コラム・観戦記

FACES - “選手の素顔に迫る” 最高位戦インタビュー企画

【FACES / Vol.43】坂本大志 ~麻雀店に通うため定期券を買った男の情熱は未だ燃え盛る~

(インタビュー・執筆 浅井裕介

 

最高位戦所属選手の半分以上が涙した(※浅井調べ)あの日。

抽選フェーズが存在するというゲームの性質上、麻雀では努力が結果に反映されないことも多い。
しかし、この男は違った。
長年の努力が、最高位獲得という最高の結果で報われたのだ。

最高位戦選手の多くが坂本の努力を知っているからこそ、他人の活躍に心の底から感動することができたのだ。

(画像:左・筆者、右:坂本。最高位戴冠直後)

第44期最高位 坂本 大志(さかもと まさし)

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最高の麻雀バカ、坂本の半生と未来をここに記す。

 

日本一ベーコンエッグバーガーを作れる雀士、爆誕

1979年10月23日、横浜市戸塚区で生を受けた坂本。
そこまで裕福ではない家庭で生まれ育ったというが、ドラクエなどメジャーなテレビゲームは一通り遊んだそうだ。
サッカーや野球・川遊びなど充実した小学生生活を送っている。

中学生になるのが嫌だったんだよね、環境が変わって遊べなくなるのが嫌で。

以前坂本が同じマンションの別の部屋に引っ越したという話を聞いたときにも感じたが、基本的に変化をあまり好まず、同じことを徹底的に突き詰めることを得意とする坂本らしいエピソードだ。

そんな坂本がこれまでの人生の大半を費やし、おそらく今後もそうなるであろう麻雀との出会いまで時を進めよう。

高校時代に姉から紹介され、ファストフード店でアルバイトを始めた坂本少年。
はじめはきつくてやめようと思ったが、持ち前の反骨精神で続けた結果、仕事を覚えていくにつれ楽しくなり、気づけば週6で働くようになった。

当時、ベーコンエッグバーガーを作るスキルはおそらく日本で一番だったんじゃないかと。

そんなバイト先の同僚と遊ぶ中で、ついに運命の出会いを果たす。

それまではゲーセンのお色気麻雀ゲームをやったことがあるくらいで。人と麻雀を初めてやったら超ぼろ負け。悔しくて麻雀の本を買ってこっそり勉強した。
縁があって初めて打った麻雀プロは忍田さん(忍田幸夫・麻将連合)。

あ、そうそう話変わるんだけど俺まだ緑一色をアガったことないんだけど。
この頃まだ緑一色って役を知らなくて、でも二盃口は知ってたのね。
んで、をテンパイするのよ。人生初の二盃口テンパイで發切り、手が震えます。
ローン12000!アガリ形を見てみんなフリーズ。そうだよね、珍しいもんね、二盃口。
その直後くらいに緑一色の存在を知って、これか!ってなった。緑一色の神様に見放される行為をしてしまった。

麻雀はロジカルな坂本だが、プライベートではおやじギャグを好んだりお茶目な男だ。

バイト漬けの生活で高校を辞めた坂本だが、母の紹介で北海道の余市で18歳から高校を通い直すことに。
ドラマの舞台にもなった高校での穏やかな生活は坂本に合ったようで、卒業まで充実した日々を過ごす。
3年時には生徒会にも在籍したそうで、これが「麻雀生徒会長」というキャッチフレーズの由来かと思いきや即答で違うと否定された。
単に真面目な性格と風貌からのようだ。

長期休暇のたびに横浜に戻っては元のアルバイト先で働いており、卒業後も当然出戻り。
このまま就職するんだろうなと思っていた坂本に大きな転機が訪れる。

店長が変わって、その人と合わなくてバイトを辞めたんだよね。ただ、無計画で仕事も探さなきゃだったんだけど。この頃から俺麻雀強いんじゃね?って勘違いをし始めた。

いくつか職を渡り歩いた末に自動車の期間工に落ち着き、これで生活に余裕が生まれた。
この頃からフリー麻雀店に通いだし、物語の歯車が動き出す。

 

ギャル雀で働く園田賢と運命の出会い

横浜のフリー麻雀店に行くようになって、すげー楽しそうに麻雀打ってる人がいるなって。それが園田賢。信じられる?あの賢ちゃんが第一打にリャンメンを亜空間チー!ってやってるのよ?

