にも身が入らず、高津は無気力で過ごしていた。
高津が大学1年生だった2018年、Mリーグが始まる。
中学生のときに父親がモンド杯を見ていたので、麻雀の基本のルールは知っていた。当時はMJのアシスト機能をつけながらプレイしたり、Mリーグを観戦して次第にのめり込んでいきました。
大学2年生のとき、名古屋で行っていたMリーグ観戦オフ会(SMN)の開催を知る。これが高津にとっての転機となった。
急に思い立って、「今日行っていいですか?!」って連絡したんだよね。
この観戦オフ会で、人生ではじめてリアルで麻雀やったの。
その場でオフ会参加者に「最高位戦のプロアマリーグとか出てみれば?」と誘われ、符計算ができない状態で東海Classicプロアマリーグに思い切って参加した。
Classicプロアマ初参加のときが、リアル麻雀3回目だったの。今思えば恐れ知らずだよね。
女子大生ってだけで珍しいのに、ピンフの正しい点数申告ができただけでドヤ顔だし、目立ってたと思う。
そこで、高津が麻雀プロになるきっかけとなった鈴木優と出会う。
当時、鈴木優は岡崎市にある健康マージャン教室『笑喜』で講師をしており、高津は毎週通うようになった。
平日昼間開催、当時は参加者8人ほどの勉強会で、鈴木優プロに全ての打牌についてアドバイスをもらえたんです。
かなり恵まれた環境で麻雀を教わる日々だった。
東海プロアマリーグに参加していくなかで、麻雀プロの知り合いも増えてきた。生粋の負けず嫌いな高津は、「もっと麻雀を勉強して強くなりたい」と思うようになった。
目標が、見つかった。
そして2020年に最高位戦のプロテストを受験し、合格。
(プロになったときの高津)
高津が麻雀牌にはじめて触ってからプロになるまで、なんとたった1年なのだ。
プロになるまでフリーを打ったことがなく、健康麻雀とプロアマリーグ育ちという面白い経歴だ。
実力がついてから、ではなく、実力をつけざるをえない環境にまず身を置いたことに、高津の行動力が現れている。
プロテストの3日後から、鈴木優が当時経営していた麻雀店『ばとるふぃーるど』でアルバイトを始めた。ここで打数を増やしながら、麻雀の基礎を固めていった。
プロアマリーグで出会った鈴木優に麻雀を教わり、同じ団体に所属し、同じ麻雀店で働き、その後一緒にゲスト活動もするようになっていく。
優さんのいちばん尊敬しているところは、とにかく真摯で妥協がないこと。一緒にお仕事をさせていただくときも、とにかくお客様に丁寧かつ真摯な対応を常にしている。
対局はもちろんお店で普段打っているときでも一打一打への集中力が凄い。一緒に打っているときも手牌に視線が突き刺さるような感覚がしてた。
高津の麻雀人生に、鈴木優の存在は欠かせないのだ。
(一番右が高津、右から二番目が鈴木優)
初めて挑んだ女流プレーオフ、そして麻雀最強戦での悔しさ
プロになってからの高津は、最初から調子が良かったわけではなかった。
初のリーグ戦(第46期前期 東海D3)では対局中に過呼吸になることもあって。精神的に不安定になるときもあって、麻雀プロとしての自信がまだないなって。
だが半年後、チャンスに恵まれた。2021年の女流リーグ(第21期東海女流C)で、高津は5人中2位だったが、ワイルドカードで地方女流プレーオフに進出できた。
※ワイルドカード…各地方女流リーグの次点の方で成績上位1名が地方女流プレーオフに進出。
地方プレーオフを勝ち抜き、次の日のプレーオフ1stでは初の放送対局を経験した。が、ここで敗退し、2ndには進めなかった。
このとき地方プレーオフを勝ち抜けたのは本当に爆運だったから。プレーオフ1stで落ちたのも、そのときの実力では順当だった。けど、このプレーオフ進出が思いもよらぬ次に繋がったの。
「麻雀最強戦2022 女流プロ最強新世代」の予選32枠に選ばれたのだ。
予選では手だけじゃなく足も震えながら打ってた。卓にも膝をぶつけていた。それぐらい緊張してた。