当時について園田に話を聞くと

めちゃめちゃ覚えとるわ(笑) なんかすげー毎日いるなって。しかもお互い地元は横浜から20分くらい掛かる同じところなのに横浜でしか会わない。よっぽど麻雀と女の子が大好きなんだろなって(笑)※

※園田が当時働き、坂本が足しげく通っていたのはギャル雀と呼ばれる女性が多く働くお店だった。当時は麻雀店に女性はまだ少なく、一世を風靡した。

(画像:今でも仲良しな左・園田と右・坂本)

これ以上園田に話を聞くと物語がジャックされそうなので話を戻す。

帰りの電車とか同じになることがあって、麻雀の感想戦するのがすごく楽しかったなあ。

この出会いが更に坂本を麻雀にのめり込ませることになる。

この頃から日勤と夜勤の合間で時間に余裕があるときには、各地の麻雀店に遠征するという完全に麻雀漬けの生活を送るようになる。

遠征先の1つに、坂本を強く惹きつける渋谷の麻雀店があった。

手塚紗掬プロ(日本プロ麻雀連盟)のポスターが凄く綺麗だったのが6割、マナーがしっかりしているのが1割、そして採用しているレーティングシステムが3割。このレーティングシステムが面白くてすごいモチベーションになった。

今でこそ採用しているお店も増えたが、当時レーティングシステムを採用しているお店は少なかった。

そのお店が横浜にも出来てからはもうずっと横浜。麻雀店に通うために定期買ってたからね。

麻雀店に通うために定期?
さすがに自分の耳を疑ったが、真実のようだ。

麻雀プロになる前から麻雀バカを突き詰めていた坂本。
現在札幌や関西でも私設リーグを開催し、地方選手とも研鑽している坂本のフットワークの軽さはこの頃から変わらないようだ。

園田賢という変態が、このシステムで誰と打ってもレーティングが上昇する平均着順を算出した。一番上の名人的なランクをみんな目指していて、それの4代目くらいになった。
名人になっている間はゲーム代無料で、賢ちゃんや浅埜さん(浅埜一朗)もなってるんだけど、浅埜さんは2か月くらい在位していて凄いなあ信じられないなあって思ってた。
当時の通算成績で平均着順2.3前半くらいだったけど、結局園田・浅埜に勝ったことなかったなあ。

園田は言うまでもないが、浅埜も一度退会する前に現A2リーグに所属していた実力者。最高位戦入会前から一目置かれる存在であったことを物語るエピソードである。

レーティングが4-12だったからみんな3着やめしてた。これが最高位戦の順位点バランスに近くて通ずるものがあったかも。
あとそのときの店長が大貝さん(大貝博美・元101競技連盟)。ポンテンじゃないとクソ鳴きって言うくらいの門前派なんだけど、優しいしダンディで声も良い、人望ある素敵な人なんだよね。
最高位戦に入った後にも、101のパーティで村上さん(村上淳)や水巻さん(水巻渉)に紹介してくれて、とてもありがたかった。

麻雀の成績を向上させるという魅力にどっぷりとハマった坂本。
先に最高位戦に入会していた園田から運命を左右する誘いを受ける。

第2期アマ最高位戦に勧められて出たんだよね。そうしたら、あれよあれよとトータル1位で決勝に残って。俺優勝しちゃうかもみたいな。
広い会場で1卓だけをみんなで囲んでるみたいな環境にたまらなく痺れて。結果は全然ダメだったんだけど。競技麻雀やりたいなって思った。
大貝さんに色々話聞いて發王戦にも出場して。そのタイミングで彼女にもフラれて、麻雀に集中できる環境ができて、競技熱も高まって。そんなとき、ちょうどあった最高位戦のプロテスト受けたんだよね。

アマ最高位戦出場をきっかけに坂本の麻雀熱は競技麻雀熱に生まれ変わり、とんとん拍子でプロの舞台へと駆け上がっていく。

 

運営には全く興味ありません、選手としてやりたいです

プロテストの面接が代表(新津潔)と依田さん(依田暢久)で。最高位戦は自主運営の団体で、運営とかもあるんですけど興味ありますかって聞かれたんだけど。
一切ありません。選手としてやりたいんですって伝えて。

最近プロテストの面接で麻雀の普及活動をしたいという選手も増えてきた。
それ自体は勿論素晴らしいことだが、具体的な内容について聞くと口ごもる者も多い。
それならいっそのことこれくらいの意気込みを聞けた方が気持ちが良いのかもしれないなと、ふと試験官目線で思いを抱いた。

そしてそんな発言をした坂本が今では最高位戦運営の大黒柱として重責を担っているのもまた面白い。月日は人を変えるものだ。

それで麻雀プロになってみて競技麻雀を研究して、こんな楽しいことがあるんだ!と。あんた麻雀ばっかやってないでって誰にも言われないんだよ!?

パワーワードが過ぎる。私が出会った頃の坂本はこんなに面白い言葉選びをするイメージがなかった。月日は人を変えるものだ。

一番最初のタイトル戦が優駿杯で、いきなり決勝に残った。1年目はタイトル戦の成績がめちゃくちゃ良くて、μカップとBIG1カップと日本オープンで準決勝に残って、野口賞は決勝。

優勝こそしていないとはいえ信じられないレベルの好成績だ。プロ入り15年目である程度シードをもらうこともある私でも経験がないレベル。
私だったら、いや全世界の人類誰もが天狗になりそうなものだが、坂本は違った。

最高位戦の麻雀を見た過ぎて、Aリーグが水曜日だからこれ見られないじゃん?それで仕事を辞めてしまった。
そこから採譜の仕事をしたり、園田の紹介で初めて麻雀店で働き始めたんだけど、これがまた信じられないくらい負け続けて。

あと「その研」(園田研究会)という賢ちゃん主催の1局検討する勉強会があって。その頃から賢ちゃんが先輩にも一目置かれていたから、崇さん(佐藤崇)や村上さん、水巻さんや尾崎さん(尾崎公太・第29期最高位、後に退会)など錚々たるメンバーが参加してくれて。
これが自分に合ってるなあって思って、今でも自分の礎になっていると思う。まあそれで自分より圧倒的に見えている人たちに囲まれてるから全然天狗になってる場合じゃなかった。

入会当初から当時のトッププロに囲まれ、実力の差を目の当たりにできたことは坂本にとって幸運だったのかもしれない。
充実した選手生活を送っていた坂本だったが、2年目にタイトル戦が2つほど開催終了という変化を迎える。

出られるタイトル戦が減っちゃったから、俺らで大会企画しちゃおうかって。賢ちゃんと近藤加那子(元最高位戦)と、協会(日本プロ麻雀協会)から岳ちゃん(大浜岳)とたっちゃん(橘哲也)でTwin Cupという大会を立ち上げた。

当時は最高位戦と協会の間でようやく交流が始まったくらいだった。
双子の武中兄弟(武中真・進)が最高位戦と協会に所属していた(※兄の真が当時は最高位戦所属だった。現・日本プロ麻雀協会)ので、最高位戦と協会の懸け橋になるようにってTwin Cupって名前にしたんだよね。
この大会のおかげで当時は最高位戦ほぼ全員と協会員も半分くらいは顔と名前が一致してたよ。

私もこの大会のおかげで知り合えた選手は多い。新人からすると本当にありがたい企画だった。
今の若手はコロナ禍も重なり交流を持つ機会が少なく、きっかけを作りづらいのは不遇だなと感じる。

 

聖地『ばかんす』青木さんとの出会い

その研をやっているときに会場問題があって、結局行きついたのが『ばかんす』だったのね。Twin Cupでも使わせてもらって。
ばかんすの青木さんがいなかったらこんなに麻雀を勉強する環境を作れなかった。麻雀プロ以外で一番の恩人だね。

当時は最高位戦道場のような競技麻雀を研究しやすい環境はなく、私たちにとってばかんすは競技麻雀の聖地といえる存在だった。
そして競技麻雀だけではなく、年末には選手で集まりみなで年越しをするなど長い時間を過ごした場所だ。

(画像:青木さんとばかんすにて)

青木さんから当時の坂本の印象を伺った。

知り合ったのは自分が店引き継いで1〜2年目くらいのころでした。
大志が最高位戦入ってすぐくらいで、勉強会や練習できる場を探してるって紹介してもらって。

Aリーグの採譜係や整理牌譜したり。
当時は放送対局なんてないから毎回足運んで勉強しに来てるの見てました。

しばらくしたら店の近所に引っ越してきたから店の合鍵も渡して、営業時間前の他のお客さんがいないときとかにもよく使ってもらってました。
当時タイトル戦の決勝戦とかで使ってた真ん中の卓で、決勝で打ってるところをイメージしてやってたんだと思います。

大分格上の先輩とかにもお願いして稽古つけてもらってる。
必死で練習してるって印象でした。

Twin Cupもその頃の勉強会の延長から始まったんだと思うのですが、強い人と打つ機会を作りたくて始めた大会で、年々規模が大きくなって凄い人達にも来てもらえるようになって。
2〜3年目くらいからは毎年恒例のお祭りみたいになっていて、後半は運営グループのほとんどがシード選手になっていた。
改めて凄い勉強会だったんだなと思います。

その頃から放送対局も始まって、活躍の場がどんどん広がっていくのも見てました。
大志は、Aリーガーになっても最高位になっても今もあの頃と全く変わってないなと思います。
ただただ色んな人達と私設リーグや研究会して試合に備えてるんだと思います。