予選のトーナメント2回を勝ち抜いて32人中8人に残り、ABEMAデビューが決まった。
最強戦では、通り名をつけてもらえる。攻撃力と打点力が武器の高津の通り名は、「戦闘民族の末娘」。
当時鈴木優が経営していた麻雀店『ばとるふぃーるど』で働いていた女流プロとして、長女が魚谷侑未(日本プロ麻雀連盟)、次女が茅森早香、高津が末娘という設定だ。
最強戦は視聴者数も多くて、かなり注目された。服装も気合を入れて谷間を出した。けど、この絶好のチャンスを活かせなかった。大舞台で負けたのが悔しくて、自分の麻雀についての意識が変わった日だったの。打ってて楽しいだけじゃなく、麻雀プロとしての麻雀を打とうって。
(「麻雀最強戦2022 女流プロ最強新世代」での衣装)
最強戦という千載一遇の機会は、麻雀プロとしての考え方が変わる重要な転換点になったのだ。
自宅は最高位戦の配信を観て寝るだけの場所!?高津の麻雀勉強法&会社員との両立
最強戦に出場した2022年は、高津が大学を卒業し会社員になった年でもある。
(名古屋大学の卒業式)
高津は、会社員になって以降、麻雀の勉強方法を意識的に変えていく。
ひたすら最高位戦の配信を観て研究するようにしたの。A1リーグは全部見ていて、女流Aリーグだと瑞原さん(瑞原明奈)と吉田さん(吉田葵)をよく観てる。「なんでこの人はこの打牌を選んだのか」を自分のペースでじっくり考えるのが好きだから、何度も見返せられる放送対局が増えたのはありがたい。納得するまで突き詰める勉強方法は、受験も麻雀も同じかも。
昼は会社員として働き、帰宅後は寝るまでずっと配信を観る。昼休みも観る。
打ち手の思考を拾い、自分のものにしていく。この方法が高津には合っていた。
会社員でいることのメリットは、精神的にも金銭的にも安定することかな。他団体の大会にも数多く出場するためにはお金が必要だけど、それを確保できる。
デメリットは、やっぱり麻雀店勤務の他のプロとは打数で遅れをとるとは思う。でも、そこを気にするのはやめた。あくまで私の場合だけど、私が強くなる道は「打数を増やすこと」ではなく「一打一打深く考えて打つこと」だから。
金銭的に余裕があれば、東京での他団体の大会の予選にも参加ができる⇒数が増えれば、本戦に進出できる機会も自ずと増える⇒経験値が増える、という好循環が回ってきた。
東海支部の勉強会でも「急に麻雀がよくなったね、どうしたの?!」と言われ、自信がついてきたの。私のやり方は間違ってないんだって。
筆者も会社員兼麻雀プロだが、特に打数の面で不安になるときはある。
他のプロは昼間の時間も麻雀を打つ時間が多いと思うより前に、自分に合った勉強方法を見つけることが重要なのだ、と高津は語る。会社員と麻雀プロとの二足のわらじに悩む人がいたら、全員この記事を読んでほしい。
ちなみに、高津の経歴からは、要領が良く何事もそつなくこなすタイプと思われるかもしれないが、失礼だがそんなことはない。抜けているところもある。
麻雀と仕事に全振りしたいから、家事を極限まで犠牲にしてるの。
最強戦の後、持ってる調理器具を全部捨てた。だからうちには炊飯器も鍋もない。晩ごはんは、パックごはんに卵かけて、あとはトマト丸かじりしてる。収納もないから、段ボールをクローゼット代わりにしてる。家は最高位戦の配信を観て寝るだけの場所。
この調理器具がないエピソードが本当に好きだ。なんでもできるように一見見える彼女の意外な一面を表している。
想像してほしい。段ボールの横で、最高位戦の配信を観ながら卵かけご飯を食べる高津の姿を。愛らしさの塊である。
自信を持って挑んだ二度目の女流プレーオフ
2024年の第24期女流Bリーグ、高津は三度、配信卓の機会があった。
ここ数年の嬉しい変化は、最高位戦の配信卓が増えたことだよね。女流Bリーグも配信してもらえるのはありがたい。
コメント欄で褒められると嬉しいし、「もっと高津の麻雀を観たい」という言葉はすごく励みになる!