「大志といえば青木」と言ってくれる人もいて、こうやって場面で声かけてもらうんだけど、それは大志が未だに義理堅く自分を立ててくれてるからなんだと思います。
プロの選手が上を目指して努力してる姿を近くで見れる機会ってあまりないと思うのですが、自分は大志と知り合えたことがとても刺激になりました。
これからも応援し続けていきたいと思ってます。

 

初タイトルと悲願の最高位戴冠から変わった麻雀への思い

こうして麻雀に没頭する日々を送る坂本が初めて獲得したタイトルが最高位戦Classicだった。

同卓者が上野さん(上野龍一)、ねもねも(根本佳織)、あるる(有賀一宏)。初日を終えて2番手のあるるとは94ポイント差。2日目も2212で最終戦を迎えるんだけど、なんと2位との差が30ポイントしかなくて。
あるるが1131でオーラスハネツモ条件までいったんだよね。

決勝1日目観戦記(須田良規・日本プロ麻雀協会) 2日目観戦記(園田賢)

追い詰められた坂本だったが初タイトルを獲得。そしてその後、最高位戦入会から14年目に待望の瞬間が訪れる。

最高位獲ったときはもうスコアが書けないくらい泣いてたよねえ。あんなに自分を忘れて泣くことあるんだなあって。
だってメガネの上からおしぼりで顔拭いちゃってるんだよ?

今聞くと爆笑モノのエピソードだが、冒頭でも書いた通りその瞬間には私も盛大にもらい泣きしたものだ。

(画像:団体を問わず、最高位戴冠が祝われた)

ちなみに坂本は涙もろいキャラで有名。村上や私の初タイトル時に本人より先に盛大に涙していた。

醍醐さんの(最高位戴冠時の)涙は痺れた。俺惨敗したのになんでこんなに感極まって泣きそうになってるんだろうって。
めちゃめちゃ悔しいんだけど、すがすがしさがあって。やり切った仲間意識みたいなのが芽生えたのかな。

最高位ディフェンディング期間中の坂本は普段から仲良くさせてもらっている私でもかなり声をかけづらいような雰囲気があった。
そして最高位決定戦終了後に普段の坂本に戻った。きっと色々なものから解放されたのだろう。

最高位を獲得しても、失冠しても麻雀の日々は変わらない。
常に麻雀と向き合っている坂本はどんなときに自身の成長を感じるのだろうか。

新しい引き出しを無意識に使えたときに、あっ俺強くなったなって。
例えば切った後に離れて手出しされるを見て持ってるって考えるよね。最初はこうでこうでうーんとって頭捻らないと出てこなかったのが、条件反射で出てくるようになって。

昇級やタイトルなど、結果は全く関係ない。坂本らしい答えが返ってきた。

Aリーグに上がった頃ってまだ全然だったなって。同期にキヨマサ(佐藤聖誠)がいるんだけど、常に俺の前を走ってる感じだったから負けないぞって思ってたんだけど、実際差が良くわからなかった。
それが何年も戦ってると、キヨマサがあのとき言ってたのってこういうことだったのか、あの時代にここまでできてたんだと思って差を感じたなあ。
同期にキヨマサがいたのは大きかった。負けたくなくて自分より全然先を行ってる人の存在が大きかった。

麻雀は数字のパズルゲームであるが、対人ゲームでもある。一人で麻雀をすることはできない。
そして仲間やライバルという存在は刺激や気づきを与えてくれ、成長を助けてくれる。
園田と佐藤、そしてここに名前が挙がった者、それ以外にも大勢の影響を受けて坂本はここまで走ってきた。

最後に最高位の価値と今後の目標について聞いてみた。

リーグ戦出てる以上、最大の目標だし、一番取りたいタイトルなんですかって聞かれたら当時も今も最高位。
でも最高位獲るために麻雀やってるかっていわれるとそれは違う。誰よりも麻雀強くなりたくてやってる。
何をもって一番強いかどういうことかよくわかってないけど、最近は周りの評価なのかなって気がしてる。
周りの評価を高めるにはMリーグで結果を残さないと認められないなって思ってる。これを強く思ったのは最高位を獲ってから。
最高位戦で一番強いのは誰かって話になっても、坂本の名前が挙がるのって在位期間中でも少数派だったんだよね。
そうなるとMリーグでの活躍が必要で、そのためには結果を残し続けないといけないよね。

最高位を獲ったことで見えた世界がそこにはあった。最強という目標への定期券を胸に、坂本はこれからも走り続ける。

(画像:最高位祝勝会にて326さんからいただいたイラストとともに)

※対局画像提供:㈱スリーアローズコミュニケーションズ

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