期待の声に応えるように、+347.2ptの首位という大活躍。女流Aリーグ昇級&二度目のプレーオフ1st進出を決めた。
嬉しさと安堵で、インタビューでは思わず涙を見せた。
(女流Bリーグ最終戦後のインタビュー)
首位で迎えた最終節。応援してくれた人のためにもこのまま首位で終わらせたかった。ポイントをこんなに持っての放送卓ははじめてだったから終始ドキドキしてて。終わった瞬間、プレッシャーから解放されて泣いちゃった。
プレーオフに進出した選手のうち、浅見真紀も女流Aリーグからプレーオフ1st進出だったのだが、偶然にも、高津にとっての一度目の女流プレーオフ1stに挑んだ際、同卓したのが浅見だった。
3年ぶりに女流プレーオフの場に帰ってこれた。強くなった私で浅見さんと戦えるのが嬉しかったの!
プレーオフ1stの前日に高津と会ったとき、彼女はいきいきとした表情でこう語った。浅見との再戦を心待ちにしていたのである。
(プレーオフ前日の高津)
そしてやってきた女流プレーオフ1st。2nd にいくためには、6回戦で5人中上位2人に入る必要がある。
6回戦目の南2局1本場親番、総合+38.2ptと微差ながらトップ目で、2nd進出目前だった。しかし、通過争いをしている総合3着目の元島明子に混一色・白・ドラの満貫を放銃してしまう。
南2局の親番のこの手をアガれたらオーラスに元島さんに一度ツモられても耐えるな、とか考えてた。元島さんの2枚目の8ピン手出しが、5ピンとのスライドに見えたからピンズは完成しているんだと思っちゃった。スライドでも混一色の場合は当たることが、この瞬間頭から抜けてしまった。
3年前と違って、今回は実力でも相応に戦えているという手応えがあった分、自分で敗着打を打ってしまったことが本当に悔しい。攻める麻雀が得意だから、通過ポジションを守る麻雀の経験値が足りてなかったな。しっかり反省して次に活かします!
(プレーオフ1stでのインタビュー)
常に最善を考えた麻雀を追究していく
女流プレーオフを終えた高津に、今の気持ちと今後の目標について聞いてみた。
今は、女流Aリーガーになるんだって実感がじわじわきてる。目下の目標は、もちろん女流最高位!2025年も、女流Aリーグからプレーオフに進出したい。応援してください!
女流最高位になったら、まずはお世話になってる東海支部のみんなに「やったぞ!」って言いたいな。
女流最高位のさらにその先についてはどうだろうか。
女流最高位になった後は、シードを活かして他のタイトルも狙いたい。
人生の目標が「自分のしたいことをやってく」なの。だから、麻雀の勉強をしてチャレンジできる今の環境は、ほんと幸せ。麻雀の勉強を続けていくとどこまでのレベルに到達できるのか、自分でも楽しみ!
目標としている人はいないかな。こういう打ち手になりたいというよりは、今の勉強法を続けて、常に状況に合った最善を考えていきたい。
頭の良さがにじみ出ている、高津らしい答えだ。
「女に勉強は必要ない」と言われた女は、それでも勉強を続けてきた。なぜなら、負けず嫌いだから。失敗しても諦めず努力を重ねてきた女は、強いのだ。
東京へ通う新幹線は、女流最高位、そしてさらにその先にも繋がっている。